十五夜お月様




馴染みのなかったこの場所にもいつの頃からか通い慣れてしまった。
大きな吹き抜けから光が溢れ、そこここに置かれた緑に心癒される。
が、いかに過ごしやすいように配慮された所で、ここは長居すべき場所ではない。

801号室。もう広い建物の中で迷うこともなくなった。
「こ〜んにちは〜。」
明るい声が不似合いなことくらい分かってる。毎度自分の声が不謹慎に響いているのも分かってる。
ただ、しんみりとした自分らしくない声を出すつもりもない。
「いらっしゃい。」
振り向いた顔の白さに驚く。こんがり焼けていた筈だ。
「おぅ。」
動揺を隠して短く応えるが、観察力の鋭い人間に通用しているのかどうかはわからない。
続く言葉を一瞬捜す。

「元気そうじゃん。」
そんな見え透いた嘘はもうつかない。
「調子どう?」
そんな答えようの無い質問ももうしない。

「差し入れ持って来たぞ!お前の好きな梨。後で剥いてやるよ。」
「サンキュー。」
そう言って見せる笑顔は変わらない。同性さえ魅了する完璧な笑顔。思えばこの顔に騙されていた。
この顔に騙され奴の中の病巣に気付けなかった。

「外行く?」
一秒でも長くこの部屋にいるのを嫌がった事を思い出し、声をかける。
「ん。今日はいいや。」
最近、こう答える事が多くなった。注意されるまで外に出ていたのは、そんなに前の事ではないのに。
「そっか。」
気まずい空気が流れる。二人の間にはなかった空気が。

「今日さ、」
「うん?」
「夜までいる?」
「ん?いいけど、なんで?」
「満月が見たいから。」
らしくない返事に思わず吹き出す。
「お前、そんなロマンチストだったっけ?」
「いいだろ!別に!」
そう言って頬を膨らませる様子は変わらない。
「いいよ、分かったよ。」
言い争っても結局は従う羽目になる。素直に聞いた方が喧嘩にならずに済む。





「みんなどうしてる?」
それから夜まではあっという間だった。気まずい空気が流れる事ももう無かった。

「面会時間過ぎてるんですけどね。」

そう言われながら長居するのも、もう何度目だろう。大丈夫か?この病院と思いつつ、お言葉に甘えさせていただく。
そのうち、失われていた活気がわずかに院内に戻ってくる。食事の時間らしい。
病院の食事なんてまずいだろうと思い込んでいたが、案外イケルらしい。

「美味しいんだ。」
「うん、意外とね。食べる?あ〜ん。」
「いいよ、お前食べろよ。」
「なんだよ、せっかく食べさせてあげようと思ったのに!僕にそんなことしてもらえるなんて光栄だろ?」
「結構です。いりませんー。後で、何言われるか分からないしな。」
「なんだよ〜!いいもん、もう絶対あげないもん!」
「『もん』ってねぇ。いくつだよ、お前。」
「32歳。後で、頂戴って言っても、もう遅いからな!」

そう言って、パクパク食べているが、好き嫌いの多さは相変わらずだ。

「でも好き嫌い多すぎ!ちゃんと食べなきゃ駄目だろ!」
「・・・もういいの。」

てっきり、反抗的に突っかかってくるものだとばかり思っていたが、返ってきた言葉は思いに反して静かなものだった。
その静かさが現実を感じさせた。

「もうってなんだよ。死ん」思わず口走った。
「死んじまうみたいじゃんか」後半は何とか飲み込んだが、後悔した時には遅かった。

どんよりとした、と以外に表現できないものが二人を包んだ。

「もう食べたい物だけ食べて暮らすんだ。」
「何言ってんだよ!栄養とかちゃんと取らないと治る病気も…」
「治らないの。もう治らない」
落ち着いた声が悲しかった。もう諦めた声が許せなかった。

「だから満月。」
「……。」
「満月見せて。外に出て満月が見たい。」
「そんなもん、治ったらいくらでも見せてやるよ。」
「今見たい!」
「今は無理だ!」
「今日じゃなきゃ駄目なんだ!」
「何、我が儘言ってるんだ?!」
「今日じゃなきゃ満月じゃない!さっき、外に行こうかって誘ったの、そっちだろ!」
「さっきは昼間で暖かかったから。今はもう夜だから駄目!満月なんて、またすぐ見れるだろ?」
「その頃まで持つか分からない」



涙が零れたのは自分の瞳からだった。

「バカ言うなよ。」







あの時あの願いを聞いてやれば良かったのだろうか。あんな簡単な頼み、どうして聞いてやらなかったのだろう。
一人で見る三度目の満月。

完璧な円を神々しく光らせている。これを見て、何を思いたかったのだろう。
どんな言葉を聞かせてくれたのだろう。二人で何を話したのだろう。






「ナカイ」






涙が一筋流れた。






















「カット!」
聞き慣れた声に我に返る。周りを囲む顔、声。いつも通り慌ただしく動く人、声を張り上げる人。

その中で俺を気遣う人。「カット」の声まで一瞬間があったのはその為だろう。
現実と役の境目が付かなくなるのなんて初めてだ。涙さえ、台本にはない。

「キムラ、大丈夫か?」
「すみません、なんか・・・。」
「いや、いいんだけど。でも、ここはナカイじゃなくて、フミヤで頼むよ。」
「すみません。」
「いったん休憩入れるか?」
「あ、いいですか?ありがとうございます。」

感情移入しすぎて、必要以上の涙をこぼしたことは今までにもある。
役名を間違えて呼んだこともある。
でも、こんな感情初めてだった。満月を見ながら、俺はキムラタクヤ本人としてナカイマサヒロを想っていた。

「ちょっと疲れてるんだろ。」
「うん、そうかな。なんかびっくりした。でも、もう平気なんで。一休みしたら、残り撮っちゃいましょう。」

疲れではない事は自分が一番よく分かっていた。ベッドに横たわるナカイが余りに現実味を帯びていたからかもしれない。
自分でもよく分からなかったが、ひどく興奮した後のような倦怠感を感じた。
そんな自分を少し自嘲し、タバコに火をつける。

「院内は禁煙ですよ。」
「中居。」
「お疲れ。」
「お前、もう今日終ってんじゃないの?」
「うん、ちょっと前にね。俺、死んじゃった。」

そう言って苦笑する顔は、やっぱり白かった。

「でも、俺元気だからな。」
「知ってるよ。」
「フミヤは死んじゃったけど、俺は元気だから。」
「分かってる。」

早速スタッフが言いに行ったらしい。嬉しいけど、余計なお世話だ。
今は気遣っているが、いつかきっとネタにするに決まってる。

「もう終わるなら、待ってようかな。」
「いいけど、どうせ明日も明後日も会うぞ。」
「待っててやるから、なんか奢って。」
「お前ねぇ。」

思いっきりため息をついて文句を言おうとしたら撮影開始の声が掛かった。
言い返せないまま本番に向かう。

「待ってるからな〜。」

後ろから声が追いかけてきた。振り向かずに手だけ上げる。
こんなやつを想って泣いた自分ってなんていい奴なんだ、そう思いながら指示された場所に立つ。
もう一度満月を見上げる。いい演技ができそうだった。




30分後。俺の横には、おなかをすかせた奴が1人、一緒に満月を見上げている。
1時間後。俺の横には、好きなものだけぱくついてる奴が1人、目の前の料理に必死になっている。
2時間後。俺の横には、顔を赤らめた奴が1人、目をとろんとさせている。
3時間後。俺の横には、半分寝ている奴が1人、もう一緒に満月を見る余裕はない。




1ヵ月後。また2人で月を見上げよう。





2004.9.14UP
ちなみにこれは連ドラの中の一幕です。
この話は1話完結の予定ですが、この話の中の2人は
4ヶ月、毎日顔を突き合わせてるはずです。

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SMAPファンに55のお題
thanks to「Wish Garden」植木屋様
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