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ニューデリーで行われた地球温暖化対策の国際会議で、古代気象学者のホール教授(デニス・クエイド)は来るべき危機を訴えるが、アメリカの副大統領を初め、深刻に受け止める者は少なかった。そのニューデリーは大雪に見舞われていて、東京には巨大なヒョウが降り、アメリカ南部は大きなハリケーンに見舞われ、ロスアンゼルスは巨大竜巻で壊滅する。やがて大西洋の温度が急激に下がりだしたことでホール教授は、自分の持論である氷河期モデルが、数週間のスピードで進行していることを知る…。
ローランド・エメリッヒ監督といえば、 「インデペンデンス・デイ」や「ゴジラ」など、特撮大作の監督というイメージが強いのですが、僕は
「インデペンデンス・デイ」以外はいいとは思っていません。
今回も、見る前は大破壊の特撮だけ見ればいいと思っていましたが、その予想は、いい意味で裏切られました。
これまでのエメリッヒの映画では、例えば「インデペンデンス・デイ」に見られるように、メインのキャラクターが結構多く、何人かはそれなりに個性が出ているものの、人数のおかげで人間ドラマが浅くなるせいか、いいシーンでも感動までは行きませんでした。
今回はメインのキャラクターをホール教授親子に絞り、脇のキャラを少なくしたことで、キャラクター自体はそんなに個性は感じないものの、想いはそれなりに出たのでしょう。クライマックスにそう大きな障害を出さないのがかえってあざとくなく、結果的に静かに盛り上がり、ジーンと来ました。
朝日新聞の映画の記事の素人さんの投稿で、この作品を「走れメロス」と表現した人がいましたが、ドラマ部分を上手く言い当てた表現です。
観客席からはすすり泣きの声が聞こえましたが、まさかエメリッヒの映画で感動することになるとは思いませんでした。
映画の最大のウリはもちろん、竜巻や大津波といった異常気象の特撮でしょう。その特撮はILMとデジタルドメインという、特撮界の最大手2社が関わっています。ILMは「ツイスター」や「ハムナプトラ」でリアルな竜巻を作っているし、デジタルドメインは「タイタニック」でリアルな水の表現を見せたゆえの選択だと思いますが、今回も文句のない迫力を出しています。
映画では数週間で気候が急激に変動しますが、あの「日本沈没」でさえ異常はここまで速くはなかったし、これは映画と割り切るべきでしょう。これ以外にも、話にはオオカミの襲撃のような、いかにも危機を「作った」感じがしてしまう箇所が少しあります。
異常気象に見舞われる都市シーンに東京が出てきます。しかしここは引きのシーンが全く無く、モロにスタジオ撮影と分かってしまい、他の都市のシーンに比べて手抜きに見えました。
俳優も日本人俳優ではなく、日系人を使っていますが、「ラスト・サムライ」なんか見てしまうと違和感を持ってしまいます。
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大統領官邸にまで迫った北朝鮮の暗殺部隊に驚いた韓国政府が結成したという、金日成暗殺のための部隊。この部隊の存在は真実のようですが、映画の冒頭で、この作品はその事実を元にしたフィクションである、と断りの字幕が表示されます。なので映画は、基本的に想像と思って見た方がいいでしょう。
お話では部隊の隊員は囚人達という設定にされていますが、事実は軍から選抜された兵士だったそうです。映画はドラマとして盛り上げる意図でこういう設定にしたのかもしれませんが、それは見事に当たっています。自分たちの存在を消させまいと見せる、男たちの意地と誇りと友情が感動的です。
犯罪者を善の側に仕立てるという設定は「スケバン刑事」や「ニキータ」などで珍しくありませんが、この映画での囚人達はあっさりと軍に協力してしまうのは変に思いました。銃を持った兵士に囲まれているとはいえ、多少の反抗はするでしょう。
映画では時間経過の説明はありません。シルミド部隊の運命は世論の変化と担当の政治家の交代で激変しますが、そうならば部隊の結成から消滅まで何年かの時間が経っているはずです。しかし映画では、時間の説明が無いため情勢がすぐに変わったように見えて、戸惑いました。
主人公にあたる囚人は日本人俳優でいえば平田満に似ているし、初めのうち彼と対立する副官的人物は宮迫博之に似ていて、映画にはこのように、美形はほとんど登場しません。「殺人の追憶」と同様に、こういう顔は日本では、少なくともメジャー映画では主役になれないでしょうが、どのキャラも存在感は抜群です。
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看護婦のアナ(サラ・ポーリー)は朝早く帰宅し、夫ルイスと寝ていたところ、突然隣家の少女ヴィヴィアンが襲いかかる。ヴィヴィアンに噛みつかれたルイスは息絶えるが、再び立ち上がり、アナに襲いかかって来る。彼女は何とかルイスから逃れ車に乗り込むが、外では人々が殺し合いをしていた。その光景に目を奪われたアナは車を大破させてしまい、そこで銃を持った警官(ヴィング・ライムス)と出会う。2人はゾンビ化していない3人の男女と出会い、モールに行くという彼らと行動を共にする…。
ジョージ・A・ロメロ監督による「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ゾンビ」「死霊のえじき」の3作は「ゾンビ」三部作としてホラー映画の古典として有名で、ゲーム「バイオハザード」の誕生にも大きな影響を与えました。
この「ドーン・オブ・ザ・デッド」は第2作「ゾンビ」のリメイクです。日本のタイトルは違いますが、「ゾンビ」の元々のタイトルも「ドーン・オブ・ザ・デッド」です。
ちなみに、シリーズ第1作の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は「ナイト」で「夜」、第2作の「ドーン・オブ・ザ・デッド」の「ドーン」は「夜明け」、そして第3作の「死霊のえじき」の英語タイトルは「デイ・オブ・ザ・デッド」で「デイ」つまり「日」、と時間が連続しています。
シリーズ第1作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は、「ゾンビ」で特殊メイクを担当して業界の大御所になったトム・サヴィーニの監督で、90年に「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀」というタイトルでリメイクされましたが、今回の「ドーン・オブ・ザ・デッド」は、これとはつながりはありません。
ゾンビウィルス?から生き残った人間達がショッピングモールに立てこもる、という大枠の話はオリジナル版と同じです。しかし今回のリメイク版の一番の違いは、そのモール生活がお気楽に描写されているところでしょう。シーンには軽快な音楽が流れ、キャンプみたいで楽しそうです。
また今回はモールだけでなく、隣のビルの生存者との交流があったり、トランシーバーの使い方なんかは面白いところです。
しかしこういうマイルドな描写のおかげで、キャラクターたちに死が迫ってる緊迫感が持てず、だらけてるように思えました。オリジナル版で大きかった終末感や悲壮感も感じられないし、文明批判めいたテーマも全く感じ取れません。
また今回はキャラクター描写も今一つで、応援する気になれませんでした。予告編でもあったように、話にはキャラクターがゾンビ化していくエピソードがありますが、悲壮感が伝わってきません。
ただ、覚悟を決めて残るシーンはそれなりに感動的になってはいます。
また今回は、ゾンビが走るといった、その動きが速くなっているのもオリジナル版と違う点です。しかし「28日後」でもそうでしたが、死んでるように見えないからでしょうか?走るゾンビって怖いと思えません。映画には瞬間的にギョッと驚かされるシーンはありますが、全体的にはそう怖くありません。
リメイクがオリジナルを越えられない、典型の作品です。
もしかして、ゾンビはアメリカに入り込んだテロリストの比喩、なんて意味でもあるのかなあ?
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黙示録の天使たち |
日本でもそれなりにヒットした「クリムゾン・リバー」の続編です。前作は原作小説がありましたが、今回は主人公が同じジャン・レノ演じるニーマンスが共通というだけで、お話は映画オリジナルのようです。
今回の最大のウリはリュック・ベッソンが関わっている点でしょう。しかし「レノン」から後、製作で関わる映画は多いものの、ろくな作品を作っていないリュック・ベッソンの名前は、僕にとっては不信のブランドです。今回もその不信が覆ることはない出来になっています。
お話は、ベッソン製作映画の例にもれず都合がよく、雰囲気でつじつまを強引に合わせた展開が目立ち、初めは猟奇殺人の話だったのが、いつの間にか宝探しのお話に変わってしまっています。そのせいか、クライマックスでは主人公であるニーマンスはまるで活躍しなくて、ただの狂言回し的な存在になっています。
わずかな見どころとしては、猟奇殺人のシーンでキリスト教の怪しい雰囲気がそこそこ出ているところでしょう。こういう描写がなければ見ようとも思わなかった映画です。
でもその怪しい奴らが活躍するアクションシーン、長すぎると思うところがありました。
前作のニーマンスの相棒はヴァンサン・カッセルが演じていましたが、今回は違う人物です。しかし今や大物となったカッセルと比べるのは酷かもしれませんが、存在感が違いすぎます。
今回の映画も、ベッソンに話を作らせたらダメ、という好例になりました。
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人気ミステリー作家のサラ(シャーロット・ランプリング)は、出版社の社長が持つ南仏にある別荘に滞在することになる。彼女は一人きりの生活を謳歌し、著作も進んでくるが、そこに社長の娘と名乗るジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が現れる。男を引き入れ、自由奔放に振舞うジュリーにサラは苛立つが、その行動を自分の著作に使おうと思いつく…。
行動に慎重なオールドミスと、若く奔放な美女。2人の対称的な女達が繰り広げるミステリー、といった話でしょうか。
映画の冒頭はシャーロット・ランプリング一人のシーンが多いせいか、絵面に今一つ華やかさが感じられなくて面白さに欠けるものの、ジュリーが出てくるとお話が進行しだして、面白くなってきます。
特に、ジュリーの影響を受けてしまうように、行動がアクティブ?になっていくサラの変化は楽しめます。相変わらずなのか久々なのか、リュディヴィーヌ・サニエに対抗するようにシャーロット・ランプリングもちゃんと脱いでくれますが、なかなかにきれいな肌には感心でした。
ジュリーを演じるリュディヴィーヌ・サニエは、これの少し前に公開された「ピーターパン」でティンカーベルを演じていましたが、トシっぽいだけにしか見えなかったティンカーベルなんぞよりよっぽどセクシーで、魅力がよく出ています。
映画はジュリーの謎で興味を引っ張ってくれますが、ラストシーンではそれらの謎が全てひっくり返された感じで、唖然としました。このラストの解釈は何となくつきますが、もしそれが正しいなら、それまでの謎ぽいエピソードは全てムダだったか!?と怒りたくなりました。
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3200年前の古代ギリシャでは、国王アガメムノンが最強の戦士アキレス(ブラッド・ピット)の力を得て、周辺国家を次々に併合していた。彼の弟が王である国家スパルタは、長年の宿敵であるトロイと和平条約を結び、その祝宴にトロイの王子ヘクトル(エリック・バナ)とパリス(オーランド・ブルーム)が参加するが、パリスはスパルタの王妃ヘレンと愛し合うようになり、彼女を奪ってトロイに帰ってしまう。スパルタの王は裏切り者の王妃をこの手で処刑しようと、兄アガメムノンに援軍を頼み、トロイを我が領土にする野望を持つアガメムノンはその頼みを引き受け、トロイに大艦隊が向かう。その中にはオディッセイアの説得を受けて参戦した、アキレスの姿もあった…。
大軍を率いて激突する古代ギリシャの戦争…あらすじだけだとまるで「ベン・ハー」や「十戒」のような、50年代か60年代のスペクタクル映画のように聞こえますが、本編もまさにそんな映画です。
大艦隊や数万?の大群が戦うシーンは、確かに迫力はあります。「ロード・オブ ザ・リング」でやったような、CGの恩恵でしょう。しかし技術は最新でも、話自体は古臭い感じがしました。
おそらくこの作品は、「ロード・オブ ザ・リング」がヒットしたことによって企画されたのだと思います。この映画の製作者たちは、「ロード・オブ
ザ・リング」のヒットが大軍の戦闘シーンといったスペクタクル描写のおかげと思い、たぶんこれからは大スペクタクルの映画が受けると考えたのでしょう。
でも「ロード・オブ ザ・リング」のヒットの理由がそんな単純なものでない、ということを製作者たちは全く認識していないようです。なんせ「ロード−」で一番重要だったキャラクター描写について、この「トロイ」では、ほとんど共感できません。
特に主人公であるアキレスが、戦いたいのか戦いたくないのか、その基準が何なのかさっぱり分かりませんでした。また彼の戦う理由となる、「名を残したい」という欲も、歴史から言えば本当かもしれませんが、今の世の中ではピンと来ません。
むしろトロイ側の主人公とも言えるヘクトルの方がまだ、敵の妻を奪い勝負も潔くない弟を困りながらも見放せず、 楽観的な味方を憂い、父や妻子を心配する優しい戦士という、理解しやすいキャラとして描かれています。ヘクトルを演じるエリック・バナは「ハルク」で主人公を演じた人ですが、今回の方が好演でしょう。
ちなみにブラッド・ピットのアクションについては、一応見られるものにはなっていますが、カメラをぶらしたカットが多くて、ごまかしが目立ちました。
映画では、軍隊の訓示で「妻を大事にしろ」とか「家に帰る」など、家族の大切さを強調する言葉が出てきます。でも女性の地位が向上したのは20世紀に入ってからでしょうから、古代ギリシャの時代にそんなことを言ってたのか疑問になりました。この点だけは妙に今っぽい部分です。
それにしてもアキレス達、たぶん1日以上木馬に入っていて、トイレとかよく我慢できたもんだ。
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エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)はお話と冒険が大好きな男。彼の語るファンタジックな話は人々を魅了していた。息子のウィルは幼い頃は父の話が大好きだったが、成長するにつれその内容に真実味が感じられなくなり、今は父と断絶状態でパリに住んでいた。そんなウィル(ビリー・クラダップ)に、父の様態が悪化したと母親(ジェシカ・ラング)から連絡が入り、身重の婚約者ジョセフィーン(マリオン・コティヤール)と故郷に戻る。ジョセフィーンはエドワードの話に魅了され、ウィルに父親と打ち解けるよう勧めるが、真実にこだわる彼には難しかった…。
前作「猿の惑星」が記憶の彼方に去ってしまった(「スリーピィ・ホロウ」じゃなかったのね…)ティム・バートンの最新作は、これまでの彼の映画とは少し違う、ダークな感じがあまりない、明るめの映画です。
予告編が結構感動的な出来で、「泣き」を期待したのですがティム君、今回はちゃんと応えてくれました。
映画は2時間半の長さです。ちょっと退屈気味に感じる箇所もあるのですが、全体的に楽しく見られます。特に、というかやはり、エドワードの語る奇想天外なお話の部分が一番楽しめます。
そして来るクライマックスでは、それらファンタジーとリアルが 融合する素晴らしいシーンで、涙がこぼれました。リアルが現実に入り込む、という点では「キャメロット・ガーデンの少女」のラストを連想しましたが、辛い現実をファンタジーで誤魔化したような「キャメロット−」とは違い、「ビッグ
フィッシュ」は人生のご褒美のような感動を見せてくれます。
もともと原作のある話ですが、ファンタジーで人間を描いてきたティム・バートンならではの物語でしょう。今回はブラックユーモア的な毒は感じられなくて、ティム君丸くなったなあと思いましたが、フリークが登場するシーンは、いつもの彼の映画ぽいです。
断絶状態だった息子が父親を死の間際に理解する話、といえば今年のアカデミー外国語映画賞を受賞した「みなさん、さようなら」がそうですが、「ビッグ フィッシュ」はそれよりも面白く、盛り上がって断然こちらの方がいいと思います。まあ、今年のアカデミー外国語映画賞に関しては、年寄りの好みそうな映画ばかりノミネート、と言われていましたから、お年寄りにはああいうファンタジー色のない、リアルに見える話が好まれるのでしょう。
ただウィルには、もうちょっと寛大になってもいいだろう、と少し反発を感じました。ま、彼が初めから寛大な奴だったら映画は成立しないけど。
彼の婚約者を演じるマリオン・コティヤールは、「TAXi」シリーズでの主人公のタクシー運転手の彼女を演じた人のようです。フランスでどの程度人気があるのか知りませんが、彼氏役だった男よりも一足早くハリウッド進出ということでしょう。さすがに英語はちゃんとしてます。
しかし、ティム・バートンの映画で泣けるとはねえ…思いませんでした(「シザーハンズ」は今一つだった)。
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ボブ・ハリス(ビル・マーレー)はサントリーのコマーシャル撮影のために来日したが、訳の分からない仕事や人々や言語に早くも帰りたくなってしまう。そんな時、同じ新宿のパークハイアットに泊まっているシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)を見かける。彼女はカメラマンの夫の仕事についてきたが、仕事一辺倒の夫は彼女を構おうとしなかった。ボブとシャーロットは徐々に近づき、彼女はボブを友人のパーティーに誘う…。
本年度のアカデミー賞で作品、監督、脚本の3部門にノミネートされ、うち脚本賞を受賞した映画です。
今回のアカデミー賞は「ラスト・サムライ」と「たそがれ清兵衛」の、2本の日本関連作品がノミネートされたことでワイドショーなどで話題にされましたが、加えてこの「ロスト・イン・トランスレーション」も日本が舞台ということで取り上げられていました。
ただ初めのうちはこの映画、ホテルに閉じこもっている主人公たちに共感できませんでした。せっかく外国にいるんだから、観光とかもっと楽しめばいいのに…。なのでもし自分にこの映画みたいな出会いがあっても、観光に忙しくて、こんな感じには発展しないでしょうねえ。
とはいえ、主人公たちの孤独感は理解できます。ソフィア・コッポラは何度か東京に来ているそうですから、彼女の体験がこの物語のベースになっているのかもしれません。
初めの方で登場する日本人で、ボブに尊大な態度を取るディレクターや、ちゃんと言うことを伝えない通訳なんか、こんな日本人はいない(いたらクビだ)と文句をつけたくなりました。映画の冒頭には、こういった気にかかる部分がありましたが、ボブとシャーロットが知り合ってからは主人公たちも若干行動的になるせいか、気にならなくなりました。
先に書いた一部の日本人キャラのウソっぽさも、主人公の寂しさを語る意味では必要なキャラクター設定、と受け取るべきでしょう。
お話は淡々とした感じで進み、そう大きな盛り上がりはありませんが、ラストは爽やかな映画です。しかし夫や妻とか、近くにいる家族よりも他人の方が共感してしまうという話は、何か今日的な感じがします。
僕は仕事で新宿に通っていたことがあるので、歌舞伎町のドンキホーテや都庁付近や新宿西口のヨドバシカメラなど、なじみの風景が出てくるのは面白いところでした。しかもそういった、普段気にも止めないような風景が、ちゃんと「絵」になってるのはうれしいところです。映画の撮影は機動力を生かすような、ゲリラ的なロケも行ったようで、シーンによっては暗かったり、ピントが甘かったりしますが、それがかえってリアルな感じが出ていて効果的です。
映画には京都もちょっとだけ出てきますが、なぜ京都に行ったのか不思議に思ってしまいました。まあ、特に意味なんてないかもしれませんけど。でもこのパート、花嫁カップルのシーンはどこか感動的でした。
あと、主人公たちが泊まってるホテルがパークハイアットということで、映画にはFAXサービス(自分の部屋で!)やプールやジムなどが出てきますが、高級ホテルではこういうサービスをしてくれるのか!と驚きでした。
ビル・マーレーは「ゴースト・バスターズ」に代表されるようなコメディ俳優というイメージが強い人ですが、その中でも「オイオイ…」と困った表情が合うし、「3人のゴースト」で見せるたようなシリアスな演技もできる人なので、今回のミドルエイジ・クライシス?に惑う役は適任でしょう。劇中で撮っていたサントリーのCMの完成形、見たいです(DVDの付録に付くか?)。実際にTVに流してもいいんじゃないかなあ。
スカーレット・ヨハンセンは「スパイダー・パニック」に出ていたそうですが、全然記憶がありません。この「ロスト・イン・トランスレーション」では繊細さを感じさせて、魅力全開です。アメリカ人俳優には珍しく?背が低いのが親しみを持てて、こんなコとお出かけしたら楽しそう。タバコ女じゃなかったら惚れてますな。
ただ彼女が下着姿の時に横から撮ると、お腹が出てるのがバレてしまいます。人のことは言えないけど。
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グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、父親が働けなくなったために、画家のフェルメール(コリン・ファース)の家に女中奉公に出ることになる。しかし彼が 多作でないために生活は困窮していて、妻の宝石を売って彼の家族は生活している状態だった。やがてアトリエの掃除を任されたグリートに、フェルメールは絵のセンスがあることに気づき、彼の仕事を手伝わせる…。
「真珠の耳飾りの少女」は有名な絵画ですが、その作者のフェルメールに関してはほとんど何も分かっていないそうです。この作品はその名画を題材にした小説の映画化です。映画はこの絵を、フェルメールの秘められた恋心を封じ込めたもの、と解釈した物語です。
フェルメールの仕事に興味を持つグリート、彼女の才能を認め、密かに愛するようになるフェルメール、それに気づき不愉快になる妻、母の味方をしてグリートを追い出そうとする長女、フェルメールが絵を描いてお金になるなら娘の不幸も構わない義母、グリートをモノにしようとするフェルメールのパトロン…映画はこういった各キャラクターの思惑が絡み合い、最後まで飽きません。
グリートは父親の職業から絵心を身につけていたようで、そんな彼女はフェルメールにとって、初めて自分の芸術を理解してくれる異性だったのでしょう。身近な家族よりも他人の方が惹かれ合ってしまうというのは、同じスカーレット・ヨハンソンがヒロインを演じている「ロスト・イン・トランスレーション」を思わせます。この映画では時代が時代だけに、「ロストラ」みたいに幸福な感じには行きませんが、それもまたドラマの面白さではあります。ラストカットの長回しは、フェルメールの想いが感じられてちょっと感動的です。
スカーレット・ヨハンソンは「ロスト・イン・トランスレーション」で見せたような繊細さを今回も発揮して適役といえます。ただ、ほとんど頭巾(と言うのか?)姿なので髪を見せないのがもったいないように思いますが、その分、ワンシーンだけ見せるロングヘアは鮮烈です。この時のフェルメールの行動、分かるぜ。
そのフェルメールを演じるコリン・ファースは、「ラブ・アクチュアリー」での情熱的なキャラとは違い、今回は想いを出すことができない、情けないとも見える男を好演しています。愛よりも生活、てのが世の中ですなあ。
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イエス・キリストが捕らえられ、処刑されるまでの12時間を描いた作品です。アメリカでは2月に公開された時にかなりの議論を呼び、映画を見て死亡者が出るほどの騒ぎになりました。
確かにこの映画のウリである、イエスのはりつけに至る一連の処刑シーンは、凄まじいほどにリアルです。特にイエスがムチを打たれるシーン(打たれた部分にちゃんと傷ができる…!)と、はりつけにするために釘を打たれるシーンはブラッディで、血がドバドバ流れます。残酷描写に弱い人には薦められません。
こういった描写は本当に痛そうで、ショック死した人が出たというのも分かる気がします。この映画のイエスを、自分の敬愛するイエスと見てしまえば、こんなむごい目に遭わされてるのは耐えられないでしょう。
でもこの映画、処刑前の裁判シーンは眠くなりました。ユダヤ教の聖職者がイエスを憎むのは何となく分かるけど、なぜ一般大衆にまで憎まれなければならないのかよく分からないし、逆に当時エルサレムを統治していたローマ帝国の高官?がイエスの処刑に消極的な理由もよく分かりません。これはもしかしたら、西欧で歴史を学んでいる人たちには常識なのかもしれませんが、僕みたいに詳しくない人間には不可解でしかありません。
映画で話されてる言語は当時使われていたというアラム語で、セリフには英語の字幕が付き、その上に日本語の字幕が付きます。これは結構リアルに見えますが、映画の描写や設定そのものは、この映画の批評を見ると聖書や史実に忠実というわけではないそうで、中途半端な感じがします。別に言葉を英語にしても、何の不都合もないでしょう。
映画にはキリストの最後の言葉など、敵への愛を訴えるメッセージが語られます。この辺が、私財を投げ打って作った監督メル・ギブソンが言いたいことかもしれません。彼は今のような、世界で紛争が続く状態を憂いてこの映画を作ったのだろうと思いますが、処刑シーンのようなセンセーショナルな描写が強調されてしまうと、彼の言いたいであろうことを分かってくれる人がどれだけいるのか、ちょっと疑問になります。
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デューイ(ジャック・ブラック)は今だに有名ロッカーを夢見ているが、現実はルームメイトに家賃を払えなくて立ち退き寸前だった。そんな時、ルームメイトのネッド(マイク・ホワイト)への代用教師の打診の電話を受けたジャックは、給料目当てにネッドに成りすまし、私立小学校に教師として入るが、生徒たちには「勝手に遊んでろ」と言い放ち全くやる気が無かった。だがある時、生徒たちの音楽の授業を見た彼は子供たちの音楽的才能に気づき、彼らとロックバンドを組んでコンテストに出場することを目論み、親や校長の目を欺いて生徒たちに特訓を開始する…。
主人公は、初めのうちは自己チューで平気でウソをつくイヤな奴に描かれてますが、子供はちゃんと誉めるしえこひいきはしないしで、子供たちに特訓を施していくうちにだんだん彼を応援したくなってしまいます。
子供たちは全員ではないけれど、それなりに個性が出ています。落ち込んでるデューイを、かつて彼が生徒たちに言ったセリフを返すところはうまいシーンです。
映画は2時間近い長さですが、かなり短く感じました。途中、オーディションでの演奏シーンがカットされていて、たぶんクライマックスでの演奏シーンと同じような感じだろうからカットしたのだろうと思いますが、キャラがかなり好きになっていたので見せてほしいところでした。
このところのアメリカ映画は、「ホーンテッド・マンション」や「オーシャン オブ ファイアー」「キル・ビルVol.2」など、退屈はしないけど突出したものが見れなくて凋落気味に思っていましたが、そんなアメリカ映画の中では珍しく、話もキャラ描写も上出来の作品です。爽快でかつ元気になれます。
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2095年のニューヨーク。過去の記憶を無くした、青い涙を流す女・ジルは強大な権力を持つユージニックス社の生態実験材料として捕まるが、ある科学者(シャーロット・ランプリング)に引き取られる。同じ頃その上空に、突如ピラミッドが現れ、そこから飛び立った神ホルスはある目的を持って下界に向かう。その後ニューヨークでは体を爆発させる連続殺人事件が発生する。そしてユージニックス社に反抗する政治犯として刑務所に入れられていたニコポルは偶然に脱走してしまい、ホルスは彼の肉体に入り込み、ジルを見た彼は彼女に接近する…。
フランスのコミックアーティスト(と呼んでいいのだろうか?)エンキ・ビラルが描く未来のお話です。彼は「フィフス・エレメント」に影響を与えたそうですが、なるほど、映画で描かれるビジュアルはごちゃごちゃした高層ビルにエアカーと、「フィフス・エレメント」を連想します。しかし「ゴッド・ディーバ」にはそれらに「メトロポリス」のようなバウハウスを思わせるデザインが加わっていているところが面白いセンスです。また映画に出てくるキャラクターは人間だけでなく、ミュータント、モンスター、宇宙人、神までなんでもありというのは独特な世界観でしょう。
こういう世界観の作成は当然、3DCGによるものです。さらに、ジルやニコポル、そしてジルを保護する女性科学者を演じるシャーロット・ランプリングなんかは実際の俳優が演じているものの、大部分の人間のキャラクターが背景同様に3DCGで作られています。でもこの俳優とCGとのキャラの区別が、同じ人間という設定なのに何故なのか分からなくて戸惑いました。実写俳優かCGかどちらかに統一した方がいいと思いますが、ビラル氏はごっちゃに混ぜた方が好みだったのでしょうか…?
映画はバラバラのエピソードが1つにまとまっていきます。こういう場合、その収束の具合が気持ちいいものですが、この映画ではそれらの展開がエキサイティングなものになっておらず、所々眠くなってしまいました。
お話が退屈気味な上に、髪が短すぎる女性は好みではないせいか、ヒロインであるジルには興味が持てませんでした。ラストの彼女はもっと髪が短くなりますが、こういう姿に色気を感じるセンスは分かりません。
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ロンドンでやり手のディーラーとして活躍しているセバスチャンの元に、カナダにいる母親から「父がもうダメらしい」と電話がかかってくる。セバスチャンは父レミを嫌ってカナダを離れていたが、婚約者と共に入院中の父の元に駆けつける。セバスチャンは父にアメリカの有名病院への入院を勧めるが、レミはカナダを離れようとしない。セバスチャンは病院の労組を買収して空き部屋を父専用の個室に改装し、痛みを和らげるため街頭でヘロインまで入手する。 そして最後の時を楽しく過ごせるようにと、父の友人や元愛人たちを呼び出す…。
本年度のアカデミー賞の外国映画賞を、「たそがれ清兵衛」を蹴って受賞した作品です。
確かに、そこそこ楽しめるお話ではあります。でも予告のイメージだと泣ける感じがしたのですが、本編は淡々と進み、あまり盛り上がらないためか感動までも至りませんでした。
ただレミのように、最後の時を友人たちと共に迎えるというか、そういう友人たちがいる、ということはうらやましいことです。人間の最後としては理想の終わり方かもしれません。
この映画は、そんな父親をセバスチャンが見て、お金で買えない価値観に目覚めていく話になるのかと思ったのですが、そういう感じでもないのには違和感を持ちました。
セバスチャンは父親のために色々と骨を折って、いい息子ではあります。しかし犯罪スレスレのことまでやるのには、元々父親を嫌っていたというのに、そこまで父親を好きなのか?と疑問になりました。労組を買収するなど、彼が困難をお金で解決するのはギャグとしては面白いけど、金があれば何でもできるし、しょせんは金持ちの話、と皮肉な見方もしたくなります。
レミが教授という職業のせいか、映画には文明論ぽいテーマがあるようで、「20世紀よりも16世紀の方が人間はたくさん殺された」みたいな話は興味深いけど、それで何を言いたいのか今ひとつよく分かりません。文明と個人の死を関係づけたいのかな?
僕がこの映画を見た時、高校生らしいグループが見に来ていて、終わってから「寝ちゃったよ」と言っていましたが、無理もないでしょう。
アカデミーでこれに負けた「たそがれ清兵衛」の方が、面白い映画だと思います。
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ディズニーランドの人気アトラクション「ホーンテッド・マンション」の映画版です。
ディズニーランドのアトラクションの映画化といえば、昨年は「パイレーツ・オブ・カリビアン」がありました。文字通りカリブの海を駆け抜けた大きなスケールとは違い、今回の「ホーンテッド・マンション」はメインの登場人物は少なく、舞台も限定されて、スケールの小さいこじんまりとした話になっています。
映画はホラーに分類されるかもしれませんが、ディズニーランドのアトラクション自体が明るいためか、映画もわりと明るいお話になっていて、怖いということはなく、事件が次から次へと起こるので退屈はせず「あー面白かった!」と終われる作品です。
しかしお話には突っ込みたくなる疑問がいくつかあって、うやむやにハイペースで終わらされてしまった、という感じはします。
僕としては、主役のエディ・マーフィーの奥さん役のマーシャ・トマソンがなかなに美人なので、彼女に惹きつけられて見てしまった部分が多々ありました。
それにしても、黒人のねーちゃんがヒロインの映画の場合、特にハリウッドメジャー作品ではたいがい髪がロングヘアのような印象があります。自分としてはその方が好みなのでいいのですが、そう思っている男って多いということかなあ?
冒頭でエディ・マーフィーが子供に、クモを殺すことを教えるシーンがあるのは気になりました。クモはダニみたいに人を咬まないし、ハエみたいにばい菌を持ってくるわけでもなく、かえってそれらの虫を食べてくれる益虫(正確にはクモは虫じゃないけど)です。タランチュラみたいな毒グモなら別だけど、ちょっと大きいな家クモを、気持ち悪い、という理由だけで殺してしまうのは良いこととは思えません。
また、エディ・マーフィーが自動車を運転中に携帯電話を使っているシーンも気になりました。この映画はディズニーブランドなので、子供も観客のターゲットにしているはずですが、そういう映画でこのような危険とされている行為を描くのは、製作者たちが本当に子供のことを考えているのか?と疑問になります。
ヤン・デ・ポンが監督したホラーの駄作「ホーンティング」も、彫刻が動くシーンなんかで「ホーンテッド・マンション」に近い感覚を感じましたが、この映画は「ホーンティング」に比べるとまだ明るい映画です。でもどっちが面白いかとなると…どっこいどっこいでしょうか。
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20世紀初頭のアメリカ。フランク(ヴィゴ・モーテンセン)は野生馬ヒダルゴと共にサーカスを渡り歩いて暮らし、レースに出ていい成績を収めていた。そんな彼にアラブの大富豪の使いが、アラビア半島で行われる数千年の歴史を持つ伝統のサバイバルレース「オーシャン オブ ファイアー」への参加を勧める。アラブ名家の純血馬のみが出馬する、このレースへの初めての異邦人の参加に、フランクは奇異の目で見られていた…。
「ジュラシック・パーク3」の監督ジョー・ジョンストン が、「ロード・オブ ザ・リング」でアラゴルンを演じて人気が出た、ヴィゴ・モーテンセンの主演で描く物語です。
ジョー・ジョンストン監督はこれまで、「ミクロキッズ」や「ジュマンジ」などを作ってきた人です。もともと特撮畑出身の監督のせいか、これまではSFXを多用する作品が多かったようですが、今回はもっとドラマ寄りを目指したと思えます。
確かに映画は、全体的にそつなく作っていて 楽しめることは楽しめ、退屈はしませんでした。しかしこれまでの彼の作品が大方そうだったように、感動までは至りません。
アドベンチャー映画の通例通り、主人公はクライマックス前に最大の危機を迎えますが、ここでは同じ砂漠を舞台にした「裸足の1500マイル」みたいな盛り上げの上手さは見られません。またその後の最後のレースも、同じ馬ネタの「シービスケット」ほど泣けません。
キャラクター描写についても、これまでのジョンストン監督の映画の通り、平板で応援する気になれません。主人公はアメリカンネイティブ出身という設定ですが、アメリカンネイティブのリスペクトも今やパターンだし、危機の脱出の仕方には「そんなもん効果あるのか?」と突っ込みたくなりました。
このところのハリウッド映画は、「ホーンテッド・マンション」といい「キル・ビルVol.2」といい、面白いけど突出した作品が少なくなったと思います。ヨーロッパや韓国の方が上を行ってるぞ。
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「ピーター・パン」は今年で舞台初演から100年だそうで、それに関係があるのかどうかは知りませんが、実写版の登場です。
ちょっと前にパート2も作られた、有名なディズニーアニメ版「ピーター・パン」は、アドベンチャーの印象が強い話でしたが、今回は実写ということで描写がリアルになった分、キャラクターの感情もよりリアルになり、アニメ版ではあまり触れられなかった「愛」や「孤独」などといった感情が加わっています。この違いは興味深い点ではありますが、アニメ版よりも生臭くなった感じがして、子供には難しい話になってしまったように思います。
またネバーランドに来たウェンディーがロストチルドレンの矢に刺されてしまうシーンなんか、実写にすると「こりゃ痛いぞ」という感じがしてしまったし、フックが何度か部下を撃つシーンもアニメに比べて、本当に「殺した」というような殺伐とした感じが漂い、ファンタジーの世界よりもリアルな嫌らしさを見せられた感じがして、物語に入り込めませんでした。
この作品はそんなにヒットしていないようですが、こういった変なリアルさが観客にそっぽを向かれたのではないかと思います。実写ファンタジーであっても、ヒットしてパート2まで作られた「スチュアート・リアル」なんかは、キャラにリアルな感情はあってもネガティブな感情描写はあまり出していないし、傷つける描写なんかも直接的に出してはいません。逆に、今も大ヒットしている「ロード・オブ・ザ・リング」はリアルな話で殺伐とした描写も多々ありますが、初めからそういう話であり、観客もそれを分かっているゆえに成功したのでしょう。ファンタジーとリアリティーの折り合いの中途半端さが、この「ピーター・パン」の欠点になったかもしれません。
ピーター・パンのその後を描いたスティーブン・スピルバーグの「フック」も、あまり良くなかった映画という記憶があるのですがそれでも、キャラの感情面ではまだ違和感は無かったように思います。
「フック」といえば、あれでティンカー・ベルをジュリア・ロバーツが演じていてちょっとオバちゃんぽいように思いましたが、今回の「ピーター・パン」でのティンカー・ベルはジュリア以上にオバハンぽく見えたのは不満でした。
映画には所々感動的な描写があります。「何で?」と突っ込みたくもなるところもあるのですが、演出はそれなり盛り上げて上手く見せてくれています。ま、愛が勝つってことだね。
人魚がちょっとだけ出てきますが、これが人魚ネタのディズニーアニメよりかなりダークなイメージになっているのがホラーの影響ぽくて、これが僕にとっては一番面白いシーンでした。
しかし、子供たちが「孤独」や「負け犬」と叫ぶシーンはイヤーな感じ…。フックに同情しちゃうなあ。
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フランスの大学院生グザヴィエ(ロマン・デュリス)は、父の友人の薦めでスペインに経済の留学に行くことにした。煩雑な手続きをこなし、恋人マルティーヌ(オドレイ・トトゥ)への未練を振り切ってバルセロナに着いた彼は、空港で知り合ったジャンの家に居候しなければならなくなる。ジャンの妻ソフィの相手をしつつアパートを探す彼はようやく、イギリスやドイツ、イタリアなど各国の留学生が集まるアパートに入居できることになるが、その生活はバルセロナの街同様、混乱つきないものになる…。
キャラクターがリアルで、こんな奴いるなあ、て思わされます。特にイギリス人ウェンディの弟の言動なんか「お前静かにしてろ!」と突っ込みたくなるように、登場人物と一緒に暮らしているような親近感がわきます。
彼らの行動に笑ったり、一喜一憂してしまいました。
映画には分割や早回しなど、技術的に凝っているシーンがありますが、これも「おふざけ系」と言いたくなるような楽しさが出ていて、効果的です。
特に大きな盛り上がりは無いお話ですが、 最後まで爽快に、楽しく見れる作品です。
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イタリアの片田舎、少年は家から離れた遊び場の廃屋で、トタンに塞がれた穴を見つける。彼がそのトタンをあげて中を見てみると、人間の足が覗いていた…。
田舎ののどかな雰囲気からホラー、そしてサスペンスといった展開になりますが、話のペースがゆったりめのせいか、目まぐるしいという感じはしませんでした。穴の中にいた人物と主人公の関係が明らかになってからは、大人たちの思惑が絡んだりして話はなかなか面白くなりますが、主人公の少年だけのシーンは退屈してしまいました。
なかなか皮肉なドラマで、宣伝で強調しているような感動作とは言えません。ラストは感動的な描き方だけど、泣くとかジーンとするまではいきませんでした。
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「ボウリング・フォー・コロンバイン」でも取り上げられた、アメリカのコロンバイン高校での銃乱射事件。
「グッド・ウィル・ハンティング」で名を上げたガス・ヴァン・サント監督がこの事件を題材として、ポートランドの高校を舞台に、事件を起こす&事件に遭う生徒たちの数時間を描いたドラマです。
映画は前半が高校生たちの日常、後半は一転して銃撃という構成といえるでしょう。
前半は、何人かの高校生たちを主人公に同一時間を描く編集で、ある同じシーンが違う人物の視点で繰り返し描写されます。この編集そのものはおもしろいのですが、描かれるシーンは友達との他愛ないおしゃべりのような、いかにも平凡な日常描写が続くので退屈してしまいました。
しかしそれゆえでしょう。銃撃への展開はショックです。
さっきまで、いつものようにバイトをしていたり、クラブ活動をしていた高校生たちが撃たれ、死ぬ…彼らには自分たちが次の瞬間、命を絶たれるなどとは予想もしなかったでしょう。
そして銃撃を実行していく少年たち。その前は何事もないようにピアノを弾いて、ゲームをするように殺人の計画を立てていく…。
映画は彼らの悲劇を強調することなく、淡々と描いていきます。それがかえってドキュメンタリーを見てるようなリアリティーを出しています。
また映画は事件を終わりまで描かず、事件の中のあるエピソードの途中で終わりにしています。これがその後の話、そして少年たちや被害者の心理など、映画でははっきり描かなかったことを想像させる、効果的な終わり方になっています。
この作品は2003年度のカンヌ映画祭で、最高賞であるパルムドール賞と監督賞を受賞しました。
この時の事前の評価では、過去に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でパルムドール賞を受賞しているラース・フォン・トリアー監督の最新作「ドッグヴィル」が受賞するのではと言われていたようでしたが、結果は「ドッグヴィル」は無冠に終わりました。
いかにも作り物めいて理屈ぽい「ドッグヴィル」に比べると、リアルな重さと静けさを持つ「エレファント」の受賞は当然でしょう。
これまでのカンヌ映画祭の受賞作は「セックスと嘘とビデオテープ」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」など、自分と合わないものが多いのですが、「エレファント」は納得でした。
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1986年、ソウルの近郊の農村で若い女性の死体が発見される。地元警察のパク(ソン・ガンホ)は相棒と捜査を進めるが、ずさんな証拠保全もあってなかなか進展しなかった。その間にも同じ手口で殺される犠牲者が増えていき、捜査の応援にソウルからソ刑事が派遣される。捜査のためなら人権も無視するパクと、慎重なソは対立しがちだったが、ようやく有力と思われる容疑者を捕まえる…。
韓国で実際に起こった、未解決の連続殺人事件を元にしたドラマです。
もしハリウッドや日本でこういう未解決事件のドラマを作ったら、「犯人はこいつだ」という話になることでしょう。しかしこの「殺人の追憶」の一番上手い点は、そんな話にしなかったところです。
映画はわずかに犯人視点のカットがあるものの、ほぼ全編、警察の視点から描かれます。証拠を集め、証人を尋問(あるときは拷問)し、推理して犯人に近づいていく課程が、これほど面白く描かれた映画は初めてだと思います。またメインのキャラクターが3人と少ないせいか、彼ら自身のドラマも興味深く描かれていて、最後まで退屈しません。
さらに、同じ韓国映画の「ロスト・メモリーズ」でもそうでしたが、伏線の上手さにも感心させられました。特にバンソウコウのシーンは秀逸で、映画の後半では観客はキャラクターの怒りとやるせなさを、共有することになるでしょう。
映画の宣伝に、「KT」を監督した阪本順治監督の「黒澤明の孫が韓国で生まれた」というコメントが使われていますが、その通りです。
この作品は韓国映画が、アクションが絡まない話でもクオリティの高い話を作れるようになったことを証明した、「韓流」の勢いを実感できる作品でしょう。時代はもうハリウッドではないかもしれません。
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1909年の伊藤博文の暗殺は失敗。原爆はベルリンに投下され、日本は第2次世界大戦に勝利し、朝鮮半島は日本の領土となった。そして2009年、日本人西郷(仲村トオル)と、朝鮮系日本人坂本(チャン・ドンゴン)はソウルの警察で、朝鮮独立を主張する組織への対テロ対策の任務に当たっていた。その捜査の中で、坂本は独立運動の組織がある古代の遺物を狙っていることを知る。それはある遺跡に関する物で、その遺跡は信じられない力を秘めており、今の朝鮮半島占領の歴史にその遺跡が関わっていた…。
朝鮮半島がもし日本に占領されていたら、という大胆な発想で始まる作品です。ジャンルとしてはパラレルワールドネタということでSFというべきかもしれませんが、映画の雰囲気は前半が刑事物アクション、後半は時代ネタファンタジーといった感じです。
映画の前半は2009年のソウル=京城が舞台ですが、その街中シーンは新宿でロケをしたようで、どこか親近感がわきました。朝鮮総督府の前に秀吉の像が立っているなど、芸の細かい設定が面白いところです。
映画の冒頭は力の入った韓国製アクションで楽しませてくれますが、中盤で展開がダレて眠くなりました。しかし、坂本が警察に疑われだしてから段々映画は盛り返してきます。
特に、独立組織が警察にやられていくシーンは泣けました。それから以降の話は、朝鮮人の誇りを取り戻そうとする坂本と、これまで育ててきた家族と日本人を守ろうとする西郷、2人の背負ったものがうまく出ていて結末に引き付けられました。
映画は結局、「朝鮮万歳!」といった作品です。竹島切手を買うような人には、ぴったりの映画でしょう。
仲村トオル以外の日本人俳優では、他に大門正明や光石研が出ています。韓国俳優のしゃべる日本語はやはり不自然に聞こえてしまいますが、本当に映画のような歴史をたどっているならもっと流暢でしょう。半世紀以上、韓国語は禁止になっているだろうし。
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1918年11月のミュンヘン。若きユダヤ人の画商マックス・ロスマン(ジョン・キューザック)は自分の扱う絵を展示する倉庫に金持ちを集めてパーティーを開き、売り込みに必死だった。同じ頃、画家になる夢を抱くアドルフ・ヒトラー(ノア・テイラー)はロスマンの倉庫に迷いこむ。ヒトラーのスケッチを見たロスマンは彼に絵を描くよう励ますが、ヒトラーは芸術よりも、政治活動に身を入れていく…。
原題は「MAX」。ユダヤ人の画商マックスから見た、若きヒトラーの話です。
映画は原題通り、ヒトラーよりもマックスの描写が多い作品です。でも日本タイトルのようなヒトラーの描写を期待していたこともあって、金持ちのユダヤ人のボンボンを見ていてもあんまり面白くなく、眠くなりました。
特に映画では、マックスのヒトラーに対しての本意が描けていないのが気になります。マックスがヒトラーの絵をお世辞で誉めてるのか、本当に才能を認めているのかも掴めず、ヒトラーに本当に絵の才能があるのかがよく分かりません。
一方お目当てのヒトラーの方は、ノア・テイラーの熱演もあって正常なのか狂っているのかアブなげで、やはり見ていて面白いキャラです。
ただ、ヒトラーは政治演説の時には反ユダヤを口にするくせに、絵の件ではユダヤ人のマックスに頼りきりであるという、ユダヤ人への対応に一貫性がありません。それならそれで、そのヒトラーの偏見と従順さがどこから来るのかを描いてほしいところですが、映画では単に二重人格的な男、というだけで深みがありません。
ともあれ、主人公をマックスではなく、ヒトラーにした方が面白くなったであろう映画です。
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香港の人気アイドルという、あややとなっちがコンビを組んだような「ツインズ」が主演する、ヴァンパイアスレイヤー物語です。
ジャッキー・チェンがこの作品の製作に関わっていて、彼はゲストで出ていますが、相変わらずいいアクションを見せてくれてはいます。
しかし映画には、話に関係ないようなコメディやアクションといった、かつての香港映画の悪い例を継いでるような、呆れるシーンが結構あり、ジャッキーのアクションもそういうシーンに含まれます。
しかしそういう良くない印象も、クライマックスで見せるツインズの、ヴァンパイア軍団を相手に繰り広げる格闘シーンの大迫力に吹っ飛びました。この速さ!力強さ!ツインズのアクションに比べれば、日本のVシネで見せられるような日本のアイドルのアクションなど、子供のお遊びと言っていいでしょう。香港アクションの力をまざまざと見せ付けられた映画でした。
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ホラー映画の傑作という「悪魔のいけにえ」のリメイク作品です。
マイケル・ベイ製作の映画ですが、このところの彼の作る映画は「パール・ハーバー」や「バッドボーイズ2」など不作続きで、期待はしていませんでした。
しかしこの作品は監督がベイ君じゃないおかげか、それなりにハラハラさせられて退屈しません。ゾーッとするような恐怖というものは感じませんが、ギョっと驚かされるシーンはいくらかあります。
映画の悪の主人公と言えるレザーフェイスも不気味ですが、その周りのキャラもアブないというか、お友達にはなりたくない人たちばかりで、こういう理性が通じない人たちを相手にしなければならない怖さはよく出ています。
「悪魔のいけにえ」は、実際に起きた事件をモデルにしていたと思いますが、この「テキサス・チェーンソー」では、まだ犯人は捕まっていないと言われます。元になっている事件て解決したと思ってたけど、記憶違いかな…?
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デスペラード |
「エル・マリアッチ」、「デスペラード」に続き、アントニオ・バンデラスがエル・マリアッチ役を演じるガンアクションシリーズ映画です。
監督は前2作同様ロバート・ロドリゲスですが、最近のロドリゲスは立て続けの「スパイキッズ」シリーズなど、続編ばかり作っているように見えます。
「デスペラード」は第1作「エル・マリアッチ」のお話を微妙に変えたリメイク的な続編でしたが、今回の「レジェンド・オブ・メキシコ」も前回同様復讐の話ながら、また違った展開になってはいます。
その最大の違いは、主人公がアントニオ・バンデラス一人ではなく、ジョニー・デップが加わっていることでしょう。映画は彼がかなり目立ち、デップ君が主人公と言ってもいいように思えます。
でもそもそもこの映画、なぜまた作ったのかさっぱり分かりません。デップ君以外にも、キャラクターがいろいろと入り乱れて話がこんがらがってどうでもよくなり、寝てしまいました。
サルマ・ハエックなんかポスターに大きく出ているわりには回想シーンのみの出演だし、悪役に協力する警察の女なんて、マリアッチの死んだと娘かと思ってたらそうでもないし、どうせならちゃんと楽しませロドリゲス!て言いたくなります。
アクション描写も前作「デスペラード」と代わり映えしなくて迫力がありません。むしろ「デスペラード」の方がまだ、ダンスぽい動きがあって面白味がありました。
原題が「ONCE UPON A TIME IN MEXCO」てタイトルで、過去ぽい雰囲気のクセに携帯電話が出てやんの。これっていつの時代やねん…?
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消された記憶 |
エンジニアのマイケル・ジェニングス(ベン・アフレック)は、仕事が終了するとその間の記憶を消すことで報酬を得ていた。今度の仕事は彼の旧友の会社で、その期間は記憶を消すと障害が残る可能性を否定できない3年という長期間であったが、マイケルは金額の高さで引き受けてしまう。そして3年後、9200万ドルの報酬を楽しみにしていた彼に渡されたのは、19個のガラクタとしか思えないモノのみ。その渡し主は自分だった。その直後から、彼は何者かに命を狙われるようになる…。
原作は「ブレードランナー」や「マイノリティ・リポート」のフィリップ・K・ディックですが、これらの映画と同様、設定や雰囲気を多少ディックの小説に合わせたというところで、お話は別モノと思った方がいいかもしれません。なんせ、この映画の監督は「フェイス:オフ」や「M:1−2」のジョン・ウーです。
だからなのかやはりアクションシーンの多い映画で、それなりに迫力は出ていますが、今回のお話にはアクションはあまり必要とは思えません。ベン・アフレックとユマ・サーマンのカップルなんて、一般人とは思えないくらい強すぎます。
しかし、マイケルが残したガラクタに見えた品物が役に立っていく過程は、RPGでのアイテムの使用を思わせる、面白い見せ方でした。
タイトルからだと映画のテーマは「記憶」と思えますが、これは導入で、実は「未来」といっていいでしょう。
未来予知が出てくるのは「マイノリティ・リポート」と同じネタのようです。でも、あの映画での予知は個人レベル止まりで今一つ面白みに欠けましたが、この「ペイチェック」ではそれを国家レベルまで広げています。そのため、この映画は「大量破壊兵器を持っているに違いない」とイラク侵攻をしたブッシュ政権を批判してるように思えて、それがこの映画の一番面白い点でした。
脳の特定の部分に特定の日時の記憶を持つ箇所があり、それ(細胞か?)を消せば記憶が消える、というのは映像としては分かりやすいけど、実際の記憶細胞はいろいろと結合して機能しているはずなので、こんな単純なものではないでしょう。
その、記憶を消す装置は同じディックの原作だった「トータル・リコール」に出てきたリコールマシンに似ているように思いました。わざとかな?
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西暦700年の中国・唐の時代。25年前に遣唐使として唐に渡った日本人・来栖旅人(中井貴一)は永らく帰国の願いが受け入れられなかったが、西域に逃れた元軍人・李隊長を殺せば帰国してもよいという皇帝の命を受ける。その頃西域では天竺からの荷物を運ぶキャラバン隊が唐を目指していたが、ひょんなことから李はそれの護衛を引き受ける。李と対峙した来栖は李の守る荷物が皇帝への献上品であり、護衛の人数があまりにも少ないことを知り、それが唐に着いたら彼を捕らえることとし、その時まで荷物の護衛につくことにする。そんな彼らに、倍以上の人数の馬賊の群れが襲いかかる…。
舞台が昔の中国で、孤立した小隊が大群に襲われる、という話はこれの少し前に公開された韓国製時代劇「MUSA」を思わせます。
しかしこの映画の戦闘の舞台は「MUSA」よりもスケールが大きく、敵を狭い丘陵に誘い込むなど、戦略的な面白さを見せてくれます。戦闘シーンは迫力あるし、ラクダを使っているのがいかにも中央アジアという、独特の雰囲気を出しています。
前半はキャラの人間関係が分かりにくいのですが、戦闘が激化していく後半以降の、隊商での友情や人間関係の見せ方はうまく、キャラの個性もちゃんと出ています。一見よぼよぼの年寄り剣士など、面白いキャラクターには引き付けられました。
中井貴一は殺陣は初めてではないでしょうが、ここまで激しいアクションを見せるのは初めてでしょう。でも立派にサマになっています。ただ日本語を使うわけでもないので、遣唐使という設定はあまり意味がないように思いました。中国の地方出身の設定でもよさそうです。
ヒロイン格でビビアン・チュウが出ていますが、「少林サッカー」みたいな華麗な技を披露するわけでもなく、映画での存在の意味が感じられません。女っ気が足りないから出したのか?と思いたくなります。
クレジットでの彼女の英語表記が「ビビアン・チュウ」という名前ではなかったのが不可思議でした。
主人公たちが運んでいる荷物にはある秘密があります。物語の中盤とクライマックスでこれの力が分かりますが、ここは「レイダース/失われたアーク」を思わせました。全体的なお話はそう荒唐無稽でないのでちょっと驚かされるシーンですが、違和感というより、観客を楽しませようというサービスと受け取れました。
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王の帰還 |
3年にわたって続いた「ロード オブ・ザ リング」もいよいよ最終章。闇の軍隊とアラゴルンたちの攻防戦と、指輪をめぐるフロドとゴラムの葛藤が結末を迎えます。
前回「二つの塔」では長いクライマックスというべきヘルム峡谷の戦いがエピソードの柱になっていて、それが終わると物語も終息しましたが、今回は第1作のように色々なエピソードが詰め込まれているせいか、話が終わるかと思ったら続く、という構成になっています。なので長いと感じてしまいましたが、退屈することはありませんでした。
特にクライマックスとなる、火の山での指輪をめぐる攻防はハラハラさせられます。そしてその後にくる、ラストの方ではちゃんと感動があり、泣けるシーンになっています。
しかしこう長い話でもまだ、エピソードによっては「あの話はどうなった?」と思う箇所があるので、撮られた尺は本当はもっと長かったのではないかと思います。前2作はロングバージョンである、エクステンデッド・エディション(劇場公開は毎回満席だったようで見れなかった…)が作られているので、今回もいずれ出てくることと予想します。
映画の始まりは「二つの塔」の続き、という形ではなく、あるキャラクターの過去のエピソードから始まります。映画でこのキャラの「素」が出るとは思わなかったので、意外で面白い始まり方でした。
今回の、アラゴルンたちが活躍する舞台は1作目に死んだボロミアの故郷で、彼の父親も登場します。また前回に続いて今回も彼の弟が登場するし、ボロミアて早く死んだ割には(その分?)意外に重要なキャラだったと分かりました。
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