スコット 月組
THE LAST PARTY


2006年3月25日
於・東京芸術劇場
ゼルダ


 アメリカの小説家、スコット・フィッツジェラルドの生涯。クリスマス直前、スコットの人生最後の日、彼は自分の人生を振り返る。
 有名な小説家になることを夢見ていたスコットは、編集者マックスに認められ、ニューヨークで成功を収める。華やかなジャズエイジ。妻ゼルダとの奔放な生活。けれども、幸せは続かなかった。世界恐慌、ゼルダの分裂症の発病、そしてスコット自身のアルコール依存。愛すれば愛するほどに傷つけあう2人。過去の栄光から、どんどん深淵にはまっていくスコット。そして最後の日、心臓発作であっけなく幕を下ろすのだった。
 全ての話は劇中劇という設定。個人的には、劇中劇でないほうがよかったかな。スコットが去っていったあと、急に現実に戻されて、もうちょっと余韻を残しておきたい。

 スコットの大空祐飛。すねたような、内にこもった役は、祐飛くんの得意分野だと思ってはいるけれど、今回の役もとてもはまっていた。華やかなパーティで浮かれ騒いでいても、全然満たされていない感じ。栄光を手にしたものの、後進のヘミングウェイに恐怖を覚え、自分に全く自信が持てない。アルコールに頼らないと何も出来ない弱さ。祐飛くん独特の雰囲気に舞台が包まれていて、とても切なくなりました。
 娘との場面が、唯一ほっこりできます。学生とのシーンは、ちょっと上手く出来すぎとは思うけれど、あそこまで煮詰まっているスコットを見ると、許せてしまう。命をすり減らして作品を生み出している、というのが本当にぴったりの表現でした。
 ちょっと滑舌悪いかなとか、声が通らないなと思ったところもあったけれど、あれだけの出ずっぱりは大変だと思います。

 ゼルダの彩乃かなみ。女心がすごくよく分かります。スコットと似たような奔放な性格をしていながら、スコットは仕事に没頭することができるけれど、彼女には何もない。都会では、浮かれ騒いで孤独を紛らわしていても、リビエラには何もない。唯一の頼りのスコットは、仕事に夢中で振り返ってくれない。寂しくて、つい浮気をして、でも本当はスコットに相手をしてもらいたいだけ。そしてついに精神分裂症になってしまう。破滅するしか道のない女性、可哀想でなりませんでした。ちょっとヒステリックになりすぎ?と思ったシーンもあったけれど、ゼルダの心境を思うと仕方ないと思えます。

 マックス、嘉月絵里。安定感があって、本当に安心して見ていられました。えりちゃんの演技が安定しているというのはもちろんですが、マックスという人物そのものが、危うい人が多い中で、地に足つけた人物としてほっとします。

 シーラ、五峰亜紀。しっとりした大人の女性で、心が癒されます。スコットも、初めからシーラに出会っていれば、こんな破滅の人生を送らなくてもすんだのに。それが出来ないから、スコットなのは分かっているのですけれど。シーラとの場面が、一番うるうるきました。人生取り戻せない、最後のがけっぷちを、そうと分かっていながら、なるべく幸せそうなふりをして暮らしている。どんどん深みにはまっていく最中よりも、もっと切ないです。

 アーネスト・ヘミングウェイの北翔海莉。スコットにとって、彼こそが一流の小説家で、常に脅威を感じていた。ヘミングウェイは、先輩であるスコットに対して直々に小説の書き方のアドバイスをしたり、偉そう。自分の方が優位に立っているということを見せ付けたいのかと思えば、ちょっと親身になっていそうなアドバイスもしてみたり。結局は、ヘミングウェイも強そうに見せていただけで、内面ではスコットと同じように悩みを抱え続けていた。北翔くんのアーネストは、生意気そうなところばかりが目立っていて、陥れたいのか心配しているのかよく分からず、ただ嫌味なだけに感じてしまった。

 20年代のパーティのダンスナンバーが好き。楽しそうですよね。浮かれ騒ぐロストジェネレーションのイメージがあります。舞台のつくりとか、全体に小洒落た感じでした。