シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

 

 

まだ見ていない人

「エヴァンゲリオン」は97年の劇場版「Air/まごころを、君に」で一応「完結」したはずですが、ケムに巻かれたようなワケの分からない終わり方でした。
今回の再起動シリーズはあれから20年以上という時間が経ったおかげか、ワケが分からない終わり方になっても、それはそれで「エヴァ」らしいかもと思うようになっていました。
それが何と、今回は意外にも!ちゃんと完結してます。
「槍」の意味や大量のエヴァンゲリオンなど、細かい部分で分からない設定や謎は多いのですが、大枠では「終劇」と納得できる終わり方になっていました。予告でもあった「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」というセリフは、兵器のエヴァだけでなく過去シリーズの意味も含めているようで、納得です。
この作品の公開直後にNHKの「プロフェッショナル:仕事の流儀」でこの作品の総監督である庵野秀明氏を追っていましたが、この中で庵野氏は「エヴァ」を完全に終わらせる、と明言していました。製作にはやはり時間がかかって混乱もかなりあったようですが、これを見ると「エヴァンゲリオン」を一番終わらせたがっていたのが庵野氏のように見えました。

映画は3時間近い尺がありますが、前作「Q」で虚脱状態になったシンジ君が再起動するためには必要な時間だったように思います。ただ「プロフェッショナル」を見てから思うと、制作の混乱の結果のようにも思えました。とはいえ不自然には見えませんが。

映画の冒頭には、これまでの「あらすじ」が流れますが、名場面集という感じで、所見の人には分かり難いと思います。

今回はIMAXやMX4DなどいろいろなバージョンがありますがIMAXで見ると、冒頭のパリでのエヴァンゲリオンの空中戦はなかなかの迫力です。

今回も音楽は気合が入っていて、印象的な曲がいくつかあります。ただサントラが3枚組で、4千円を超えるのはいささか高い感じがします。カラオケ曲なんていらんから、もう少し安くしてほしかったものです。

 

 

すでに見た人

映画には原画や実写のシーンがありますが、制作時間が足りなかったから使ったワケではなく、過去シリーズで使っていたこういう手法も全て含めて「完結」という意味で使ったように思います。

この作品のパンフでの緒方恵美氏のインタビューで、シンジのことを「狂言回し」と評していました。TV版の時は自分のことで精一杯だったシンジが、そうなれるくらい成長した状態に納得できます。クライマックスのあたりは顔が変わった感じにも思えました。
そうした成長を見せるシンジの一方で、父親であるゲンドウが実はあまり成長していなかったことが今回露呈されました。亡くなった?妻ユイと再会する、つまり過去にこだわりすぎて停滞してしまっていたのではないでしょうか。ユイが完全に死んだ状態であったなら諦めもついたでしょうが、復活?の可能性があったことで、それにこだわり過ぎて人類全体に迷惑をかけることも構わなくなったのかもしれません。
過去に囚われて内向きになっているゲンドウの姿は、テレビ版でのシンジのリフレインのようでした。ここで初めて出てきたゲンドウ君の「告白」は、庵野氏もやっと大人になったということかもしれません。彼の「拒絶感」は、まるで自分のことを言われてるように見えました。

90年代版とは違い、もやもや感はあまりなくちゃんと終わりにしてくれた、しかも爽快感漂う感じで「終劇」にしてくれたのはうれしいのですが、逆に言えば90年代版が好きだった人には、今回の終わり方は「強制的にまとめてしまった」と思うかもしれません。悪く言えば、フツーの映画寄りになってしまった、と受け止められても仕方ないかと思います。

クライマックスで「VOYAGER」が流れたのは意外でした。これが元々使用された映画「さよならジュピター」はヒットしなかったし、内容的にもいい出来とは言えない映画でした。なのでこんなマイナーな映画の曲を使うのか、と驚きでした。
ただ小松左京氏の原作小説「さよならジュピター」はかなり面白く、特撮やBGM(今は亡きハネケン!)も良かったので、個人的には思い入れの強い映画です。そういう映画の主題曲を使うのは嬉しくなりました。2回目に映画を見た時は、この曲のイントロでウルッと来てしまいました。
「破」での「翼をください」など、庵野氏(が選んだのかは分かりませんが)の選曲センスは意表をついてくるし、シーンにも合っていてさすがなものです。

「破」でカヲルが抑えたように見えたインパクトが、実は抑えられていなくてニアサーになったという展開は、シンジ君が落ち込むのも無理はないショックですがそれを加治が、自分を犠牲にして止めたらしいということが今回明かされます。
そのおかげでできたであろう、前半でシンジがお世話になる「村」は、大災害の後にできた共同体のような感じで、何だか東北大震災の復興の理想のように見えました。そういう意味では庵野監督の「シン・ゴジラ」のように、「シン・エヴァンゲリオン」もまた311の後ならではの映画と言えるかもしれません。

今回アスカは実は綾波と同じく、作られた生命体という設定にされていました。しかしマリはどうやら、作られてはいない本物の人間のようです。最後の方ではシンジといい仲になった感じですが、シンジと結ばれるのはやはり人間ということでしょうか。

エンドクレジットの声優のカテゴリーで、最後に神木隆之介氏の名前が記載されていました。見ていた時は神木氏の声は気付きませんでしたが、ラストのシンジの声が緒方氏と違っているように聞こえたので調べてみたら、やはりそれのようでした。

ストーリーは一応完結はしても、シンジ君がなぜラストまでDSSチョーカーをしてたのか?それをマリが外せたのは何故か?など、謎は残りました。さらに言えば、使途って結局何だったのか?カヲル君は何者だったのか?冬月は造られた人だったのか?など、設定に関する謎はかなり残っています。意図して残したのか?結局スタッフは何も考えていなかったのか?これも謎ではあります。

 

 


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