雪組
ニジンスキー

2011年5月16日
於・日本青年館



 天性バレエダンサー、ニジンスキーの半生。
 バレエ・リュスのプリンシパルとして人気絶頂のニジンスキーだったが、彼自身は心のままに踊れないことに葛藤を感じていた。 主宰者ディアギレフの愛人としての立場も、重荷に感じはじめていた。 ディアギレフが不在の海外公演中に、ニジンスキーは彼の心を理解してくれた、パトロンの娘ロモラと結婚式を挙げてしまう。 それを知ったディアギレフは激怒し、ニジンスキーを解雇。 世渡りの下手なニジンスキーはどんどん追い込まれていき、最後は精神を病んでしまう。

 ヴァーツラフ・ニジンスキー、早霧せいな。セルゲイ・ディアギレフ、緒月遠麻。
 この2人がいなかったら成り立たなかったに違いない、絶妙のバランスでした。 演技力ももちろんですが、身長差や体格差が!華奢で小柄なちぎちゃんを、ぐっと抱きしめる大きくて骨太なきたくん。 最初の2人のラブシーンには、かなりやられました。
 パーティの喧騒に疲れてぐったり座っているニジンスキー。そこに入ってくるディアギレフ。 ディアギレフに話しかけられて、ニジンスキーはタイを解き、ソファにしどけなく身を横たえる。 話しかけられて身を起こすなら分かるけれど、話しかけられて横になるの!? そして、熱っぽく色っぽい眼差しでディアギレフを見つめて・・・ そこまで誘ったら、そりゃあディアギレフも胸元に手を差し込みたくなるでしょう。 で、「今夜は疲れてる」って。「今夜は」って、じゃあ翌朝ならOKなわけ〜!?
 いきなり妄想大爆発なラブシーンでした。 ちぎちゃん、娘役さん相手にはあんな表情しないよな〜。 ディアギレフも後で歌っているけれど、あの眼差しにやられたらしいから。

 愛人関係と言っても、普通の恋仲というにはあまりに不自然な2人。 男同士だからというのではなくて、ディアギレフはバレエ団の主宰者として経営のことも考えるし、ニジンスキーにはプリンシパルとしての役割を果たしてもらいたいと考える。 これは当然のこと。 でも、ニジンスキーは他人から振り付けを受けるのも、観客のために踊るのも束縛と感じてしまう。 ディアギレフが愛すれば愛するほど、ニジンスキーは束縛から逃げ出したくなるけれど、実はディアギレフがいないと何もできない。
 ディアギレフは、「ダンサーのかわりなんていくらでもいる」と言ってニジンスキーを解雇するけれど、「ニジンスキーのかわりは何処にもいない」んです。 若いダンサーを新しい愛人にしても、心の穴は埋められない。
 ラスト、「ベニスに死す」の本を返しに来た少年との会話が、もう本当にディアギレフが可哀想で・・・。 あの老人こそが、ディアギレフ自身がなれるものならなりたかった姿だったんだろうな。 愛する少年を追い求めて死んでいくのは、現実的で賢いディアギレフにはできないけれど、あの老人は傍目には無様でも、本人は幸せに違いないから。

 ロモラ、愛加あゆ。 ディアギレフとの直接対決がすごかった。女の強さを感じました。
 ディアギレフの、「私にはニジンスキーとの間に子供をもうけることはできない」という台詞にも衝撃を受けたけれど、 愛すれば愛するほど追い詰めるしかできないディアギレフがかわいそう。 せめてもの愛の結晶は、バレエ作品? きたくんが本当に上手くて、どうしてもディアギレフ目線になってしまいました。

 2幕目で、どんどんニジンスキーがおかしくなっていくところが、ちぎちゃん迫真の演技。 憔悴しきっているのも危なっかしい感じなのだけれど、幻聴が聞こえてきて本当に狂ってしまうところが、見ている方まで気がおかしくなりそうだった。 毎日あれは大変だろうな〜。

 ニジンスキーのダンスナンバー。「牧神の午後」のラストの意味を後で聞いて知ったのだけれど、そこまでエロティックではなかったです。(さすがに無理か) メイクが眉を落として、ちょっと異様な雰囲気ではありました。 ラスト、回想の中で「シェエラザード/金の奴隷」を踊るにこやかなちぎちゃんに、ぐっときます。 プロローグでも同じナンバーを踊っているのだけれど、全ての束縛から解放されて、すごく伸びやか。
 フィナーレのちぎちゃんときたくんのデュエットが、また色っぽいんだな。充分堪能させてもらいました。

 専科さん2人はさすがの存在感だったけれど、大凪、大湖、彩凪の3人が微妙。もうちょっと存在感があればいいのに。

 ニジンスキーを愛しすぎたがゆえに、追い詰めてしまったディアギレフ。ディアギレフへの敬愛は捨てきれず、自分の才能を持て余し、繊細すぎたがゆえに狂ってしまったニジンスキー。 見終わった後に脱力感を感じるけれど、心に残る作品でした。