嵐を呼ぶ モーレツ! |
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大阪万国博覧会の会場になぜかいる野原一家。その時、「会場に怪獣が接近」というアナウンス。野原一家は春日部防衛軍に変身し、怪獣と戦うが歯が立たない。そこへひろしがヒーローSUNに変身し、怪獣をやっつけようとする…が、これはひろしが子供のころに憧れていた、ヒーローSUNになりきるビデオの撮影だった。そこは春日部にできた「20世紀博覧会」の会場。子供に戻って嬉々と過ごすひろしとみさえに、しんのすけは不満たらたらだった。その夜、20世紀博覧会の「お知らせ」を見た春日部の大人たちは翌朝、子供たちを放り出してみんな会場に行ってしまう。大人たちの異常を悟ったしんのすけたちは、親たちを取り返すべく、警戒厳重な20世紀博覧会に潜入しようとする…。
毎年恒例の「クレヨンしんちゃん」映画版ですが、この「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」は、同じ年に公開されたアニメ映画「千と千尋の神隠し」より傑作と断言する人もいる、評価の高い作品です。
その理由は、この映画が「今」の問題を描いているからでしょう。
1970年の大阪万国博覧会といえば、今の30代や40代の人々にとっては子供の頃の一大イベントとして、記憶に刻み込まれていることでしょう。この頃は高度成長期がピークを迎えた、未来を信じられる明るい時代でした。
そして今、不況の時代の出口は見えず、未来に希望は持てません。そんな中では、万博の頃のような未来を信じられた時代は、輝かしく思えます。この時代に戻りたいと思う人は多いことでしょう。
そのせいなのか、渋谷の恋文食堂に見られるような、昭和時代をイメージした食堂や「まぼろし小学校」といった70年代ネタの本の出版、超合金シリーズの復活や玩具菓子での「鉄人28号」や「スペクトルマン」の復活など、ここ数年、懐かしモノの商業化が流行しています。
また新横浜にあるラーメン博物館がおそらく、映画の中に出てくる昭和30年代の町「夕日町商店街」の元ネタでしょう(ここも夕焼けの時間にしてありました)。ラーメン博物館だけでなく、ぎょうざスタジアムなど、今のフードテーマパークの雰囲気は全て昭和30、40年代がコンセプトになっています。
今はこういった過去回帰が、ある種トレンドのようになっていますが、そういった風潮の中でこの作品は、実にタイムリーな映画です。
この映画はいわば、万博のような「輝かしい」過去に戻りたがる大人たちと、未来に向かおうとする子供たちの話です。もっと単純に言えば、昔の子供VS今の子供、過去VS現在という感じの話とも取れます。
とはいえこの問題は、どちらがいい、という単純な答えが出せるものではありません。辛い現在だけでは人間は生きられるものではなく、過去の思い出によって、明日への活力が沸くのも事実です。この作品では特に、現在と過去の狭間に揺れるひろしの感情がそれをよく表しています。
敵のボスの名前が「ケンちゃん」で、その右腕というか彼女の名前が「チャコちゃん」、そしてケンちゃんはボブカットでフェアレディに乗っていて(セリカGTが出てきたのはチョー嬉しい!)、生活スタイルは「同棲時代」というのは凝っています。それだけでなく、「コマネチ!」や「シェー!」など、この映画はなつかしのツボをたくさんついてきます。
また、博覧会場に怪獣が来る、というのはまるで「ガメラ対ジャイガー」で、その映画が初めて映画館で見た映画である僕には、うれしいネタでした。
ちょっとしか出てこない関根勤と小堺一樹のコンビに、わざわざ本人たちが声をアテてるとこなんかも通な感じです。スタッフもこういうネタに親しんだ世代でしょう。楽しんで作った感じが伝わってきます。
とはいえこの映画、40代や30代にしか分からないであろうネタが多すぎです。「クレヨンしんちゃん」て、一応子供向けの作品だと思うのですが、この映画は今の子供に分かるの?て思います。ま、面白いからいーんだけど。
この「オトナ帝国の逆襲」の翌年の劇場版「アッパレ戦国大合戦」を劇場公開していた時期に、テレビ朝日の8時からのワイドショー(前田吟の司会で評判が悪いらしいやつ)で、「大人も涙するクレヨンしんちゃん」という特集をやっていました。
そのタイトル通り、「モーレツオトナ帝国の逆襲」はテーマの凄さだけでなく、「泣ける」点でも評価の高い作品です。
「大人も涙するクレヨンしんちゃん」ではまず、「アッパレ戦国大合戦」を上映している劇場にカメラを持ち込み、見ている大人を「こちとら自腹じゃ」の井筒監督みたいに赤外線で写していて、泣いている客がいました。
その後、ある部屋に親子を何組か集めて、「モーレツオトナ帝国の逆襲」のビデオを見せて、やはり観客のリアクションを写していました。
まず後半の要となる、ひろしの回想シーン。音楽だけ流れて、セリフが一切無いという見せ方がセンスを感じさせます。ここで泣いてる大人がいました。
そしてクライマックス、しんちゃんが敵の首領に迫るシーン。この時には、隣の部屋でレポートしていたリポーターも、上映している部屋のドアを開けて見入って、泣いてるところが写されてました。
以上の2箇所は僕も泣いたシーンでした。
それにしても、「クレヨンしんちゃん」てムチャクチャな話に見えながら、実にまっとうな家族像として描かれています。なんだかアメリカのハチャメチャファミリーアニメ「ザ・シンプソンズ」に似てるように思います。そういえばこの2作品とも、始まりは80年代の後半だったような。
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敵のボス・ケンちゃんは彼のアパートに来た野原一家を捕まえることができたのに、彼らをわざわざ逃がします。一見彼は21世紀に絶望しているように見えますが、実は希望を持ちたいと願っているのではないかと思いました。
「もし、21世紀を続けたければ、行動しろ…」
これはケンちゃんが野原一家に向かって言ったセリフですが、まるで製作者たちが観客に向けて言っているように聞こえました。
今の暗い時代を嘆くのではなく、それを変えるためには何をするべきか考えろ、と言っているように思います。
最後の方で、ケンちゃんとチャコちゃんが飛び降りようとするシーンは、ここで彼らが死んだらイヤだなあ…と思いながら見ていました。
子供向けの映画で、子供の前で人が死ぬシーンを見せてほしくない、というのもあるのですが、この映画の場合、もし彼らが死ぬとすれば、それは過去の否定を意味する、と思うからです。
ケンちゃん達みたいに過去に逃げ込む気は無いけれど、かといってこれを100%否定するのは、その癒しさえも否定してしまうと思うので、このラストにはホッとしました。
現在の過去復活ブームは、ぼくもこういった持代を知っているせいか親近感を持つのですが、「タイムスリップグリコ」や「松本零二シリーズ」などの食玩を見るに至っては、違和感を持ちました。
おまけ付きの菓子というのは本来子供たちのものであるはずなのに、「タイムスリップグリコ」やスペクトルマンなどの懐かしの特撮シリーズなんて、今の子供たちには分かるのか?て思います。
僕もこれらのシリーズを買ってはいますが、昔あったものを何もアレンジしないでそのまま出すのは、今の子供たちを無視した、マニアだけを当て込んだように思えて、特に最近の食玩に見られる、懐かしモノのブームはあまりいいことじゃないように感じています。
ガシャポンでも昔のウルトラシリーズやライダーなどいろいろ出していますが、こちらはラインナップには必ず新作の、今放映中の怪人や怪獣を加えています。
「オトナ帝国の逆襲」の中で、父親のひろしが見ていた「ヒーローSUN」をしんちゃんは見向きもしませんでした。昔のものをそのまま出されても、今の子供が関心を示さないのは当然だと思います。
この中でもし、しんちゃんの大好きなアクション仮面をヒーローSUNと共演させる、なんてことをしていれば、しんちゃんもヒーローSUNに興味を示したかもしれません。
かつての「ベーゴマ」が「ベイブレード」として今風にリニューアルされ、子供たちの間でヒットしているように、過去にヒットしたものを今出すならば、今の子供たちのことを考えて工夫をするべきでしょう。
過去の作品を何の工夫もせずにそのまま出すのは、どこか退行的な感じがしてしまいます。マニアにとってはそれでいいのでしょうけど、「オトナ帝国の逆襲」の20世紀博覧会にまず集まったのは、たぶんそういう人たちでしょう。
でもそういうマニアが夢中になっている、かつての戦隊や宇宙刑事といったヒーロー達は「過去に逃げ込め」なんて言わなかったはずです。
彼らはその当時の子供たちにちゃんと「今を生きろ」と言っていたはずなのに、そのヒーロー達が懐かしモノのシンボルになってしまうのは皮肉に思います。
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