スター・ウォーズ
エピソード2
クローンの攻撃

 

 

 

まだ見ていない人

第2話は、まだ銀河共和国を揺るがすような大きな事件には至っていません。エピソード1でちょっと見え隠れしていた、通商連合やダーズ・シディアスの暗躍が徐々に大きくなっきたり、主人公アナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)のダークサイドの片鱗が見えてくるといった、悲劇の序章という感じの話です。
この「クローンの攻撃」の前日談として、「崩壊の序曲」という小説が出版されていますが、今回のタイトルは「クローンの攻撃」よりも、この「崩壊の序曲」の方が合っているように思いました。

冒頭の山場である、コルサントで暗殺者を追うシーンは「スター・ウォーズ」シリーズ中、初めて描写された都市追撃戦です。しかし長いわりには、「フィフス・エレメント」と代わり映えがしないように見えて、新しさや迫力は感じません。
おかげで冒頭の方は眠気を感じてしまったのですが、アナキンとパドメ・アミダラ(ナタリー・ポートマン)が深い関係になっていくあたりから、話がやっと本筋に入った感じがして、眠気が覚めました。
この2人の行動に関しては、立場を考えれば無鉄砲としか思えない描写もあるのですが、アナキン君が堕ちていくことを予感させるエピソードを見せる、という目的は理解できます。

エピソード1は僕は面白いと思えませんでしたが、エピソード2と比べてみるとその理由は、物語を引っ張る中心的なキャラクターがいなかったせいかもしれません。アナキンやクワイ・ガンやパドメやジャージャー・ビンクスなど、エピソード1のキャラクターは多彩でしたが、その多さゆえに、お話が散漫になってしまったように思います。
今回のエピソード2は、アナキンやオビワンがほぼ話の中心になります。エピソード4から6までを見ている人なら、役者は違えども彼らはなじみのキャラですし、特にアナキンの感情の発露が物語を引っ張っていき、それが今後の話を暗示させて興味が持てました。

今回アナキン・スカイウォーカーを演じるヘイデン・クリステンセンが時々見せる鋭い眼光は、その今後を予感させて、ぴったりの役だと思います。
パドメ・アミダラを演じるナタリー・ポートマンは、当然エピソード1からの続投ですが、髪型や化粧で前作より大人びた雰囲気を出しています。肌がとても柔らかそうに見えるのが…ジェダイよりも彼女を選ぶの分かる気がするぞ。アナキン。

また、今回良かった部分は、エピソード4以降にリンクする描写が結構出てきているところです。エピソード4以降の、銀河帝国のメカを思わせるメカデザインが随所に出てくるし、最後の方では重要なメカがその片鱗を見せます。ラストの方で「帝国マーチ」がガンガンに鳴るシーンには鳥肌が立ちました。
また、惑星タトウィーンのシーンで、エピソード4でルーク・スカイウォーカーが世話になっていたオーウェン家と、その家族が出てきたのは感激でした。オーウェン家はもはやセットが残っているわけはなく、エピソード4の本編を参考に再現したそうですが、実にそっくりに作っています。
ここの絡みでアナキンの母親が出てきますが、すぐに消えてしまったのは物足りなさを感じました。

今回の音楽ももちろん、ジョン・ウィリアムスによるスコアです。帝国のテーマやエピソード1でのダース・モールと戦うシーンの旋律などを随所に流して、今後の話を予感させてくれます。
新曲はアナキンとパドメの愛のテーマと言えるものですが、劇中やエンドタイトルで何回も流れるので、サントラを買わなくてもメロディを覚えてしまいました。

エピソード1でジャージャー・ビンクスの評判が悪かったせいか、彼の出演は今回確かに少なくなっています。でも立場が偉くなってるのにはびっくり。似合わん…。
ドゥークー伯爵役のクリストファー・リーは今回がシリーズ初出演ですが、アクションがエレガントでかっこよく見えます。「ロード オブ・ザ リング」の悪の魔法使いも悪くはありませんが、今回の方が知性を感じました。エピソード4ではかつてのドラキュラ映画の相棒?ピーター・カッシングも出ていたし、これで完璧(何が?)。

エピソード1では、政治の話があまり語られなかったせいか理解しにくくなっていましたが、今回は通商連合が多少目立ってはいるものの、やはり分かりにくいものになっています。
ここはエピソード4以降のような、帝国軍VS反乱軍という単純な図式と比べると表現が難しいところではありますが、これをちゃんと描かないとエピソード3で(たぶん)全ての陰謀が明らかになる時、話が理解しにくくなるように思います

僕はこの映画を上映2週間前の先々行オールナイトで横浜で見て、席は満席でしたが、中で拍手をした人が1名くらいいました。この人が拍手をしていた箇所は2つで、1つはタイトルが出るところ。
もう1箇所は後半、ジェダイの「あいつ」がライトセーバーで戦うシーン。
ここは「待ってました!」て、僕も拍手したくなりました。恥ずかしくてやんなかったけど。

エピソード2は、全編デジタルカメラで撮影ということで話題になりました。大方のシーンでは違和感は持ちませんでしたが、中盤で1箇所、惑星ナブーでのアナキンとパドメの引きのショットで、2人の顔がつぶれて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でのデジカメの画質のように見えたところがありました。
これは合成処理の戻しに問題があったことも考えられますが、実景のシーンなので、合成を使っていないように見えたシーンです。もしこの表情のつぶれがデジタルカメラによるものなら、まだ完全な実用段階といえるか疑問です。

全体的に、今回の方がエピソード1より好きになれました。おかげでエピソード3が早く見たくなった…。

 

 

すでに見た人

僕にとってこの作品で一番燃えたシーンは、ヨーダの戦闘です。ライトセーバーを縦横無尽に振るうあの強さには、さすがジェダイ・マスターと感激!もしこのシーン以外が全て悪くても、これで許してしまったかもしれません。
今回もエピソード1同様にCGを多用していますが、このヨーダの動きはCGでなければ作れなかったはずで、技術の恩恵を一番感じられたシーンです。

アナキン・スカイウォーカーが見せる自信、傲慢、不安、愛情、反抗といった感情が、彼がダークサイドに落ちていく今後を予感させますが、これらの感情は人間なら誰もが持っているものです。もしかしたら、エピソード3では彼がダース・ベイダーになることを否定的に描くのではなく、人間として仕方の無いこと、という見せ方になるような予感もします。

今回の敵役ともいえるジャンゴ・フェットは、息子のボバ・フェットの目の前で、ジェダイ・ナイトのメイス・ウィンドウに首を刎ねられます。
ここはあっさりとした描写にされていますが、例え正当防衛とはいえ、正義であるジェダイの騎士が、子供の目の前で親を殺していいものでしょうか?メイスが子供の存在を知らなかったとしても。
ボバ・フェットは後に父親と同じ賞金稼ぎになりますが、彼はダース・ベイダーと親しいという設定だったと思います。ならばエピソード3では、親を殺された恨みを抱いたボバ・フェットが、アナキン(そのころはダース・ベイダーか?)を手伝ってジェダイに復讐する、なんて話が描かれるかもしれません。
正義の名の下に人を殺し、その子供が親の復讐をする…まるでテロの連鎖、つまり現実世界のアフガニスタンやパレスチナあたりで起こっているかもしれない話を思わせます。

現実世界との関連といえば、元老院議員議長であるパルパティーンに強大な権限を与えるという話は、かってのヒットラーを思わせるし、「敵が攻めて来るので軍隊が必要である」という主張も、ナチス・ドイツが軍備を進めていった過程を連想します。
こういった展開は過去の話ではなく、現在のブッシュ政権が対テロ対策を名目に武力を増強しようとする姿勢にも重なります。一見現実から離れた話に見える「スター・ウォーズ」が、実はかなり現実に近い話なのかもしれません。あるいはこれが、普遍的な人類の歴史なのでしょうか。
「スター・ウォーズ」の話の上では、これがパルパティーン独裁体制の誕生ということなのでしょう。この動議をジャージャーが始めるのは、調子よくだまされやすい者を上手く選んだ感じがします。こいつが愚かな民衆の代表ってか?
今回は明らかにされていませんが、たぶん、通商連合が作っているドロイド兵、そして辺境惑星のクローン兵、両方とも生産させているのはパルパティーン議員なのでしょう。
彼が両方を争わせる偽の戦争を作り出すことで軍備を増強させ、アナキンを抱き込んでジェダイナイトを始末し、銀河皇帝として君臨する、という話がエピソード3で展開していくのだと思います。

 

 


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