大怪獣東京に現わる

 

まだ見ていない人

怪獣映画では必ず、怪獣に関わった人々が主人公になりますが、そうではない、怪獣とは関係ない一般人の視点からパニックを描くという発想は上手いです。 怪獣の行動を中継するTVスタジオや、怪獣を見ている人のリアクションで怪獣のことが描写され、画面には怪獣が一切登場しないというやり方も、こういう話の作品ならではの方法で面白いですし、お金を使わない意味でも賢いやり方だと思います。

怪獣映画が好きなせいか十分楽しめましたが、後半になってくるとキャラクターの描写が理解できない、難しいミニシアター映画ぽい感じがする部分があったのが当惑させられました。たぶん製作者たちは怪獣が引き起こすパニックそのものよりも、個々の人間の狂気を描きたかったのだと思います。だからこそ、怪獣が出現するのは東京であるのに、映画の舞台は東京とは関係ない福井県の街(後で怪獣が来てしまいますが)にしたのでしょう。東京を舞台にしたなら、怪獣に被害を受けた被災者(「ゴジラ」第1作の後半みたいな)の映画になったかもしれないし。

怪獣が東京からだけではなく、後半には大阪からカメ型の怪獣も出現し、日本を縦断していって激突する展開は怪獣映画のパターンをパロった感じで笑ってしまいました。あえて怪獣を2匹も出す必要はないと思いますが、観客サービスみたいで面白いです。

怪獣出現を「神の裁き」と言い出す宗教がかった女が出てきて、それに東大志望の予備校生が引っかかるというのが、オウムの信者にインテリが多かったのを思わせてリアルな感じがします。その女がまあ美人なのも、宗教を信じる女性には美人が多いという噂を思わせました。

 

 

すでに見た人

怪獣が出ない代わりに、映画の中で怪獣がいる位置を表す描写として、CGによる立体地形図みたいなものが出ます。この時に「NAGOYA」とかの3DCGでできた地名が撃破される描写で怪獣を表すような表現をしていたのですが、かえって不自然に見えました。せっかくTV中継のシーンを多用しているのですから、怪獣の位置関係はTVの解説画面オンリーででも見せてほしかったです。

映画の後半はキャラクター個々の狂気の描写が濃くなっていきますが、行動がよく理解できないキャラがいたせいか、怪獣の話からどんどん離れていく感じがして乗れませんでした。特に高松英郎の心理が理解できなかったせいか、竹内力が神様みたいな役で特別出演し、意味ありげなセリフを吐くシーンなんて、何を言いたくて出てきたのかよく理解できませんでした。そんなことで、怪獣が原発に近づく、つまり怪獣そのものがメインキャラクターに近づくあたりでやっと本来の話に戻った感じがしました。

怪獣が原発に近づいたところで、怪獣を目撃するキャラクターたちが逃げ回るのではなく、怪獣の姿を美しいと感動するあたりは、今までの怪獣映画には無かった反応で面白いです。新聞か何かで誰かが、日本のゴジラ映画はアメリカ版ゴジラと比べて、日本のゴジラ映画は「神」の映画だと言ってたことを思い出しました。こういうリアクションがあったことで、この後のシーンの悲惨さが強調されます。

 

 


 

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