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世界的な製薬会社アンブレラ社の地下研究施設で突然、全ての出入り口を中の人員もろとも塞いでしまう事態が起きる。一方、アリス(ミラ・ジョボビッチ)はある屋敷のシャワールームで倒れているのに気づくが、そこに至る記憶は失われていた。その屋敷に特殊部隊の軍人たちが来る。彼らは「ハイブ」と呼ばれている、アンブレラ社の地下研究施設のコンピューターのシャットダウンに来たという。アリスはハイブの出入り口を警備していた人物で、研究所を閉めた時に出されたハロンガスのために一時的に記憶が失われていると言われる。彼女は彼らに同行することになる。
今や何作も出ているカプコンの大ヒットゲームシリーズ「バイオハザード」の実写映画化です。このゲームのアメリカのタイトルは「Resident
Evil」ですが、日本のヒットゲームはアメリカも変わらないようです。
カプコンゲームの実写版といえばジャン・クロード・ヴァン・ダムが主演した「ストリート・ファイター」がありました。あの映画はかなり問題のある作品でしたが、この「バイオハザード」は同じく元がゲームの快作「モータル・コンバット」を手がけたポール・アンダーソンが監督しています。
そのおかげか、話はオリジナルのようですが、映画はゲームの世界観を壊さず、ちゃんと再現している感じです。
フジテレビの「EZTV」で、彼がこの映画の宣伝で来日した時の同行記録を放送していましたが、秋葉原を精力的に回ったり、ガイナックスを訪問したりして、日本のゲームやアニメにかなり関心がある人のようです。
主演のミラ・ジョボビッチはリュック・ベッソンと離れてからは名前を聞かない感じで、久しぶりに見ました。今回の彼女はアクションも決まっていて、また複雑な演技を要求されるわけでもないせいか、「ジャンヌ・ダルク」や「フィフス・エレメント」でのキャラより合っているように思います。ヌードもちらりと見せるサービスもちょっと嬉しいなあ。
この映画では特殊部隊の人間が重要なキャラクターになりますが、さすがにこの映画では軍人の描き方が本格的で、これぞハリウッド映画の強みでしょう。
特に女性兵士はアリスに次ぐ重要度といった女性キャラですが、演じるミシェル・ロドリゲスが女性ボクサーの物語「ガールファイト」に主演していただけあって、見事な精悍さを漂わせ、「エイリアン2」のバスケスを思わせる魅力的なキャラになっています。
ミラ・ジョボビッチもミシェル・ロドリゲスも共にゲームのファンであり、監督もそうだということで、この映画は好きな人が集まって作った感じですが、そのおかげで世界観があまり変なものにならなくてよかったかもしれません。
ゲームでは角を曲がったところにゾンビやモンスターがいたり、彼らがじわじわと迫ってくる恐怖がウリでしたが、映画でもそういった怖さはそこそこ出ています。
また、ゲームがもともと「ゾンビ」といった、ロメロのゾンビシリーズの影響を受けていることを意識したのか、この映画にはゾンビが群れをなして襲ってくるなど、それらの映画を思わせる描写があります。とはいえ、元に匹敵するほどの気持ち悪さは感じられず、どこか軽い感じがします。今ゾンビを描くとこういうライトな感じになってしまうのかもしれません。その意味ではこの映画は、怖さよりもスピード感を楽しむ、ホラーアクションといった作品です。
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シャギーたち高校生4人と犬のスクービー一匹で怪奇な事件を担当するミステリー社は、工場に出没する幽霊の事件を解決するが、メンバーの言葉の行き違いから解散してしまう。それから2年後、シャギーとスクービーの元に、ひとつの島を丸ごとホラー系のテーマパークにしてしまった「スプーキー・アイランド」から招待状が届く。その招待状はミステリー社の全員に配られていて、島に着いた彼らはオーナー(ローワン・アトキンソン)の歓迎を受ける。彼は、ここを訪れた客が帰るときは別人のようになってしまうことを憂慮していて、その解決をシャギーらに頼む。夜中、彼らは島の中央にある城に潜入するが…。
この「スクービー・ドゥー」は、「トムとジェリー」や「チキチキマシン猛レース」、「フリントストーン(原始家族)」といったアニメを作っているハンナ・バーベラ社の作品で、アメリカでは知名度の高い(だから映画化?)作品ですが、日本ではかなりマイナーでしょう。そのせいか、興行成績は今一つのようです。
僕はアニメ版は少ししか見たことがありませんが、映画版は設定を忠実に再現しているように見えます。アニメは子供向けのコメディですが、映画版もその路線を守り、予告で予想が付くようにライトなコメディ作品になっています。
そこそこ笑えて、退屈しないで楽しめますが、見終わったらスパッと忘れてしまうような映画で、1800円も払う価値があるかは疑問です。
このテの映画は意外な展開というのはあまり無いのが常ですが、それでも、悪役の正体は意外さを狙ったような演出にしています。とはいえ、取ってつけたような感じで、予想が付いてしまいます。
映画の主人公といえるスクービーはCGで製作されています。今回のCGはリズム&ヒューズ社が手がけていて、ここは「ベイブ」のCGを手がけた会社でもあります。なので、スクービーの表情の豊かさや毛の感じはリアルさはもはや当たり前に思えて、驚けませんでした。
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[エ ス] |
タクシー運転手をしているタレクは新聞で、大学が出した「被験者求む」の広告を見て、給料の良さに引かれて大学に行く。簡単なテストだと言われたタレクたち24人はそこで看守と囚人の役に分けられ、大学の地下に作られた本物そっくりに作られた刑務所に入る。新聞に実験の発表の密約をしていたタレクは意図的に看守役に反抗的な態度を取るが、看守役たちは自分らの権威を示そうと、彼を付け狙い始める…。
スタンフォード大学で1971年に実際に行われたという実験を映画にしたものです。どこまで事実に即して映画にしたのかは分かりませんが、特に看守役の暴走には、人間の「心の闇」を見る思いです。
人間が権力を持ってしまうと、その力を維持させようとして、「正常な」判断ができなくなくなっていくのでしょう。これが「悪意」からではなく、義務感のような、ある意味「善意」といえるものだったものが段々歪んでいく過程が怖いし、本人たちにその歪みが認識できないのがもっと怖ろしいところです。
そしてこの作品で一番怖いのは、この人たちがサイコパスのような特殊な人々ではなく、フツーの人であるという点でしょう。ホラー的に驚かせるシーンも多少ありますが、そういうシーンを抜きにしても、並のホラー映画よりよっぽど怖い作品です。
この看守役の人たちには、本来はフツーの人だったであろうナチス、731部隊や南京大虐殺(規模の大小はともかく、ある程度の無差別殺人はあったのでしょう)に加担した兵士を重ねたくなります。
「人間が一番怖い」という言葉はよく聞かれますが、それを体現したような映画です。しょせん人間は信じるべきではないのだろうか…?
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氷河時代。動物たちは温暖な地を求めて南へ移動していた。群れから置いてきぼりを食らったナマケモノのシドは、ひょんなことからマンモスのマニーと同行することになる。一方付近の人間の集落にサーベルタイガーが襲いかかり、そのリーダーは殺された一族の復讐のために赤ん坊をさらおうと企んでいたが、母親は子供と共に川に逃げ、シドの前に流れ着き、その子を残して姿を消す。マニーとシドは赤ん坊を人間たちの群れに戻してやろうと決めるが、そこにサーベルタイガーのディエゴが現れる。彼は自分なら人間の群れまで案内できると言う…。
「アナスタシア」でディズニーの牙城を崩すべく?アニメに進出した20世紀フォックスが、ついにCGアニメにも進出した作品です。
主役の動物はマンモスのマニー、ナマケモノのシド、サーベルタイガーのディエゴですが、もう1匹、彼らと直接関わらないものの、リス?が時おり出てきて、お間抜けな行動で大笑いさせてくれます。こいつは宣伝ではスクラットと呼ばれていますが、本編では彼はしゃべらないせいか、そういう名前は出てきません。
2、3年前のパソコンのイベント・PCエキスポでのCGフィルムショーで、このスクラットのみが、映画と同じように木の実を守ろうとドタバタを繰り広げるCGムービーをやっていましたが、この短編映像が「アイス・エイジ」の元かもしれません。
自分とは何も関係ない赤ん坊、あるいは子供と触れ合う話はありがちなパターンですが、これを先史時代を舞台に、しかも種の違った動物たちが世話をする、という形はうまいひねり方です。赤ん坊など、人間の皮膚の質感はやはりCGくさいですが、表情がいいおかげで、後半は泣ける箇所がありました。
本編の時間は1時間半も無く、洞窟あり火山ありと、先史時代のテーマパークを舞台にしたバディムービーといった感じで退屈せず、気楽に見れる作品です。
スクラットのみの短編映像は実写の人形アニメと思えるくらいリアルな出来でしたが、この「アイス・エイジ」はそこまでリアルな空気感は出しておらず、アニメ寄りの質感になっています。
この映画のイメージソング(まだこんなことやってやがんの…)をZONEが歌っていて、TVのCMで流れてますが、本編でもエンドタイトルの途中から流れます。英語のクレジットに日本語の歌なんてミスマッチですが、前に「007」で同じことをやっていたせいか、あまり腹が立たなくなりました。
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19世紀、大学教授のアレクサンダー・ハーデゲン(ガイ・ピアース)は、恋人エマにプロポーズをする。だがその直後現れた強盗と揉みあったエマは殺されてしまう。それから4年間、自室にこもったアレクサンダーはタイムマシンを完成させて、エマが死ぬ前の時間に戻り、強盗に遭うはずの場所から彼女を連れ出すが…。
以前にジョージ・パル監督の手で映画になったことがある、H・G・ウェルズの有名なSF小説が再度の映画化です。今なぜ「タイムマシン」なのかはよく分かりませんが。
今回は特撮が「タイタニック」などをやったデジタルドメイン、そして「スター・ウォーズ」などをやったILMという、特撮スタジオでは最大手である2社が担当ということで、少なくとも特撮に関しては見れる映画になっているだろうと、あまり期待しなかった作品です。
特撮はこの2社だけではなく、他にもいろいろな会社が関わっていますが、この点は期待通り、全般的にいいクオリティになっています。特に21世紀の破壊シーンは短いものながら、今までのSF映画では見られなかったスペクタクルを見せてくれます。
映画の後半で舞台となる80万年後の世界は、原始時代みたいで世界観は面白味に欠けますが、原作がこういう描写らしいので仕方ないかもしれません。ジェレミー・アイアンズ演じるリーダーの特殊メイクは不気味でした。
しかしこの映画は特撮だけでなく、ドラマが意外にちゃんとしていて、「過去を変えたい」という思いが後半の主人公の行動の動機づけになっていたり、伏線となるキャラが配置されているなど、話の出来も結構まともで楽しめます。
また、時間ネタの話はタイムパラドックスが問題になりますが、その点もちゃんと回避しているし、アインシュタインの名前をさりげなく出しているところはそれらしい感じです。ラストも過去と未来を組み合わせたユニークなシーンになっていて、爽やかに終わってくれます。
監督をやったサイモン・ウェルズは原作者H・G・ウェルズの曾孫だそうです。近親者がやったからいいものになるとは限らないでしょうが、この作品に関してはそういう心配はありません。
話の上ではおかしいと思う(映画を見てる間)点は特に無いのですが、その分科学に関する設定を割り切ったのか、タイムマシンそのものに関しては、突っ込みたくなる部分がありました。
主人公は恋人エマが死んで以来4年間、ほとんど自室にこもっていたようですが、その間の生活費はもちろん、タイムマシンの制作費をどう工面したのでしょうか?金属などは当時なら特殊な材質を使っているように見えます。
また動力源をどこから取っているのかも疑問です。ビームみたいなものが出て、このタイムマシンは相当電力を食いそうに見えるのですが、どこから供給しているのでしょう?「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんてこの点でかなり苦労していたのに。
タイムマシンの存在する空間にビルが建つ、あるいは人が入った場合はどうなるのでしょう。タイムマシンの速さは普通の時間では一瞬なので、存在しないのも変わらないことになるのでしょうか?その場所が岩なんかで埋まってしまった場合、主人公はどうやって外に出るのかなあ?
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1967年。17歳のスザンナ・ケイスン(ウィノナ・ライダー)は大量のアスピリンとアルコールを摂取して病院にかつぎ込まれる。彼女の精神状態が不安定であることで、両親は彼女を精神病院に入院させる。親に反発はしたものの、スザンナは入院の同意書にサインをする…。
精神病院が舞台の話ですが、ここにいる「患者」の少女たちは一見「ヘン」に見えるものの、そう頭がおかしいわけでもないことがだんだん分かってきます。
そんな彼女たちに、病院の医師たちは仰々しい病名をつけて、普通の人と区別しようとします。何だか精神医学を皮肉ってるように見えます。
そういった、少しフツーの人と違った少女たちと、主人公は友情を育んでいきます。誰もが嫌がるであろう場所で本当の友人が出来るという、ちょっと変わった展開が面白いところです。
その友情を深めるきっかけを作る人物が、もう一人の主人公といえるリサでしょう。彼女は、他人から距離を置こうとするスザンナと違い、義侠心があり、自分に正直で、ズケズケとモノを言います。それが人を傷つけることもあるけど、スザンナの方がいい子ぶっている描き方もあるせいか、どちらかというとリサの方が魅力的に見えます。なのでリサは途中からの登場に関わらず、主人公であるスザンナより目立っているように思います。
リサを演じるのはアンジェリーナ・ジョリーですが、後の「トゥームレイダー」を思わせる奔放な役柄が合っています。彼女はこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞しましたが、主演女優賞でもいいくらいの存在感があります。
映画の前半はクスリのおかげか、主人公の時制が混乱して、過去と現在が混ざった感じで話が展開する、面白い編集になっています。
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19世紀に建てられ、84年に閉鎖されたダンバース精神病院。巨大な廃墟であるこの施設を再利用すべく、アスベスト除去のために5人の男たちが作業にかかる。その中の一人は中で患者の診療(セッション)テープを見つけ、その内容のとりこになっていく。さらに他の一人は大量のコインを発見する。それを独り占めしようと企んだ彼は夜中に病院に忍び込み、コインをかき集めるが、誰かの物音を聞く…。
このところ「廃墟」がブーム?だそうで、この作品を上映している映画館でも廃墟の写真集を売っていました。
このブームはある種マニアックなものと思うのですが、破棄された建物への郷愁、あるいは「アキラ」や「ターミネ−ター」などに見られる荒廃した未来の風景をリアルに感じられる点がブームを作っていると思います。
この「セッション9」に出てくる廃墟は精神病院ですが、そういったブームとはちょっと違う感じがします。TVでの心霊スポットを見る番組のような、得体の知れないものを見に行く感覚に近いものがある映画です。
セッションの音声テープ、患者の死体を焼いたであろう火葬炉、敷地内にある墓地、患者が残した車椅子といったものが、そこに残された「怨念」を感じさせて、不気味な雰囲気がかもし出されています。こんなものに囲まれている環境ならば、キャラクターたちが狂気に蝕まれていくのも無理もないよう思えます。
ホラー映画「TATARI」も廃墟となった精神病院が舞台でしたが、「セッション9」の方が霊とか出ない分、雰囲気はリアルです。
話の中で起こる事件には、一応論理的?な結末が語られますが、つじつま合わせのような感じがしてがっかりしました。ここはある意味、他のサイコホラーと似ています。
結末をはっきり言わずに、推理できる要素だけ残すのみにした方が良かったように思います。
この作品に出てくる俳優はみんな知らない人ですが、有名スターを出さなかった分、廃墟が主役のようにクローズアップされて、効果的に思えました。
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上海マフィアの首領マーに近づくNORIKA(藤原紀香)。マーの息子トニー(マーク・ダカスコス)は、マーが禁じている麻薬をLAの実力者クーリオから手に入れて一儲けしようと企んでいた。おりしも下着のファッションショーの会場でマーの部下が殺され、NORIKAは現場から素早く立ち去る。会場に居合わせた上海警察のダレン(アーロン・クォック)は殺人犯を、アレックス(ワン・リーホン)はNORIKAを追う。ダレンは今一歩のところで犯人を取り逃がすが、アレックスはホテルでNORIKAを追いつめる…。
藤原紀香主演アクションというのがウリの作品ですが、彼女が出るシーンはそんなに多くはありません。やはり一番初めにクレジットが出る、香港スターのアーロン・クオックが一番目立っている映画です。
話はパターンで、先が読めます。メインの話とつながりが不明なエピソードがあるし、キャラが意味無く殺されるシーンもあり、ストーリーは、シナリオが無いという香港映画の悪い面が出てしまったように思います。
しかしこの作品は、話よりもアクションを見るべき映画です。宣伝はノースタントと言っていますが、アーロン・クォックがバイクで自動車に突っ込むといった、本人がこんな危険なシーンをやっていいのか?と思うような命がけのシーンが出てきます。またカーアクションでは、レーシングカーを公道(!)で走らせたチェイスシーンも見ものです。
中でもこの映画で一番迫力あるシーンは、クライマックスでの、空中で宙吊りにされた巨大ガラス板の上での格闘アクションでしょう。こんなバランスがとりにくく、一歩間違えば滑り落ちてしまう状況で戦うというのは上手いアイデアです。このシーンだけでも見る価値がある映画です。
このアクションをどう撮影したのかは分かりませんが、合成には見えませんでした。藤原紀香はこんな高い場所でよくアクションをやったと感心します。彼女のキャラはやはり「ルパン三世」の峰不二子を意識してるように見えますが、役名がまんま「ノリカ」と呼ばれているのは、笑えました。アクション以外でも、日本のドラマでは絶対やらないであろうセクシーショットは見もので、特に下着の脱ぎ方はキています。
紀香以外でも下着のファッションショーなど、男性には嬉しいシーン(アングルもなかなかH!)が見られます。
セリフは全編英語で話されます(中国人同士でも)。香港の役者は吹き替えかと思って口元を見ていましたが、セリフと合っているので、本当にしゃべっているようです。紀香もちゃんと英語をしゃべっていますが、上手いとは言えません。
出演は藤原紀香の他に 「風雲:ストームライダーズ」などの香港の人気スター、アーロン・クォック、「拳神」のワン・リーホン、「ジェヴォーダンの獣」のマーク・ダカスコス、アメリカのラップ歌手クーリオなど、それなりに豪華です。
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リトル家には妹が生まれ、相変わらずのにぎやかな日々を送っていた。ある日スチュアートの車に、鷹のファルコンに羽を傷つけられた小鳥のマーガロが飛び込んでくる。ファルコンの追跡を逃れ、スチュアートはマーガロを介抱するうち、彼女に好意を抱いていくのだが…。
今回はパート2モノのお約束、主人公の恋愛話です。
前作同様、後に残らない映画ですが、話は退屈しません。前作のようにスチュアートがうじうじと悩むシーンがあまり無い分、今回の方がスカッと楽しめます。
特に後半、伏線の生かし方に「そう来るか!」と手を叩きそうになったところがありました。ハリウッドのストーリーテリングの巧みさが感じられる作品です。
ただし、前回もそういう感じだったと思いますが、スチュアート一人(人と言っていいのか?)ががんばりすぎのように思いました。リトル家の人間は彼の家族なんだから、スチュアートの危機をただ見てるだけじゃなくて、何らかの形で手助けする描写が見たかったです。
その中でもペット猫のスノーベルは、イヤイヤながらもスチュアートに協力しますが、かっこ悪い活躍ばかりでした。もう少しいいところを見せてほしかったなあ。
キャストは前作と同じで、もちろんスチュワートの声を演じるマイケル・J・フォックスも健在です(アルツハイマーは大丈夫なのか?)。そして新キャラである小鳥のマーガロの声を、久しぶりに名前を聞いたメラニー・グリフィス、敵役のファルコンの声を名脇役ジェームス・ウッズが演じています。ジェームス・ウッズは「ファイナルファンタジー」以来、声の出演は悪役が多いように思います。
前作でのフルCGキャラはスチュアート一人?でしたが、今回はそれに加えてマーガロとファルコンの3匹に増えています。いづれもリアルな出来ですが、特にファルコンの質感は鳥そのものに見えました。
今だ続映中の「アイ・アム・サム」同様、この作品でもサッカーのシーンが出てきます。サッカーがかっこいいもの、という意識がハリウッドに浸透していっている表れかもしれません。
本編上映前に短編CGアニメ「チュバチャプス」が上映されます。ちょっとひねった話がそれなりに楽しませてくれるし、SF映画でなじみのキャラのゲスト出演が笑えます。
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2176年、火星の地球化はかなり進み、人類が移住していくつかの都市が造られていた。その中心地クライスに着いた列車には、火星警察に所属するメラニー・バラード警部補(ナターシャ・ヘンストリッジ)以外誰も乗っていなかった。査問委員会に出席した彼女は、何が起こったのかを証言することになる。クライスに来る前、彼女達5人の警察官は、殺人容疑で逮捕されたウィリアムズ(アイス・キューブ)を護送するため、鉱山町シャイニング・キャニオンに来るが、町は異様に静まり返っていた。やがて彼らは、首を跳ねられた死体の群れを発見する…。
ジョン・カーペンターが監督する映画の原題にはたいがい「ジョン・カーペンターの」という言葉がつきますが、それだけ信頼のブランドということなのでしょう。今回もその例に漏れません。
その中味は「ニューヨーク1997」的ヒーロー像+「パラダイム」的悪霊イメージ+「ヴァンパイア最後の聖戦」的ハード&グロアクションといった要素をミックスした感じで、いかにもカーペンターという雰囲気ではあります。
そして例によって、この作品もカーペンターが音楽をやっていて、いつものごとくの単調な彼らしいメロディで、冒頭は期待してしまいました。
しかし肝心のお話は、あまり盛り上がりもなくて、手や足や首が飛ぶといったグロいアクションが続くだけの作品です。B級アクションとして見ればそれなりに面白いでしょうが、眠気を感じました。
舞台をなんでわざわざ火星にしたのかよく分かりません。火星の大気が大方、地球化しているという設定のせいか、キャラクターは酸素マスクもしてないので、地球でも成立する話です。ま、火星というSFネタにゾンビという組み合わせは、そう誰もが思いつきはしない(悪く言えばバカっぽい)だろうから、興味は惹かれますが。
悪玉軍団はパンク、あるいは昔の西部劇に出てきた凶暴なインディアンのような格好を思わせますが、パンクが悪というイメージはありふれていて普通な感じがするし、昔のインディアン像を出してどうしようというのか分かりません。「パラダイム」での浮浪者の方がまだ面白みがありました。
それに悪の親玉はただ叫んでいるだけで、面白みの無い奴だし。ゴースト視点の描写もビデオ加工しただけな感じで、よくあるパターンです。
キャストはB級として見れば、それなりに豪華です。メラニー役のナターシャ・ヘンストレッジは「スピーシーズ」1、2の怪物ねーちゃんから演技的に進歩してない感じです。
ウィリアムズ役のアイス・キューブは「ニューヨーク1997」のダークヒーロー・スネーク・プリスキンを明るくしたようなキャラですが、スネークほどの深みは感じませんでした。「ジャッキー・ブラウン」で復活?したパム・グリアーも出ていますが、途中で消えてしまうもったいない役です。
この映画は横浜の小さな映画館で見て、客はパラパラの入りでしたが、ほとんど男でした。男の客が多い映画はマニア向け、というイメージを僕は持っているのですが、まさにその通りの作品です。
ま、それでもカーペンター監督作品としては、「エスケープ・フロム・LA」よりはましな出来だと思います。
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中 華 英 雄 |
20世紀初頭の中国、華英雄(イーキン・チェン)は新聞の論説に反発した西洋人に両親を殺され、その報復をしたために逃亡の身となり、単身アメリカに渡った。それから16年後、英雄の親友だった生奴は英雄の息子・剣雄(ニコラス・ツェー)と共にアメリカに来る。彼らは行方知れずになっている英雄を追うため、彼を知る人々を訪ねて話を聞いていく…。
前半は生奴と剣雄が華英雄を探し、彼を知る人々によって華英雄の過去が語られていく形で話が進み、後半は英雄と宿敵の対戦、そして英雄たち中国移民とアメリカ人たちとの軋轢の話になります。
という感じに、この映画は話がいろいろ飛ぶおかげで、何を言いたいのかよく分からない映画になってしまっています。
ただ、華英雄は一子相伝?の強力な武術の使い手ということで、アクションシーンは見ものです。特に、監督がアンドリュー・ラウ、主人公華英雄を演じるのがイーキン・チェンという「風雲:ストームライダース」のコンビということで、それと同じく、CGを組み合わせたアクション描写は見ものです。
CGを担当したのは「風雲」と同じセントロデジタルピクチャーズですが、特にこの映画では水の表現がグレードアップしているように思います。ただ、人間が飛ぶシーンはやはり軽い感じに見えて、ワイヤーで吊った方がそれらしく見えます。CGカットの量は後年の「拳神」に比べればまだ少なく、節度があります。
原作がコミックだからなのか、オープニングとエンディングでアニメの絵を使っています。ここは快調なテンポで期待を持たせられました。「欲望の街」や「風雲」などもそうですが、監督と主演のコンビはコミックネタの映画が多いように思います。
同じく「欲望の街」「風雲」からはアンソニー・ウォンが出ているし、他にユン・ピョウ、「ジェネックス・コップ」のニコラス・ツェー、サム・リー、「ゴージャス」の美女スー・チーなど、出演者はけっこう豪華です。
スー・チーとニコラス・ツェーは日本から来たニンジャという役ですが、とても日本人には見えません。もちろん日本語は話さないし、格好が詰襟というのも奇妙です。スー・チーの着物姿はきれいだけど。
中国人が広東語を喋るのは当然ですが、アメリカ人と話す時はアメリカ人は英語で話しているのに、中国人はやはり広東語で話していて、ちぐはぐに見えました。香港公開の時は英語も広東語に吹き変えたのかなあ。
映画はアメリカでの中国移民の苦闘を描きたいようにも見えますが、そのクライマックスで「アメリカは自由の国」という、アメリカの正義を持ち出されたのには呆れました。
アメリカ礼賛が当然のハリウッド映画でさえこうもクサい描写はしないだろうに、外国の映画でここまで、アメリカに媚びたようなシーンを見るとは思いませんでした。
主人公の双子の娘は見つからないし、兄弟子は仮面付けたままで正体を見せないなど、話の結論が出てないエピソードがあります。もしかしたら続編を意識して作っている映画かもしれません。ま、パート2ができてもあまり期待できないと思うけど…。
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「Dish(皿)」の名前で親しまれている、オーストラリアの田舎町パークスにある電波天文台。ここが南半球で一番大きいパラボラアンテナを持っていることで、アポロ11号の交信電波と月着陸のTV電波の中継という一大プロジェクトに参加することになり、町は栄誉に沸く。だが、アポロ11号が飛び立って交信の追尾が始まっても、所長(サム・ニール)を始め、いつも通りのんびり仕事を続ける地元の職員たちと、真面目に任務をこなそうとするNASAからの派遣職員の間でいさかいが起こりだす。そんな中、アポロ11号の交信電波が捉えられなくなる重大事故が発生する。「電波が来ないが何があった?」と質問するNASAに対し、彼らの返答は…?
アポロ11号の月着陸は(その真偽はともかく)知らない人はいないでしょう。そしてこのプロジェクトを語る場合、今まではたいがい宇宙飛行士やコントロールセンターなど、中心となったNASAが描かれてきました。
しかしこの月着陸計画には、NASA以外の人々も多数参加しているはずで、その人々にもまた苦労があったでしょう。この映画はそういった秘められた話を発掘してくれて、いいところに目を付けています。
この映画は「Based on true story(事実に基づく話)」ということで、100%事実ではないかもしれませんが、電波天文台の職員たちが襲い掛かる障害に苦闘する話は、まるでオーストラリア版「プロジェクトX」です。
彼らが命と意地をかけて世紀の一大事業に立ち向かう姿は感動的で、クライマックスでは客席から鼻をすする音が聞こえました。
映画の前半は、職員たちが一枚岩ではなく対立があるせいか、これがドラマを生み、上手くキャラクターを浮き彫りにしてくれます。キャラには悪役はいないので、安心して見れます。
舞台となるパークスの町の雰囲気は、懐かしき輝ける60年代という感じで、活気があり、今よりも人のつながりの強さが伺えます。この作品は、その彼らが体験したであろう月着陸の興奮が追体験できる映画です。
この作品では電波天文台に鎮座するパラボラアンテナも、もう一人(一台)の主役と言うべきでしょう。これが動く時のディテールは、メカ好きの人にはたまらないシーンだと思います。
原題の「The Dish」は、このパラボラアンテナを指していて順当なタイトルですが、邦題である「月のひつじ」も、ロマンティクな感じがあっていいと思います。
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知的障害を持つサム(ショーン・ペン)は、生まれた娘にルーシーと名付ける。だが出産直後に母親は姿を消し、以来サムは7年間、隣人や友人たちの力を借りて娘を育ててきた。ルーシー(ダコタ・ファニング)が小学校に入学し、父親の障害に悩みだした中、福祉局はサムに娘の養育は無理と判断し、ルーシーを施設に「保護」してしまう。サムは娘を取り戻すため、イエローページで見つけた弁護士リタ・ハリソン(ミシェル・ファイファー)の事務所を訪ねる。リタは何とかサムを追い返そうとするものの、見栄をはって依頼を引き受けてしまう…。
公開当初の興行成績は3位くらいでしたが、それから順位を伸ばし、1月くらい後には1位に躍り出た映画です。こういうヒットのパターンは宣伝というより、口コミの力でしょう。
健常者ではない、知的障害者を主人公に持ってくることで、今までの親子モノとはまた違う触れ合いやサスペンスが起こり、緊張感を持って見れて退屈しない映画です。特に、キャラクターが切々と自分の感情を訴えるシーンは感動的で、この感動がヒットした要因に思います。
子育ては子供だけでなく、親も成長すると言いますが、サムもまたルーシーと共に、そしてルーシーを失うことで子育ての意義を考えるようになったみたいで、彼もまた成長していってるように見えます。
そのサムを演じるのはショーン・ペンです。彼の出た映画はこれまで「ゲーム」や「デッドマン・ウォーキング」などを見ましたが、この「アイ・アム・サム」では彼がそういった映画に出ていたことを忘れました。そのものと思えるくらい役になりきっています。
サムはスターバックスコーヒーで働いています(どうりでスターバックにこの映画のチラシが置いてあったわけだ)。初めはいいけど、後の方では機械の操作を間違えて?コーヒーをこぼしたりしちゃいますけど、これでクビになったりしないのかなあ。
知的障害者のサムが自分の子供に慕われているのに、仕事も家庭も満たされているように見える弁護士リタの家庭が子供にそっぽを向かれ、崩壊気味なのは上手い対比です。
余計な見栄やしがらみを考えないで、ひたすら愛を与えようとするサムの方こそ、まっとうな子育ての姿かもしれません。
福祉局がサムを問題視したワケは、娘の頭がサムより良くなっていくことでしたが、その頭の良さゆえに、彼女は自分の身に何が起こるのかわかってしまい、余計に意固地になるのは皮肉です。
この福祉局は、愛し合う親子を引き裂く悪役として描かれていますが、彼らがそれをすることで何のメリットがあるのかさっぱり分かりません。この人たちの事情も少しくらい触れて欲しいところでした。
タイトルの出方がちょっと面白い形でしたが、この見せ方で「アイ・アム・サム」は韻を意識できました。聞き心地がよく、上手く付けたタイトルです。
ラストではサッカーが出てきます。アメリカのスポーツは野球やフットボールがメジャーで、サッカーはマイナーだそうですが、今年のワールドカップでアメリカは上位に行ったし、こうして映画にも取り上げられるようになったということは、アメリカのサッカー人口が多くなっていってる証拠なのだろうと思います。
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ゲーム大好き人間トニーは相棒のリコと借金の取立屋をしているが、警察に追われてムショ入りになり、8ヶ月の刑を宣告される。トニーは服役中に画期的と思うゲームのアイデアを考え、出所後に昔の同級生をなだめ脅かしゲームのデモを制作、ゲームスタート社の女社長ヴァレリーに見せる。彼女はトニーに契約書にサインをさせるが、それは巧妙に彼からゲームの権利を奪ってしまうものだった。彼はリベンジをかけて、8ヶ月後のゲームショウを目指して新作ゲームを製作すべく、友人たちに声をかけ、スポンサーを探し出す…。
お話自体は、調子のいいサクセスストーリーです。退屈はしませんでしたが、セリフが長い箇所があったりして、もう少し短くできそうな作品です。
自分のアイデアを大企業に盗まれ、最後に逆転するという、映画や小説などでもできるありがちな話ですが、それをゲームを題材に使うのは今っぽいところです。
お話が「LEVEL1」「LEVEL2」といった形に区切られていたり、LEVEL(章)の終わりに「TONY WIN」とか字幕が出るのは、ゲームネタのこの映画ならではの見せ方です。また、カーチェイスや格闘シーンでゲーム画面を思わせるCG描写になるのも、この映画に合っている表現です。リアルなCGよりもこの方が安上がりでしょう。
原題は「GAMER」。主人公を始め、まさにゲーマーがこの映画では多数登場します。本編では彼らが「鉄拳」や「グランツーリズモ」といった日本でも大人気のゲームをプレイしますが、これらがフランスでも受けているという証拠でしょう。
画面の隅に「リッジレーサー」の女の子が映っているといった、細かい部分も凝っていて、ゲーマーは必見の映画です。
またゲームだけでなく「ドラゴンボール」といったアニメなど、フランスでの日本のヲタク文化の浸透度が垣間見える映画です。
主人公はアイデアを考えるのはもちろん、ゲームを作るためにスタッフを集め、機材を揃え、スポンサーを説得するという、まさにゲームプロデューサーの仕事をします。
この映画で描かれる一連の作業は、そんなに上手く行くか?と思うところはありますが、行程はリアルで、ある意味ゲームの作り方を学べる映画ではあります。でも、モーションキャプチャーは使わない方が安くできると思うなあ(モーション付けられるスタッフがいなかったか)。
フランスにも日本と同様にゲームショウがあるのは初めて知りました。客の服装はやっぱり日本と同じくヲタクぽい感じですが、カメラ小僧が日本に比べるとすげえ少ないのは本当かなあ。
本編では主人公の考えたゲームがちゃんと登場します。単独でない、コンビネーションで戦う格闘モノで、確かに珍しいパターンだと思いますが、初心者には難しそうに見えました。モンスターが生物とメカの融合みたいで面白いデザインです。
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パラシュート部隊の勇者ハル・ムーア中佐(メル・ギブソン)は、ベトナムでの作戦命令を受ける。彼は作戦に必要な人員を召集し、その兵士の家族たちも基地の宿舎に入ってくる。少年のような兵士たちに戦場の心構えを叩き込んだ彼の部隊は、1965年11月、ベトナム勢力の奥地イア・ドラン谷にヘリで降り立つが、北ベトナム兵の猛攻を受け、多数の死傷者を出す…。
アメリカ製のベトナム戦争の映画は、これまで「プラトーン」や「ハンバーガー・ヒル」など何作か作られています。
しかし今までのベトナム戦争映画が、ほとんど戦場だけの場面で終始していたのに対し、この「ワンス&フォーエバー」は、戦っている兵士たちの家族の描写に、かなりの時間を費やしています。またアメリカ寄りではありながらも、敵であるベトナム兵の姿を描いている点も、これまでのこのテの映画と違う部分です。
映画の前半は訓練や家族の描写をじっくり見せています。地味なシーンですが、洗濯や買い出しなど、意外に知られていないであろう家族の悩みは興味深いものがありました。また特に、後半に出てくる、戦死の電報を巡るエピソードは胸を打たれるものがあります。
戦闘シーンは後半になります。この描写は「プライベート・ライアン」並みのリアルさで、飛び散った血がレンズにつくようなドキュメンタリー感も似ています。特に全身火傷のシーンは、作り物と分かっていても痛々しくなりましたが、そんな激烈な戦闘シーンが延々と続きます。
ここでは戦闘で命を落としていく兵士たち、そしてその死を悲しむ家族、そういった描写が交互に展開していきます。兵士たちは「戦友のために戦った」と言われますが、その彼らを戦場に追いやったものは何なのか?と考える(映画はそこまで追求はしません)と、虚しいものがあります。
この映画では2度ほど、ジーンと来るシーンがありました。
1つは出撃前に、メル・ギブソンが兵士やその家族の前で演説するシーンで、ここでは客席から鼻をすする音が聞こえました。
またクライマックスで、音楽だけが流れるシーンがありますが、ここは泣きそうになりました。
この作品の原題は「WE WERE SOLDIERS」となっています。
「アエラ」に載っていた原作者ギャロウェイ氏のインタビューで、彼は「戦争で戦ったのは兵士だけじゃない。帰りを待つ家族も戦った。」と言っています。
この言から、タイトルの「WE」は兵士だけでなく、彼らの家族はもちろん、恐らくベトナム兵や彼らの想う人たちのことも指しているのでしょう。その意味ではいいタイトルです。
ただ日本公開の場合、「ウィー・アー・ソルジャーズ」なんてタイトルだとモロに戦争映画な感じがして、客がマニアに限定されてしまうかもしれないので、「ワンス&フォーエバー」でいいと思います。
しかし予告にあった、マデリン・ストウが「戦場で兵士が言い残す言葉で一番多いのは何か知ってる?」て言うシーン、本編に無かったような…。
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ノーマーク、タンタラ、ペイント、無鉄砲の4人の若者はガソリンスタンドを襲う。後日、スタンドの店主の「同じ所は襲わないだろう」という思い込みを覆して、彼らは再び「なんとなく」このガソリンスタンドに襲撃をかける。モノを壊し、店員たちを監禁した彼らはそこの店員になりすまして来る客に給油するが、文句を言う客は脅し、様子の異常さに気付いた客はトランクに監禁していく。そこへ店員の一人の兄貴分が金をせびりにきて、彼らはその男も監禁する。その中の一人は逃げ出して、親分に「パシリが捕まった」と報告。激怒した親分は直ちに子分たちを招集する。一方ガソリンスタンドにはパトカーがやって来た…。
韓国で大ヒットしたという映画で、襲撃やら人質やらの言葉から一見サスペンスに思えますが、実はコメディといっていい作品です。
サスペンスシーンは最後くらいで、映画の大部分はタイトルに反して、ワルの主人公たちは結構のんびりしています。このまったり感が安心して見れていいのかもしれません。
冒頭から軽快な音楽で始まり、カメラが逆さまになったりする、「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を思わせるノリの良さで話が進みます。
ガソリンスタンドを襲撃後、フツーなら逃げるであろうところを、主人公たちは店員になりすまして客の相手をします。なぜガソリンスタンドを襲ったのかは「なんとなく」と、字幕で明確に説明されますが、居座る理由は全然説明されなくて不可解です。
こういったように、この映画では主人公たちの心の動きがよく分かりません。彼らの過去の描写も多少出てきますが、共感を呼ぶほどでもなく、特にリーダー格のノーマークは、スタンドの金を取ったりする一方で、近所迷惑になっている暴走族の車を撃退するなど、何をしたいのか不明です。ま、行動が突飛すぎて、かえって笑える部分はあるのですが。
ある場所を占拠し、人質との間にシンパシーみたいなものが生まれてくる…という話では、「スペーストラベラーズ」がありました。
キャラクター描写に関してはあちらは良く出来ていましたが、下手に真面目な話になって、暗い終わりになってしまった「スペーストラベラーズ」に比べれば、この「アタック・ザ・ガス・ステーション!」の方が爽やかで、スマートな感じさえします。
ワルの一人、ペイントは「第2の建国を再び始めよう」などの建国のスローガンを書いた額を見ると、キレたようにぶち壊します。
またこの作品には、主人公たちが強盗や破壊をするだけでなく、彼らが年長者や偉ぶってる人物を殴るシーンも出てきます。一方、時折インサートされる主人公たちの過去のシーンでは、彼らは親や監督や先生といった目上の人物に人生を否定されています。
この映画は反権力というメッセージ性は出ていません。しかし、こういった空虚なスローガンや権威に対しての怒りや苛立ちが、韓国の若い観客に共感されたように思います。
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J(ウィル・スミス)は今やMIBの腕利きエージェントとして活躍しているが、相棒に恵まれず、パグ犬の姿をしたフランクを相棒にする始末。そんな時、ピザ屋の店長として働いていたザルタ星人がセクシーなモデルに変身したサーリーナ(ララ・フリン・ボイル)という異星人に殺される。彼らは「ザルタの光」なるものを追っていることが分かるが、「ザルタの光」が地球に来たのは何10年も前で、MIBの中でそのことを知っている人間はいなかった。ただし一人だけ、外部でそのことを知っている元MIBがいるが、彼の当時の記憶は消されていた。Jは直ち彼の元に向かうが、サーリーナも同じことを考えていた…。
パート1は重みはないものの、話のテンポが良くて退屈しませんでしたが、今回も次々と事件が起こり、調子よく解決して笑わせてくれて、飽きさせません。
主演や監督、製作など、メインのスタッフやキャストは前作とほぼ同じですが、5年というブランクを全然感じませんでした。
「アレは何だったんだ」ていうアラも多い映画ですが、細かいことを気にしなければ十分楽しめる映画です。
今回は主人公のラブロマンスという、続編王道のエピソードが出てきます。そのせいかクライマックスの戦いはあっけないものの、最後がちょっとせつなく、余韻があっていい感じでした。
冒頭に70年代風のTV番組が出てきます。これのホストが「スパイ大作戦」(「ミッション・インポッシブル」じゃないよ)のピーター・グレイブスというのがいかにもありそうな感じで、特撮シーンでワイヤーが見えてるなど、それらしいチープさが笑わせてくれます。今回もこういった、コメディタッチは健在です。
ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズのコンビも、5年のブランクを全く感じさせない快調さを見せてくれます。
トミー・リー・ジョーンズが登場しない前半は、彼の変わりに?前作ではあまり出番のなかったパグ犬エージェント・フランクが、ウィル・スミスと迷コンビぶりを見せて大いに笑わせてくれます。以前にパグを飼っていた僕にはうれしいシーンですが、こんなうるさいパグはそばにはいてほしくないなあ…。
今回も製作はアンブリンで(この会社てまだあったのか?)、どこまで関わってるのかは知りませんが、スティーブン・スピルバーグの名前もエグゼクティブ・プロデューサーでクレジットされています。このクレジットの字体が、人が書いたような乱雑な字体であるのがこの映画らしく、笑えました。
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1951年、ハリウッドで映画の脚本を書いているピーター・アプルトン(ジム・キャリー)は共産主義者の疑いをかけられ、証人として出廷するように命令される。その夜自暴自棄に車を走らせたピーターは、誤って車ごと川から転落する。海岸で目を覚ました彼は一切の記憶を失っていた。その傍らの町ローソンを歩くピーターは、町の人々から9年前に出征したまま行方不明である、ルーク・トリンブルだと思われてしまう。ルークの父親ハリー(マーチン・ランドー)や、その恋人アデル(ローリー・ホールデン)も喜び、戦争で多くの若者を失った町は活気付きだす。だが、町の全ての人が彼を信じたわけではなかった…。
予告では、観客にもルークが本人かどうか分からなくする話になるのかと思っていましたが、映画では初めから、ピーターとルークは別人と分からせています。これが中盤以降、ちゃんとサスペンスを盛り上げる効果になっています。
クライマックスとなる裁判のシーンは泣きそうになりました。とはいえここは、物語で最も重要で、一番長い時間を費やしているローソンのシーンとは異質な感じはしました。
この作品の脚本を書いた人は、かつて赤狩りで証人に立ったことがある人だそうで、この人の思い入れが、自分探しがテーマであろうこの作品のシナリオに入り込んでしまったのかもしれません。
しかし感動的に見せてくれるので、この展開でいいと許してしまいます。この裁判のシーンと、ラストで2回感動できました。
タイトルの「マジェスティック」は単に映画館の名前だけでなく、「正義」という意味もありますから、これで裁判とローソンのシーンを結ぼうとしていようにも思います。
この監督の前作「グリーンマイル」は暗い話で、僕は心を動かされませんでしたが、この「マジェスティック」は「ショーシャンクの空に」のように爽やかに終わってくれて、気持ちよく見れる映画です。
主演のジム・キャリーの超シリアスな演技は悪くないし、彼に合うようなコメディ的シーンも話に出てきて、適役でしょう。でもこの人、トム・ハンクスになろうとしているように見えるなあ。
アデルを演じるローリー・ホールデンは、どこかイングリット・バーグマンのようなクラシックな感じがあって、第2次大戦後の時代を舞台にしたこの映画にぴったりな女優だと思います。彼女は「Xファイル」で、スモーキング・マンと関わりを持つ国連職員を演じていました。
エンドクレジットにはカメオ出演者へのお礼の言葉が出てきます。そう言われれば、本編のニュースフィルムの中に出てきた赤狩りの証人は、「ギャング・オブ・ニューヨーク」が待機中の監督、マーティン・スコセッジのように見えました。
ピーターの脚本が無能?なプロデューサーたちの言いなりで変わっていくシーンは笑えますが、製作者たちが実際あったことが元ネタじゃないかな…。
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この映画は自分探しの話といえるでしょう。このテの話はよくありますが、この作品でピーターがルークになるように、他人になることで自分を見つける、というパターンは見たことがありません。
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1935年、考古学者デフォンテーヌ教授が発掘したエジプト時代のミイラをフランスへ移送中、関係者たちが謎の死を遂げる。そして現代のルーヴル美術館で、改修工事を機に数十年ぶりにそのミイラが発見される。ミイラが分析された後、ルーブルでは夜な夜な黒ずくめの怪人が歩き回るようになる…。
仮面の黒づくめの怪人が夜の美術館をうろつくイメージは不気味な美しさがあります。特撮も悪くはありません。
しかし、怪人のオリジンがミイラというのは使い古されたネタだし、正体はバレバレで興味がわきません。なんといっても、この怪人が何のために美術館をうろついてるのかさっぱり分かりません。
この怪人のエピソードはフランスでは有名な話だそうですが、もしそれが映画の通りの話なら、過去には怖い話だったかもしれませんが、今では3流のホラーストーリーです。
主人公の彼氏が簡単に事件の協力者になってしまうなど、怪人以外の話もイージーで、眠くなりました。
この作品はルーブル美術館が全面協力した初めての映画だそうですが、それがこんなチンケな話というのは、ルーヴルの名前に傷がつくように思います。
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1876年のニューヨーク。レオポルド(ヒュー・ジャックマン)公爵は生活のため、パーティでお金持ちの花嫁候補を発表しなければならなかった。その途中で不審な男を見つけたレオポルドは、逃げ出した男を追って、彼と共に建設途中のブルックリン・ブリッジから転落してしまう。朝、レオポルドはスチュアート(リーヴ・シュレイバー)と名乗る、その男の部屋で目覚める。スチュアートは犬の散歩に行かなければならなかったものの、犬を廊下に残して姿を消す。レオポルドはスチュアートの元恋人ケイト(メグ・ライアン)に犬を散歩するように言われ、21世紀のニューヨークを一人で歩くハメになる…。
中心となる話はラブロマンスですが、それに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思わせる時間ネタを絡めたのが、オリジナリティーを感じさせて上手いところです。
タイムスリップの理論?は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以上にオイオイ…なのですが、時間を越えた、ということが重要であって、その理論はどうでもいいことなので、これでいいのでしょう。
ケイトの仕事にレオポルドが絡む展開は、設定を上手く生かして感心しました。弟の存在も効いていて、最後は感動的なシーンを見せてくれます。
悪人がいない話のせいか、気分良く見られる映画です。
主演のメグ・ライアンはさすが「ラブコメの女王」らしく、明るいけど頭の固いキャリアねーちゃんは適役です。
相手役のヒュー・ジャックマンはオーストラリア出身の人ですが、イギリス貴族らしい雰囲気が出ています。高貴でありながらワイルドで、「ソードフィシュ」以来、また女性ファンが増えることでしょう。
スチュアート役のリーヴ・シュレイバーは「トータル・フィアーズ」にも出ているようだし、「スクリーム」以降、順調に出世している感じです。
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ラストで過去で結ばれたケイトとレオパルドが、お金がないだろうに、どうやって暮らしていくのかが気になりました。レオパルドは発明家になるそうですから、その発明で食っていくことになるんでしょうけど。
ケイトが過去の時代で、広告会社みたいなものを初めました。なんてエピローグがあると良かったようにも思います。それが将来、ケイトが21世紀で働くことになる会社の設立であった、とか。
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ボスニア軍とセルビア軍の陣地の間にある無人地帯(ノー・マンズ・ランド)に、濃霧で迷ったボスニアの兵士たちが入り込んでしまう。彼らはセルビア軍に撃たれるが、一人だけそこにあった塹壕に落ちて助かり、彼は隙を見て、倒れていた友人の兵士も塹壕の中に引きずり入れる。その塹壕へ年配と若い2人のセルビアの兵士が偵察に来る。倒れていた兵士を見つけた彼らは、その兵士の下に地雷を埋めこむが、隠れていたボスニア兵が飛び出し、年配の兵士を撃ち殺す。残った若いセルビア兵士とボスニア兵はにらみ合いの状態になるが、そこへ倒れていたボスニア兵が目を覚ます。だが彼の下には地雷が埋められていて動けない。状況を察知した国連軍は現場に向かおうとするが、係わり合いになりたくない上官は出動を止める。だがその無線を傍受して、ニュース番組のクルーがやってくる…。
2002年度のアカデミー賞の外国語映画賞のワクは、僕はてっきり「アメリ」が取るものだと予想していましたが、結局受賞した作品はこの「ノー・マンズ・ランド」でした。あの爽やかな「アメリ」を押さえた理由は何だったのかと、気になっていた作品です。
映画は、セルビアとボスニアの中間地帯に取り残された兵士たち、国連軍の一部隊、そしてカメラクルーたち、といったキャラクターを通して、この地域の現状を戯画的に描きます。
事なかれ主義で、面子が悪くなると行動を起こす国連軍(どこかの国の官僚と同じ)や、兵士たちのことは考えないで映像だけ撮れればいいマスコミなど、その描写はかなり辛らつ、そしてリアルです。
この地域をネタにした映画では、最近では「エネミー・ライン」がありましたが、ハリウッドエンターテイメントの色が濃いあの映画に比べれば、「ノー・マンズ・ランド」の方がよりテーマ性が強烈に出ています。
この地域に関しては、(特に日本人は)僕も含めてあまり関心を払うことはありませんが、この映画のラストシーンは、その状況を痛烈に批判しているように思えました。
こういった感じで、この作品は爽やかではない、問題意識を持った映画です。かといって内容は重いということはなく、クライマックスまでは結構笑える、コメディタッチの軽い雰囲気で、長さも1時間半くらいの短さで見やすい作品です。
こういった、軽さと重さを上手く一つにまとめた製作者の手腕が、アカデミー外国語映画賞を取った理由でしょう。こういうテーマ性があり、分かりやすい作品は批評家には好まれそうです。
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緊急医療救助船ナイチンゲールに、5年前に破棄されたはずの月・タイタン37からSOSが入る。次元ジャンプで急行したナイチンゲールは、そこの青色巨星の強大な重力のために大破し、燃料の大半を失い、さらにジャンプ中の事故で船長が変わり果てた姿になってしまう。ニック(ジェームズ・スペイダー)の指揮の元、エネルギー充填のためにタイタン37に留まるナイチンゲールに、救命シャトルが飛び込んでくる。中にはトロイ(ピーター・ファシネリ)と名乗る男が乗っていて、その船内には青赤に輝く物体があった。スキャニングの結果、それは3次元の物体で構成された外殻の中に、9次元の物質が入っていると判明するが、その強大なエネルギーは宇宙を破壊する危険があった。物体の破棄を主張するニックたちに、トロイは不審な行動を取り始める…。
「エイリアン」など、閉鎖された宇宙船内でのアクションはよくある話ですが、この作品ではジェームズ・スペイダーなど有名な役者を使ってるわりには話は盛り上がらず、広がりも感じられません。
またキャラが少ないならば、人物描写にはそれなりに時間がかけられるはずですが、この作品ではキャラの背景説明なんてほとんどなく、主人公がヤク中という設定でも、具体的な描写はないし、それが話に生きてくるという展開もありません。
キャラを少なくしたのは、予算をケチるためじゃないかと思ってしまいます。
悪役トロイは人知を越えるスーパーパワーでクルーたちを危険に陥れます。そのパワーの源は、正体不明の物体から来るのだろうと想像できますが、これに関してはクルーの推測だけで何も説明はなく、まさに正体不明です。
この物体を守るためにトロイは強大なパワーが使えるのだと思いますが、その守る理由も明らかにされないので、このキャラはただの頭のおかしい乱暴者に見えます。
話は大したことは無いものの、特撮は「タイタニック」などのデジタルドメインが担当しているだけあって、いいものを見せてくれます。特に青色巨星や、銀河破壊の壮大なイメージは見ものです。こういうシーンがこの映画の唯一の見所かもしれません。
主演はジェームズ・スペイダーですが、もともと無表情気味の人なのに、この作品ではほとんど表情も変わらないし、感情が感じられません。同じSFネタでも「スターゲート」の方がまだマシでした。
他に有名どころでは、クルーの役でルー・ダイヤモンド・フィリップスが出ていますが、途中で消えてしまいます。以前は「ラ・バンバ」など主役を張っていた彼が、今はこんな役しかまわってこないのは哀れです。
ビデオには「もう1つのエンディング」が付いています。本編のエンディングとあまり違わない展開なのですが、最後は宇宙(銀河)破壊シーンで終わり、より破滅的な感じの終末を匂わせています。
役者はそこそこだし、特撮はいいけど、B級といっていい映画です。
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人間と吸血鬼のハーフであるブレイド(ウェズリー・スナイプス)はチェコのプラハで、ヴァンパイア達にさらわれたウィスラー(クリス・クリストファーソン)を取り返した。そのブレイドのアジトに何者かが侵入する。彼らは吸血鬼一族の使者で、リーパーズという吸血鬼をもターゲットにする新種を抹殺すべく、一緒に戦ってほしいとブレイド申し出る。敵である彼らを完全に信じきれないまま、ブレイドは行動を共にする…。
前作から何年も経ってからのパート2です。主人公ブレイドを演じるウェスリー・スナイプス君の映画は最近ヒットしないので、今ごろになって当たり役を持ち出してきたのか?と勘ぐりたくなります。ま、彼はこの映画ではプロデューサーもやってるので、役にはかなり思い入れがあるのでしょうけど。
前作はハイペースなアクションが連続して楽しめましたが、そのテンポはパート2でも衰えていません。今回は奇想天外なハイテク武器に加え、前作のヴァンパイア以上の強大な敵の登場に、ほのかなラブロマンスと、続編の王道を行く内容で進みます。
今回の舞台はチェコですが、前作のニューヨークとは違ったゴシックな雰囲気があります。新たな敵であるリーパーズ自身も映画史上初めてのヴァンパイア作品「ノスフェラトゥ」での吸血鬼を意識したと思わせるクラシックな姿をしています。
しかしこのリーパーズ、血を吸う時はエレガントには程度遠い、人間とはまるで異質のような動きを見せます。こういう描写には「クロノス」や「ミミック」を監督したギレルモ・デル・トロ独特のビジュアルセンスを感じます。教会の廃屋で戦うシーンなんかも「ミミック」を思わせます。
また最後の、ヴァンパイアが自分のアイデンテティーを貫く姿は「クロノス」のラストを思わせて、感動的でした。
この映画のアクション監督は、「修羅雪姫」などを担当した香港アクター・ドニー・イェン。スノーマンという役柄で、「雪」と書いた服を着て出演もしています。さすがにアクションは様になっていますが、チョイ役のせいか、あまり活躍しないのは残念です。
前作から何年も経過してるので、第1作の内容をかなり忘れてしまい、冒頭でのウィスラーの事情よく分からないのは戸惑いました。そういうもんだろうと思って見てればいいのでしょうが。
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エジプト以前の時代。強大な軍隊で他民族を次々に制圧するメムノーン(スティーブン・ブランド)の支配に対抗すべく集まった少数民族たちは、メムノーンの勢力をくじくため、彼の戦闘の運勢を占っている預言者の暗殺を、戦闘種族アッカド人のマサイアス(ザ・ロック)たち3兄弟に依頼する。メムノーンが支配する都ゴモラに入ったマサイアスたちは、預言者のテントを見つけるが待ち伏せに合い、2人が殺されてマサイアスだけが生き残る。マサイアスは何とか預言者のテントに入り込むが、そこには…。
大ヒットシリーズ「ハムナプトラ」からスピンオフした映画で、「ハムナプトラ2」の冒頭で活躍したスコーピオンキングが、いかにして王になったかを描く話です。
「ハムナプトラ」シリーズはノンストップアクションのライド感覚で楽しませてくれましたが、この「スコーピオン・キング」もアクションの連続で退屈させません。
しかもこちらの方は「ハムナプトラ」と時代が違うし、主演のザ・ロックがプロレスラーということもあるのか、格闘や剣戟など、特撮より生身のアクションにこだわった感じがあり、「ハムナプトラ」とは違った世界を見せてくれます。
そのアクションは、砂漠はもちろん、洞穴や炎の中など、状況や戦い方にバリエーションを持たせて飽きさせません。特にハーレムでのアクションシーンは、男のウィークポイントを見事についた上手いアイデアです。
お話は単純だし、出てくるキャラクターはヒーローに美女にコメディリリーフに賢人という、いかにもパターンの形ですが、その方がいろんな人にとっつきやすいかもしれません。
主演のザ・ロックはやはり存在感があるし、生身でも武器を持っても様になっています。スタローンはもちろん、シュワルツェネガーは年を取ったし、ヴァン・ダムもぱっとしなくなって、ジェット・リーやジャッキー・チェンなどの香港アクターにアクションのお株を取られてしまった感じのハリウッドをしょって立つ、アクションスターになれるかもしれません。ドルフ・ラングレンみたいに、今後の作品を誤らなければ、ですが。
「ハムナプトラ2」みたいにCGのスコーピオンキングが出なかったのはホッとしました。
ヒロインを演じるケリー・ヒューは東洋系のハリウッド女優によくある、きつさを感じさせない可愛らしさを持っていて、親しみを感じました。衣装もセクシーで、男性ファンを一挙に増やしたことでしょう(俺や)。彼女の顔は記憶にありませんが、既にTVや映画で何本か出ているというのは意外でした。
パンフには預言者の名前が「カサンドラ」とされていましたが、映画でのクレジットでは単に「預言者」とクレジットされていたようでした。重要な役なのにかわいそうな扱いです。
今回の特撮はILMではなく、いくつかの特撮スタジオが分担して作っています。しかし砂嵐やアリの襲撃といったシーンはハムナプトラぽい感じで、同じ世界観という雰囲気が出ています。
「ハムナプトラ2」では、スコーピオンキングは力を求めて悪と取引をする帝王でしたが、この映画ではいい人になっています。ということは次(たぶん作るでしょう)で悪に傾く話になっていくのでしょうか?それじゃ「スター・ウォーズ」だって…。
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種々の自分が存在する多元宇宙。その宇宙を行き来することは違法であるが、ユーロウ(ジェット・リー)は125のパラレルワールドに存在する自分をすべて抹殺し、残りの1人になったときに自分は「ザ・ワン」と呼ばれる全能の存在になれると信じて、123人目を暗殺する。最後の宇宙に来たユーロウは標的であるゲイブ(やっぱジェット・リー)を殺そうとするが、彼にも超人的なパワーが目覚めつつあった…。
2人のジェット・リーが戦う話ですが、自分と自分が戦う話は、少し前にジャン・クロード・ヴァン・ダムが「レプリカント」でもやっていました。ただし、「レプリカント」はクローンという設定でしたが、さすがにそれはありがちと思ったのか、この映画はパラレルワールドを理屈に使っています。
多元宇宙の考え方はSF小説ではかなり前からあったものですが、映画で出たことはほとんどなかったと思います。別の宇宙ではバウンティ・ハンターであるキャラがこの世界ではガソリンスタンドの店員といった描写で、違う自分の概念をこの作品では分かりやすく見せてくれます
ただ、宣伝文句の「125人のジェット・リー」はオーバーです。映画に出てくるリー君は3人で、他の世界のリー君は殺されたリストとして顔写真だけ出てきます。これも長髪のカツラを被ったバリエーションがある程度で、コンタクトを入れるとかでもっと増やせるでしょう。でもなんで125なんだろう?
アクションはCGとワイヤーアクションを組み合わせて表現されていて、これは「少林サッカー」と同様の作り方ですが、この作品と同様の迫力が出ています。「ザ・ワン」は「少林サッカー」のまじめ版ファイトと言えそうです。
クライマックスのリー君同士の戦いは、格闘にバリエーションをつけて飽きさせません。今までの彼が出たハリウッド映画の中で、一番迫力あるファイティングシーンでした。やはり、リー君を超えるのはリー君なのか!
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聖 剣 伝 説 |
人間が精霊界を忘れることを恐れる魔女マブは、人間たちを精霊界に導くべき魔法使いとなる男・マーリンを人間の女性に生ませる。だが、成人まで育ててくれた親をマブに殺されたマーリンは、彼女の元に来て魔法を学習するもそれを嫌っていた。マブはマーリン(サム・ニール)の魔法を覚醒させようと、彼の愛人ニムエ(イザベラ・ロッセリーニ)を計略でドラゴンの生贄にしようとする。魔法によってニムエの命だけは救えたものの、大きな火傷を負わせてしまったマーリンは、ニムエを修道院に預けた後、マブに操られない良き人間を探そうとする。彼が目をつけた人物の名はウーサーという…。
画面サイズはシネスコでない、テレビサイズで、本編にはCMを入れる箇所のようなフェードアウトが時々あるので、TV用のスペシャルドラマだと思います。
タイトルは「エクスカリバー」とつけられていますが、原題は「MERLIN」つまり、アーサー王を影で支えたという魔法使い、マーリンにスポットを当てた話です。
なのでメインとなるのは、この話が伝説として語られているのかどうか知りませんが、マーリンの出生や愛の話です。エクスカリバーやアーサーも当然登場しますが、出るのは後の方だし、アーサー王が死んでから後も物語は続くので、やはり原題の方がふさわしいタイトルです。
キャストは主人公のマーリンをサム・ニール、彼が恋する女性ニムエをイザベラ・ロッセリーニ、アーサー王に敵対する異母姉モーガンをヘレナ・ボナム・カーターが演じています。
サム・ニールは「ジュラシック・パーク」等特撮ドラマは何でもござれの人なので順当なキャスティングですが、イザベラ・ロッセリーニは「ブルー・ベルベット」などデビッド・リンチ映画の濃いキャラの印象が強いので、この作品のような純真無垢のキャラは珍しい感じです。ヘレナ・ボナム・カーターは「ファイト・クラブ」など映画役者のイメージが強いので、TVモノに出るとは意外でした。
他に「ブレードランナー」のルトガー・ハウアー、ミランダ・リチャードソン、「スリー・アミーゴス」のマーティン・ショートが出ています。また、どこに出ているのか分かりませんでしたが、クレジットにはジョン・ギールグッドとジェームズ・アール・ジョーンズの名前が載っていて、TVドラマにしては豪華なキャスティングです。
人の心に付け入ることが上手い悪の魔法使いマブと、人を信じようとする善の魔法使いマーリンの争い、というのが全体的な話です。しかし人間は欲深いせいか、常にマーリンは信じようとした人間に裏切られ、マブが勝つというパターンになり、結構救われないエピソードがクライマックスまで続きます。
また、元の伝説がそうなのでしょうけど、姉弟でセックスしたり、親子で殺しあうといった、ファンタジーにしては結構ドロドロした描写も出てきます。
とはいえ最後には昔話風に「めでたしめでたし」と爽やかに終わってくれます。
70年代に作られたアーサー王の映画「エクスカリバー」は僕の大好きな作品なのですが、想像上のキャラをほとんど出さずに、歴史ものぽい雰囲気だった「エクスカリバー」に比べると、こちらの「聖剣伝説」はドラゴンや妖精やグリフィンなどが出てきて、いかにもなファンタジーになっています。とはいえ、アーサー王関連のシーンではそういうファンタジーのキャラは出てこないので、「ファンタジー色の強いエクスカリバー」とは言えません。
ドラゴンは羽根がパーツに分かれているのが、今までのドラゴンに見られないデザインだし、湖の女神の首飾りが魚の群れになっていて、魚たちが首周りを泳いでるのは面白い描写です。また、一瞬のシーンながら、マブたちが消える時の効果はシャープでかっこいいイフェクトでした。
クリーチャー関係のシーンはライブもCGも「ベイブ」のジム・ヘンソン・クリーチャーショップが担当していますが、順当な仕事振りでしょう。
マーリンがマブと対抗できる良き人間を一から育てようと、アーサー王の計画を実行するのは分かるのですが、いつの間にかこの計画が出てきているし、重要なキャラであるはずのアーサーがあまり重要そうでなく、さりげなく出てきてしまったのも気になりました。こういったシーンを撮っていたかもしれませんが、カットしたのかもしれません。
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