スチュアート・リトル

 

 

孤児院に養子を探しに来たリトル夫妻は人間ではなく、ネズミのスチュアートを引き取る。始めは反発していた弟も打ち解けるが、飼い猫のスノーベルは気に入らず、街の猫のボスにスチュアートを追い出す相談を持ち掛ける。数日後、スチュアートの両親と名乗るネズミのカップルが現れ、スチュアートは彼らと共に暮らすことにするが…。

タイトルは忘れましたが、NHKのドキュメンタリーの、ハリウッド映画のマーケティングリサーチを取り上げた話で、この映画のプロモーションに触れていました。フィギュア発売を見込んで(マーチャンダイズも制覇しようというワケだ)キャラクターをデザインしていたり、予告編を数人の子供たちのモニターに見せて感想を聞いたり、マーケティングリサーチにかなりお金を注ぎ込んでるようで、ソニー・イメージワークスが社運を賭けているのが感じられた作品です。
その甲斐あってか、話は楽しめるし、退屈しないで見れました。
と書くと、一見いい評価になるのですが、この映画の場合、話が予定調和的で先が読めるし、キャラの描き方も突っ込んだものがない平板なものです。ジェットコースター的な展開で楽しませるものの、2度も見に行こうとは思わないような、後に残らない映画です。
とはいえこれは、先のNHKの番組を見たことでマーケット優先の姿勢が鼻につきすぎたゆえの感想かもしれません。それにしてもあまりにもサラリと出来すぎて、本当に良く出来た「商品」だけど、製作者の思いのような、中身が無い感じです。

シナリオを担当しているのは2人で、うち一人は「シックス・センス」でその名を高めたM・ナイト・シャマランです。しかし今回は「シックス・センス」で見せたキャラ描写の繊細さは見られません。話の展開を優先させてそういった部分は引っ込めてしまった感じです。あるいはマーケットリサーチの結果を優先して、スタジオがその類のパートをカットしてしまったのかも。
この映画は、人間がネズミを家族として受け入れるという、いわば異なるものを受け入れる話であるのが、インド人であるシャマランがシナリオに関わった理由かもしれません。スチュアートが自分が本当に家族に受け入れられているのか悩む部分は、そんな感じがします。

ネズミの存在を簡単に受け入れる世界というのは、魔女が普通に存在していた「魔女の宅急便」を思わせます。しかし、スチュアートの両親が嫌いな顔一つ見せずにネズミであるスチュアートの存在をあっけなく受け入れるのは、いい人過ぎて、一体この人たちは何なんだ?と突っ込みたくなりました。演じている役者自身にいい人的な雰囲気があるならそれでもいいのですが、母親がジーナ・デイビスだもんなあ…悪い役者じゃないけど。
原作は50年以上前に書かれたものだそうで、この時代ならスチュアートの両親はただのいい人でよかったかもしれないけど、今の社会では単純にいい人なんているとは思えない時代なので、両親の描写には違和感を抱いてしまいました。もし、1950年代や60年代のディズニーのファミリーピクチャーが全盛期の頃にこの映画が作られたのなら、傑作になったかもしれません(技術的な問題はあるけど)。

スチュアートはCGで作られています。2本足で立って、服を着て言葉をしゃべるネズミなんて、CGでなければ作れないでしょう。スチュアートや他のネズミのクオリティはいいと思います(主役の出来が悪かったらおしまいだ)し、合成も、人間との動きが合ってないと思った箇所がわずかにありますが、完璧に近いです。
映画の舞台は一応ニューヨークのようなのですが、街のシーンは大部分をミニチュアで撮っていて、そのモデルをあえてミニチュアの感じを残したままで撮っているのが、ファンタジーという面を強調しているようで面白く感じました。

スチュアートの声を演じているのはマイケル・J・フォックスです。この人は今病気にかかっていて、俳優活動ができるかどうか分からない状況だと思うので、こういう形で健在ぶりを見せてくれるのはうれしいです。

 

 


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