冒頭、ゴジラとベビーゴジラが暮らしていた島が火山の爆発で消滅しますが、これはセリフだけで語られます。しかしこの作品は低予算ドラマとは違い、映画なんですから、セリフオンリーなんて予算をケチらずに、ニュース映像でも見せてほかったと思います。
ゴジラ初登場シーンを香港にしたのはアジア市場を意識した感じがしますが、作品世界の広がり感じられてよいことです。しかしここで何も壊さなかったのは、セットを作る時間が無かったのか、それとも香港の人に配慮したからでしょうか。
今回は第1作の「ゴジラ」に登場した河内桃子が出てきます。よく出演を承知したと思いますが、彼女が出てくるシーンは第1作の風格が感じられ、映画に重みが出たと思います。話の進行にあまり関わらないのがもったいないけど。
石野陽子がパトカーの中でデストロイアに襲われるシーンは長いと感じましたし、必然性も感じられない余計なシーンでした。
高嶋政宏が「ゴジラVSビオランテ」での高嶋政伸の代役として出ていますが、この人は以前「ゴジラVSメカゴジラ」に出ているので、この時のキャラと錯覚してしまい、まぎらわしいです。
高嶋政宏の乗っているスーパーX3は、今回はスーパーXに翼をつけただけの、つまんないデザインでした。
デストロイアの形態は、途中までは昆虫みたいで面白味のあるデザインなのに、最終形態はドラゴンみたいなデザインで、ゴジラと似た感じがして面白味が無くなったと思います。
デストロイアはゴジラがメルトダウンする前に、スーパーX3にあっけなくやられてしまいます。しかし、ゴジラは第1作ではオキシジェン・デストロイヤーで死んだのですから、ここはやはり、例えばボロボロになったデストロイアがゴジラにしがみつき、そこから染み出したミクロオキシジェンがゴジラを溶かす、みたいにデストロイアとともにゴジラが滅ぶべきでしょう。川北監督はそれではゴジラが目立たなくなるから映画のようにしたそうですが、第1作のテーマを引き継ぐなら、そうするべきだったと思います。
とはいえ、ゴジラがメルトダウンしていくシーンはスキャットを効かせたBGMと共に、骨となって溶けていくゴジラのカットもとても美しく、CGを上手く使った例といえます。ゴジラの最後を飾るにはふさわしいシーンだったでしょう。このシーンを見たいがために、もう一階劇場に足を運んでしまいました。
ゴジラが最後を迎えるとはいえ、まだベビーゴジラ、じゃなくてゴジラジュニアがいるのだから、ま、ああいうラストになるだろうと想像はつきました。それにしても、一旦ゴジラを終わらせるということを考えて、実は「ゴジラVSメカゴジラ」の時にベビーゴジラを出したんだろうか?
東京国際ファンタスティック映画祭で見ました。初上映のお披露目ということで、山口沙耶伽や小林恵など、メインの出演者が来てました。
「モスラ」は「ゴジラ」シリーズのような、怪獣対決物とは違うポジションという感じがしているのですが、今回は完全にそういったありきたりのパターンにされてしまいまし、「ゴジラ」シリーズとの根本的な違いが消えたように思います。敵はデスギドラという奴ですが、キングギドラとどこが違うんだ、という感じです。
怪獣が暴れまわっているくせに、映画では自衛隊は全く出てきません。これの脚本家が何かのインタビューで、そういう部分で「ゴジラ」シリーズとの違いを出したと言っていましたが、不自然に見えるだけで、それが何なの?という感じです。
姉妹がモスラの歌を歌い出すシーンは、オリジナルはステージ上ということで、納得のいく展開でしたが、今回は唐突に歌いだして背景もいきなり変わってしまい、あまりの違和感に笑うしかありませんでした(観客席からも笑いが聞こえました)。小美人なら「モスラの歌」というのは分かるのですが、歌い出す過程をもっと納得のいくものにしてほしかったです。初めて見る人は、何でここで歌い出すんだ?と思うでしょう。あまりにも安直です。
今回、モスラが繭を作るのは屋久島の杉です。自然を守るというテーマでそうしたのは理解できるのですが、やはりオリジナルでの東京タワーに比べると、意外性も面白味もありません。「ゴジラVSモスラ」の国会議事堂の方がまだイメージ的に面白いです。都庁とかランドマークタワーとか、繭を作れそうな高層建築物はいくらでもあるのに。
最後はデスギドラによって破壊された緑が、モスラの力でなぜか回復してしまいます。無理やりハッピーエンドにした感じがして、好きになれないラストでした。結局モスラが後始末まで全てやってくれるんですもんねえ。人間は何もしなくてモスラを頼ってりゃいいってワケか。
まだ見ていない人
特撮モノは好きですから、出来がひどいだろうと予想しても、どんなにひどいか確かめるために見に行きます。平成版「モスラ」第1作が予想通りひどい出来だったので、この第2作も期待しないで見に行きましたが、やっぱ思ってた通りでした。
平成版「モスラ」シリーズは環境の大切さを訴えたいようで、第1作は森、今回の第2作は海の大切さを言おうとしてるみたいですが、自分たち人間が環境破壊を止めるのをテーマにすべきなのに、第1作も第2作も環境を汚しているのは怪獣なんだから、意味が違う感じがします。
ニライ・カナイのデザインは、外観は沖縄海中にあるピラミッド状建造物や、イースター島の遺跡とかをブレンドした感じでなかなか面白いのですが、中の通路やエレベーターなどがやけにあっさりとした、直線の多い現代的なデザインなのが残念でした。単純な形の方がセットが作りやすいからでしょうか。中のトラップはモロに「インディ・ジョーンズ」のパクりという感じでした。
東宝映画、というか戦隊ものでもマスコットキャラの出来はいつもひどく、モロに作り物に見えてしまいますが、今回出てくるゴーゴもその伝統を引きずってます。「ゴジラVSキングギドラ」に出てきた、キングギドラの元になった生物トラッドの造形のクオリティがひどいの一言でしたが、ゴーゴもこれと変わらないような出来でした。
いい映画だとは思えないのですが、ヒトデ、じゃなくてベーレムがいっぱいにたかられたモスラが復活するシーンや、モスラが水中モードにモーフィングするシーンでは涙が出てきてしまいました。こんな映画で泣きたくねーと思いながらも。どうも、「盛り上がる音楽」+「みんなの祈り」+「復活」というシーンには弱いようです。「ウルトラマンティガ」の最終回で、ティガが復活するシーンでも泣いてしまったし。
ダガーラは、体はヒトデやウツボとかの海洋生物を組み合わせた面白いデザインなのですが、顔がドラゴンなのが普通の怪獣ぽくて残念でした。それに、古代の失われた文明の遺伝子操作による怪獣というのは「ガメラ」ぽいです。
すでに見た人
ニライ・カナイが消えていく時の、塔が炎のように伸び、伸び切った瞬間に水となって崩れていくシーンはデジタルを生かしたうまいイメージでした。
それに対して、水中モードになったモスラがダガーラに突っ込んでいくと、なぜか小さい群体モスラに分身変身し、ダガーラの体内に突っ込んでいくシーンでのモスラはモロにCGと分かる作りで、意味もよく分からないシーンだったので興ざめでした。
最後のニライ・カナイの女王のセリフが子供だけに聞こえた、というのは子供に未来の希望を託そうという意図だと思いますが、大人には未来が無いように受け取れて不愉快でした。
映画ではベーレムが海いっぱいに広がっていましたが、結局最後はどうなったのでしょう?ダガーラが死んだら自動的に消滅したのかな。
まだ見ていない人
「ウルトラマンティガ」以降の国産平成ウルトラシリーズは、ドラマやキャラや設定がちゃんとしていて、それまでの外国産ウルトラシリーズ「ウルトラマングレート」や「ウルトラマンパワード」のクオリティの低さに比べると、外人には「ウルトラマン」は任せておけないと感じます。
タイトルから、もしかしてウルトラマンティガとウルトラマンダイナが兄弟だった、なんて話にするんじゃなかろうか?と危惧したのですが、そういうあざとい話でなかったので安心しました。
ウルトラマンティガとダイナの共演ということで、話はTVをちゃんと見てた人でないと分からない作りになっています。そういう意味では誰にでも薦められる作品ではないのですが、いいペースで進み、話も盛り上がるので「ティガ」と「ダイナ」を見ている人には必見といえます。
しかし何と言っても、この作品の一番の見どころは「ウルトラマンティガ」のGUTSメンバーの再登場でしょう(これ以後TVの「ダイナ」にも出るようになりましたが)。イルマ隊長役の高樹澪はポスターや広告では名前が載っているので、出てくることは初めから分かりますが、最後になってレナとシンジョウ、ホリイ、ムナカタが登場するのは「ティガ」を見ていた自分にとっては感動ものでした。ダイゴとヤズミは出ませんが、やはりジャニーズは出たくないのでしょうか(TVの「ダイナ」には出たくせに)。イルマはガッツウィングに乗って戦ってもくれて、燃える展開を見せてくれます。
ここ数年の映画版ウルトラシリーズは「ウルトラマンゼアス」からCGを多用するようになり、使い方も上手いと思うのですが、今回も、敵の宇宙人モネラ星人をオールCGにしたり、クィーンモネラのくねくねと伸びていく触手をCGで作ったりしてがんばっています。戦艦プロメテウスがデスフェイサーになっていく変形は必見でしょう(マクロス入った感じ)。ただし、ガッツイーグルが海へ不時着するシーンのCGなんか、動きがおかしくなってしまったのが残念でした。
予告編にもあったのですが、島が大爆発してダイナが消えた時に、リョウが「ダイナー!」と絶叫しますが、言い方が舌っ足らずで下手だったのが気になりました。TVシリーズが進むにつれて、この人もサマになってきましたけど、これを撮影してた頃はまだ初期の頃だったのでしょうか。
すでに見た人
「ウルトラマンティガ」の最終回での、ティガが復活するシーンでは泣いてしまったので、たぶんこの映画でも泣くかなと思ったのですが、やはり、人々が光になっていくシーンや、ティガが復活するシーンではジーンと来てしまいました。特に人が光になるシーンは、「ティガ」の時は子供だけでしたが、今回は大人も光になったのは嬉しい描写でした。大人を差別している感じだった「モスラ2」とは大違いです。杉本彩はヘタだと思うのですが、「私も光になれるかな」はいいセリフでした。
今回は一時的にウルトラマンティガが復活しますが、この時ダイゴは火星にいたんでしょうねえ。心中穏やかでなかったろうと想像します。
まだ見ていない人
原作は眉村卓のジュブナイル小説(今でもこの言い方使うのかな)で、かってのNHK少年ドラマシリーズにもなったそうです(見てないけど)。しかし、原作通りなのは次元を移動していく転校生という設定だけで、ストーリーは別物と言えるでしょう。
話は、良く言えばいろいろ解釈できるし、悪く言えば分かりにくいと言えます。主人公である翠(新山千春)が移動する次元世界の一つに精神病院の世界が出ますが、これが本当の世界で、全ては翠の想像世界の話という解釈もできます。新山千春は初の主演ですが、熱演してていい感じでした。佐藤康恵も自然な感じが出てました。
翠が別の世界に行っている間、元の世界では彼女はどうしてるのでしょうか?消えているのか、それとも別の翠が出現するのでしょうか?この辺があいまいにされていたことも、翠の想像の話と思える要因です。
CG合成のシーンがいくつかありますが、そのシーンに来ると画質が悪くなって、ここにCGが入るとモロに分かります。また合成のシーンほどではありませんが、普通のシーンでも画質が良くなく、特に暗いシーンになると粒子が目立ちます。フィルムをケチって、暗いシーン用のフィルムを使わなかったのか、それとも16ミリでも使ったんでしょうか?
合成はエッジが見えていたり、切りすぎたりと、アラが見えたカットがありました。
タイトルの出方はかっこいいです。タイトルロゴは普通で面白くなかったけど。
すでに見た人
最後には翠が現実世界に別れを告げ、次元ジプシーになってしまいますが、翠の表情には暗さは感じられません。この終わりは悲しい終わり方なのか、それとも明かるい終わり方なのでしょうか?最後の新山千春の笑顔のカットが、前記のように粒子が目立って汚く見えたのは残念です。
翠の二重人格的(というより、猫かぶっている)な部分が後半忘れられた感じがします。嫌な友人たちや無理解な両親から逃げるのを、世界から消える理由にしてもよかったと思います。
翠と真裕未が城へ向かって歩いていくシーンは、仕事人が仕事に向かっていくシーンみたいで、かっこ良かったシーンでした。この後にいきなり渋谷に出てしまったので、このかっこ良さが続かなくて残念でしたが、ここで真裕未の性格がいきなり軽くなってしまって戸惑いました。別の次元に出ても、性格が変わるということは無いみたいなのに。