息の荒い黒鳥を男は軽々と持ち上げた。

「うわっ!何すんだよ!」
「お前、ちゃんと食ってんの?軽すぎ!」

驚く黒鳥にも動じない。

「いいから離せよ!」
「なんだよ。お姫様抱っこくらいされたことあんじゃないの?」
「なんだよ、それ。気持ち悪い。」

黒鳥の抵抗が激しくなり、もがき、暴れる。

「ちょっと、分かったって。危ないからおとなしくしろよ。」

聞く耳を持たずに逃れようとする黒鳥。

「なんなんだよ。そんなに嫌がること無いだろ。熱、高いんだから大人しくしてろって。」

男の声も聞かずに黒鳥は必死の抵抗をやめない。
腕力には自信のある男も遂に支えきれなくなり、黒鳥は床に落ち、体をしたたか打った。

「っつ〜!」
「だから言ったじゃん。大丈夫かよ。」

手を伸ばす男も黒鳥は拒否する。

「何だよ。手当したほうがいいじゃん。」

全てを拒否され、男もとうとう一歩身を引いた。

「手当なんていい。やるならさっさとやれよ。どうせその為にこの部屋に来たんだろ。」

酷い物の言い様で突っぱねた黒鳥だが、そこから立ち上がることさえ叶わなかった。

「やらないよ。やるわけないじゃん。凄い熱だし。それにお前・・・傷だらけじゃん。」

男の顔から表情が消えていた。

「見るなよ。やっぱり、今日はなしな。またにして。」

立ち上がろうとして後ろに倒れこんだ黒鳥。男はとっさに腕を伸ばし、今これを手中にした。








「なんだよ、これ。」

男はベッドに横たわらせた黒鳥を見ていた。
人目に触れられるところには付けられていない、しかし、少し服をずらせば、そこには無数の傷。
痣、切り傷、擦り傷、火傷。古いもの、新しいもの。どうして今まで気づかなかったのか不思議でならない。
簡単な手当てさえ施されていないそれは治る気配を見せない。
消毒だけでも済ませたいところだったが、今、黒鳥が最も必要とするものは休息だと気づき、伸ばしかけた手を元に戻す。

苦痛を隠すことなく表す顔と声に、それの原因が高熱だけなのかと思いを巡らす。

額に乗せられた布を取替え、無意識に求める口に水を与える。
見守ることしか出来ずに熱が下がるのを待つ。

男が浮かべた苦痛の表情は黒鳥が浮かべたものと何ら変わりはなかった。
夜が明ければ熱も下がる。
そう信じ、男は朝を待った。




朝が訪れる。目を覚ました黒鳥は部屋の中を見渡し、状況を把握する。
昨夜の自分を思い描き、厄介なことになったと、ため息をつく。
ゆっくりと身を起こすと、サイドテーブルに何かが置いてあった。

『オディールへ
 朝、目が覚めたときに俺がいるのを見て、顔をしかめるお前が想像できるから、今日は帰ります。
 この部屋は今日一日取ってあるから、体調悪そうだし、なんか色々あるっぽいから、ゆっくりしていってくれ。
 あと、置いてある薬、多分飲むと楽になると思う。別に変な薬じゃないから、ちょっと苦いと思うけど、飲んだ方がいいと思う。
 また、今度、ゆっくり話がしたい。
 それじゃあ。早くよくなれよ。
                              ゾロ』

黒鳥の目が紙の上を何度も行き来する。

「オディールへ・・・」

小さな声が何度も読み上げる。

「・・・早くよくなれよ。ゾロ。…………オディールへ・・・」
「そんな名前じゃない。」
前にも呟かれた言葉が、また口の端から零れて行った。

数度読めば、短い文章は難なく頭の中に入り。
ガラス玉のような瞳は、紙の上ではないどこかを見つめ、それでも口だけは同じ文章を何度も繰り返していた。
「なんだよ、これ。」
その声はかすかに震え、それに気づいたのか、唇が強くかみ締められた。

「ぅわ〜!」
もう一度ベッドに倒れこんだ小さな体は、苦しそうにシーツに皺を寄せた。
収まったはずの呼吸が再度荒くなり、嗚咽が漏れる。
しかし、目の端から零れるはずのものを流さないプライドの高さは捨てられなかった。




体が欲するままに、睡眠をむさぼると、それでも、日が落ちると、街灯の下に立たないわけにはいかなかった。悲鳴を上げる体に鞭を打ち、立ち上がる。
見えてきたのは、心配そうに眉を寄せる男の姿。

顔を歪めながら、一歩一歩近づく。

「よぉ。」
「……。」
「大丈夫か?体。」
「ああ。・・・ありがと。」

聞こえないほどの小さい声。以前ならからかったかも知れないそれにも、男はなんら反応を示さなかった。

「ゆっくりしてればいいじゃないか。」
「今日タダでいいよ。」

かみ合わない返事をし、話を終らせようとする。
男はそれに表情を厳しくしたが、それでも、自分が買えば、今夜、他人の手によって黒鳥が傷を深くすることはないと気づき、いつもの部屋を顎で指す。

だるそうに体を運ぶ黒鳥を見遣る。
少し下にある顔はまだ少し赤いように見えた。

部屋に着くと、急ぐようにベッドに腰掛ける黒鳥。
おそらく、立っているのがきついのだろうと男は推測するが、それを邪推だとでも言うように黒鳥が口火を切る。

「好きなようにして。色々・・・迷惑かけたみたいだし、今日はいいように、」
「なぁ、」

最後まで言わせる気はなかった。

「なぁ、オディール。」
「……。」
「これからもさ、金、払わなくてもいいか?」
「何、言ってんの。やり逃げ?」
「そうじゃない。」
「じゃ、何?」

黒鳥の口調に苛立ちが混じる。

「金、払ったり払われたりする仲じゃなくなりたい。」
「は?」
「商品じゃなくて人間になれよ、オディール。」



















2006.4.7UP