トゥルーマン・ショウ

 

まだ見ていない人

筒井康隆の小説で、「おれに関する噂」という、人知れず自分の生活をTV中継をされてしまう男の話を思い出しましたが、これはスタジオまで作って人の一生を中継してしまう、もっと大掛かりな話です。
主人公が使っているグッズがそのままCMになるとか、主人公の背後にある看板が映ることで宣伝になるので、それを映させようとするアイデアは面白いです。
スタジオは海に囲まれた小島に建てられている設定のようですが、劇中の中継ではハリウッドに建てられていました。この映像はイメージのつもりだったのでしょうか。確かに、小島の方が陸地のハリウッドにスタジオを建てるよりは安上がりでしょう。しかし、海もあり、町が一つ入るほどのでかいスタジオを建てて、お金が回収できるのかと心配になってしまいます。
クライマックスの、トゥルーマンが海に逃げるシーンは、彼にとっては自由を求めるシーンですが、これを見ている視聴者はトゥルーマンを応援しているとはいえ、このシーンもこれまでの彼の人生の中継の延長として楽しんでいたはずで、トゥルーマンが自由を得るために必死になってる、と見ていた人はごくわずかだと思います。人間の命を賭けた戦いを、ただの娯楽として消費してしまう視聴者こそ怖い存在かもしれません。
トゥルーマンが逃げたことが分かった後、夜に出演者全員で腕を組んで横一列になってトゥルーマンを捜索するシーンは、ファシズム的なイメージを感じる怖いシーンでした。月がコントロールセンターになっていて、そこからライトが放射されるとこも不気味です。
「トゥルーマン・ショー」は全世界に中継されているということで、日本の家庭で「トゥルーマン・ショー」を見ているというシーンも出てきますが、やはりハリウッドタイプの変な日本でした。「奇妙な果実」には出たのかな?
しかし仮に、本当に一個人の生活を全中継してヒットするんでしょうか?トゥルーマンが寝てる時なんて見てても面白いと思えません。インディ・ジョ−ンズみたいな人生ならともかく、普通の人間の人生なんて、見てても退屈な時間の方が多いと思います。それとも、視聴者がトゥルーマンを子供の頃から見ることによって、彼に自分の子供のような親近感が湧いて、いつ見ても飽きなくなるのでしょうか。
トゥルーマンの親友など、周りの俳優たちの中には何十年と出続けている人もいると思いますが、休みとかどうやって取るのでしょうか?彼らには家族とか、自分の生活はないのかな?いろいろ考えていくと、いくらでも突っ込みは入れられますね。ま、そういう細かい部分を問題にすべき映画ではないと思いますけど。
主演のジム・キャリーは、「ライアー・ライアー」の時はおふざけが鼻に付きましたが、今回は真面目に、好演でした。
ピーター・ウィアー監督作品は久々という感じですが、この「トゥルーマン・ショウ」にしろ、「刑事ジョン・ブック/目撃者」や「いまを生きる」にしろ、毛色の変わった設定の作品があっている感じです。

 

すでに見た人

トゥルーマンは最後に自由を得たことになりますが、これさえも番組の演出だったかもしれないと解釈したくなります。彼がドアから出たとたんに「カット!」と声がかかったりして。
しかし、スタジオを出た後のトゥルーマンの生活は楽ではないでしょう。仕事も結局、与えられていたわけだから、実社会で生きていくことは厳しいと思います。TVの人気者だった、ということを生かした方が楽に生きれるだろうから、やはりTVに戻るしかないのでは、と思えます。そう思うと、あのラストは本当にハッピーエンドだったのか?と思います。
トゥルーマンは生活をTV中継されていたことで、TVに養育してもらったわけではありますが、仕事も女房も彼自身で獲得した物が何も無く、全て与えられた人生というのもむなしい感じがします。とはいえ、それを受け入れてしまえば、これほど楽な生き方もないでしょうけど。
ヨットのシーンでは、あの強風の中、どこにカメラあったのでしょうか? また、地下室からトゥルーマンがカメラを欺いて脱出する時、彼はどうやってカメラの死角を突き止めたのか気になってしまいました。ま、そういった展開にしないとドラマが面白くならないだろうから、この辺はうやむやにされてもしょうがないと思いますけど。

 

 


 

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