ウルトラセブン

(98年ビデオ版:「失われた記憶」「地球より永遠に」「太陽の背信」)

 

 

まだ見ていない人

画像がフィルムでなくビデオだったのは非常な違和感を覚えます。 TVでやってる「ウルトラマンティガ」や「ウルトラマンダイナ」はちゃんとフィルムでやってるのに。前にやったTVスペシャル版「太陽エネルギー作戦」と「地球星人の大地」はTV用だから仕方が無かったにしても、今回はレンタルビデオという、お金を払って見るメディアで公開するのだから、クオリティはTVより上であるべきだと思います。画像がビデオだからクオリティが悪い、と一概に言えない部分はあるでしょうが、オリジナルがフィルムでやってたのにビデオにされると違う感じがします。

オリジナルがフィルムだったのは、製作当時はまだビデオがメジャーになっていないということと、合成が当時はフィルムでしかできなかったという事が大きな理由だと思いますが、光と影のコントラストがはっきりと出るフィルムというメディアは、ダークなイメージが多い「ウルトラセブン」にはぴったりでした。

例えば「盗まれたウルトラアイ」で、マヤがダンにウルトラアイを返す時の、影の中からウルトラアイが突き出されてくるカットなんて、クリヤに映ってしまうビデオではこれと同じ雰囲気は出せないでしょう。こんな風に、「ウルトラセブン」は光と影を多用した映像構成が上手く、フィルムはまさにハマってました。フィルムでやったからこそ「ウルトラセブン」はダークな独特のイメージが出たと言えます。ですから、今作もフィルムを使った方が、より「ウルトラセブン」らしさが出たと思います。といっても、フィルムを使うと制作費がビデオより跳ね上がという大問題がありますが(それがフィルムにしなかった本当の理由だったりして)。

今回のシリーズは、ウルトラセブンに変身する人間が、モロボシ・ダンから別の人間にバトンタッチされる話になるのかと思っていました。僕はモロボシ・ダン=ウルトラセブンとは限らないと思っています。もともと、地球に来たウルトラセブンは薩摩次郎の体に変身してモロボシ・ダンを名乗ったのですから、別の人間の体に変身してもいいはずです。モロボシ・ダンを演じている森次晃嗣氏が年なので、いつまでもダンを演じられないはずですから、もし人間に変身したウルトラセブン(これまでのモロボシ・ダン状態のセブン)を出すなら、誰かにバトンタッチする必要があります。

「スター・トレック」シリーズは、多くのファンが思っていたであろう、「スター・トレック」=カーク船長&ミスター・スポック&ドクター・マッコイの枷を外し、彼ら以降の時代設定の「ネクストジェネレーション」で新たな世界を作るのに成功しました。それは今では「ディープスペース9」「ボイジャー」まで広がってます。今回の「ウルトラセブン」も、そういったネクストジェネレーションという感じになるのかと期待していたんですが…しかし、もし今後も「ウルトラセブン」を続けるのなら、いずれはやらなければならない事でしょう。それとも、「太陽エネルギー作戦」の時みたいに、人間に変身したウルトラセブンを出さないでやるんでしょうか。

この作品は手作り特撮が売り物だそうですが、CGを使おうとそうじゃなかろうと、特撮、というかトリック撮影には変わりないんだから、特に手作りにこだわる必要なんて無いと思います。本当はCG使う予算が無かった(変身する時にモーフィング使ったくらいか)言い訳かな?「ティガ」や「ダイナ」に比べるとチープな感じで、見劣りがしてしまいました。吊り糸ガンガン見えてるしなあ。

おまけに光線とかのイフェクトもいかにもビデオ合成のイフェクト(ウルトラマングレートみたい)で、余計に安っぽい感じがしてしまいました。第1話「失われた記憶」なんて冒頭のダンの夢のシーンから、いかにもビデオの合成で始まるし。これで画面のクオリティの想像がついてしまう。

特撮がチープな印象を受けたのは、格闘シーンが長かったのも一因でしょう。特に1話と2話の、セブンと怪獣との格闘シーンは長さを感じました。5分以上、延々と殴り合ってる感じでしたね。どういう理由でこんなに格闘シーンを長くしたのか理解に苦しみます。長く見せればそれだけ特撮のアラも目立つのに。

全3話とも、戦う事になる相手が単純な悪ではなく、地球や人類にとっては善かもしれない設定になっていて、ウルトラ警備隊がジレンマに悩む事になるのは「ウルトラセブン」らしくて良いです。ただそのため、特に第3話なんか、構造がオリジナルの「ダーク・ゾーン」に似てしまった感じは受けました。

 

すでに見た人

ウルトラ警備隊の男性隊員は「カザモリ隊員」などのように呼び名が苗字ですが、女性隊員の呼び名は「サトミ隊員」などのように名前になってます。オリジナルのセブンの時にそうだったからなんでしょうが、これって男と女の差別のような感じがしました。女性でも苗字で呼ぶのが平等であると思うんですが。

オリジナルではアンヌ隊員は他の男性隊員に比べて、あまり活躍しなかったと思うんですが、今作のサトミ隊員の場合は、男性隊員並みに活躍するのは今っぽい感じがしていいです。コメディリリーフ的な立場も良い。ただ第2話「地球より永遠に」でガッツ星人を見て悲鳴をあげるのは、地球防衛軍の隊員として情けない。

第1話から第3話まで、3本見てくるとだんだん隊員の個性が分かってきます。シラガネ隊長は貫禄あるんじゃないでしょうか。カザモリ隊員役の山崎勝之氏は、普通の時とセブンが乗り移った状態をよく演じ分けていました(次のセブンは彼だと思っていたんだけど…)。

森次晃嗣氏はお年を召したせいか、なかなか貫禄が出てました。セブンは宇宙人だからダンが年を取るのはおかしいと思うんですが、それは役者がやってる以上無理というものでしょう(仮にデジタルが使えてもオリジナルの通りに森次氏を若くするのは不可能でしょう)。ここは、ダンが記憶を失ってる間に肉体が地球人化してしまって、年を取るようになったと解釈すべきでしょうか。しかし、セブンの声も森次氏だったのかな?

毒蝮三太夫氏は当然として、佐原健二氏が出てくるのは嬉しいです。でもどうせなら、「ウルトラマンゼアス」みたいに他の旧メンバーも出してほしかったですけどね。予算で駄目だったのでしょうか。

「地球より永遠に」に出てくるナツミは、おでこがオリジナルの「盗まれたウルトラアイ」のマヤを思い出させます。スタッフの好みかなあ?

第1話「失われた記憶」では、ウルトラ警備隊が花を調べ、回収をします。第3話の「太陽の背信」ではウルトラ警備隊は地面の黄金化現象を調査します。しかしこれ、ウルトラ警備隊の仕事でしょうか?ウルトラ警備隊は宇宙人の撃退が仕事であって、事件に宇宙人が絡んでたという事が判明した時点で動くべきだと思います。ですから、花を調べるのはいいとしても、それを回収するのは警察の仕事ではないでしょうか?地面の黄金化現象の調査は、始めは宇宙人の関連が取り沙汰されていなかったのだから、これも警察の仕事だと思います。調査の過程で宇宙人が関与していると思われた(確実ではなくても)時点で出動しないと、ウルトラ警備隊って怪しい事があると何でも調査する団体のような感じがします。これじゃあ体がいくつあっても足りないでしょう。

「失われた記憶」でのウルトラホーク1号の出動理由は、ダンが(この時はウルトラ警備隊はダンとは知らないけど)ポインターを盗んだことですが、これって大げさじゃないでしょうか。車を盗まれたぐらいで防衛軍の最強兵器を出動させるかなあ?怪獣が現れてから出動させてもよかったのではないでしょうか。

しかしカザモリとシマがこの後、車を盗んだ奴がダンだと知らずに乗せてもらったくせに、なんでここで身元を聞かないかなあ?

今作ではウルトラホークは1号しか登場しません。2号、3号はもとより、宇宙ステーションも出なかったし、地球防衛軍の基地内部のシーンも司令室や会議室くらいで、格納庫のシーンもなく、当然、ウルトラホーク1号の発進シーンもありません。これも予算の関係だったのでしょうか?この点もチープに見えた一因かも。TVスペシャル版にウルトラホークは1号の発進シーンがあったかは覚えてないんですが、あったなら使い回せばよかったのに。

ウルトラホーク1号がミサイルを撃つ順序として、まずFireボタンが光ってから、次に発射ボタンを押してミサイル発射になりますが、「失われた記憶」ではFireボタンが光ると同時にミサイルの効果音が入ってました。まだ発射ボタンを押してなかったのに。

第1話「失われた記憶」では、前のTVスペシャル「地球星人の大地」のラストからダンは何をしていたのかが、想像はつくんですが今一つはっきりしない感じでした。世話になってた奥さんが渡すウルトラアイって、ダンがずっと持っていたにしてはやけに綺麗で、もろにプラスチックと分かってしまいました。汚しくらい入れろって。

第2話「地球より永遠に」ではダンは冒頭から一人でさまよってたけど、「失われた記憶」の時の母娘とはどうなったんでしょうか?いつ、どのようにして別れたんだろう?

「地球より永遠に」では火山の噴火が多いという話でしたが、現実には多いと言うほどはないと思われるので実感がわきませんでした。冒頭に噴火が全世界で多発している、というようなニュースリールでも入れるべきでしょう。中盤、ガッツ星人の申し出に対し、彼らの手は借りないと防衛軍が結論した後、いきなり彼らのアジトに攻め込むのはどうかと思ったんですが(交渉役の人でも立てるべきか、と)、向こうも人間を誘拐してたりして非合法なことしてるんだからいいんでしょうね。人類は、たとえ悲劇が先に待っていようと人類以外の手でその運命を変えられてはならないというテーマは納得できます。

第3話「太陽の背信」での、太陽が自意識を持っているとか、人間のマイナスエネルギーを吸収してるとか、設定は無茶な感じがしましたが、ああいうテーマを持った話にするための設定という事で納得はいきました。バンデラス太陽が人間の「憎しみと欲望」を去勢する事を言いますが、その反論として「憎しみと欲望」が人間の文明を押し進めたことも付け加えてほしかった。しかし、なんで人間の憎しみや欲望の感情を吸収してエネルギーにするなんてことを簡単に信じられるのでしょうか?感情を食べるなんて「スター・トレック」でも見てないと理解できないんじゃないかな。宇宙船を使って地球に来るのではなく、スターゲイトを通って来るという概念は「ウルトラセブン」では始めて(宇宙船を作る予算がなかったために採用した設定だったりして)だと思います。

一番最後に来た、ダンとフルハシの再会シーンは妙にあっさり終わりましたね。積もる話もあったろうに。フルハシはあの後、運転手を失ったはずだから、タクシーでも拾ったのだろうか?いや、ダンがカザモリの時みたいに、運転手をカプセル化していたかも。

今作ではメカも制服もオリジナルと変わっていませんでしたが、これって変な感じがしました。オリジナルの設定が1980年代だったから、今作の設定がそれより何年経っている設定になっているのか分かりませんし、デザイン的にいえば、「セブン」のメカも制服も、ウルトラシリーズ中一番リアルで、完成されたものだとは思うのですが、そうだといって、現実の世界でも技術の発展や、制服のリニューアルがあるのに、「ウルトラセブン」では全く変わっていないのはおかしいと思います。ファンの反発を恐れたからでしょうか? それともリニューアルする金がなかったのかな?

メカや制服のデザインが違っても、基本設定が同じでテーマさえ間違わなければ「ウルトラセブン」である、という作り方は成り立つと思います。「スター・トレック」シリーズが「ネクストジェネレーション」でも成功したのはそういう理由ではないでしょうか。99年リリース予定という次回作も同じパターンでいくかなあ?

メカではポインターだけは変わってましたね。車種が2種類というのは、らしい感じがしました。しかしこれのみ変えられたというのはスポンサーとの絡みだったりして。

ヴァリエル星人とガッツ星人は宇宙船に乗っていましたが、どうやって地球に入り込んだんでしょうか。防衛軍の監視システムは彼らの侵入をキャッチできないほどもろいんだろうか。

ウルトラ警備隊って、セブンと怪獣が戦ってる時ってほとんど見てるだけで(「地球より永遠に」でほんのちょぴっとあったけど)、少しくらい援護くらいしろ!と言いたくなりました。「ウルトラマンティガ」や「ダイナ」じゃちゃんとやってるのに。

メイキングはいい出来でした。台本と構成が上手くて、現場がいい雰囲気であったであろう感じが伝わってきます。ナレーションをやってるあだち理絵子は隊員役の中で一番最後まで付き合ったと言えるでしょう(出番少なかった代わりか)。

これを書くためにもう1回このシリーズを見直したんですが、 アラばかり目立ってしまいました。テーマそのものや役者は悪くないのですが、TVでやってる「ウルトラマンティガ」や「ダイナ」が話にしろ設定にしろいいクオリティを維持しているので、どうしても比べてしまい、落ちる印象を受けてしまいます。次回作はスタッフを変えて、もっとマシなモノにしてほしいです。

 


 

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