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九州の阿蘇で、太平洋戦争時に行方不明になった少年が当時のままの姿で発見され、調査のために厚生労働省から川田平太(草なぎ剛)が派遣される。川田は亡き親友・俊介のフィアンセだった橘葵(竹内結子)と旧交を温めるが、その後葵の勤めている市役所に、死亡届を取り消して欲しい、という不可解な人々が出てきたことから、彼女も川田の調査に協力するようになる。やがて葵は、俊介の復活を願うようになるが、川田はそれを望んではいなかった…。
かつて愛した死者が再度甦ってきて、最後にはまた別れることになる、泣きを狙っているであろう映画です。その意図は分かるし、丁寧に作っている感じはするのですが、ところどころ長いと思うカットがあるのが気になりました。
また肝心のクライマックスも気になったところです。ここは柴崎コウ扮するRUI(映画のクレジットもRUI)の歌が重要になるのですが、そこまでは彼女の歌はほとんど出てこないので、唐突にクローズアップされた感じでなじめず、この辺のシーンは泣くまでは行きませんでした。これを、主人公たちがファンだった、といったみたいに中盤でさりげなくも大きく扱かっていれば、もっと自然な流れになったでしょうに。
しかし中盤、葵の精神科医(田中邦衛)の奥さんに扮する忍足亜希子の、手話シーンは泣けました。この人はろうあの女優さんですが、セリフを話せない分なのか?感情の出し方がとても上手く見えました。
葵に関する中盤の展開は意外で面白いところですが、某大ヒット映画に似てるパターンで、よく考えれば推測がつくところではあります。
黄泉がえりの原因を探るために、パソコンなどハイテク機器が投入されるのはSFぽくて面白いシーンでしたが、結局その原因は語られません。映画のテーマはそれの追求ではないので、それでいいのでしょう。
予告では、TVのリポーターが「黄泉がえりが続々発生しています」とカメラに言うシーンがありましたが、本編ではラストまで報道管制がしかれていたようで、こういうシーンはありませんでした。
オフィシャルサイトには役者の顔写真が出ていますが、プロフィールを載せているのは草なぎや竹内らメインの役者のみで、忍足や長澤まさみなどは名前すら書かれていません。こりゃ不公平だって。
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the MOVIE |
藤島康輔原作の、墨東署の問題婦警コンビ辻本夏美と小早川美幸が活躍する人気コミックはビデオ、そしてTVアニメになり、TVの実写ドラマまで登場しました。この作品は、ビデオ&TVアニメの劇場版として公開されたものです。
今回は、夏美と美幸たちが墨東署を襲撃してきたテロリストに立ち向かいます。この襲撃には警察内部の人間が関わっている疑いがあり、彼らの行動で橋が爆破されたりするシーンは「パトレイバー2」を思わせます。
一旦はテロリストに追われることになってしまう夏美と美幸ら婦警たちや刑事たちが、やがて持てる力を総動員してテロリストに反撃し、追い詰めていく話はテンポが良く、燃えました。モデルガンが本物の銃に勝ったりといった、死者が出ない描写は多少甘と思いますが、話をリアルにして暗くなんてしたらこの作品らしくないのでヨシでしょう。いい意味でアニメらしい爽快さがあります
アニメらしいといえば、夏美関連のアクションシーンで、自分の足をミニパトのブレーキにしたり、バイクでヘリに飛び乗るなど、さすがに実写ではできないだろうと思えるシーンが出てくるのもそれらしいところです。伊東美咲やらないかな?
また後半で、ある橋(もちろん実在の)が開くシーンが出てきますが、音楽の盛り上げがうまくて、ワクワクしてしまいました。
しかし、敵がどういう連中なのか明かしていないところは気になりました。逮捕したなら真っ先にマスクを取って、黒幕のありかを尋問するところだろうに。
作画で止め絵が多いのにも閉口しました。人塗りによるセル画のみで作られた作品ならしょうがないとしても、デジタルを使っているのならばもっと動かすことができると思います。また季節が夏なのに、雪の絵があったのにも呆れました。絵に関してはクオリティに問題ありです。
エンディングで流れる主題歌は、優香などホリプロのアイドルが期間限定でユニットを組んだNTROが歌っています。このメンバーには白血病治療のために芸能界から一時引退していた吉井怜がいますが、これが彼女が引退する直前の仕事だったかもしれません。
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劇 場 版 |
「ケイゾク」の堤幸彦監督が手がけた、自称売れっ子マジシャンの山田奈緒子と、自称天才物理学者上田の迷コンビの活躍で好評を博し、パート2まで作られた、TVドラマの映画版です。その人気はまだ衰えていないようで、観客には若い層が目立ちました。
山田の突っ込みそして上田のボケ&見栄、ディテールの細かいギャグ、超常現象に見える事件など、内容はTV版と同じ雰囲気で、好きな人には楽しめる出来になっています。山田や上田だけでなく、刑事や山田の母までレギュラー総出演というのも、TV版を見ていた人にはうれしいところでしょう。
本編には特に人間関係の説明は無いものの、見ているうちにキャラの関係が分かる形になっているので、始めて見た人にもどういう感じの話か分かると思います。この作品は初めて「トリック」を見る人にとっての入門編としても、OKの出来でしょう。さすがに堤監督は、「ケイゾク」同様にちゃんと世界観を守ってくれています(もし外したらファンがうるさいだろう)。
ただし、前半は変なキャラ&細かいギャグの炸裂で楽しめますが、中盤は同じような展開が続いて面白みが薄れるので、工夫がほしいところです。クライマックスも大騒ぎしてる割には「他に逃げればいーじゃん」て突っ込みたくなり、危機という感じがしなかったのは物足りないところでした。
奈緒子の母親を演じる野際陽子は後半にちょっとだけ出てきますが、おいしいパートをさらっていくもうけ役です。冒頭で彼女がホームページを作っているシーンが出てきて、このシーンでのパソコンの筺体が独特な、おどろおどろしい感じの和風テイストで注目です(欲しい!)。
他の出演者では竹中直人、石橋蓮司、伊武雅刀など有名人が出ているのは映画版らしい豪華さだし、個性派の人たちを集めてはいますが、この人たちは他の映画やTVでも結構出ているので、今ひとつキャスティングの面白さに欠ける感じはしました。個性が強い役者となると、今のプロデューサーはみんな、こういう人たちしか思い浮かばないのかなあ?
キャストで面白いと思ったのは、昼ドラ「ママまっしぐら」でヤンママのイメージが強くなった(当たり役に会ってよかったね)感じの芳本美代子が、ドンくさい田舎女を演じていたことでした。
村に伝わる不可思議な伝説、近親の多い人間関係、殺人…と、TV版でもこういうモノが出てきたエピソードがあったと思います。これらのアイテムは金田一耕助シリーズでも定番でしたが、もしかしたら「トリック」は金田一のパロディをやろうとしているのかもしれません。
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山口(窪塚洋介)は昔からの仲間である市川と小菅との3人で「ネオ東条」を名乗り、渋谷の街で不良を狩っていた。彼らは時々顔を出している右翼系の暴力団・青修同盟の若頭である兵藤(本田博太郎)から会長の青田(原田芳雄)と「消し屋」の三郎(江口洋介)を紹介される。もの分かりのいい彼らに3人はのぼせ上がり、青田からドラッグをさばいているというクラブがあるという話を聞いて、彼らはそこの売人らしき女を襲うが、用心棒たちに逆襲される…。
前半では映像や編集に斬新なところが見られます。特に、タイトルを窪塚洋介が殴るところは笑えました。監督がミュージックビデオ出身の人というのは納得です。
しかしその分?話の面白さやキャラの共感度は減っています。後半の、山口たちの純粋な思いが大人たちに利用され、俗社会に取り込まれていく過程には怖いものがありますが、前半にあった痛快さや社会への怒りが消えて、フツーの話になってしまったように思いました。小さなモノが大きなモノに取り込まれて挫折する話は20年くらい、これのシナリオライターの定番だそうですが。
映画は山口たちの結びつきの過程を描かないせいか、彼らがなぜそこまで怒っているのかよく分かりません。また不良たちをやっつけるシーンは痛快ですが、本編では特に彼らがモラルに反することをやっている描写は出していません。なので、こういう人たちを忌々しく思ってる人にはいいでしょうが、何とも思ってない人には、何で殴られなければならないんだ?と思うかもしれません。
物語には景子という、山口を慕う女子高生が出てきます。彼女は積極的に山口に近づこうとしますが、明らかに自分の身に危険が及ぶと思われる彼に惹かれる感情がさっぱり伝わってこなくて、この女頭がおかしーんじゃないか?としか思えませんでした。この女は本筋にもあまり絡んでいなくて、必要とは思えないキャラです。
景子を演じているのは「午後の紅茶」やJフォンのCMなどに出ている高橋マリ子です。しかしこの人はそれなりの年のはずで、外見にそれが出てしまい、他の女子高生役の女の子が一緒にいるシーンではムリが感じられます。でも彼女は監督のお気に入りのようで、モデルみたいに撮られているカットがありますが、余計としか思えません。
エンドクレジットが終わった後にもシーンが続きます。重要なエピソードではありますが、ここまで見せる必要もないでしょう。ヘタなヤクザ映画みたいで、余計に思いました。
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桐野夏生原作のベストセラーの映画化で、フツーの主婦たちが死体解体に手を染めていく話です。下にレオタードを着たり(原田美枝子てトシなのに結構セクシー)、ゴミ袋を体に巻きつけるというブラックユーモアな描写は笑えます。
内にこもっていた女性が自立していく話は珍しくありませんが、死体解体を通じてそうなっていく、という映画は初めてでしょう。「学校の怪談」シリーズや「愛を乞うひと」を手がけた平山監督は、そんな話を堅実に見せてくれます。
終わり間近の部分は「テルマ&ルイーズ」を意識したように見えますが、女たちが追われているという緊迫感は感じられませんでした。クライマックスも盛り上りのようなものは無く、静かな感じで終わる映画です。
この作品は日本映画なのに20世紀フォックスのマークで始まるという珍しい映画で、たぶんアメリカでも上映するのでしょうが、果たしてこう盛り上がりの少ない映画がアメリカで受けるのでしょうか…?
西田尚美の、一見頼りなげだけど実はしたたかな、イヤな女ぶりは見ものでしょう。こいつを原田美枝子が何でかばうかよく分からん…(俺だったら殺す!)。
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「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督が始めて手がけた時代劇は、幕末動乱の時代に、そんな騒ぎなど関係ないような庄内の小藩・海坂藩で老母と2人の幼い娘と慎ましやかに生きる下級侍、清兵衛に起こった騒動を描きます。
同じ年の春に公開されたアニメ、「クレヨンしんちゃん:嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」では戦闘などの過程でリアリティーを感じさせる描き方をしていました。実写とアニメとの違いはあるものの、この「たそがれ清兵衛」も下級武士の仕事や家庭生活などの日常の暮らしぶりをかなり丁寧に描いています。
セリフの方でも、庄内地方ということで「〜でがんす」などといった庄内弁?を話していますが、ほとんどのキャラがこの言葉を使っていて、ここまで方言を徹底させた時代劇は初めてではないでしょうか。
また舞台が庄内地方ということで、本編では山形の自然の風景を上手く生かしていて、特に僕みたいにあの地方へ行ったことがある人には楽しめます。中に釣りのシーンがあるのは、江戸時代に産業として釣りを奨励していた庄内らしい場面です。
こういった武士生活の描写は興味深いのですが、話自体はクライマックスまではそう盛り上がらないので、ディテールの細かさを楽しめない人にはこの映画は辛いかもしれません。
この映画のストーリーは今で言えば、会社の理不尽な命令に生活のため従うサラリーマンの話、といったところでしょう。管理社会が嫌な人にはこの生き方は疑問かもしれません。
もしハリウッドがこの話を作るならば、主人公が会社に従う姿勢を見せながら、最後はだまして敵と共に脱出する話というのもありえます。
もしこの映画がそういった話になったならば、痛快な話にはなるでしょう。しかし、リアリティーという点から言うとどうでしょうか?いかに理不尽な命令であれ、会社員であれば生活のために断る人はそういないはずです。ましてや今は不況で、仕事を見つけにくい世の中ですから、なおさらノーと言う人はいないでしょう。
この映画では主人公である清兵衛の家族、特に2人の娘との関わりを丁寧に描いています。清兵衛は内職をするなど堅実で、無茶はしない(できない)性格として描かれています。そして彼の娘たちは幼くても(昔は年は関係なかっただろうが)手伝いをしたりと健気で、演じる子役もかわいく、この子のためなら何でもしようという気になるのも分かります。
こういったことから、クライマックスになる事件を清兵衛が解決せざるを得なくなる過程は納得できました。家族の姿を丁寧に描いていることで、最後は感動的になります。
クライマックスの決闘シーンは、死力を尽くしたという感じを出そうということで元は長くなる予定だったそうですが、結局かなりカットしたようで、本編では長いとは思えませんでした。
敵役を演じる田中泯という人は前衛舞踏家だそうで、映画は初出演ということですが、とてもそうとは思えない凄味が感じられました。よくこんな人を探してきたと感心します。
僕がこの映画を見たのは、封切り2日目の遅い時間でした。客の入りは全体の1/3くらいで、おじさんおばさんなど年配者が目立ちました。
この入りと客層ではあまりヒットしていないのだろう…と思ったらこの映画、その週の興行成績で1位の「ザ・リング」に続いて2位にランクされていました。
その後もこの「たそがれ清兵衛」は興行成績2位をキープし続けています。「トリック」や「ショウタイム」といった強豪作が並ぶ中で、この地味な映画がここまでヒットするのは意外でした。
と思っていたところで、この映画の公開に合わせたようにNHKで、山田洋次監督が「幸福の黄色いハンカチ」の舞台を約20年ぶりに訪れる、という特番が放送されました。
山田監督は「幸福の黄色いハンカチ」の中で、本当の幸福とは何か、ということを訴えたかったそうです。番組では後に彼が監督した「学校」の1シーンも流され、それは夜間学校の生徒たちが、幸福とは何かを話し合うシーンでした。
僕が「幸福の黄色いハンカチ」を見た(たぶんTV)当時は高校生ぐらいだったのでよく分からなかったのかもしれませんが、山田監督は、人の幸せとは金とか地位を指すものではない、ということをこの頃から訴えていたようです。思えば彼の定番であった寅さんシリーズでも、寅は金や名誉には無縁でしたが、常に理解し、受け入れてくれる家族と友人たちがいました。
「たそがれ清兵衛」でも、主人公の清兵衛は金や地位には関心を払いません。彼にとって重要なのは家族です。山田監督がこの作品を手がけたのは、時代劇という理由よりも、原作が持っているであろうテーマに、彼が前から訴えてきたことと同じものを感じたからかもしれません。
「たそがれ清兵衛」のヒットは、高度成長時代が終わり、大金や栄誉が手に入りにくくなった現在ゆえに、山田監督の主張に共感できる人が増えてきた表れのように思います。あるいは、生活に不満を持っている中でこの映画を見たことで、新しい価値を見出した人が少なくないのかもしれません。
冒頭の方で、娘の「なぜ勉強しなければならないの?」という質問の、清兵衛の答えには納得でした。山田監督はこれを若い世代に言いたいんだろうなあ。
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妻に家出され、死んでしまおうかと軽く考えてしまった梶村祐作(三浦友和)の元に、かつての親友で故郷の臼杵に住む水田健一郎(ベンガル)から、彼の妻が事故で危篤状態なので帰ってくれと電話が入る。28年ぶりに臼杵に帰るところで祐作は、学生時代の自分と水田、そして妹のように思っていた雪子(須藤温子)のことを回想する…。
このところ、いつ上映したのかわからない作品が続いている印象のある大林宣彦監督の最新作は、1970年代の大ヒット曲「なごり雪」を題材にした作品です。
「なごり雪」は元々は伊勢正三が作った歌だそうですが、僕にとってはイルカの方がなじみがあります(カバーだとは始めて知った!)。この歌とお話を絡めようという意図なのか、セリフの中で歌詞の文句をそのまま言うシーンがありますが、強引に作ったように聞こえて、浮いてるように思えました。
またヒロインを始め、キャラクターの多くがセリフを棒読み気味に言っていたのは、監督が何も言わなかったのか、意図的なのか気になったし(観客のおばさんにも言われていた)、キャラクターの感情も理解できない箇所がありました。
とはいえ、話のつくりはリアルな物語なものの、クライマックスで1箇所だけファンタジーになり、それが際立って鮮やかで、また内容も感動的なシーンで、ここは客席から鼻をすする音が聞こえました。
そしてエンドクレジットの最後は「時をかける少女」を思わせたものの、熱いものがこみ上げてしまいました。このクレジットの前のシーンは?という描写だったのですが、このラストシーンのおかげでとても後味のいい映画になりました。
雪子役の須藤温子はひと昔前の少女のような清純さが感じられて、役に合ってました。彼女のセリフは時代がかった感じがするし、思い込みが強すぎて、今なら自爆系に思える怖いキャラですが。
しかし、須藤温子はすでに何年か演技のキャリアがあるはずなのに、この作品では「新人」とクレジットされているのは以外でした。「ゲイザー」とか忘れる気か?
雪子のライバルになる女子大生に宝生舞が扮していて、都会っ子で本人が気づかないうちに田舎を見下している、という役を上手く演じています。しかし彼女は女子大生を演じるにはもはやトシなはずで、アップになるとシワ分かるのはちょっと…。
たけしが、この映画とほぼ同時期に公開された監督作「Dolls」で「日本の四季をちゃんと撮りたい」と言っていましたが、その結果は他の映画でもあったようなただきれいな風景を出しただけにしか思えませんでした。それに対して、この「なごり雪」での街中の竹のろうそく群や、神社から見たかがり火などの風景の方がずっと日本を思わせ、オリジナリティーが感じられました。
この映画の主人公たちは世代的には僕より少し前になります。70年代の描写は古い家屋が目立つ臼杵には似合いの時代設定で、「愛と誠」を思わせるエピソードなどは、チープな描写に時代がかったほほえましい感じがしました。少年である主人公たちがワイシャツの下にランニングを着てる、というのも時代が出ています。
僕がこの作品を見た時は、あと1日で上映終了という日でしたが、客席は満席とは言えなかったものの、最後列から最前列まで必ず誰かが座ってるという、もうじき終わるとは思えない多さの人の入りでした。
パンフも800円というけっこうな額なのに、買ってる人が目立ちました。いい映画と思ったお客さんが多かったのかもしれません。
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2009年の東京では「ブラッドヒート」という麻薬の中毒者が激増していた。米国海軍特殊部隊に属しながら、命令違反で獄中にいたジョー(ケイン・コスギ)は、日本の公安局所属の桂木(哀川翔)に出され、パートナーとなる。彼らはブラッドヒートの流通元と思われる黎建仁(加藤雅也)を追って工場の跡地である無国籍地帯に潜入するが、黎をあと一歩のところで取り逃がし、桂木は捕らえられ、相手が死ぬまで戦う闘技場・マッスルドームでチャンピオンとの格闘を強制される…。
肉体派タレントとして人気のあるケイン・コスギが初めて主演した映画です。彼はジャッキー・チェンに憧れているそうで、今回の映画はジャッキー映画と同様、ケイン君の肉体を強調したアクションがウリですが、彼の格闘シーンはどれもなかなか決まっていて、デビュー作としてはアクションは合格でしょう。
戦闘シーンは全体的に悲しさが漂い、爽快感はあまりありませんが、これは好みが分かれるところかもしれません。
アクションが見所の映画ですが、話の展開に少し意外さがあって退屈はしませんでした。しかし、ケイン君を確実に殺せるところで殺さないなど、ご都合的な描写も目立つ話ではあります。
キャラクターはパターンな感じはありますが、それなりに描けています。でもその中で一番分かりにくいのは、主人公でした。
本編でのケイン君は表情が硬いシーンが多く、あまり喋らないし、セリフは基本的に英語です。これはもしかしたら、彼の日本語が完全といえないためにそう設定したのかと想像します。
それゆえ、アクション以外の部分ではケイン君の存在感が薄くなって、その分敵役を演じる加藤雅也に食われてしまったように見えました。加藤雅也はこの映画では極悪非道のキャラを楽しそうに演じていて、「ブラック・レイン」での松田優作を思わせます。彼はアメリカ版「ゴジラ」などハリウッド映画にも出ているおかげか英語も上手いし、役者のキャリアがあまり無いケイン君が相手をするには荷が重すぎたように思います。
マッスルドームは「マッドマックス:サンダードーム」に出てきた闘技場、サンダードームのパクりに思えます。これがある場所や、英語や中国語が入り混じるのは無国籍な世界観も「マッドマックス」に似た感じがしました。
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結婚を誓った女性(菅野美穂)を振って社長令嬢と結婚式を挙げようとしていた男(西島秀俊)。彼はそこに来た女の友人たちから、彼女がおかしくなったと聞かされた後、教会を飛び出し、女を病院から連れ去る。年老いたヤクザの組長(三橋達也)は土曜日にふと思い立ち、埼玉県にある公園に向かう。彼は若い頃、恋人に弁当を作ってもらいその公園で食べていたが、立派になって帰ってくると言って出たきり戻らなかった。そこには土曜日になると2人分の弁当を持ってくるという女性(松原智恵子)が座っていた…。
国際的に評価の高いたけし映画の最新作は、恋愛がテーマという作品です。
この作品は西島と菅野、三橋と松原、深田恭子と追っかけ男の、3組の男女の話が平行して進み、その話は「人形が見ている夢」だそうです。たしかに映画の多くを占める西島と菅野のエピソードでは、2人の姿と歩き方が人形ぽいし、浄瑠璃が挿入されるカットがあるのでそうだと思えないこともありませんが、全体的に人形のシーンと人間のシーンの結びつきがあまり感じられません。ましてや三橋と松原、そして深田に至ってはもっと人形との関連が分かりませんでした。
この浄瑠璃と話がちゃんと結びついていないように見えて、西洋(賞?)の受け狙いで古典芸能を持ち出したのか?と勘ぐりたくなります。
映画で語られる種々のエピソードは全てを見せるのではなく、最低限のカット割りで語られます。ハリウッド映画が語り過ぎに見えるような、余計なものを削ぎ落とした編集センスはすばらしいと思います。
それゆえ映画は多くを説明しないので、観客の想像力と推理力が試される作品です。特にこの映画はキャラクターが多いのにも関わらず、はっきりした説明があまり無いので、「HANA−BI」なんかよりもキャラの心情が分かりにくくなっています。
たけしはこの映画で、日本の四季をちゃんと撮ろうと意図したそうです。たしかに撮影はきれいで、特にCMでも出てきた、紅葉の中の菅野と西島のシーンは幻影的な美しさがあります。しかし大半のシーンは、桜並木やバラ畑や雪原などにただカップルを入れ込んだだけに見え、きれいだけどイメージ的に面白いとは思えませんでした。
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たけしはどこかの雑誌での、この映画についてのインタビューで、「恋愛も暴力のひとつ」と語っています。たしかに3組のうち、菅野と松原は男によって運命を狂わされてしまうワケで、これは男の暴力と言えるかもしれません。
ラストでの菅野の微笑みは感動的ではありますが、「HANA−BI」でのラストの「ありがとう」と同じパターンのように思いました。
菅野と西島は設定からすればお金は無いはずなのに服がよく変わりますが、どこで調達するのか?と突っ込みたくなりました。ま、夢だからいいということなのでしょう。
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敦賀半島沖で国籍不明の潜水艦が座礁し、乗組員が武器を手に上陸したことが判明する。捜索には警察が当たるが、発砲の許可は下りず、該当の兵士グループに遭遇するも死傷者が出てしまう。自衛隊の出動が検討されるが、法律の不備のためその活動にはあまりにも多くの制限があって決議されない。だが住民にも犠牲者が出てしまい、ついに諸橋首相(古谷一行)は自衛隊の出動を決断する…。
この映画の一番の興味は、もし日本が外国に侵略されたら政府はどう動くのか?というシミュレーションの部分でしょう。国内戦に関する法の不備は「ガメラ」等怪獣映画くらいで細々としか描かれませんでしたが、やっと本格的に描かれるその無力ぶりは見もので、「ケンカもまともに出来ない国」に住んでいることが怖くなります。クライマックスはオーバーに思いましたが、やはり全世界的な危機を描いていた「トータル・フィアーズ」なんぞよりはリアルに思いました。
映画は東京での政治家のシーンと現場での警察および自衛隊の捜索と対決のシーンが交互に進行します。政治ドラマだけなくガンアクションもウリにしたいゆえの構成だと思いますが、自衛隊のシーンは銃撃戦ばかりで代わり映えせず、長く思えました。政治シュミレーションの部分は今まで映画で描かれたことの無いネタなのだから、こちらの方にもっと重きを置いた方がより面白くなったと思います。
それにこの映画での自衛隊の作戦は、やたらと敵に突入するばかりで、これじゃあいかにも犠牲を増やしているように見えます。敵を包囲して逃げられないようにするなど、もっと犠牲を少なくできるような作戦がとれると思うのですが。
この作品にはスマートメディアやPCカードが出てくるし、画像を使った暗号や、暗号送信のメールをデコードして読むシーンがあるなど、日本映画にしては珍しくパソコンをちゃんと扱っている映画です。ただし、ウィルスバスターくらい入れとけ、と言いたくなる間抜けに見えるシーンはありました。
この映画に出てくる敵国は某北国の国名は使わずに、それを思わせる架空の国名を使っています。今現在は某北国と平和条約が結ばれたことでこの映画みたいな危険は多少薄れたように見えますが、相手が相手だから将来もこの条約が続くかどうか分からないので、可能性が無いとはいえない話でしょう。
古谷一行演じる諸橋首相は小泉首相をモデルにしたそうですが、背広でないカジュアルな服を着ているシーンなんかはそんな感じがします。しかし撮影の頃は小泉氏はまだ首相じゃなかったそうで、なった時にはスタッフは驚いたそうですが。
でも今の小泉内閣で、もし某北国との平和条約を結んでおらずに、こんなことがおこったら、この話みたいに前向きに対応していけるのか?と怖くなります。
その心配でもあったのか、小泉首相が力を入れていた有事立法は反対も多いので今だに成立していませんが、この作品はそれに協力しようというプロパガンダ的な作品かもしれません。確かにこのままでは売られたケンカは買えないようですが、今時ケンカを売ってくる国てあるかなあ?
僕がこの映画を見た時、映画館にいた観客はオヤジばかりでした。男の観客が多い映画はヒットしない、と僕は思ってるんですが、拉致問題などで某北国への関心が高くなっているせいか、そこそこのヒットにはなっているようです。
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数十年前に突然映画界を去り、鎌倉で隠遁生活に入った往年の大女優・藤原千代子。テレビプロダクションの社長・立花とカメラマン井田は、彼女のインタビューのためにその家を訪れる。立花は千代子にある「贈り物」を持参していて、それを見た彼女は、それにまつわる思い出を語り始める。彼らはその記憶の中に入り込み、時代を行き来して彼女の生涯を見ていく…。
リアルなストーリーであったアニメーション「パーフェクト・ブルー」のスタッフによる最新アニメムービーです。
映画は千代子の現在でのインタビューと、彼女の記憶にある過去の描写で進んで行きます。そして過去のシーンも彼女が映画女優ということで、その時代での実生活のシーンと、映画で演じた姫や遊女などの演技のシーンが出てきます。
この映画の最大の特徴は、こういった現在過去虚実のシーンが時間軸を無視した形で混じって展開していくために、話が現実なのか幻想なのか分からなくなってくるところです。
映画はそれを現実ともファンタジーとも説明しません。例えば時代劇のシーンなんかだと、カメラを写すカットが無いので、もしかしたらこれは千代子の出た映画ではなく、彼女の前世の記憶なのか?とも思えます。このように映画は、解釈を観客に委ねた形で進行します。
この作品はスピルバーグの持つ映画会社・ドリームワークスが世界配給をするということをウリにしています。たしかにこのトリッキーな構成はアメリカの、短編作品であるようなアーティスティックなアニメが好きな観客には受けるかもしれません。
また予告編ではこの作品が、名前を忘れましたが何かの賞を「千と千尋の神隠し」を退けて受賞したことをウリにしていますが、メジャーなジブリ作品よりも、こういった単純でない話の方がクロウトに受けるのかもしれません。しかし、時間軸どおりに進行していく映画に慣れているであろう一般の人たちには、取っつきにくい作品だと思います。
映画には過去から未来?まで色々なシーンが入れ替わり出現しますが、その変わりめのタイミングがとても気持ちがよく、全体的にいいテンポを作り出しています。特に立花と井田が千代子の思い出のシーンに入り込み、彼女を追いかけるといった、彼らが直接過去の出来事を見ていくという形は、単純な回想で済ませない、今までの映画に無い面白い見せ方で感心しました。それによって千代子の視点と、観客の代表となる彼らの視点の両方を描けるのも上手いやり方です。
立花の声を演じているのは、古くは「超人バロム1」のドルゲや「機動戦士ガンダム」のリュウなど、数々の悪役や太い声のキャラを演じてきた声優界の大御所・飯塚昭三氏です。この作品では脇役が多い印象のこの人には久々?に出番が長く、社長だけでなく武士やヤクザの演技も見せてくれて、飯塚節(あるのか?)炸裂という感じです。この作品の主人公は千代子ではありますが、彼女は少女期から老人期まで出演の年齢が幅広いために3人の声優が年齢ごとに演じているので、この作品の中の声優一人の出演時間では、飯塚氏が一番長いかもしれません。
映画で気になったのは、千代子が追いかけることになる男に、命を賭けるほどの魅力が感じられない点でした(山寺宏一だから声はいい)。なので彼女を応援する気になれず、何やってんだこの女?と思ってしまいます。
とはいえ、宣伝コピーに「その愛は狂気にも似ている」というのがありますから、そう魅力的でもない男を追いかけてしまう千代子の愚かさを出そうという意図で、男の描写を重くしなかったのかもしれません。
千代子が映画女優ということで、本編には時代劇やSFなど、色々な映画のシーンが出てきて、元ネタを推理する楽しみがあります。特に「蜘蛛巣城」は一番分かりやすいネタでしょう。怪獣映画もあります。
話は分かりにくいものの、ラストはそれなりに感動的で、見終わった後は爽やかな感じの作品です。
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日 本 鬼 子 |
満州事変から終戦まで、第2次大戦中の中国内地で日本軍がやったことを、従軍していた元日本兵14人の証言でたどっていく、インタビュー集です。
各人の証言の間に、歴史の流れが新聞記事とナレーションで紹介され、時代の流れが分かりやすい構成になっています。
タイトル「日本鬼子」は、日本兵によって体の不自由な親を井戸に投げ込まれた中国人が叫んだ言葉から取ったようですが、その言葉通り、話されている内容は非戦闘員への略奪、虐殺、輪姦、破壊などセンセーショナルなものです。
内容が内容のせいか、ロードショー時はろくに宣伝もされないで、渋谷で細々と上映されていた映画です。
「プライベート・ライアン」や「ワンス&フォーエバー」などの戦争映画でも悲惨な描写がありましたが、その描写は戦っている兵士たちの犠牲についてで、民間人に危害を加えた描写は無かったと思います。
しかし、もしこの「日本鬼子」の内容を「プライベート・ライアン」みたいに再現したとしても、(予算の問題はともかく)かえって輪姦や虐殺などの描写のセンセーショナルさだけが話題にされてしまい、その責任や倫理といった一番問題にするべきテーマがかすんでしまうでしょう。なのでこういった、証言の形の方がより本質が見えやすいと思います。それに、こういった実際にあった凄惨な出来事は、ヘタにドラマで再現するよりも、実際にそこにいた人の証言の方がリアルな感じがします。
そういった意味で多くの人に見て、戦争というものを考えて欲しい映画です。
証言者の中には、人を殺したことを笑いながら話してるように見える人もいて、言葉で反省を言っていても、自分の中ではその自覚があまりないように思える人もいました。これが、大勢の人を殺しても正当化されてしまう、戦争の怖さなのかもしれません。
「エス」でも描かれているように、人間は強い集団に属したり、武力を持ったりして自分が絶対的に強い立場に立つと、他人を虐げたり、弱いものを欲望のはけ口にしたがる存在なのかもしれません。
これらの「蛮行」は、もし兵士たちが躊躇すると、仲間たちや上官から意気地なしと見られ、仲間はずれにされるのが怖いからやったと言っています。これはまるで、今で言う「いじめ」と体質が同じように思います。やはり日本人て昔から変わらないのか…。
証言の事例には当然、南京大虐殺が出てきます。これの犠牲者の数について諸説がありますが、「数の問題ではない」というナレーションの通りです。「無かった」という人の主張が何を根拠に言っているのかは知りませんが、現に日本の新聞に「100人斬り」なんて記事もあるのに、否定はできないでしょう。
証言者の中には、あの731部隊で少年兵として配属された人もいて、そこで行われた生体解剖の実態を生々しく語ります。731はノモンハンでペスト菌をばら撒き、日本軍の間で多大な感染者を出してしまったそうですが、結果的にこれが世界で初の細菌戦となったのは始めて知りました。
この作品で証言をしている人たちは、戦後に中国で捕虜になった人たちです。中国は戦犯の人たちを刑務所には入れたものの、誰も死刑にしなかったそうです。この処置は兵士たちがやったことに対してえらく寛大に思え、もしかして証言者たちは中国に洗脳されていたのか?とも勘ぐりたくなりました。
しかし日本に帰ってきた彼らは当時周囲から同じように思われて、まともな仕事につけなかったそうです。そう思ってしまうこと自体、自分が日本のマスコミに洗脳されているといえるかもしれません。
それにしても、この時代に生きていなくて良かったと思います。自分なら疑いを持っても、やっぱり同じことをしてしまっただろうなあ…。
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ムチャクチャな話だった「発狂する唇」の無軌道ぶりが受けたのか、その続編的作品で、脚本の高橋洋、監督の佐々木浩久など、スタッフは「発狂する唇」とほぼ同じです。
今回も当然、話に論理的な展開などなく、あらすじをここで書いても無意味なのでやめておきます。ともかく歌(特撮ファンは注目!)あり宇宙人ありインディアンあり刑務所ありカンフーあり人形ありと、前作以上に中味はバラエティに富んでいるというか、脈絡無いものが揃っています。
また、「UFOのことを尋ねた黒服の男たちにゼリーを出したら妙な食べ方をした」など、かつての「木曜スペシャル」的エピソードや、「遊星よりの物体X」や「リング」などの映画を思わせるシーンなど、超自然ネタが所々散りばめられて、そのテの話が好きな人には楽しめます。
この映画の正しい見方は、話の壊れぶりを楽しむことでしょう。「母親が子供を誘拐した犯人の家に行って、何で選挙運動の演説をやる?」みたいに、オイオイ!と突っ込み入れながら、友達と見るといいかもしれません。タイトルの意味が不明であるところも「発狂する唇」と同じ感じです。
ただ「発狂する唇」を見ていれば、こういうものだと受け入れやすいでしょうが、見ていない人には中味についていけなくて辛いかもしれません。
この作品でも「発狂する唇」のキャラが再登場しています。FBI?の成本とルーシー役の阿部寛と栗林知美のコンビの登場はうれしくなりました。彼らは「発狂」では死んだことになっていたと思いますが、細かいことは気にしちゃいけません。女霊媒師とその「使い魔」も登場します。
また「発狂」とキャラクターは違うけど、同じ役者が出演していて、三輪ひとみ(今回は歌わない)や諏訪太朗がそうです。特に諏訪のシーンは笑えます。
今回は「回路」の監督・黒沢清と「リング」の監督・中田秀夫がゲスト出演しています。やる気があるのか無いのか分からない脱力的な怪演は見もの?でしょう。
主演は「発狂」には出ていない、初お目見えの中村愛美です。彼女はTV「GTO」で人気が出て、「ガラスの仮面」では主役のライバルというポジションまで登ってきたのに、ブルセラ疑惑に祟られたのかこのところ全然名前を聞かなくなりました(パンツ売ったくらいで芸能界をホされるのも可哀想)。その彼女を主演に持ってきたのは、確信犯のように思います。三輪ひとみほど自然ではありませんが、それなりに熱演というか怪演を見せてくれています。
これらのキャラは端役でもみんな関連していて、最後にはそれなりに話がまとまるのは良心的に思いました(壊れっぷりが中途半端とも言えるか…)。
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アンティークトーイが並ぶおもちゃ屋。少年(忍成修吾)と修理のおじいさん(麿赤兒)が働いているその店に、サングラスをかけた若い女(田中麗奈)が現れる。少年がブリキのおもちゃの説明を終えると、彼女は不可思議な出来事を語り始める。それは彼女が幼い頃森の中にいた、いかなる物でも直してしまう玩具修理者の話だった。その「ようぐそうとほうとふ」と呼ばれていた姿を現さない存在に、彼女は重大なことを頼まなければならなくなった…。
田中麗奈主演の全尺47分の小品で、渋谷のQフロントで期間限定として2週間だけ上映された映画です。
クライマックスといえる、中盤の玩具修理のシーンはほとんど音楽のみで進みます。玩具修理者は宝塚出身の姿月あさとが演じてることになってはいますが、その姿は人間であるようだし、そうでないようにも見える、ぼかした形で描かれています。しかしこの見せ方が流麗なBGMと相まって、幻想的な雰囲気が上手く出ています。
玩具修理者の声を演じているのは美輪明弘ですが、そのモノローグはある時は感動的、ある時は怖くという感じで、美輪氏の中性的な雰囲気が上手く生きていて、これが玩具修理者の不可思議さを一層強く印象付けています。
またこいつの住む森の中の小屋は、ブリキを組み合わせたようなレトロチックなデザインで、どこか懐かしくも不思議な感じがしました。
こういった描写のおかげで、この映画は全体的にファンタジーの雰囲気が漂う作品になっていて、ハデな特撮(CGは多少あり)が無いせいか「世にも奇妙な物語」似た感じがしました。話のテンポはゆっくりめなのですが、かえって合っている感じがします。
雰囲気はファンタジックですが、話自体にはスティーブン・キングぽいグロさがあるし、ラストカットは一転してギョッとさせてくれます。ま、ネタの想像はついてしまいましたけど。
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地球光 月光蝶 |
テレビ放映されたアニメ「ターンエーガンダム」を劇場用として、「地球光」「月光蝶」のタイトルの2部構成で、全編4時間ほどの長さに再編集した作品です。劇場公開時は「サイマルロードショー」という方式(なんのことかよく分からん)で、どちらかを日替わりで上映していました。
今回の作品の舞台は以前に作られた「ガンダム」より何百年あるいは何千年か後の世界で、人類の文明は一度壊滅しており、前の文明は「黒歴史」と言われて封印されています。映画での地球の文明は飛行機が発明された頃のような水準で、そこに月に別れて住んでいた人類が地球に移住しようとして攻めてきて、地球側がミリシャという軍隊を組織して、地下に埋もれていたモビルスーツを発掘して戦う話です。
ミリシャが発掘した宇宙戦艦が飛び立ち、禁断の地で発掘されてしまった核兵器が爆発するまでが「地球光」。ミリシャが宇宙に出て、月の武闘勢力ギンガナム家と戦うところから、ターンエーガンダムと兄弟機ターンXガンダムとの最終対決までが「月光蝶」という構成です。
この「ガンダム」はファーストガンダムを作った富野由悠季が総監督ということで、正統派「ガンダム」と言えるかもしれませんが、前のガンダムと共通しているのはザクやカプールなどのモビルスーツの登場だけで、ニュータイプは出てきません。
宇宙世紀から長い年月が経っているという設定は「ガンダム」が好きな人なんかには思いつかないであろう大胆な発想だと思います。18世紀のアメリカのような一見のどかな風景の中にモビルスーツの戦闘が出てくるのは、ガンダム版世界名作劇場とも言いたくなります。この世界観は独特ではありますが、面白味は感じられません。
戦闘シーンもファーストガンダムみたいな必然は感じられず、付け足しのように見えて、何をやりたいのかわからない話です。
月にいろいろな勢力があったり、初め主人公の味方になっていたグループが敵の一派と手を組むなど、勢力が入り乱れる展開は富野作品ぽい感じがします。時代が経っても、人はやはり変わらないことを言いたいのでしょうか?
この作品はTVを再編集しているので、キャラクターがいっぱい出てきます。メインのキャラは見てるうちに把握できますが、あまり頻繁には登場しない現場の兵士などは、これ誰?と思うキャラもいるし、いきなり新キャラが登場して戸惑う箇所もあります。
この作品のメカデザインには、「ブレードランナー」や「エイリアン2」での超有名デザイナー、シド・ミードを起用しています。「Zガンダム」の時にこの人が何点かイラストを描いていたゆえの人選でしょう。
ガンダムシリーズの基本デザインは大河原邦夫氏ですが、後のシリーズの「Z」では永野護氏、「ZZ」と「逆襲のシャア」では出渕裕氏を起用するなど、各々の「ガンダム」で新しい人を入れていて、今回の人選もその路線に沿った、意欲的なものと言えます。
ただしシド・ミードは元々工業デザイナー畑の人のせいか、2脚のモビルスーツなど、そのメカはアニメに起こすとかっこいいとは思えません。アニメよりもむしろCGのような実写的な表現に向いたデザインでしょう。
戦闘シーンに時々違和感はあるものの、ターンエーガンダムが飛び出した2本のビームサーベルを空中で受け取り、モビルスーツの脚を一瞬のうちに切り裂くなど、部分的にはかっこいいシーンがあります。
また、ターンXの胴体分離はジオングを思わせる面白いギミックでした。最後の「繭」は何なのかよく分かりませんでしたけど。
黒歴史を映写するシーンでは、コロニー落としの映像、ダブルゼータの合体などいろいろな映像が流れていましたが、その中には富野氏の作品ではない、「ガンダムX」もあったように見えました。
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卓球が超得意な高校生ペコ(窪塚洋介)は高校にはあまり行かず、卓球初心者に勝負を挑んでいる。彼と幼ななじみのスマイル(ARATA)はペコと同じ卓球部に所属しているが、実力はあるものの「卓球なんて死ぬまでの暇つぶし」と言って真剣にやろうとしない。2人はインターハイに出て、ペコはもう一人の幼ななじみで、ペコを追い越すべく猛練習をしたアクマ(大倉孝二)と対戦することになる。初めは余裕をかましていたぺコだったが…。
松本大洋原作のコミック作品を、脚本が「池袋ウエストゲートパーク」や「GO」の宮藤官九郎、主演が「GTO」や「GO」の窪塚洋介で映画化した作品です。
「GO」がそうであったように、さすがに宮藤官九郎のセリフはイキの良さがあって、映画に独特の雰囲気が出ています。特に英語の使い方なんか、頭の固いシナリオライターには真似できないでしょう。
僕はこの映画は宮藤官九郎と窪塚洋介の、「GO」コンビで期待はしていましたが、監督の曽根氏はこの映画が初監督作品なので、どういう仕上がりになるのか?と見る前は頭の中で疑問符をつけていました。しかし完成した映画はテンポも良く、楽しく見られる形になっています。
ただし、気になった部分はクライマックスで、同じアクションを2回やってるような感じがしました。話の整理はかなりされていて見やすくなっていますが、もう一息がんばってほしかったと思います。
この映画で一番印象に残るのはキャラクター達でしょう。破天荒なペコ、自分を抑えるスマイル、激情家のアクマ、静かな闘志を持つドラゴン、といった感じにキャラの描き分けがちゃんとされており、キャストもみんな合っています。
この中ではやはり、主人公のペコが独特の言動で一番目立ちます。今一つ掴みどころのないキャラという感じもしますが、窪塚洋介は合っています。
天才ばかりのキャラの中では、自分の限界に気づいてしまうアクマの存在が効いています。天才でない故にペコ達に影響を与え、後半では彼自身の下した決断によってかえって彼らと対等になってしまう展開は、どこか皮肉な感じがします。
チャイナは、自国の落ちこぼれという感情がもう少し見えてほしいと思いました。彼を香港で大スターのサム・リーが演じるというのは意外でしたが、「無問題2」といい、この人は日本と関わる仕事が好きなのかなあ。
竹中直人演じるコーチは、話し方が独特なキャラで面白いのですが、昨年公開された「ウォーターボーイズ」でも彼はコーチ的な役を演じていたので、役がカブって見えました。
この映画は天才の「努力」を描いています。いわゆる「スポ根もの」に分類していいと思いますが、これまでのスポ根ものは、努力を見せないことがかっこいいという感じで描いていたように思います。しかしこの作品で見られるように、今は再び「努力」がクローズアップされる時代になってきたのかもしれません。
曽根監督は「タイタニック」などの映画のVFXスタッフ出身で、今回の作品の目標はCGに見えないCG作品を作るということだったそうです。一番多く使ったCGカットは卓球の玉だそうですが、役者と玉を打つタイミングの絡みなどを考えれば、確かにCGの採用がベストでしょうし実際、完成した映画での卓球はCGとはほとんど分かりません。言われてみれば、サントリービールのCMにあった豊川悦史と山崎努の卓球の戦いでも、玉はCGで作られていました。
他にも試合場の観客など、合成やCGを使ったシーンがあるそうですが、ほとんどがCGと言われないと分からないシーンであったのには、監督の目標は達せられたと言っていいと思います。
映画に若い男はいっぱい出てきますが、お姉ちゃんはあまり出てきません。その中で「死びとの恋わずらい」や「生霊」の三輪明日美が、意外な役で後半に登場します。優等生役が多い彼女のイメージを覆すような役のせいか、クレジットを見るまで気づきませんでした。
この映画は「スター・ウォーズ:エピソード2」や「模倣犯」で使われた、ソニー製のデジタルカメラ・HP24で撮影されています。しかしこれらの映画ではあまり意識しなかったのに、この「ピンポン」では画面がデジタルくさい質感に見えました。
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江戸時代の深川にあった岡場所、その一角の店で菊乃(清水美砂)やお新(遠野凪子)は夜な夜な客を取っていた。ある晩、店に若侍(吉岡秀隆)が飛び込んでくる。お新は、喧嘩で人を切って追われているという彼をかくまう。その後若侍は謹慎という身分にもかかわらず度々店に来てお新に会うようになる。菊乃たちは二人の仲を応援しようと、お新に他の男の相手をさせないようにする…。
故黒澤明が残した、たぶん最後のシナリオを「日本の黒い霧」などを監督した熊井啓が映像化した作品です。
宣伝で「黒澤が作りたかった映画はラブストーリーだった」というキャッチを使っているように、この作品はラブストーリーという売り方をしています。確かにこの作品、遊女の恋の話ではありますが、彼女が常に話の中心ではありません。むしろ、彼女を応援する菊乃たち他のキャラクターが話を進めるシーンもあったりして、この映画はラブストーリーというより、ヒロインの力になろうとする周りの人々の人情を描く話です。原作は山本周五郎ですが、やはり山本周五郎的人情話というべき映画でしょう。
この作品は山本周五郎の2つの短編を1つにしたものだそうですが、この構成は納得のいく形でした。ただ、話のつながり具合が変に思えるシーンが少しあるし、眠気を感じた展開もあります。しかし、ラストの方は感動的なシーンがあって、そう悪い出来ではありません。
オープニングは模型かCGによる、岡場所の超ロングの俯瞰から始まり、スケール感が出ていますが、映画の中で地理関係が分かるシーンはここだけでした。外景を見せるべきシーンではそういう風景が出ないし、クライマックスでの洪水のシーンでは川の流れや海と岡場所との位置関係を分からせるカットがなく、海、あるいは川の水が岡場所に明らかに流れ込んでいると分かる描写が無いせいか、増水の危険が感じられません。セリフで一応、どうなってるかという説明があるので状況は把握できますが、こういう時にこそ合成シーンを使って映像で説得性を補うべきでしょう。予算をケチったのかな。
合成といえば、後半でお新と菊乃が屋根に登っているシーンは、ブルーバックの青色が役者の肌のエッジに少し残っているおかげで、合成と分かってしまいました。ま、こういうのが当たり前だった一昔前の、オプチカルによる合成よりはましな感じですが。
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女性教師・佐藤静香(中村麻美)は2月前に、海の見える塩津小学校に転任してきた。クラスの最年長の生徒である好平は最近窓の外ばかり見ていて、聞いてみると沖合いに白い船が見えると言う。初めクラスメートたちは半信半疑だったが、彼らも白い船を見て、静香は好平に、船の船長に手紙を書くことをすすめた。好平たちの、船に乗りたいという思いは強まる一方で、彼と2人の友人はある作戦を決行する…。
島根県にある、塩津小学校で実際にあった出来事の映画化だそうです。
ここには都会では希薄?になっている「地域」や「親子」のつながりがまだ生きています。子供のことを真剣に考える教師や親たち、大人たちの思いやりが、大きな奇跡(子供たちにとってはそうでしょう)を起こし、クライマックスはこの人たちの「つながり」が見事に表現され、涙が出てきました。
親子などの今を生きている人々だけではなく、この映画では彼らと先祖との連綿としたつながりもちゃんと見せています。それを表しているキャラが大滝秀治演じるおじいちゃんで、この人の存在が映画を一段と感動的なものにしています。
あいさつをはっきりする子供たち、友達とさざえを採り食べる子供たち、娘を総出で見送る一家など、本筋には関係ないような、ささいなシーンがとても安らぐ、うらやましい光景に見えました。
今PS2のゲーム「ぼくのなつやすみ2」が大ヒットしていますが、それもこういった、人とのつながりが確かだと思えるシーンがあるゆえでしょう。
都会で生きる人々にはこういった光景は郷愁になってしまっているかもしれませんが、映画の舞台である島根県なら、まだ生きているであろう光景です。
主人公を演じる中村麻美は「富江」以来名前を聞きませんでしたが、彼女以外の出演者は、大滝秀治を始め長谷川初範、田山涼成、尾美としのり、竜雷太、中村嘉葎男、白石美帆(バラエティの人かと思っていたけど、意外に上手い)、などけっこう豪華です。
僕の両親がこの塩津の対岸にある隠岐の島の出身で、この作品のロケが行われた平田市や松江には親戚が住んでいることもあり、この地方はなじみが深いのですが、塩津は行ったことはありません。
でもやはり同じ島根だけに、漁港の雰囲気、そして何と言っても島根の海のきれいさが映画ではよく出ています。島根県を知ってる人は必見の映画でしょう。
映画やTVで、きれいな海というのは沖縄や小笠原など、南の海がクローズアップされることが多いものですが、日本海ってこんなにきれいな海だということがよく分かります。
話に悪人がいないせいか、安心して見れる映画です。ま、美談過ぎる感じも少しするのですが(きっと都会に生きている?ヤローのひねくれた見方だ)。
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70年代前半、日本ビクターの開発部門に勤務していた加賀谷(西田敏行)にVTR事業部長への異動命令が下される。その直後、全部門へのリストラが言い渡されるが、加賀谷は部下を守り抜くため、本社に極秘で家庭用VTRの開発を始める。そんな中、ソニーがベータマックスを発表し、業界と通産省は家庭用VTRの企画統一に傾くが、自分たちが開発した製品の良さを信じる加賀谷はあきらめなかった…。
NHKの「プロジェクトX」で大いに泣けたエピソードである、VHSビデオ開発の逆転劇の事実の映画化です。この映画での原作は「プロジェクトX」でない別の本になっていますが、企画が「プロジェクトX」の後だし、それを当て込んだものに間違いないでしょう。
そうと分かっていても、予告編で「プロジェクトX」の主題歌である「地上の星」のメロディが流れたのには、あからさま過ぎて呆れました。ま、本編でこの曲が流れなかったのは安心しましたが。
事実がドラマチックだけに、お話自体は楽しめますが、今ひとつ盛り上がりに欠けます。
また、主人公である加賀谷の描写は、家庭を描いたりして厚みを出そうとしていますが、話で一番肝心な、彼がビデオ事業部を潰さないよう奔走した理由が分かりませんでした。彼は自分で技術屋と言っていて、管理に回るのを嫌がってたのに、実際ビデオ事業部に来てみると指示をいろいろ出したりして、家庭を犠牲にしてまでも頑張ります。これが「優秀な技術者がそろっていた」だけの理由ではあやふやです。
また、本来の話ならチームワークでやったであろうことが、加賀谷など個人の功績のように描いているのが、いかにも映画ぽい、作ったような描写で気になりました。
とはいえ、ラストは泣いてしまいました。週刊誌の記事なんかでどういうシーンになるのか想像はついていたのですけど。
でも「プロジェクトX」の方が、泣きの度合いはもっと高かったように思います。
緒方直人が重要なキャラを演じていますが、営業を嫌がりながらも行って、その現場で得たヒントをVHS開発陣に教えてあげるくせに、そこを自分から離れてしまうのは、何を考えてるのか分かりません。
また、彼の恋人となる女性を篠原涼子が演じていますが、このキャラが何のためにいるのか分かりませんでした。彼女はソニーの人間という設定なので、VHS開発や規格統一の動きには部門が違っているかもしれないけど、無関心ではいられないでしょう。しかしそういうシーンは全く無くて、無意味な設定です。映画に女性が少ないから出しただけかなあ。
この映画は川崎の映画館で、上映最終日の最終回に見たのですが、劇場は小さかったものの立ち見が出るほど満席でした。最終日だから空いてるに違いないと思っていたので、この込みようは以外でした。
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4人の少女(飯田圭織、後藤真希、矢口真里、辻希美)が卓球をしているが、いつも5打目で止まってしまう。同じ頃、今日で退職する会社員(仲本工事)は若い同僚とスーパーにあいさつ回りに行く。バスに乗った予備校生(山崎裕太)は年寄りに席を譲るべきかどうか迷う。バイクで女の子にモてたいと願う若者は中古ショップで15万の値札を張られたバイクを見つけるが、店主は彼の目の前で値札を剥がしてしまう。病院を退院していく女性を弁護士(風間トオル)が意味ありげに見つめていた…。
モーニング娘の4人が演じる卓球の話に、それと関係ないように見える別の4つの話が交互に並行して進みます。しかし中盤になって、それぞれのエピソードがこの4人の少女たちの背景を語る話につながり、彼女らが卓球をしている場所が、ある特殊な施設であることが分かります。
関係ない話が並行して進むパターンといえば、「マグノリア」を思い出します。しかしあの映画では、各々のエピソードをつなげる出来事にかなりの無理を感じました。その点では、この「ナマタマゴ」はバラバラに見えた話が気持ちよく繋がってくれています。
とはいえ、メインである4人の少女たちの背景には辛いものがある設定なのですが、演じるモーニング娘の彼女たちは、そういう辛さを背負ってるようには見えません。この作品はモーニング娘の違う魅力を引き出そうと狙った企画のようですが、ミスキャストです。
それに、この作品は1時間半弱の長さですが、それでも間が長いシーンが多いと感じました。60分くらいにするとちょうどいいように思います。
また、この場所にこの人がいるのはおかしい、とか、知らないはずの人間に何でそこまで入れ込むのか?というような、設定に無理があるシーンも見られます。そのため、ラストは感動的に描かれているものの、違和感を持つだけでした。
この作品は普通の劇場ではなく、ナントカ会館といった、地方上映のみの形で公開された作品です。ま、このクオリティじゃあ劇場公開したところで2週間くらいで終わってしまったかもしれないから、それでよかったかもしれません。
飯田、後藤、矢口、辻のファンだったら見ても楽しめるであろう作品です。
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小説家・佐藤英一(田口トモロヲ)は実家の仏壇から骨壷と父の日記を見つける。彼はアパートに戻り、骨壷に入っている骨を並べてみるが、それは子供の骨らしかった。そして骨壷に自分の生年月日と同じ日にちが刻まれているのを見つける。やがて彼の体に異変が起こり始める…。
人柱や呪いといった、謎の出し方には興味を引かれました。しかし話が進むに従って現実か幻想か区別ができない話になり、何をしたいのか分からない映画になってしまってます。
ジャンルとしてはホラーということで、怖そうなシーンも出てきますが、話に意味があると思えないし、全体的にそう怖くもありません。
長さは1時間半もない映画ですが、それでも間延びするシーンが多くて退屈しました。
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最 終 章 禁 断 の 果 実 |
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いじめられっ子の登美恵(宮崎あおい)は母を亡くし、父・和彦(國村隼)と二人暮らし。そんな彼女の前に富江(安藤希)が現れ、友達が欲しい登美恵は彼女の虜になる。そして富江は和彦と2人きりになった時、25年前の自分が帰ってきたと言う。富江に好かれようと努力する和彦に、「あの頃に戻りましょう」と、娘の殺害を富江はそそのかす…。
シリーズ?第4作となる今回は「最終章」とつけられています。しかし、劇場に客が入る(東京で1館だけの公開なのでムリだろう)、あるいはビデオの回転率が良ければ、まだ続けることでしょう。
このシリーズはたいがい、富江を巡って男が争う話になりますが、今回は富江と、かつて彼女を愛したことのある父親、そして富江と同じ名前を付けた彼の娘、の三角関係の話になっていて、この点は今までのシリーズと違って面白くなりそうに感じられました。
しかし、富江を巡って父娘でバトルロワイアルをやる話になるのだろうと思ったら、そうではない大人しい話になっているのは、話の方向が違うように思います。
富江の出現で、父親の和彦が変質するのはいいのですが、娘の登美恵の性格が最後まで、ほとんど変わらないのはがっかりでした。
パンフやチラシでの、宣伝用に撮られた宮崎あおいの写真を見ると、もっと富江に近づく、怪物化した演技も出来そうに思います。
また彼女の行動に関しては、何でこんなことをする?と思うところがいくつか見られました。父親は娘に比べると登場時間は少ないように思いましたが、彼の方が行動に一貫性が感じられます。
怖くはないし、話は淡々と進むものの、前のシリーズでも見られたようなシュールで笑えるシーンは入っているし、美少女2人でそれなりに画面が華やかになっているせいか、退屈はしませんでした。
富江役の安藤希は「さくや妖怪伝」では正義のヒーローを演じていましたが、今回の演技が「さくや」よりはましになってるように思えたせいか、悪女役の方が似合ってるように見えます。前作の酒井美紀よりは、彼女の方が富江に合ってるように思いました。
登美恵役の宮崎あおいは「EUREKA」や「パコダテ人」などで評判がいい若手女優ですが、今回は気の弱い少女を好演しています。でも、狂気的な演技も見たかったなあ。
特撮はCG合成を結構使っていていますが、そういうシーンになると画質がビデオぽくなるのは違和感があります。しかし合成が多いおかげで、富江が首だけのシーンでも安藤希の表情が出ているので、絵づらはリアルです。
この作品のパンフは折り畳み形式で、プレスシートみたいに薄いくせに700円でした。全部広げると、裏?面が安藤希と宮崎あおいのオリジナルポスターになるからこの値段なのかもしれませんが、高い!
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後半で、和彦が娘のいじめっ子たちに金属バットで殴りかかります。彼の気がふれているということで、分からないことは無い展開ですが、彼と彼女たちには直接の関係は無いのだから、ここで彼女たちを殴るのは娘の登美恵であるべきだと思います。
ここでいじめっ子たちは、骨を折られたりして半殺しの目に合いますが、こんなことをされて警察に訴えないのか気になりました。ラストで娘はいつも通り平凡な生活に戻っていますが、いくら娘がいじめられていたとはいえ、父親が他人の娘に怪我を負わせたのなら、近所から奇異な目で見られることになったりして、今まで通りに彼女がこの家に平然といられるのか?と疑問に思います。
なにより新宿のシーンで、彼女は全財産を使ってしまったはずなのに、生活をどうするんだろう?
富江の氷柱はやはり出てくると思いましたが、それを前に、父娘でポテトチップを食べるシーンはシュールで、どこかほのぼのとしたシーンでした。
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滝(永島敏行)は湯殿山の山麓にある寺、弥勒寺に伝わる古文書から、幽海上人なる僧侶の即身仏=ミイラがあるという記録を見つける。彼は不倫相手ケイコ(永島暎子)の父親で、会社社長である淡路(織本順吉)にミイラ発掘のスポンサーになってくれるように頼みに行く。その時淡路は、白装束の僧侶らしき人物が持ってきたという手紙を受け取るが、それにはミイラの手が同封されていた。その手紙とミイラに顔色を変えた淡路は、手の平を返すように発掘のスポンサーにはならないと言い放ち、懇願する滝に耳を貸さない。だがその後、淡路は風呂に入ったまま、独鈷所で額を貫かれた姿で発見される。その傍らにはミイラの手があった…。
事件に田舎のいまわしい言い伝えとか、近親相姦とか、秘密にすべき出来事などのエピソードが絡んできて、横溝正史的なドロドロした雰囲気を狙ってるような作品です。
しかしこの映画には金田一みたいな探偵は出てこないし、犯人はお前だ!というシーンもありません。警察はもちろん出てくるものの主人公ではありません。事件を明らかにするのは、それに巻き込まれた大学助教授です。
そして事件を解決してもめでたしめでたしにはならず、メインのキャラクターは終いにはほとんど死んでしまいます。
人間の業とか因縁とかを描きたい話なのでしょうが、主人公を始めとして、全てのキャラが自分勝手で同情もできず、いくら悲惨な運命でも、かわいそうという気持ちにもなりません。最後の方でのキャラの死は、あっけなさすぎて笑ってしまいました。
長いし(もっと切れる)、爽快感も無く、暗い映画です。
音楽もまた陰鬱なフレーズで、雰囲気の暗さに貢献していますが、同じ曲を繰り返し流して、1曲しか作っていないようで貧弱です。
昔(今もそうか?)の日本映画は、編集が終わった一番最後の工程で音楽を入れていたせいか、スケジュールが無くなってしまったゆえにこれでいいや、と妥協したように想像します。
この映画には子供が人を殺したり、子供がレイプされるシーンが出てきます。今こういう描写を出すと問題になりそうで、時代が感じられますが、見ていて不愉快にはなりました。
映画の冒頭には、湯殿山神社のご神体の湯の山(本物は撮影禁止なので模型でしょう)やその近辺にあるであろうミイラが何体か出てきます。それらに関連するシーンが映画の中にあるのかと期待したのですが、イメージ的な扱いでがっかりでした。
ビデオには冒頭に予告編が収録されていて、羽黒山みたいな場所で撮っているシーンが結構ありました。本編にはここが出てくるのかと思ったのですが、角川映画の予告らしく、これらは本編には出てこない、イメージ映像というのにもがっかりです。
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ヴァーサス |
この世とあの世をつなぐ結界は666箇所あり、その場所に入った者は強大な力を得られると信じられていた。444番目の結界は「黄泉がえりの森」と呼ばれ、侍の時代から、力を求めて多くの人間が殺しあってきた。その森を、刑務所を脱獄した2人の男がさまよい、迎えの仲間がいる場所に来る。だが彼らは誰かを待っていて、しかも無関係な女を連れてきていた。脱獄囚の一人(坂口拓)は彼らの態度が気に入らず、突きつけられた銃を一瞬の隙を突いて奪い、一人を射殺する。残りの男たちは彼に銃を突きつけるが、その時、撃ち殺されたはずの血まみれの男が立ち上がり、彼らに襲いかかってきた…。
予告編のコピーが、「脱獄したプリズナー」「絶対に負けないヒーロー」「記憶のない女」「4人のレザボア」「3人のアサシンズ」「2人の必殺処刑コップ」「全てを知る不死身の男」そして「全員が、戦う」と続きます。
これらの言葉どおりこの作品は、こういったキャラクターが予告の最後「それは、終わりのない戦い」のコピーの通り、初めから終わりまで、ひたすら戦い続ける映画です。
結界とか不死の血とかのお話が出てきますが、それらは彼らを戦わせる舞台の設定に過ぎず、あまり意味はありません。
しかし戦闘が続くだけあって、この作品のアクションは半端ではありません。銃はもちろん、刀や格闘、そしてワイヤーアクションまで多彩なバリエーションが飽きさせないし、そのテンションは初めから終わりまで落ちることはありません。
さらにこのアクションにゾンビが絡みますが、この映画のゾンビは他の映画のように愚鈍ではありません。「ハムナプトラ」のミイラみたいに動きが素早いし、銃をガンガン撃ってきます。こんなゾンビを見たのは始めてで、なんでここにゾンビが出てくる、なんて疑問も忘れて楽しめます。
また映画のメインの時代は現代ですが、予告編の一番最初のコピーである「時空を超えた、宿命の決戦」の通り、時代劇や、近未来SFぽいシーンも出てきます。
こういった風に、この映画はいろんな要素をごった煮に詰め込んだ作品です。こういう映画はたいがい、詰め込みすぎの結果、製作者の独りよがりの出来になって楽しめないことが多いですが、この映画は「そんなことあるかよ」という突っ込みも含めて、たっぷり楽しませてくれます。
この作品にはキャラクターの名前はほとんど出てきません。アクションが連続するこの映画には無くても違和感はありませんが、かといってキャラを軽視しているわけではありません。臆病な奴や殺しが大好きな奴、大口ばかりたたく奴など、全てのキャラに個性があり、それが戦いのスタイルにも反映しています。また服装も全員が違うので、キャラの見分けがつきやすくなっています。
予告で「記憶の無い女」とクレジットされているねーちゃん(彼女も名無しのキャラ)が物語の鍵になるキャラです。映画では彼女が唯一まともな感情を持ったキャラに見えますが、暴力的なキャラが多い中では、常識的なのも個性になります。主人公とのコンビ?ぶりが笑わせてくれるシーンがあるし、健気なところが惹かれてしまいました。
舞台となる森は幽界と現界の結界という「異界」のはずですが、いかにも東京近郊の森に見えてしまい、不気味さが足りません。東映特撮で見たような採石場のような風景が出てくるし、大谷石ぽい部屋も出てきます。ここは予算の限界だったかもしれません。
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