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ある日の東京都庁。突如、副知事以下局長職員が招集される。集まった彼らに天馬東京都知事(役所広司)は「東京に原発を作る!」と宣言する。部下たちは一斉に反対を唱えるが、知事が原発建設のメリットを解説すると、彼らは段々知事の意見に傾くようになる。そんな中で津田副知事(段田安則)は密かに原発反対の榎本教授(綾田俊樹)を呼び、原発の危険性を訴えさせる。一方、お台場にいつものよう?に極秘裏に運び込まれたプルトニウムは順調に都内を走っていたが…。
映画の前半は、都知事が訴える原発のメリットと、反原発の科学者が訴えるその危険性の話です。ここは原発を持つ自治体への高額の補助金や、原子力の管理の甘さ、隠されているデータといった事実に「へぇー」の連続で、大部分が東京都庁舎内の会議室という地味な舞台にもかかわらず、この前半が圧倒的に面白いパートでした。最後に都知事の、真の目的が明らかになるところも感動的です。
後半は核ジャックの話がクローズアップされますが、前半に見られたテーマの熱さに比べると、ドタバタが目立って違和感を持ちました。映画ということでサスペンスを入れた方がいいだろう、という意図で入れたエピソードのように見えます。テーマと関連はありますが、無かった方がいいように思えました。
予告編ではこの核ジャックのパートを大きく扱っていますが、映画としては原発是非の議論の方がメインといっていい構成です。まあ予告といった短い時間ではこの作りはしょうがないかもしれないけど、なんか違う…と思います。
キャストは役所広司や平田満や徳井優や吉田日出子など、渋めの人ばかりですが、それだけに誰もが存在感があり、彼らの個性で話に引き込まれてしまいます。
天馬知事の言動、特に「国を揺さぶる」というセリフから、この都知事のモデルはやはり石原都知事なのでしょう。まあ、石原君もこれくらい思慮があってくれるといいんだけどなあ…。
近年の日本映画では、こういう社会的なテーマを持った娯楽作品は見られなくなりました。その意味でこの作品は、日本人のエネルギー危機への関心の薄さを鋭く突く、骨のある映画です。全日本人必見!見て、そして考えましょう。
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日本ホラーの古典作「四谷怪談」を原案にした、京極夏彦の小説の映画化です。僕は原作を読んだことはありませんが映画は、メインキャラが岩(小雪)と伊右衛門(唐沢)で、岩の顔が半分崩れていることくらいしか「四谷怪談」と共通する部分はなく、違う物語といった方がいいお話です。
「四谷怪談」は欲と怨みの物語、という感じの話ですが、今回は英語タイトルが「Eternal Love」とつけられているようにラブストーリーとされています。確かに、お話の中心は岩と伊右衛門の愛ということで、伊右衛門と岩が出会う前の孤独感がそれなりに描けているせいか、彼らが愛し合っていく過程はほっとさせられるシーンです。でもそういうシーンは全体からするとあまり長くありません。
映画は彼らの敵となる伊藤(椎名桔平)や、その敵討ちを巡る話にかなりの分量が裂かれているせいか、ラブストーリーというより復習の話という感じがして、特に後半ではラスト以外は殺伐とした印象が強くなりました。映画の製作者たちの興味はラブではなく、憎悪の方が大有りのように思えます。
また、その憎悪をかき立てることになる伊右衛門の周りのキャラは、直助役の池内博正や又市役の香川照之などクセのある俳優を使っているのに魅力が感じられません。伊右衛門と岩を結びつける意味では必要なキャラですが、その描写がうまく行ってないのにでしゃばってきて、うっとうしくなります(男の裸は見たくない!)。
また映画では特に後半で、伊右衛門の考えてることがよく分からなくなります。寡黙な男だからしゃべらないのは仕方ないにしても、伊藤の女との関係や子煩悩さは不可解でした。ただしこれは、映画の視点が本来伊右衛門から描かれるべきところが、伊藤や香川や岩などシーンによってばらばらになってしまったことで、よけいにキャラの気持ちが掴みにくくなってしまった結果かもしれません。
岩に関しては、言いたいことをはっきり言う性格として描かれているせいか、考えていることはそれなりに理解はできます。しかし時折、長いセリフを立て板に水のように流暢にしゃべられるのは、舞台のセリフをただ上手に言うだけの、感情がこもってないように見えました。また中盤での狂乱シーンは、感情の高まりはそれなりに出ていてもやはり唐突な感じがしてしまいます。客席からも失笑らしき笑い声が聞こえました。
映画では全ての悪が伊藤一人のせいにされているのがイージーに思いました。また伊藤は過去にいろいろ因縁のある設定にされていて、それが全てセリフで説明されます。でもそのセリフが長い上に、映画の中でちょっとだけしか出てこない土地や人物の名前が出てくるので、内容を把握し切れません。これって、映画の話が分かっている人が初めて見る人のことを考えないで、分かってることを当然としてシナリオを書いていている感じがします。
「四谷怪談」はホラーですが、この映画は怖くは作っていません。そのくせ顔の皮膚をはがしたり、はらわたが飛び出るといったグロいシーンが出てくるのは違和感を持ちました。でもそういうシーンが映画の一番の見どころかもしれません。笑えるシーンもあるし。
オリジナルの「四谷怪談」とどれくらい違うのか、というような興味でもなければ、見るのが辛い映画です。
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クライマックスで、又市(香川照之)が岩の父だというようなことがセリフでチラリと語られましたが、意味が不可解で、出さない方がよかったと思うセリフです。
ラストシーンは「火垂るの墓」と同じパターンです。しかし「火垂るの墓」の場合はテーマから言ってハッとさせらた見せ方でしたが、この映画の場合は、あまり意味があるとは思えません。
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群馬県警の指導官・梶総一郎(寺尾聰)が、妻を絞殺したと自首してくる。梶の妻(原田美枝子)はアルツハイマー病により痴呆が進んでいて、梶は「殺してくれ」と言う妻の願いを叶えたという。だが彼が妻を殺害してから自首してくるまでに2日間の時間があったのに、取調べでは梶はその間の行動は決して答えようとはしなかった。県警は現職警察官の殺人という不祥事を覆い隠すために適当に供述書のつじつまを合わせようとし、検察もそれと馴れ合うようにするが、担当の検事・佐瀬(伊原剛志)や新聞記者・中尾(鶴田真由)は空白の2日間に事件の本質があると疑っていた…。
年配層が詰めかけ「泣ける」と大ヒットしている、とワイドショーや新聞で話題にされている映画です。確かに映画館の観客は年配の人たちが目立ちました。
そして「泣ける」という点もその通りで、後半に2箇所、涙腺がウルウルしたシーンがありました。
登場するキャラクターはけっこう多いのですが、個々の描写はツボを押さえていて、警察、検察、弁護士、新聞記者、裁判官といった人々が梶の事件と対面することで彼らの人生が問われる姿がちゃんと描けています。
監督は「陽はまた昇る」の佐々部清氏です。「陽はまた昇る」もキャラの多い群像劇だったものの、その描写には食い足りなさを感じましたが、今回の「半落ち」はそういうことはありません。
物語のキーポイントは梶の「空白の2日間」で、うやむやに済まそうとする県警や検察と、それを追及する人々の攻防戦が興味を引きます。後半で明かされる事件の真意は殺伐なものではなく、爽やかに感動を盛り上げる作品です。
映画で取り上げられているアルツハイマー病は、年老いた家族を持つ人々には他人事ではない話題でしょう。観客に年配層が多いというのは、そういう関心も引いているかもしれません。
梶の、妻に対する行動には異論が出るかもしれませんが、吉岡秀隆演じる裁判官の家族の描写をそれの対比として、バランスを保たせているのでしょう。
「半落ち」とは予告編によれば、容疑者が全てを完全に自白する「完落ち」に対して、まだ完落ちでない意味で使われる言葉だそうです。この意味が、映画の本編で語られていないのは気になりました。
朝日新聞に載った監督のインタビューで、梶が妻を殺すシーンでの寺尾聰の演技が鬼気迫るものだった、と語っていましたが、本編にはそういうシーンは出てきませんでした。殺伐なシーンかもしれないのでカットしたのかもしれません。無くても問題ないシーンではありますが、ちょっと見たい気はします(DVDの特典で入るかな?)。
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梶の妻の日記に事件の謎を解く鍵が隠されているということで、日記を持っていた姉が早くそれを出していれば、こんなに揉めなくて済んだとは言えると思います。ただ姉が黙っていたのは、日記に辿り着くまでの調査の過程で、梶やその妻の思いが理解できていくということを期待していて、待っていたということも考えられます。もし早くに事実が判明していたら、梶や妻の思いは軽視されたかもしれないし。
梶が「空白の2日間」を語らないのは、ドナーの少年の存在をそっとしておきたいためなようですが、結局彼の弁護士と検事が少年の存在を明らかにしてしまったから、マスコミにバレてしまったんじゃないかなあ。彼の努力も無駄になってしまったような気もするぞ…。
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大学生の恒夫(妻夫木聡)がバイトする雀荘では、早朝に出没する乳母車の婆さんが話題になっていた。店長の飼い犬を散歩に連れていた朝、恒夫は坂道を走ってきた乳母車に出くわす。覆われた布を取るとそこには包丁を握りしめた少女(池脇千鶴)がいた。恒夫は婆さんと、障害で足が動かせないその少女の住むボロ家で、美味しい朝ごはんをご馳走になる。その後、少女のことが気になった恒夫は再び彼らの家を訪れ、少女の名前を聞くと、「ジョゼ」と名乗る…。
障害者と健常者のラブストーリー、という映画は珍しくはありません。しかしこの映画はジョゼと恒夫の関係を「一生の恋」みたいな重大なものではない、普通というかライトなものに描いているところが今っぽいところでしょう。この恋の結末が幸福なのかそうでないのか、意見の分かれるところかもしれませんが、爽やかな終わり方です。
僕は障害者を描いたドラマはそう多くは見ていませんが、ジョゼのような気が強いキャラクターを見たのは初めてです。また、ジョゼが下半身を引きずって歩く?姿は不謹慎にも貞子を連想してしまいましたが、そういった彼女の性格やユニーク?な描写で話に引き込まれます。
ジョゼを演じる池脇千鶴は今回、ヌードも厭わない熱演を見せていますが、ジョゼの恒夫に対する熱情を表す意味では、ヌードはあった方がいいと思います。しかしこのシーン、いづれ男性系のエロ雑誌で「脱いだ女優」とかで特集されることになりそうだけど、そういうイヤらしい扱いはしてほしくないなあ。
映画は主人公とジョゼの関係はそれなりにちゃんと描いていますが、周りのキャラの描写は食い足りない感じがしました。ジョゼとおばさんはどこで知り合ったのか?なぜお嬢様の香苗(上野樹里)が恒夫に執着するのか?といった部分は謎でした。
「身障者の役に立ちたい」と言ってる奴が、実は身障者を見下してるエピソードは本当にありそうなシーンです。美しいことを言ってる奴ほど信用できないもんだ。
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ラストはハッピーエンドとは言い難いですが、暗さは感じられません。これは、ジョゼが恒夫と付き合うことで本当の自立を確立できたからでしょう。
ここのジョゼの後姿はちょっと辛いように思えるのですが、今後彼女は恒夫の思い出を抱えて生きていくことになるのでしょう。そう思うと、その前に出てきたラブホテルでの深海魚のシーンは切ないシーンです。でもまさかこの映画でCGを使うとはちょっと驚きでした。
しかしこのラブホのシーンの冒頭、恒夫はジョゼに目隠しをしてたみたいだけど、彼はSMシュミなのかな?
ジョゼと香苗がビンタし合うシーンで、香苗がジョゼに顔を差し出すとこは笑えました。けっこうフェアなお嬢様だ。
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都内の廃校で、瑞貴、摩耶、有香たち3人の新人アイドルのグラビア撮影が行われていた。3人が校庭で撮られている時、瑞貴はマネージャーの井坂(津田寛治)をもう一人見てしまう。その直後、 井坂は屋上から転落してくるが、その体は不自然に折れ曲がっていた。カメラマンの山崎(榊英雄)は警察に連絡しようとするが、常用しているドラッグの発覚を恐れた雑誌編集員・滝本(諏訪太郎)は全員の携帯電話を取り上げ教室に閉じ込めた後、どこかに行ってしまう。ヘアメイクの倉橋(稲田千花)は滝本の様子を見に廊下に出て行くが、そこにもう一人の彼女が現れ、その顔が不自然に歪んでいく…。
もう一人の自分=ドッペルゲンガーが襲ってくるホラーネタ作品です。ドッペルゲンガーの顔はなぜか目や鼻など顔のパーツが崩れていって、これは不気味さを出そうという意図なのだと思いますが、デジタル加工が見え見えで怖いと言うより笑ってしまいます。
そのドッペルゲンガーの出方は、この作品が「呪怨」の清水崇監督が監修のせいなのか、まるで「呪怨」のノリです。でもドッペルゲンガー自身の姿は人間のためか、今ひとつ不気味さには欠けます。クライマックスはビデオ版「呪怨2」のラストを連想しました。
とはいえ、お話は全編61分ほどの長くない時間でちゃんとまとまっていて、それなりに退屈しないで楽しめます。ラストのひねり?も面白いやり方です。
エンドクレジットには「協力」で美少女アイドル雑誌「PurePure」の編集部が載っています。劇中で新人アイドルを演じる3人が実際にもアイドル(の卵?)ということで、これは彼女たちを売り出す目的で作られた作品かもしれません。その中で佐久間信子と世那はよく知りませんが、河辺千恵子はTVの実写版「セーラームーン」に出ているし、グラビアにも出ているので、これから売り出しをかけるのでしょう。
舞台はほとんどが学校内だけで、出演者も少ない、いかにも低予算の作品ではありますが、彼女たちを支える脇役で、「模倣犯」や「呪怨」に出ている津田寛治や「VERSUS」「科捜研の女」の榊英樹、「発狂する唇」や「怪談新耳袋」の諏訪太郎などの出演というのは、それなりに豪華かもしれません。
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携帯電話のメモリを通して伝染する「呪い」。由実(柴咲コウ)の友人がその呪いで殺されていき、その原因を呪いで妹を亡くした山下(堤真一)と共に探っていた彼女にも、呪いの電話が来る…。
呪いが連鎖し、それが主人公に降りかかり、解くために呪いの原因を探る、という話は「リング」と同じパターンです。それだけでなく、この映画の幽霊の動きや外見も「リング」を思わせるし、クライマックスでも「リング」に似てる描写が出てきます。ですが恐怖度は「リング」に及びも付きません。また携帯電話ネタのホラーといえば韓国映画で「ボイス」がありましたが、これの方がまだ(特に子役)怖さがありました。
この映画、一応ホラーに分類される作品ではありますが、全体的にあんまり怖くありません。特に前半は、いきなり大きな音を出す、というこけおどかしの演出が多くてがっかりしました。ラストを分かりにくい展開にした意図も何のためなかさっぱりです。
監督は多作で知られる三池崇史氏ですが、今回は彼が以前手がけた「アンドロメディア」を連想するようなプロとは思えない出来で、「呪怨」や「リング」などのホラー映画をもっと勉強すべきでしょう。
ただクライマックスあたりと、中盤での呪いの生中継は、そこそこ楽しめる見せ方になってはいます。この作品の企画・原作は秋元康氏ですが、中継シーンはTVに関わっているこの人らしい描写です。
映画で児童虐待を扱っているのは現代的だと思います。ただ今深刻になっている問題だけに、興味本位的に軽く見せているのは気になりました。
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なぜか名前で呼ばれない母と父、そして長女みかんと長男ユズヒコの4人家族が活躍する連載マンガがTVアニメ化を経て、ついに劇場映画に進出です。
今回のお話は、母とみかんの心と体が入れ替わってしまいます。こういう入れ替わりの話は、キャラは違うけど「転校生」で既にやっているパターンではありますが、親子の理解というテーマを語る手法としては正攻法かもしれません。映画はみかんが母親の思いを理解する過程をきっちり見せていて、特に後半で、母の感情をその姿になっているみかんが代弁するシーンは感動的です。
母と娘の体が入れ替わるなんて大事件が起こったわりには、みかんの姿になった母が「しょうがないじゃない」と割り切って日常生活を続けるところが、この作品らしいところでしょう。誰の歯ブラシを使うか、みたいな身近な描写がユニークだし、基本の話は日常的なせいか、特に悪いキャラは存在せず、みんな優しいキャラで安心して見られます(娘の姿になった妻に戸惑う父には、ちょっと近親相姦的なアブなさを感じますが)。
ただ、修学旅行のシーンなんかはそういったやさしさが見えていいシーンなのですが、母とみかんではいくら親子でも声が違うだろうから周りが怪しむのではないかというような、突っ込みたくなる箇所は多少あります。
今回は母とみかんにスポットが当たっているので、父とユズヒコの出番は少なめです。でも入れ替わりの原因と回復作戦を沈着冷静に追究するユズヒコはなかなかかっこいいし、父も痔は情けないけど家族思いで、決める時は決めてくれます。でもクライマックスでの家族一致団結シーンは、「クレヨンしんちゃん」の「かすかべ防衛隊」とカブった感じもしました。「クレしん」も4人家族だし(あっちは犬が1匹プラスだけど)。
映画は家族向けということで、映画館には親子連れが目立ちました。確かにこの映画は子供に親の思いを伝えるのにぴったりな話ですが、内容はかなりストレートなので、親子そろって見るのは照れるかもしれません。
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新宿で暮らすホームレス、自称元競輪選手のギンちゃん、オカマのハナちゃん、そして家出女子校生のミユキの3人はクリスマスの日、ゴミの中から赤ん坊を見つける。ギンとミユキは警察に届けようと言うが、幼い頃に愛された記憶が無いハナは自分の境遇に赤ん坊を重ねてしまい、放そうとしない。彼らは赤ん坊の親を探すことにする…。
古くは「素晴らしき哉、人生」、また何年か前にやった「3人のゴースト」のように、アメリカではクリスマスシーズンになると「家族」をテーマにした「クリスマスの奇跡」といった感じの映画が始まったり、TVで流れたりします。
日本はバブルの名残なのか、クリスマスは恋愛イベントというイメージが強い(偏見?)ようで、そのせいかクリスマスネタのハリウッドムービーが当たったという話は聞いたことがありません。そんな日本では珍しい「クリスマスの奇跡」ネタの話です。
「奇跡」と書いたのは、この映画が偶然に偶然が続くような話になっているからです。しかし普通にこういう話をやられたなら、ご都合主義の塊のように見えて「ありえねー!」と反感を持ってしまいますが、この作品の場合、各エピソードの出現やまとめ方がとても自然な感じに流れて、偶然の出来事の連続もクリスマスということで納得させられてしまいました。冒頭の何気に語られる、クリスマスの起源にまつわる話が上手い効果になっています。
また徐々に明らかになっていく3人の主人公たちの人間関係や過去の見せ方も上手く、不器用な生き方をしている主人公たちに感情移入してしまいます。
この映画は赤ん坊を巡る話ということで、親子の情愛の話になっていますが、捨てられた赤ん坊だけではなく、主人公たちの家族の話も絡めることで、親の子への思い、そして親のあるべき姿が語られます。児童虐待のニュースが珍しくなくなってしまった今、特に子供がいる人、あるいはこれから親になろうという人たちにはぜひ見てほしい作品です。
お話は実写ぽい感じですが、アニメーションです。とはいえ監督が、実写でもできそうな「パーフェクトブルー」や「千年女優」を創った今敏氏であれば、こういうリアルタイプの話を作るのはうなづけます。
しかしこの映画、実写でやったとしたらゴミやホームレス姿といった、見た目にきれいでないシーンを出すことになるので生臭い話になるかもしれません。アニメでももちろんそういうものを出してはいますが、セル画ということで描写がマイルドになって、実写よりは不快度は下がっています。またところどころファンタジー的なシーンがあるので、やはりこの話はアニメの方がふさわしいのでしょう。
でも「SPA!」で鴻上尚司氏が書いてるように、中年のホームレスが主人公なんて映画の企画は、実写じゃ通らないのかもしれません。
声のキャストは年長格のギンを江守徹、ハナを「ワハハ本舗」の梅垣義明、ミユキを「あずみ」や「スカイハイ」に出演している岡本綾が演じています。江守徹も岡本綾も実力派俳優だけにソツなく演じていて、その演技がキャラクターに一層のリアリティーを与えています。江守徹は最近バラエティが目立ってしまっていますが、中盤での病院のシーンは特に感動的で、この人の真の実力が垣間見えます。
でも3人の中で一番抜きんでいるのはハナ役の梅垣義明でしょう。僕はこの人を知らなかった(「ワハハ本舗」は柴田理恵しか知らない…)のですが、実質的に主人公といってもいい存在感には驚かされました。
あえて映画の不満を書くなら、かわいいキャラがいなかったことでしょう。とはいえ仮にそういうキャラがいたら話がウソっぽくなったかもしれません。
映画の時間設定はクリスマスから正月の間になっています。この映画を見るなら、本当はこの時期が理想ですが、それまで続いていることやら(11月半ばからのスタートは早すぎる)…。
ともあれクリスマスシーズンにふさわしい、見た後はハッピーな気分になれる映画です。
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日本シリーズ |
TV放映時にどれくらいの人気があったのかは知りませんが、終了してから1年(くらい?)経っての「木更津キャッツアイ」の映画化です。
しかし映画は、1年のブランクを全く感じさせない、おフザケとマジが同居するユルい?世界をちゃんと再現しています。シナリオの宮藤勘九郎を始め、メインのスタッフとキャストがほとんどTV版と同じなせいか、僕みたいにTV版が好きだった人にはたまらない内容になっています。
ただ映画は、宮藤氏自身が「説明ぽいシーンは入れたくなかった」と語っている通り、TV版の説明めいたシーンは全く無い、完全な続編なので、TV版を見てない人には話やキャラが分かりにくいかもしれません。僕自身、TV版はラスト3話からこのドラマに転んだせいか、その前に死んでしまった、映画で重要なキャラであるオジーのことは知りませんでした。
普通なら冒頭で少しストーリーを書くところですが、この映画の場合、とりとめないエピソードがいっぱい出てきて(これこそTV版の雰囲気)、書くだけムダと思ってやめました。しかし映画の後半ではぶっさん達が木更津を出てしまうし、最後にはCG使用の大特撮シーンまで出てくるムチャクチャ、いや盛りだくさんな内容で、TVエピソード5、6話分くらい詰まっている話です。
サブタイトルの「日本シリーズ」は結局何の意味も無いようですが、このドラマに意味を要求するのはムリというものでしょう。冒頭の「2033年」での30年後のキャッツのキャストには大笑いしましたが、これがラストに生きる、ということもありません(あ、ネタバレ!)。他にも話のまとまりの無さという意味では突っ込みたくなるエピソードがいくつかあるのですが、そういう、普通の映画だったら欠点に思う描写も許せてしまうのが「木更津キャッツアイ」でしょう。
キャストは主人公ぶっさん役の岡田准一を始め、薬師丸ひろ子に至るまでTVレギュラーはほぼ全員出ています。更に気志団(正確な漢字を使うとパソコンによっては文字化けする可能性あるので字違いは容赦)が出てくるのが、これのTV版での彼らが出てきたエピソードで初めて気志団を知った僕にはうれしいゲストです。
クドカンは、TV「ぼくの魔法使い」での井川遥や「マンハッタンラブストーリー」での船越栄一郎みたいに、有名人をそのまま出演させるのが好きみたいで、今回も某有名俳優を2名ほど出しているのが、やはりな感じです。
よく考えれば今回の話は、ぶっさんの運命が激変!?する大変な物語なので、まあ映画版にふさわしい内容と言えるかもしれません。その鍵を握るのはユンソナですが、「ユッケ」と言う役名は…「木更津キャッツアイ」だからいっかなあ。
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現世で殺された死者が来る「怨みの門」。死者はその門を守る門番・イズコから3つの行き先の選択を迫られる。
1「天国へ行って再生の準備をする」
2「現世をさまよう」
3「現世の人間を1人、呪い殺す」
死者たちが忘れていた殺された時の記憶、それをたどることで決断される彼らの行く先…「スカイハイ」は、3つの選択というユニークな設定によって創られる多様な生と死の人間ドラマと、高橋ツトム氏の荒涼としたタッチの画がマッチして好評を博したコミックで、これが後に釈由美子の主演でTVシリーズ化されました。
釈演じるTV版のイズコは、「修羅雪姫」を思わせる彼女の個性が上手くマッチしてより人間くさい、原作とはまた違ったイズコ像になっていて、これもまた面白い内容に仕上がっていました。その評判を受けての映画版です。
今回も主役はTV版と同じく釈由美子ですが、設定がTV版と少し違っているので、この話はTV版の後日譚か前日譚、あるいは別次元の話ともとれる内容です。お話は「怨みの門最大の危機」とサブタイトルをつけられるような、映画版にふさわしい大掛かりなスケールです。
監督はTV版での最終2話を演出した北村龍平氏ですが、お話にアクションがかなり連続しているのが、いかにもこの監督らしい内容です。イズコが剣を持って戦う、という描写は世界観が違う感じもしますが、それはそれで北村版「スカイハイ」という、監督の個性が出ている作品と言えます。
北村監督の前の作品「荒神」が、アクション以外のシーンがえらく退屈だったので、この「スカイハイ」にはあまり期待していませんでした。しかし、今回はその期待?に反してお話しをちゃんと作っていて、「愛する人のために何ができるか」というテーマもそれなりに出ています。ま、映画はキャラの感情の機微を描くような複雑な話ではない、ストレートな形になっているので語りが上手く行ったのだろうと思います。たぶん北村監督は、会話だけとかのアクションが無い話や、複雑な感情描写が必要な映画は作るべきではないのでしょう。
劇中の戦闘シーンのほとんどは剣での戦いですが、いずれも死闘という感じで迫力が出ているし、戦うキャラたちはみんなかっこよく撮られています。北村監督の映画では「あずみ」でも「荒神」でもチャンバラをやっていましたが、どの作品の戦闘シーンも迫力が衰えることがないのは、ファイティングコーディネーターが上手いのでしょう。ただこの「スカイハイ」ではクライマックスの、大沢たかおとイズコの戦いはちょっと長い感じがしました。最後の山場だからと長くしたのかもしれませんが、展開がある程度予想できるので、ここはもっと切ってほしかったところです。
TV版ではイズコの衣装は、古着をパッチワークしたような派手目の色の服でしたが、映画版はほぼ黒一色の落ち着いた感じの衣装になっています。怨みの門のデザインも西洋風な感じに変わっていますが、セットがでかいのが映画版という感じです。
TV版と重複するキャラクターは映画版には基本的にいないと思いますが、刑事役で出ている北見敏之が、役名は覚えていませんがやはり刑事の役でTV版に出でていたので、もしかしたら同じ役かもしれません。あとは山田麻衣子の登場が、TV版を見ていた人には注目でしょう。
大沢たかおと魚谷佳苗の悪役コンビは「荒神」でも活躍していたので、彼らの初登場は「荒神」の続きみたいに見えました。魚谷佳苗は「荒神」同様に妖艶さを漂わせていますが、今回はさらに強さが加わって、不気味な雰囲気がいっそう増しています。彼女と同じく今回、戦うキャラたちは女性がほとんどで、戦うオンナて監督の好みかと思ってしまいます。
大沢や魚谷以外で他の北村監督作品に出ていた俳優では、岡本綾が「あずみ」に続いて出ています。彼女の初登場シーンはなかなかHな写し方で、ちょっとドキドキしてしまいました。
パンフは600円ですが、主要キャストと監督のインタビューが載っていて、写真も結構使ってあってこの値段は、今なら良心的でしょう。TV版全エピソードの紹介もあって、これ1冊で「スカイハイ」の映像世界の概要が分かります。
あとTV版を見ていた自分としては、「お行きなさい」が1回しか、それも取ってつけたようなシーンで言われたのが不満でした。
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戦場から友人と落ち延びた武者(大沢たかお)が山中の寺にたどり着く。謎めいた女(魚谷佳奈)に出迎えられた彼は気を失い、翌朝目が覚めると友人の武者が死んだと主人(加藤雅也)から聞かされる。友の遺体を故郷の村に運びたいと言う武者を主人は引き止め、とりとめのない話をするが、そのうち彼は自分が「荒神(あらがみ)」だと言い出し、武者に自分と戦うように迫る…。
「DUEL」というテーマで、堤幸彦監督と北村龍平監督が競作する企画の一編である、この北村監督の作品は、舞台をお寺の一部屋に限定して展開する、侍同士のバトル・ロワイアルです。
「VERSUS」や「あずみ」で迫力あるアクションを見せた北村監督だけあって、斬り合いのシーンは「あずみ」とはまた違った、重量級のぶつかり合いといったアクションを見せてくれます。
それはいいのですが、そういう格闘シーンと、そうでない会話とかのシーンとのテンションの差がえらくあり、戦闘以外の場面はダラダラと長い感じで眠くなりました。そういえば「VERSUS」は戦闘ばかりだったし、「あずみ」はキャラクターのドラマは今ひとつだったし、北村龍平て結局アクションしか描けない人ではないのか、と思ってしまう映画でした。
堤幸彦監督の「2LDK」では出演者は2人だけでしたが、この「荒神」では大沢たかおと加藤雅也以外に魚谷佳奈が出ています。荒神に仕える女性の役ですが、その敵か味方か分からない妖艶さは、戦闘シーン以外では一番の見ものでしょう。他に「VERSUS」に出ていた坂口拓と榊英雄(この人は北村組の常連)もちょっとだけ顔を出しています。
あと寺の内部や仏像などのセットデザインが、変わった感じがあって面白いところではありました。
「DUEL」映画対決は、眠くならなかったという意味で、堤幸彦の勝ちでしょう。
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ラナ(野波麻帆)と希美(小池栄子)は同じタレント事務所に所属し、2LDKのマンションをシェアしている。しかも今日は2人とも同じ極妻映画のオーディションを受けてきた。表面上は仲良くやっている2人であったが、何かと先輩風を吹かし、ズボラで男に奔放なラナと、ガンコで真面目で処女の希美はお互いにフラストレーションを溜めていた…。
「DUEL」というテーマで、堤幸彦監督と北村龍平監督が競作する企画の一編である、この堤監督の作品は、舞台をマンションの一部屋に限定して展開する、女同士のバトル・ロワイアルです。
顔は笑っていながら、心の中で罵倒しているという描写が、会話のセリフは敬語で、心の中のセリフがタメ口というギャップで笑わせてくれます。こういったうわべだけのつくろいは誰もが経験したことがあるはずで、リアルに見えます。
中盤あたりは2人とも、感情が高まって爆発するかと思ったら謝ってしまうという感じに、行動がジラしてくれて、先への興味を引き付けてくれます。ただこういう爆発しそうでしないジラしは、上手いとは思うものの、話がストレートに行かないもどかしさも感じました。
でも肝心のラストは、あっけなく予想通りの展開(しかも不快)でした。そこでこそこのジラしを発揮して、ひねってほしかったところです。「ケイゾク」にしろ「トリック」にしろ、堤幸彦てディテールは面白いのに、詰めが甘いように思います。
でも時々、「ケイゾク」を思わせるホラー的シーンが出てくるのは、いかにも堤監督作品て感じです。
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