シ モ ー ヌ

 

 

不振の続く映画監督ヴィクター・タランスキー(アル・パチーノ)は、製作中の映画でまたも主演女優(ウィノナ・ライダー)の降板という憂き目に合う。代役も見つからず、追加撮影の費用も無くなり困り果てるヴィクターに、以前に彼の市民講座を受けたと言う男が近づく。彼は究極のCG女優を作ったというが、ヴィクターは本気にしなかった。数日後その男は死去し、彼の弁護士が故人の意思とのことでヴィクターの元にハードディスクを届ける。彼がそのデータを見た数ヶ月後、シモーヌという女優が主演したヴィクターの映画は、大ヒットになる…。

実はCGで作られた女優シモーヌが、本物の人間として有名になってしまう話です。この映画の一番面白い点は、ヴィクターがそのシモーヌの人気に振り回されるところでしょう。
ヴィクターはシモーヌの人気が低下することを恐れ、ファンの思い込みに応えようと必死になりますが、本来シモーヌは自分の創造物なわけだから彼の自由にできるはずなのに、そうできない滑稽さが笑わせてくれます。それがますます、ファンに彼女をリアルな存在と思わせてしまう過程は皮肉ですが、こういうテクノロジーと人間の皮肉な関係は、やはり「トゥルーマン・ショー」や「ガタカ」を作ったアンドリュー・ニコル監督らしい話です。
また、コンピューターで作った女性が登場する話というと、例えばヴィクターがシモーヌに恋をしたりとか、彼女が自意識を持つようになる、といった展開も考えられますが、そういったありがちな話にしていないのもこの映画の上手いところです。

シモーヌを作成&操作するシステムは、年寄りのヴィクターが扱いやすいように考慮したのか簡単に出来ていて、合成の方法なんかは面白いのですが、コンピューターの知識などロクに無さそうなあのオヤジが、ああも高度なシステムを一人で作れるのか?と疑問にはなりました。データを入れる作業だって膨大なものになるはずだろうに。
その他にも、今どきなぜ1インチのフロッピーを使っているのか?とか、ハードディスクが無いのに何でデータが残っているか?など、ちょっとパソコンの知識ある人なら突っ込みたくなる描写が多々見られます。

シモーヌのクレジットは、エンディングでは「herself」と書かれていました。もし本当にCGだったら凄い技術だけど、それは無いだろうなあ…。

 

 


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リーグ オブ レジェンド
時空を超えた戦い

 

 

19世紀末、冒険家アラン・クォーターメインやネモ船長、透明人間、トム・ソーヤー、ヴァンパイア、ドリアン・グレイ、ジキル博士&ハイド氏といった昔の小説の主人公たちが手を組み、超近代兵器を大量生産する悪のグループと戦う話です。

アメリカのコミックが原作のお話です。なぜこの時代かは分かりません(著作権料が発生しないから、という説も)が、小説で有名な主人公を共闘させる、という発想は面白いところです。
この超人たちは、過去にある程度関係があるという描き方をされています。そういう関連が元々の小説にあるのかどうかは分かりませんが、キャラの関係は興味をそそられました。ただ、そのへんを描いた中盤はちょっと退屈してしまいます。

ネモ船長のノーチラス号や自動車など、ゴシック調のメカデザインは宮崎映画のメカを思わせますが、これが映画の一番のオリジナリティーかもしれません。それらのメカが活躍するアクションは、それなりにスピーディーで楽しめます。

 

 


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ピアニスト

 

 

まだ見ていない人

ピアノ教師のエリカは、中年と呼べる年齢に差し掛かっているのに、いまだに彼女を子ども扱いする厳格な母親と2人暮らし。そんな彼女にピアノの演奏家としての才能を持った美しい青年ワルターがレッスンを希望してくる。2人は結ばれるかに見えたが、エリカの性的妄想にワルターは翻弄されていく…。

2001年のカンヌ映画祭で、審査員特別大賞を受賞した作品です。
フランス映画らしい、というべきなのか、この映画はハリウッド映画のように説明的な作品ではありません。長回しが多いし、エリカの行為は具体的に映さないことがあるので、想像するしかありません。
しかし映画は、エリカ自身や母との確執といった家庭環境などを丁寧に描いたうえで、彼女の異様な(と見える)行動を描くことで、エリカが一体何を考えているのか興味がわきます。おかげで長回しが多くても、キャラの視線から心情を読み取ろうという気になるので目が離せなくなり、退屈しません。
しかしラストのエリカの行為は、説明が全くなされない難解なシーンです。その意味を考えるためにも、ハンパな気持ちで見てはいけない映画です。

一見ワルターはノーマルな男で、エリカはヘンタイに見えます。しかし結局、彼女もワルターもお互いに、自分だけの欲望をかなえてもらいたいと思っていて、エリカの場合それが端から見るとヘンタイ的に見えるだけでしょう。その意味ではノーマルに見えるワルターも、やってることはエリカと変わりはないと思います。自分の欲望を押し付けて、相手が何を望んでいるか、ということを考えないのは2人とも同じでしょう。
またエリカの母は自分の考え方やルールをエリカに押し付けるだけで、彼女がそれに対してどう感じるかということは考えてはいないようです。そしてエリカはその母に対し、従順になるかケンカ腰に反発するかの両極端な態度しか取れません。
いわばこの作品は、自己チューなゆえにコミニュケーションを取れない人間たちの話と言えるのではないでしょうか。現代は男と女、あるいは親と子の間でのコミニュケーションの難しさが大きな問題で、相変わらず増えているドメスティックバイオレンスやストーキングなんかの原因もそういったことが大きいはずです。その意味ではこの作品は今っぽい話であり、だからこそカンヌで賞を取ったのかもしれません。

エリカがポルノショップへ入るシーンなんかは、アホな監督ならおどろおどろしいBGMでもつけるかもしれませんが、この映画では音楽を一切流さない、さりげない感じで映しています。彼女がこの行動を常習としていると想像できる、上手い演出で感心します。それにしても、彼女の性的欲求はこういうアダルトビデオで増幅されてしまったのかもしれません。

 

 

すでに見た人

映画のラスト、エリカは自分の欲求だけを満たして去ったワルターに殺意を抱いたかもしれません。彼女の目論見通り彼はコンサートの会場に来ますが、エリカを見たワルターは謝りもせず、何事もなかったように「先生、演奏を楽しみにしています」と去ってしまいます。エリカは平静を装っていたものの、ワルターを見て内心うれしくなってしまい、その自分が許せなくて、彼にもたらされた痛みを思い出させるために自分を刺したのかもしれません。そしてこのままピアノを演奏すれば「楽しみにしてる」という彼の望みをかなえることになるし、彼をまた求めてしまうかもしれないことを恐れて劇場を出てしまったのではないでしょうか。
彼女はこの後、自殺を試みるかもしれません。でもそこまで勇気が持てないだろうと想像します。彼女は結局家に戻り、職場をクビになって、母親にやじられながらピアノの家庭教師として細々と暮らしていくのではないでしょうか。

エリカがフロ場にかみそりを持っていたシーンは、ヘアを剃っているのかと想像しましたが、バスタブに血が残っていたということは肌を傷つけていたのかもしれません(自傷行為!)。ドライブインシアターは音からすると放尿なのかなあ?そんなことで興奮するのか…?

 

 


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シービスケット

 

 

1930年代のアメリカの大恐慌時代。貧乏から這い上がって大富豪になったものの、息子を亡くした馬主のハワード、彼の寂しさを理解し添い遂げる後妻、他人とうまくやっていけない調教師スミス、貧困のため両親と離れ離れになり放浪生活を続けていた騎手レッド、そしてケガのために見捨てられた馬シービスケット。4人と1頭の馬が繰り広げる、プロジェクトXのような「逆転」という言葉がふさわしい物語です。

前半1時間ほどはおのおののキャラクターの話が交互に進んで行きます。ここは話のペースはけっこう早いのですが、彼らの心情が理解できる最低限の描写まで切り詰められているせいか、食い足りない感じはしてしまいました。
物語が本格的に面白くなるのは、彼らがシービスケットに関わってくるあたりからです。そこから以後のレースシーンは、勝つだろうと分かっていてもドキドキして、そしてジーンと来てしまいました。
映画は事実を元にした話だそうですが、並みのフィクションなど及びも付かないドラマチックな展開には、本当にあったこととは信じられません。

ハワードの「失敗は誰にでもある」という言葉に共感する人は多いでしょう。どん底になっても這い上がってくる人間たちと馬の話は感動的で、元気になれる映画です。不景気の現在に、実にタイムリーな話といえます。
歴史は繰り返す、とまでは行かないでしょうが、失敗しても立ち上がっていくシービスケットを応援する観衆の姿は、勝てなくてもレースに出続けているハルウララを応援する人たちに重なって見えました。

 

 


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悪 霊 喰

 

 

ニューヨークの小さな教会の司祭アレックス(ヒース・レジャー)に、ヴァチカンにいる恩師ドミニク神父の死去の知らせが届く。以前彼が悪魔祓いをしたマーラと共にローマに飛んだアレックスは、ドミニク神父の部屋で不自然なマーキングを見つけ、彼の遺体にも意味不明のマーキングが残されていた。アレックスはその謎を追求していくうち、ドミニクへのマーキングは「罪食い」の儀式ためだと推理する…。

原題は「Sin Eater」。「罪喰い」といった意味になります。でもこのタイトルでは日本ではピンと来ないかもしれないので「悪霊喰」にされたのでしょう。
「罪喰い」とは、キリスト教から破門されたりして天国に行けない人間の「罪」を、その人物の死の直前に食べて(吸収して)、その人の魂を救済する存在です。「罪」は具体的なものではないだろうから設定にムリがあるようには思うのですが、その「罪」を食べるというアイデアは、今までのキリスト教ネタのホラー映画にはないであろう面白いアイデアです。
また映画には、人の死の瞬間に秘密が語られるというような、ダークなシーンで面白いイメージがいくつかあります。

しかし物語の中では、明らかに話が飛んで戸惑う展開がありました。また、話には主人公の調査を邪魔する敵が出てくるのですが、その目的が分からないし、なぜ彼らがそこまで敵視されるのかもよく分からず、説明不足と思われる箇所がかなりあります。
また姉弟らしい子供のコンビが時折出てくるのですが、彼らが何のためにいるのか不明だし、罪喰いがなぜか長生きであるなど、設定面でも疑問を抱く箇所が所々あります。そういった理由からか、物語に今一つ乗ることができず、途中で眠気を感じてしまいました。
この映画、「罪喰い」のアイデアだけで話を作ってしまった作品、と言えそうです。

 

 


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女はみんな生きている

 

 

友人宅に行くため車で外出したエレーヌとポール夫妻。その途中、数人の男たちに追われている若い女が彼らの車に助けを求めてくるが、ポールは車のドアをロックし、女は男たちに殴られるままになった。夫の日ごろのわがままを聞き、離れて暮らす息子のことを心配しながらも、エレーヌは自分たちが見捨ててしまった女のことが気になってしまい、後で彼女の入院先を調べて病院に訪れる。仮死状態で動くこともままならない、ノエミという名の彼女を看病していくうち、エレーヌは家族を放り出してノエミに深く関わっていく…。

平凡な主婦と娼婦。普通なら触れ合うことがないであろう2人が出会うことで、人生が変わっていく物語です。
一見サスペンス的な物語ですが、ものすごくドキドキとか大逆転といったハリウッド映画ぽい劇的な展開はあまりありません。でも多少スリリングなシーンがあれば、ほのぼのと笑ってしまうシーンもあるような、緩急自在のタッチが上手くて、特に「愛」に関する描写はフランス映画ならではユニークさを感じます。
原題は「Chaos」。邦題とえらく違いますが、「女はみんな生きている」の方がいいタイトルのように思います。そのタイトル通り、女性キャラクターはみんな強い、あるいは段々強くなっていきますが、男性キャラクターはみんな情けなく描かれていて、こういう奴らが本当にいたら殴ってやりたくなります。でもその描写は理不尽ではなく、いかにもいそうで、男性は(自分を含めて)このキャラクターたちを反面教師にするべきでしょう。
主人公たちの敵は、ノエミを追う売春組織だけでなく、彼女らを当たり前にこき使う夫や息子、兄弟でもあると言え、そういう男たちに変化を促すのも映画のテーマでしょう。この映画は、そういった「社会の束縛」から脱出していく女性たちの、爽やかな物語です。

映画が始まって数分でノエミが殴られるシーンになりますが、話があれよあれよという間にあわただしく進んでいって戸惑いました。もう少しエレーヌ夫妻を紹介する描写がほしいところです。映画の、特に前半はキャラクターの描写で食い足りない感じがします。

映画館では、観客はやはり女性が圧倒的でしたが、一人で来てるくさいオジさんもチラホラいました。映画の中身に関心があるのか、それとも単に銀座ですることが無くてヒマつぶしなのか…?

 

 


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キャッチ・ミー イフ・ユー・キャン

 

 

アメリカを又にかけて活躍した10代の天才詐欺師フランク・アバグネイル(レオナルド・ディカプリオ)と、彼を追跡するFBI捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)。実際にあった話を、スティーブン・スピルバーグが監督した映画です。
この映画の前のスピルバーグ作品と言えば「A.I.」や「マイノリティ・リポート」なんかがありましたが、出来がいいとは言い難い話でした。それに比べると今回は話がすっきり整理されていて、肩の力が抜けた感じで最後まで楽しめます。スピルバーグの映画では久しぶりに面白いと言える映画になっています。
主演のディカプリオ君も、「タイタニック」以後は「仮面の男」や「ザ・ビーチ」など、今ひとつパッとしない映画が続いていましたが、今回は楽しそうに演じている感じがしました。

映画は主人公の家庭環境などを丁寧に描いて、共感できる話になっています。彼は端から見れば犯罪者ではありますが、人を傷つけるような悪意は持っていません。そういう犯罪のせいか全体的に爽やかな話で、ものすごくドキドキするというわけではなく、ほのぼのといった雰囲気になっています。サスペンスというよりハートフル・コメディという言い方が合う映画でしょう。

 

 


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CUBE2

 

 

気が付くと立方体の部屋(キューブ)の中。各部屋に閉じ込められた人々は集まって外界へ脱出の方法を模索するが、部屋に仕掛けられたトラップと人々の反目が障害になる。果たして何人が脱出できるのか…。
こういう筋立ての物語「CUBE」は、話と設定の斬新さで、スマッシュヒットとなりました。
今回、何年かぶりでパート2の登場ですが、監督は前作とは別の人になっています。おそらくスタジオの独断で、2匹目のドジョウを狙って作ってしまったのでしょう。
しかし2匹目のドジョウがいたケースはあまり多くありません。今回もその例にもれず、1作目に及びもしない平板な映画になってしまいました。

今回のキューブは、部屋ごとに重力の向きや時間の進み方が違い、果てはパラレルワールドまである、4次元的なつながりになっているのが前作との大きな違いです。一度部屋を移動した後に、元の部屋に戻ったつもりでも別の部屋になっているとか、過去の自分を見たりするのは面白いアイデアです。
しかし基本のお話が、人間たちがCUBEの中にいて、トラップがあり、脱出しようとする、というのは結局パート1と同じです。いくら設定に工夫があっても、やってることが1作目と同じなら、ただの焼き直しといっていいでしょう。
さらに悪いことに、前作はキャラクター達のエゴの強さやいがみ合いが話を盛り上げていたのに、今回はあまりハラハラしません。また上映時間は1時間半くらいで長くないのに、間延びするカットがあったりして退屈します。シナリオも演出も不手際が目に付く映画です。
今回はキューブの外のシーンも出てきますが、本筋に結びついてる感じはせず、とってつけたように見えました。

 

 


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ラブストーリー

 

 

まだ見ていない人

好きな人を親友に取られてしまった女子大生・ジヘは、母ジュヒが海外出張で留守の時に家の中で古ぼけた木箱を見つける。その中には母が時折読み返しては涙していた古い手紙と、母のものではない日記帳が入っていた。

ジヘがその日記を読み出してから、現代の彼女、そして35年前の若き母ジュヒとその彼氏ジュナとの恋物語が、交互に描かれていきます。
原題は「クラシック」。そのタイトル通り、今時かえって珍しいであろう、ベタな純愛ストーリーです。
監督は大ヒット作「猟奇的な彼女」のクァク・ジェヨンで、「猟奇的−」同様の音楽の使い方の上手さと、前作より一層洗練された過去と現在の交差で、最後まで楽しめる作品です。

予告では「母の手紙が娘の恋に奇跡をもたらす」と言っています。僕はこれを、ジヘが彼が振り向いてくれないのを母の手紙で勇気を出すとか、彼をゲットする何かのヒントを得る、というような展開になるのかと想像したのですが、そういうアクティブなことではなく、誇大表現です。
このキャッチは、ラストで明らかになるある「事実」のことでしょう。ただこれは「猟奇的な彼女」と似たパターンで、途中で想像が付いてしまいます。
なんだけどこのシーン、パターンじゃん!と思いながら涙がこぼれてしまいました。またその後に来るオーラスのシーンは、過去と現在が交差するファンタジックな描写で、ここでもまた泣かされました。
「猟奇的な彼女」は泣くまでは至りませんでしたが、今度はやられました。

あと気になったのは、過去のシーンが彼氏側の視点から語られていたのが、途中で彼女側の視点に変わってしまったところでした。おかげでその後の彼氏の変化が唐突になり、「何で?」と戸惑ってしまいました。なので、その後に涙を流させようというシーンが出てきても、感動には至りません。わざわざベトナムにする必要もないと思うし。

母ジュヒと娘ジヘはソン・イェジンという、同じ女優が演じています。清楚な感じの美人で、ヘアスタイルと服で現代と過去を区別していますが、現代パートは数日間か(長くても)1月くらい、過去パートは女学生時代から母親まで、たぶん10年くらいであろう期間を2役と意識させないくらいきっちり演じています。

 

 

すでに見た人

過去のパートでフォーカスされているのはもちろん主人公であるジュヒとジュナの2人ですが、2人が知り合ったのはジュナの親友テスのおかげで、しかもこいつがなかなかいい奴なのに、学生時代以降の彼の描写が薄いのは残念です。
彼はジュナのためにジュヒを守ろうと、ジュヒが本心から自分を愛してはくれないだろうと知りながら、全てを受け入れてジュヒと添い遂げたと想像します。韓国映画では彼のような、親友に義理を立てて自分を殺して?しまうキャラが時々出てきます。端から見ると自分が損をしてバカな奴に思えますが、男らしいとも思ってしまいます。
でも彼が何度も倒れた理由が明かされませんでした。ジヘが小さい頃に彼が亡くなったということは、病弱だったということかな?

ラスト、ジヘの彼氏がジュナの息子という設定はありがちで、拍子抜けでした(それでも、そうと分かるシーンは泣いちまったけど)。このラストは何だか、前世で結ばれなかった恋人が生まれ変わって結ばれる、という感じの話にも見えます。
しかしジヘの母ジュヒは海外に行っているから、この後帰ってきたジュヒが、娘の恋人が自分の愛した人の息子であると知ったらどうリアクションするんでしょう。亡きジュナの面影を彼氏に見出して手を…ってAVかい!

 

 


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バレット・モンク

 

 

第2次大戦中、チベット奥地の僧院で、全文を読むと究極の力を得るという巻物の守護が、師から一人の僧(チョウ・ユンファ)に託された直後、僧院は巻物を狙うナチスの一団に襲われる。ただ一人生き残った僧はナチの将校ストラッカーを倒し行方をくらます。それから60年後、ニューヨークに現れた僧は相変わらずナチの残党に追いかけられていたが、その途中、スリを生業としているカーという若者を自分の後継者として目を付ける…。

究極の力を持つ巻物、鳥のように宙を舞う坊主、カンフー映画好きの若者、腕っ節の強いロシアン美女、そして敵はナチの残党…設定は思い切りB級の話。そうと割り切れば、笑って楽しめる映画です。
冒頭のチベットでのアクションシーンが合成バレバレなのもB級ぽいし、必要ないだろ!と言いたくなるくらい、ワイヤーをあらゆるアクション場面で使っていて、スタッフが好きなように作ってる感じがします。

しかし、チョウ・ユンファ主演の映画といえば前作は「グリーン・デスティニー」その前は「アンナと王様」、とAクラスの作品が続いていたのに比べると、今回は格が落ちたように見えました。今回は製作に「男たちの挽歌」など、香港時代にコンビを組んでいて「MI−2」などで今やハリウッドのヒットメーカーに出世したジョン・ウーが関わっているのもウリですが、それでこのレベルというのは、手を抜かれたようで哀しくなります。
ユンファ君のアメリカデビュー作である「リプレイスメント・キラー」にしても、アカデミー賞女優ミラ・ソルヴィーノが出てる分、まだこの「バレット・モンク」よりは格が上の感じがします。まあ、話は「バレット−」の方がぶっ飛んでる分楽しめますけど。
ユンファ君仕事選んでほしいけど…無いのかなあ…?

 

 


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タイムライン

 

 

フランスで14世紀の遺跡を発掘していた考古学者ジョンストン教授がアメリカへ旅立った後、発掘を続ける息子クリスやケイトたち調査チームは、偶然開いた穴から修道院の遺跡に入る。彼らはそこで、どう検証してもジョンストン教授のものと結論づけざるを得ないメモと、メガネのレンズを発見する。ジョンストン教授の行方を、彼の行き先であるスポンサーのITC社に問い合わせたクリスたちはアメリカに呼ばれ、タイムマシンを見せるITCの社長から、教授が14世紀に行ったまま戻れなくなったと知らされる。彼らは社長に説得され、半ば強引に教授を救出するため14世紀に向かう。だが彼らが到着した途端に騎士の一団が襲い掛かる…。

「ジュラシック・パーク」の原作者マイケル・クライトンの小説の映画化です。
だからなのか、14世紀のフランスに行ってしまった現代人が脱出しようと悪戦苦闘、つまり現代人が別世界で逃げ回る、て話のパターンは「ジュラシック・パーク」と同じといえるでしょう。
しかし、「ジュラシック・パーク」のような恐竜に比べると、中世の野蛮な騎士というのは見ていてそんなに面白いものでもないし、キャラクターがあっけなく殺されたりして残酷で、息苦しい感じがしました。せっかく現代からタイムトラベルをしてきたなら、「戦国自衛隊」とは言わないけれど、現代人の知恵が中世人を打ち負かす痛快さが欲しかったところです。
とはいえ、伏線の生かし方はそれなりに上手く、お話自体も退屈しないしラストは心温まるシーンがあり、監督のリチャード・ドナーはいつものごとく手堅く仕事をしています。

映画の冒頭で語られる考古学の意義は、文化財が大好きな僕にはちょっと感動でした。でもそういうワクワク感が「ジュラシック・パーク」にはあったのに、この映画では感じられなかったのは残念な点です。ま、14世紀のフランスて時代自体、あまり興味がないのですが…何でこの時代にしたのかなあ?ケルトだったらよかったのに。

映画が始まってちょっとしたらタイムトラベル、という展開は、映画の時間配分からするとしょうがないとは思いますが、早すぎという感じはします。それにこのタイムトラベルのシーン、送られる人間が悲鳴を上げる程度では見ていて面白くありません。人間が分子レベルでバラバラにされるようなイメージが欲しいところでした。
ただ、このタイムマシンがワームホールを利用する、というのは面白いアイデアです。人間を分解して再構成する、という考え方は「スター・トレック」の世界での「転送」と似たコンセプトです。

 

 


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エイリアン
ディレクターズ・カット

 

 

SFホラー映画の名作「エイリアン」初公開から、20年以上経ってのディレクターズ・カットの公開です。
東京国際映画祭でこの作品が上映された時、監督リドリー・スコットは来ませんでしたが、彼からのメッセージが配給会社の人から読み上げられました。その中で「私は過去は振り返らない主義です」と言われた時には、「ブレードランナー」はどうなんだよ!と突っ込みたくなりましたが…。

このディレクターズ・カット版で明らかに追加と分かるシーンは、エイリアンに捕らえられた船長をリプリー(シガニー・ウィーバー)が見つけるシーンでしょう。ここで船長はリプリーに「殺してくれ」と頼みますが、このシーンが入ったことで続編の「エイリアン2」で、同様のシチュエーションで民間人が「Kill me」というシーンと共通の感じになり、パート1と2の世界観がよりつながって見えます。
このシーンは「エイリアン」のレーザーディスクやDVDに、削除されたシーンとして入っていますが、それ自体はディレクターズ・カット版に挿入されたシーンより長くなっています。ディレクターズ・カット版でのこのシーンは単にまるごと挿入しただけではなく、本編に合わせて短くしているようです。
他にはリプリーと乗組員との軋轢など、細かい部分でシーンが追加されているように思えましたが、映画の全部を覚えているわけではないので確証は持てません。
映画は追加だけでなくカットもあるようですが、僕にはほとんど分かりませんでした。ただ1箇所、エイリアンが腹の中から飛び出すシーンで、血を浴びたランバートのカットが消えているように思いました。

映画全体としては大きな変更はもちろんありません。しかし改めてこの映画を見てみると、いかにも異世界ぽいエイリアンの惑星のデザインや音楽、ノストロモ号船内での匂いが漂いそうなリアルさ、過去を語っていないのに存在感のあるキャラクターなど、描写の上手さには感心します。
この作品でのエイリアン襲撃にレイプのモチーフがあるのはよく知られているようですが、ランバートが襲われるシーンで、エイリアンの尾が彼女の足の間に入るカットにはそんな感じがします。

 

 


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インファナル・アフェア

 

 

マフィアから警察に潜入した男(アンディ・ラウ)、そして警察からマフィアに潜入した男(トニー・レオン)2人の物語です。
彼らが互いのボスに、取引の情報、そして取引が漏れている情報を流しあい、それを悟られまいとする攻防戦は実にスリリングです。伏線の生かし方が上手いし、互いの組織への忠誠心が変わっていき、善の心と悪の心が入り混じっていく展開は、現代という白黒がはっきりしない時代を思わせます。
ここ数年の香港映画で、ストーリーで面白かった作品はあまりなかったように思います。そんな中で久々に、特撮なんかに頼らないでエキサイトさせてくれるこのハードな映画は、ハリウッドリメイクという宣伝も納得です。
ただケーリー・チャンは話にそれほど絡んでいないので、あまり必要ないように思えました。

マフィアのボスをエリック・ツァンが演じています。彼は80年代から活躍している古株で、今回はその貫禄を見せつけてくれます。背の低い容姿のせいか主役にはなれないけど、「君さえいれば」や「星願」など、大物から小物までどんなキャラでもこなせる貴重な役者です。

 

 


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フ リ ー ダ

 

 

20世紀に活躍したメキシコ出身の女性画家・フリーダ・カーロの生涯を描くドラマです。主人公フリーダを演じるサルマ・ハエックはこの役をどうしてもやりたかったそうで、今回は製作にも名前がクレジットされています。
物語はフリーダと、夫そして時には愛人であったディエゴとの、奇妙なラブストーリーと言うべきでしょうか。難解な話で、眠くなってしまいました。

しかしこの映画には「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」を思わせるシーンが出てきたりして、物語よりもイメージや技術面で変わった描写が見られます。監督は「ライオンキング」の舞台版を手がけたジュリー・テイモアのせいか、美術的な見せ方は独特のセンスを感じます。それが面白いかつまんないかはともかくとして。

「レッド・ドラゴン」などで売れっ子のエドワード・ノートンが映画では少し顔を見せます。彼の名前はオープニングのクレジットには見当たりませんでしたが、なぜかエンドクレジットのスペシャルサンクスの箇所で名前が出ていました。カメオなのかな?
アントニオ・バンデラスもこの映画に少し顔を出しています。「スパイキッズ」に続いての、サルマ・ハエックとの共演でしょうか。

映画にはセックスシーンもチラホラ出てきますが、なかなかに色っぽい描写です。でもフリーダって…そうだったのか…。

 

 


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S.W.A.T

 

 

70年代に人気があったらしいテレビドラマ「特殊狙撃隊SWAT」のリメイクだそうです。僕はこのドラマは見たことがないので、TVと映画の関連は分かりません。
今回はシリーズ第1話と言えるような話で、サミュエル・L・ジャクソンやコリン・ファレルが中心となって活躍するSWATチームが結成され、活躍する話です。前半が彼らのチームが出来上がる話で、後半が予告でも宣伝している、1億ドル目当てに麻薬王を奪還しようとする犯罪者たちから彼を護送する話、という構成になっています。
また予告ではSWATチームに裏切り者がいると言っていますが、その人物はポスターに出ているメンバーと、本編でSWATチームに選ばれたメンバーを比較すれば容易にバレます。

ハイジャックの訓練など、SWATチームの頭脳&体力プレイは痛快で見もので、アクションも結構迫力があります。キャラのドラマや結束もそれなりに描かれているので、クライマックスは彼らを応援したくなり、なかなか楽しめる映画です。

 

 


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M U S A
武 士

 

 

14世紀の中国・明へ向かった、チェ・ジョン将軍をリーダーとする高麗国の使節団は、南京に入ったところでいわれの無い容疑で捕えられ、砂漠の流刑地に送られる。その途中で彼ら護送団は明と敵対するモンゴル・元の軍に襲撃され、護衛の明の役人以外は命は助かったが、使節団は砂漠の真ん中に投げ出されてしまう。彼らは故国に戻ろうと決意し、激しい気候の中で脱落者が続出する中、辛くも小さな街にたどり着く。そこで元の兵に捕えられた明の姫(チャン・ツィイー)を目にした彼らは、彼女を助けることで明王への疑いを晴らそうと考える。使節団たちは姫を救出し、南京を目指そうとするが、元の大群が彼らを追ってくる…。

14世紀に高麗は明に使節団を送ったものの、明王にその忠誠を疑われ、使節団は行く度に投獄されたそうで、4回送られた使節団のうち1つは高麗に帰った記録が無く、行方が分からない…そういった史実を下敷きに構想されたドラマです。
この話のミソは、主人公たち高麗使節団が、彼らを投獄した明、いわば「敵」の姫を守らなければならない、という点でしょう。
明王の疑いを晴らすには姫が一緒にいた方がいい。そうなれば晴れて明に入れて、高麗使節という目的を果たすことができる。しかしそれを遂行するなら追ってくる元の大群に滅ぼされるかもしれない。でも、もし姫を彼らに渡せば生命の危険は少なくなる…。
大義を取るか自分たちの命を取るか、高麗人たちの間でも意見が分かれます。お姫さまらしく、始めは傲慢な態度を取っていた姫も、自分の存在の影響を悟り、後半では重大な決断を下し、高麗人たちもその行動を受け入れるか否かの決断を迫られます。
こういう、主人公たちが追い詰められていくドラマがこの映画の面白さです。またドラマだけでなく、高麗人をはじめ姫たちキャラクターの個性がちゃんと描けているので、絶体絶命の危機に陥っていく彼らの運命に引き込まれて、最後まで退屈することはありませんでした。武士としての誇りを捨てずに行動する姿に燃えるシーンもあります。
また後半では主人公たち一行は漢民族の一般人を同行させることになりますが、彼らとの触れ合いもきちっと描かれていることで、ラストは泣ける箇所がありました。

映画で1つだけ気になった点は、明の姫と高麗人たちの意思の疎通でした。姫が自分の言葉を高麗の通訳係に訳させるシーンがある一方で、彼女と高麗人たちが会話を交わしている(ように見える)、もしくは会話でなくても、言ったことを理解してる(ように見える)シーンがあるので、彼らがお互いの言葉を理解しているのかしてないのか、どっちつかずになって分かりにくくなっています。まあここは、姫は基本的には高麗語も分かるけど、重要なことを話す場合はちゃんと伝えるために通訳を通した、とも解釈できるかもしれません。

時代モノということで、映画にはチャンバラのシーンが多いのですが、この作品の戦闘シーンは、チャンバラと言うより、人間と人間の重量級のぶつかり合いで、首が飛び血が噴き出す「死闘」と言った方が正確です。
そんな描写の中で、高麗人一行のキャラでは長髪の元奴隷男(「ユリョン」に出ていた俳優らしい)が抜群の強さを見せてしびれました。昔の「電波少年」に出ていた、俳優の伊藤俊也(字はうろ覚え)に似ています。「アウトライブ」でも「ユリョン」でも熱い物語だからか、韓国映画ではこういう男の中の男といったキャラクターが様になります。

お話や戦闘描写には「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」といった黒澤明の時代劇の影響が感じられます。この映画といい「ラスト・サムライ」や「キル・ビル」といい、日本製時代劇の遺伝子は世界中で増殖しているようです。
絶望的な戦いに挑んでいく男(&少数の女)たち…ラストではないけれど、この物語もまた、誇り高い武士=「サムライ」の物語です。

 

 


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イン・アメリカ
三つの小さな願いごと

 

 

両親と幼い娘2人のアイルランド人一家が、ニューヨークに移り住んで暮らしていく物語です。
彼らの家族はもう一人、幼い弟がいましたが、事故で亡くなっています。この「喪失感」が、表面上は明るく振舞う家族それぞれに微妙な影を落としています。
すぐそばにいた肉親が、未来がこれからあるはずだった家族がある日突然亡くなってしまう…僕にはそういう経験はありません(祖母はちょっと違うだろうなあ)が、その死を受け入れてるようで、心の底ではそうではない、という描写は彼らが一緒に過ごしたであろう時間を想像するとリアルに思えます。ラストで彼らが亡き弟に投げかける言葉にはジーンと来ました。
あとこの作品で特筆すべき点は、子役たちの演技です。特に下の娘アリエル役の女のコは、演技と意識しないくらい自然に見えて、驚かされます。

主人公一家が住むアパートは、叫ぶ男やジャンキーが住んでいるような、一見治安がよくない環境ですが、悪い住人はほとんどおらず、子供たちはすぐに順応してしまいます。特に下の娘は住民から好かれるようになり、やはり人なつっこい小さい女の子は得だと思わされます。
後半では謎に包まれていた、アパートの住人マテオとの触れ合いが重要なエピソードになり、それが感動的な展開を見せることになります。ガンダムじゃないけれど「人は一人では生きられない」と思える映画です。

生活のため一家はがんばりますが、特にお父さんのがんばり、エアコンやテーマパークのシーンではそこまでやるか?と感心するよりも呆れてしまいました。まあ、他愛ないゲームをこうもサスペンスフルに描いたアイデアはさすがだけど。でも子供たちへの体面のために生活まで危機にさらすなんて、考えられないけどなぁ…。

一家がアメリカで入国した時のビザは観光ビザでした。てことは彼らは不法滞在ということになるのでしょう。でも入院できたり、オーディションを受けたりと、ニューヨークは不法滞在でも生きていける場所ではあるようです。 

 


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ドラキュリアII
鮮血の狩人

 

 

ニューオリンズで最後を迎え、燃え上がったドラキュラの焼死体は死体安置所に運び込まれた。バイトでそこの管理をしている医学生のエリザベスは死体を調べようとしたところ、その歯で指を切ってしまうが、彼女の血が死体の皮膚に吸い込まれるとその部分は活性化してくる。これを見たエリザベスは不死の謎が解けると思い、愛人であり師であるロウル教授に連絡すると、彼は死体を廃屋となっている生家に運ばせる。一方、ドラキュラが完全に死んでないことを知ったヴァンパイアスレイヤーの神父(ジェイソン・スコット・リー)がドラキュラの後を追っていた…。

ドラキュラの意外な正体が楽しませてくれた「ドラキュリア」。まさか続編が作られるほどヒットしたとは思いもしませんでした。今回、ドラキュラ以外のキャラクターは前作とは全く違っていますが、確かにあれの続編ではあります。ドラキュリアという名前が本編では出てこないのも前作と同じです。
吸血鬼の血を不死の妙薬として扱うアイデアは面白いと思います。でもその設定を引きずりすぎたせいか、映画全体の中でドラキュラはほとんど縛られたままで、最後にちょっとだけしか活躍しないし、その正体は既に分かっているので前作にあった意外性もありません。また映画の舞台は限定されてるしキャラクターも少なくて、小じんまりとした話になってしまっています。
お話そのものは退屈はしませんでしたが、劇場で1800円は高いでしょう。ビデオで十分な内容です。

今回ドラキュラと対決するジェイソン・スコット・リーは、神父のヴァンパイアスレイヤーという役柄ですが、この人は「ドラゴン:ブルース・リー物語」のイメージがどうも強いので、危機に陥ると、空手で返せよと言いたくなってしまいました。
彼の上司で、かつてのヴァンパイアスレイヤーの神父役でロイ・シャイダーがゲスト出演していますが、彼の方がそれっぽく見えました(「ジョーズ」のイメージ今だに)。
またこういう、教会関係のヴァンパイアスレイヤーといキャラクターは既に「ヴァンパイア:最後の聖戦」でやっているので、新味がありません。

ラストは誰でも思いつく安直な形ですが、以外にもあまり無いパターンかもしれません。ま、そんなにあってほしくはないですけど。 

 


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ブルース・オールマイティ

 

 

自分の不運さを神に毒づいたTVレポーターのブルース(ジム・キャリー)が、1週間限定で神様のパワーをもらう話です。
ジム・キャリー君はこのところ、「トゥルーマン・ショー」や「マジェスティック」など、シリアスな演技が目立ちました。それはそれでいいのですが、顔面崩壊というか物まねというか、彼本来の「芸」が封印されてしまったのはちょっとさびしい感じがします。
そんな中で今回は久々に、彼のコメディ部分で笑わせてくれる映画です。映画のウリはそういった彼のまね芸、そしてブルースが神の力を得て起こす騒動での笑いでしょう。それらの点はそれなりに笑える見せ方になってはいます。
そして肝心のストーリーは、自分勝手な男が神の力を得ることで他人のことを思いやるようになる、という流れにしたいようです。しかし出来上がった映画は、ブルースの起こす奇跡の面白さに走りすぎてしまい、ブルースの心変わりの過程を十分に描ききれていません。1週間という期限もちゃんとやれば何らかのサスペンスに使えるのに、それらしい効果も見られません。
また彼の起こした「奇跡」が中盤では暴動にまで発展する騒動になりますが、ブルースへはその責任は全く追及されず、彼が自覚もしないのが気になりました。結局この映画は、ブルースの身勝手な性格描写が長く続くおかげで、彼に今ひとつ同情できません。シーンによっては不愉快にさえなります。

それにしても、自分の運の無さは神様(いるのかどうか知らんけど)に文句を言いたくなるけど、この映画みたいにちゃんと応えてくれれば楽だよなあ…。

 

 


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バッドボーイズ2バッド

 

 

「バッドボーイズ」はマイケル・ベイ監督の出世作となった映画で、マイケル君はこの後「ザ・ロック」や「アルマゲドン」などを監督して出世街道を進んでいくことになります。また主人公コンビを演じたウィル・スミスはこれ以降「インデペンデンス・デイ」を経てスター街道を驀進するし、片割れのマーティン・ローレンスはウィル君に比べるとB級レベルではあるものの、「ブラック・ナイト」などちらほらと主演作が作られています。
という歴史の元になった「バッドボーイズ」第1作が作られたのはもう何年も前です。その続編を今頃になって作ったのは、マイケル・ベイ監督前作の「パール・ハーバー」が制作費に見合うほどの大ヒットにならなかった、名誉回復の意味があるのではないかと勘ぐりたくなりました。しかしこの「バッドボーイズ2バッド」は結局、「パール・ハーバー」さえも下回る出来になっています。

「バッドボーイズ」第1作は見たはずなのですが、内容はよく覚えていません。ただ、結構キャラに感情移入できて、アクションも迫力あったように思います。それに比べると今回は、主人公2人のコンビにまるで入れ込めませんでした。
2人の掛け合いが映画のウリのはずですが、今回はまるで笑えません。また彼らがお互いにある「秘密」を抱いているのですが、それが映画の本筋と関わっていないからか、キャラクタードラマとしての効果が機能しておらず、主人公たちの描写が退屈で、眠気すら感じました。そのせいかアクションはかなり凄いことをやってるのに全然迫力が感じられず、ああやってる、くらいにしか思えません。

続編が「今度は戦争だ!」となるお話は、このキャッチを使った「エイリアン」や「バトル・ロワイアル」なんかがそうでした。この「バッドボーイズ2バッド」でもラスト40分がそういう展開で、映画は前半が捜査モノ、後半が戦争モノといった欲張った構成です。
しかしこの後半のエピソードは、この話だけで映画1本作れるくらいのボリュームなのに、次々とあまりに都合よくコトが運ぶのには呆れてしまいました。味方に敵の弾が当たらない、程度なんてものじゃないレベルです。
主人公たちが危機を自分たちの努力で切り抜けてこそ観客の感動を呼ぶのであって、切り抜けたシーンを並べるだけなら感動もないでしょう。そんなシーンを臆面もなく見せるこの映画には「観客ナメてんのか!」と怒りすら覚えました。
もしかしたら、この映画の企画当初は2時間程度の捜査編で終わっていたものが、もっと大掛かりなアクションがほしい、とかの理由でこの後半を付け足してしまったのかもしれません。でもその結果は映画のクオリティを落としただけです。
またこのパートの舞台はアメリカではない場所で、これは他国への侵略に取れます。いくら相手が悪い奴とはいえ、「アメリカの正義」の押し付けに見えて、もしかしたらイラクに侵攻したアメリカ軍の正当性を訴えようという意図でもあるかのように思えました。

「パール・ハーバー」はひどい映画でしたが、部分的に燃えるシーンはあったし、スペクタクル的な見どころはありました。でも「バッドボーイズ2バッド」が、これ以上ひどくはならないだろうと思った「パール・ハーバー」さえも超えるひどさであったのは、マイケル・ベイ君の限界が見えてしまった感じがします。

 

 


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ファインディング・ニモ

 

 

グレートバリアリーフに住むカクレクマノミのカップル、マーリンとコーラルは彼らの卵を狙う魚に襲われ、マーリンが気がついたときはコーラルの姿はなく、数百あった卵もわずか1個しか残っていなかった。数年後、ニモと名づけられたその子は学校へ行くことになるが、マーリンは心配でしょうがなく、遠足にまで付いていってしまう。そんな父親と言い争い、意地を張ったニモは父の制止を聞かずに見たことのない物体に触る。ようやく父の元へ戻ろうとしたニモはその物体=ボートの持ち主であるダイバーに捕まってしまう…。

「トイ・ストーリー」でも「モンスターズ・インク」でも、ピクサーのCG映画はアクションに次ぐアクションが展開して退屈させられません。今回の「ファインディング・ニモ」も同様で、ピクサーの映画には短編長編含めて外れが無いと言っていいでしょう。これって親会社のディズニーよりも優秀と言えます。
題材が海という身近な舞台、そして親子が主人公ということで、映画は子供からお年寄りまで、どんな人にも楽しめる内容になっています。また親子の話ということで、映画には子に対するあるべき態度など、子育てのテーマもちゃんと描かれているので、特に小さな子供の親や、これから親になる人には必見の映画です(ニモとマーリンがベタベタしすぎという感じはしてしまうのですが)。
そしてピクサー作品では毎度のことながら、キャラクターの個性が今回もちゃんと出ていて、擬人化の上手さには感心させられます。セラピーを受けるサメ、なんてキャラを思いつく人はそういないでしょう?

CGの技術は今はもう驚かされることはあまりなくなりましたが、この作品での海の質感には感心しました。たぶんプランクトンのような、水にゴミを入れて描写しているゆえだと思いますが、そういうゴミの動きや、物体が離れるにつれてかすむ描き方など、普通に見ていると目立たない部分でかなりの努力をしていると想像できます。
それを応用して、映画の舞台はさんご礁のカラフルな海だけでなく、機雷源や海流や深海、そして水槽の中など、バリエーションを出しているのも退屈しない一因だと思います。
またCGについては、魚の動きも実にそれっぽいのですが、そのリアルな動きと反するはずの人間ぽい表情やジェスチャーが全く違和感無くつながっているのもさすがです。魚の視点(見た目)というのも新鮮で、この映画を見ると海に潜ってみたくなります。

今回は声のキャストではあまり有名人は出ていないようです。ニモのクールな兄貴分となるギルがいい味を出しているのですが、ウィリアム・デフォーが声をやっているというのは納得でした。

今回も本編の前にピクサーの短編映画が上映されますが、それは「トイ・ストーリー」の6年前に作られたという「ニックナック」という映画です。水に関係する作品としてこれが取り上げられたのだと思いますが、これでの水の描写はそう複雑ではなく、技術の進歩に驚かされます。でも見る人を楽しませようという姿勢は、この作品から全く変わっていないのがうれしいところです。

 

 


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黒 の 怨

 

 

アメリカの港町ダークネス・フォールズには、150年前に起きたマチルダ・ディクソンの冤罪事件に端を発したトゥース・フェアリー(歯の妖精)の伝説があり、その姿を見てはならないと伝えられていた。しかしその日乳歯が抜け落ちたカイル・ウォルシュは暗闇にうごめく姿を懐中電灯で照らしてしまう。その影は、カイルの悲鳴を聞きつけた母親を目の前で殺してしまい、カイルは母親殺しの犯人としてガールフレンドのケイトリンの目の前で警察に連行される。それから12年後、カイルを捜し当てたケイトリンは彼に電話をする。彼女は弟が暗闇を極端に恐れている、と語る…。

実質的な主人公といえる、悪役トゥースフェアリーは早くもフィギュアになっているようですが、映画はほぼ全編、このトゥースフェアリーのしぶとい追っかけで展開する話です。こいつは光が弱点ですが、ちょっとでも光が当たらない箇所ができると襲ってきて、ライトを当てると下がる、という行動が単なる追っかけでない、メリハリが効いてハラハラさせてくれて、1時間半があっという間に過ぎました。
ジャンルはホラーですが、瞬間的にギョッとさせるシーンはいくらかあるものの、そう怖い映画ではなく、ホラーアクションといった方が適当な作品です。宣伝では日本ホラーを参考にした(だからタイトルに「怨」?)ようなことを言っていますが、それは感じられませんでした。
トゥースフェアリーは光に当たりたがらないのでなかなか全身を見せませんが、仮面を被った姿は不気味です。でもヴァンパイアを連想させる箇所が多々あるのは、工夫の必要があるかもしれません。

それにしても主人公には、お前がトゥースフェアリーを見なければ、みんな死なずに済んだんじゃないのか!と言いたくはなりました。

 

 


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アンダーワールド

 

 

長きに渡って続くヴァンパイア一族とライカン(狼男)一族の死闘の中、今日も女戦士セリーン(ケイト・ベッキンセール)は地下鉄の構内でライカンを仕留めるが、ライカンの基地がその近くにあると彼女は推測し、かつてライカンの首領ルシアンを倒したと言うヴァンパイア一族の首領に調査を進言するが、彼はなぜかそれに消極的だった。セリーンはライカンを追っていた時に撮った写真から、ライカンたちが一人の人間を追いかけていることに気づき、その人間を捜し当てるがそれと同時にライカンたちが襲い掛かり、彼はライカンに噛まれてしまう。セリーンはその事件で、ヴァンパイアの首領がライカンの首領を倒したという話に疑いを抱く…。

ヴァンパイアと狼男が戦う、という話はゲームでは(キョンシーやゾンビもいたけど)ありましたが、映画では聞いたことがありません。すでにその設定でかなり引かれましたが、物語がニューヨークぽい都市で蒸気機関車が走っているというような、現代とゴシックが混在する「ダークシティ」のような世界観で展開するので、僕みたいに、こういうゴシック的なイメージが好きな人にはたまらない映画です。また狼男のことを、普通に「ウェァウルフ」と言うのではなく「ライカン」と呼んでいるのも、オリジナルなセンスを感じます。
ただしお話は、途中ダれて眠くなりました。しかし後半になると、ヴァンパイアとライカンの意外な関係を始め、どんでん返しが連続して楽しめる展開になります。

ヴァンパイアとライカンの戦いは長い歴史があるようなのですが、具体的にどれぐらいの年月なのかよく分かりません。彼らの因縁が始まった過去のシーンはクライマックスでようやく具体的に描写されますが、それまでは語りやナレーションで言われるだけのせいか、彼らの歴史がよく感じられませんでした。話の着想が面白いだけに、惜しいところです。
ヴァンパイアとライカンが戦う兵器には主に銃が使われ、対ライカンの銃には水銀の弾、そして対ヴァンパイアには紫外線を含んだ液体の弾が使われます。そのアイデアはユニークなのですが、彼らがそれらの銃で撃たれてもただ倒れて絶命するだけで、こんな描写では普通の人間の最後と変わりません。せめて「ブレイド」みたいに、やられたら燃えるといった効果でもほしいところでした。

ケイト・ベッキンセールのアクションは悪くはなく、超人らしく見せてがんばってはいます。でも彼女は体型が細すぎるせいか、強くは見えませんでした。やはりこの人は「パール・ハーバー」や「セレンビリティ」みたいに、ラブストーリーの方が似合ってるように思います。
でもラストは続編を意識したような終わり方なので、ケイトちゃんはたぶんまたやるんだろうなあ。

 

 


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密 愛

 

 

フミン(キム・ユンジン)は大学卒業と同時に結婚し、一人娘をもうけて何不自由なく暮らしてきた。だがあるクリスマスの晩、夫の部下だという若い女性が訪ねてきて、彼と不倫関係だと言い出し、フミンをいきなり殴りつけ、彼女は気絶する。その後フミンの一家は田舎の小さな村に引越すが、彼女は何事にも投げやりになり、頭痛が続いていた。ある日鎮痛薬が切れ、彼女は薬を求めて近所のハンサムな医師インギュの許を訪れる。彼はフミンに、ある「ゲーム」を提案する…。

週刊誌などでキム・ユンジンが脱いだ!と話題にされた映画です。確かにラブシーンはそれなりに多く、お話はポルノめいた感じもありますが、そんなにいやらしい雰囲気にはならないのは、キム・ユンジンの存在感ゆえのように思います。
とはいえ、女性が男との遍歴でアイデンティティーを取り戻す話、ていうのはありがちのように思うし、キャラの心情描写も上手いとはいえません。医師がゲームの提案をするシーンは唐突で、何でそれを彼女に言うのかよく分かりません。主人公の夫の方が憎まれ役で単純なせいか、分かりやすいキャラになっています。
また2人の関係の結末がいかにも映画ぽい、作為的に見えたのも気になりました。ただ、ラストシーンは切なさを感じさせます。

キム・ユンジンは「シュリ」の後は「燃ゆる月」くらいしか見ていませんが、どちらも強さが目立つ女性を演じていたのに対し、この「密愛」では受動的に生きてきたような、タイプの違うキャラを演じています。それも違和感はないのですが、段々と自立していくキャラになっていくのはやはり彼女ならではの役柄でしょう。ウリであろうHシーンも、なかなかにエロっぽさが漂って魅せてくれるので、彼女のファンなら見てソンはしない映画です。
ただ、キム・ユンジンのヌード目当てに見るなら肩透かしを食わされます。Hシーンでも、大事な部分はちゃんと服で隠しているので。ま、キムちゃんが韓国女優界の第1人者である地位を思えば、そういう見せ方になるのはムリもないことでしょう。ただワンシーンだけ全裸のシーンがあり、お尻を見せますが、後ろ向きのままで振り返らないので、吹き替えくさく思います。 

 

 


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アイデンティティー

 

 

話の予想が覆される映画、として映画評などで話題にされている作品です。
お話は一見、連続殺人ミステリーのタッチで進みます。ただ冒頭に謎解きめいたシーンがあるので、僕はそれをヒントにしたつもりで話を予想して見ていましたが、見事に外れました。
話のジャンルはサイコミステリーと言っていいと思います。今やサイコミステリーなんてありふれた感じですが、そんな手垢がついてしまったようなジャンルでも、語り口によってはまだまだ新鮮な見方ができることを教えられる作品です。
映画の冒頭で「これからご覧になる方には決して結末を話さないで下さい」と字幕が出される通り、ここでネタバレをやるつもりはありませんが、「マトリックス」第1作の影響を受けた話のように受け取れました。

話も巧妙ですが、個々のキャラクターも上手く個性を見せており、監督が「17歳のカルテ」のジェームズ・マンゴールドだというのは納得でした。キャストの中で有名な俳優はジョン・キューザックとレイ・リオッタくらいでしょうが、役柄的には彼らがこれまで出ていた映画のイメージを踏襲している感じがしました。レイ君やっぱりこういうキャラだし…。

 

 


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フレディVSジェイソン

 

 

エルム街の惨劇から月日が経ち、フレディ・クルーガー(もちろんロバート・イングランド)は世間から忘れられていくことで力が弱まっていくのを恐れていた。そんな時、彼はクリスタル・レイクの殺人鬼ジェイソンの夢を通して復活しようと、湖底に沈んでいた彼をよみがえらせる。暴れまわるジェイソンのおかげでフレディはエネルギーを増やしていくが、彼の獲物とするべき犠牲者をも殺してしまうジェイソンが、フレディには徐々に邪魔になっていく…。

そして戦うフレディとジェイソン。日本のアニメや特撮でも「デビルマン対ゲッターロボ」や「ウルトラマンVS仮面ライダー」みたいに「VS」のタイトルをつけた作品がありますが、大方は結局協同してしまいます。しかしこの「フレディVSジェイソン」はそんな生ぬるい話ではなく、ちゃんとフレディとジェイソンが戦います。
彼らが戦う話は映画の後半あたりで、前半は時に「13日の金曜日」タッチの殺戮シーン、そして時には「エルム街の悪夢」タッチの夢による殺戮シーンという描写が展開して、大方の犠牲者がティーンエイジャーというのも、これらのシリーズのフォーマットに即しています。音楽も、ジェイソンのシーンでは息遣いのような「13金」のBGM、フレディのシーンでは「エルム街」のテーマ曲が流れて、1本の映画で2大ホラーのシーンが見られる、なかなかぜいたく?なつくりになっています。

フレディにしろジェイソンにしろ、これまでは人間を相手にしていたから倒すのは造作もなかったことでしょうが、後半での彼らの戦いではお互い人間でないせいか、初めて死闘とも言える、こんなに苦労している姿を見たかもしれません。彼らが格闘を演じているのも、初めて見たように思います。

この映画の企画は何年も前に聞いたので、もう消えたのかと思っていました。映画を見る前は、「エルム街の悪夢」シリーズ終了から10年くらい経った今頃(「13金」はこないだ宇宙に行ったけど)になって復活というのは遅いようにも思ったのですが、フレディのことが忘れられているという設定は、その長さを逆手に取ったようで、なかなか上手いと思います。ま、こうしてシリーズを復活させればまたシリーズがレンタルで借りられるでしょうし。DVDも売り上げが上がることでしょう。

今後さらに「13金」と「エルム街」が続くのかどうかは分かりませんが、「VS」ネタでは「エイリアンVSプレデター」が控えています。こいつはちゃんと戦ってくれそう。

 

 


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