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日本映画としては最大のヒットとなった 「もののけ姫」を監督した宮崎駿の最新作。 神々の暮らす異世界に紛れ込んでしまった10歳の少女・千尋がそこで生き抜いていく姿を描きます。
宮崎監督は「もののけ姫」公開当時に引退を匂わせる発言をしていましたが、やはりこれは話題作りのためのウソ?だったのでしょう。しかしこの人も年だから、今回もこれまでの作品と同じような高いクオリティを保った作品を作れるのか一抹の疑問を持っていましたが、余計な心配でした。
僕にとって宮崎映画は「爽やかな感動」は毎回味わえるものの、泣ける作品は「風の谷のナウシカ」くらいでそう多くなかったのですが、今回の「千と千尋の神隠し」には涙がこぼれそうに盛り上がるシーンがあります。
もちろんお話も最後まで退屈させず、爽快な気分で見終われる作品です。
「天空の城ラピュタ」以降、宮崎監督の映画には悪役が登場しませんが、今回も例外ではありません。
映画に悪役を設定しておけば、話はその悪役をいかに倒すか、というシンプルな形にすればいいし、クライマックスもいいものと悪いものの対決で盛り上げることができます。
しかし悪役を作らない場合、話のメリハリのつけかたはかなり難しいものになります。それにもかかわらず、話をエキサイティングに盛り上げてしまう宮崎監督の手腕はいつもながら感心します。
先頃行われた「サラエボ国際映画祭」で「となりのトトロ」が上映され、映画祭の関係者が、「暴力を描いてない点が素晴らしい」と言っていました。暴力や悪役を出さないでエンターテイメントを描く宮崎映画は子供にも安心して見せられるし、それがヒットにもつながるのでしょう。
この作品を見る前は、これの世界観は和風と聞いていましたが、本編で描かれる神々の住む世界は和風だけでなく、洋風、中華風などの雑多なイメージが混在する世界観になっています。
僕は「ゼイラム」の雨宮慶太が描くような、先鋭的な和風の世界観が好みなので、当初は期待と違う違和感を持ったのですが、考えてみると、日本文化はこういった様々な文化のイメージを取り入れてきている歴史がありますから、その意味ではこの作品に描かれる世界観もまた、日本的と言えます。
また映画の中ではグリム童話風な場所や宮沢賢治作品的な風景、あるいは後ろを振り返るのを禁じる、といった話など、伝説や昔話のイメージや設定が混在して、一見統一性が無いように見えるのに、それらがうまく調和しており、且つどこか懐かしさを感じさせてくれます。
外来ではない、日本独特と思えたものは「八百万(やおよろず)の神の銭湯」という発想です。神がたくさんいるという考え方は、おそらく西欧ではキリスト教以前の考え方で、今はほとんど消滅していると思います。
また銭湯は中国にもあるらしいけど、旅館みたいなシステムは日本独自のものでしょう。
こういった、混在したイメージでの世界観を表現した作品は日本にも海外にも無かったはずで、いわばこの映画は、種々の文化を取り入れてきた日本人ならでは作れたと言える、独特の世界を持つファンタジーアドベンチャー映画です。
宮崎監督はこの作品が「少女の成長の話」ではないと言っていますが、やはり成長物語に思えます。実写でないのに、千尋の顔が初めと終わりでは違って見えるのは、演出と作画の上手さゆえでしょう。
またこの作品では、見知らぬ土地に行く不安感や、優しい人との別れの切なさなどがよく出ています。特に田舎に行った経験がある人には、こういった描写は感情移入してしまうのではないでしょうか。こういった状況を絵面で再現するだけでなく、そこでの感情までも呼び起こすスタジオジブリの観察力と演出力には、いつもながら感心します。
この作品では、泥の神が「ナウシカ」の巨人兵、湯婆婆が「ラピュタ」のドーラを思わせたり、ススワタリが出ていたり、飛行シーンがあったりで、今までの宮崎映画にあったイメージが随所に登場しています。またイメージだけでなく、「もののけ姫」から引き継いでるようなテーマも見られます。これを「新しさが無い」と見る人もいるようですが、僕はむしろこれを宮崎映画の集大成のように思いました。
ただし、映画の全てが良く出来ていたわけではありません。一番気になった部分は中盤、千尋の行動で「両親を救う」はずの目的が忘れられてしまったように思える展開があり、これには「親は放っておいていいんかい!?」と突っ込みたくなりました。
また予告にも出てきた、湯婆婆が光の弾を発射するシーンなんてまるで「孔雀王」のアクションで、こういう従来のアニメの枠から抜けきれない表現が見られたのも残念に思った点です。
スタジオジブリの映画はいつも、意外性がありながらぴったりな声のキャスティングを見せてくれますが、今回も例外ではありません。
湯婆婆は、かって夏木マリが演じた「里見八犬伝」での悪の女王を思わせる、適役です。この人はこういった悪ぶったキャラが合うように思うのですが、全く違う性格のもう一つのキャラも違和感なく演じているのはさすがです。
釜爺役の菅原文太はアニメは初めてだと思いますが、頑固だけど人のいい釜爺にぴったり合っていました。
エンドクレジットに我修院達也の名前があって、出ているとは知らなかったので驚きました。「鮫肌男と桃尻女」を監督が見た上でのキャスティングだそうですが、あの妙なキャラを彷佛させる役です。
この作品のパンフは600円ですが、従来のジブリ映画のパンフと同様、キャストのコメントやスタッフのインタビューなどを載せている充実した内容です。それでもこの値段というのは、最近よくある、大判で内容が薄いくせにやたらと高いだけのパンフに比べると良心的です。
この作品は劇場公開から数週間ですでに、日本映画最高である「もののけ姫」はおろか、日本で一番ヒットした映画である「スター・ウォーズ:エピソード1」が同じ期間で打ち立てた興行記録を抜いてしまいました。このままでいくと最終的には、日本での映画興行史上最高の収益を上げる作品になるかもしれません。
中身には多少問題はあると思いますが、2001年夏に公開された映画の中では「千と千尋の神隠し」は最高のクオリティを持つ作品でしょう。同時期に公開の「A.I.」「パール・ハーバー」「猿の惑星」などの映画の出来があまり良くない、というのも興行成績の上昇に拍車をかけていると思います。
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冒頭の方の、千尋の両親が料理をバクバク食うシーンは、ブランドものを漁ったり食べ物の残りを大量に捨てたりする飽食の日本人(大人)を意味しているように思います。また、坊は「引きこもり」を意味している、という意見にはうなずけるものがあります。
カオナシにしても、自分自身では言葉を発することができないのに、他人を取り込むことで言葉が出るようになるのは、何かを象徴しているように思います。
そういう意味ではこの映画は、ただの和風ファンタジーではなく、色々なテーマが隠されていているようで、深読みができる作品です。
お礼を言ったり、返事をしたりとか、この映画では礼儀をちゃんと教えてるのもいいと思えた点でした。こういったことは最近なおざりにされているように見えるので、今の若いモンに言いたいことをちゃんと言っとかなければならないという製作者の姿勢には共感できます。
前作「もののけ姫」はシリアスな作品だったせいか、マスコット的なキャラはコダマくらいしか出ませんでしたが、今回はススワタリや坊など、かわいい系のキャラが「もののけ」より多く登場して、「マンガ映画」ということを意識させられます。
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