「本当に行っちゃうの?」
「寂しくなるわ」
「私、貴方とだったら一緒になってもよかったのに」
「あら、私もよ」

昼の住人に囲まれているのは男その人だ。
うっとりする程魅力的な笑みを振り撒きながらその実、その目はただ一人だけを探していた。

「船で行くんでしょ?」
「今度はどちらへ?」
「何時の船なの?」
「11時。」
「じゃあ、まだ…」

婦人の言葉に上へ目をやる。
街の真ん中に据えられた時計はまだ個人で持つのが難しい代物だ。
きっと黒鳥もここで見ない限り今の時間は分からないだろう。
そして、それは10時を今まさに過ぎようとしていた。

「あら、誰か待ってる人でもいらっしゃるの?」
「いや」
「待ち人来たらず…かしら」
「そんな事言っちゃ失礼よ」

御婦人たちのかしましい声にわからないように顔をしかめ、気を紛らわせようと傍らに侍る馬を撫でる。
ここで時間を潰すのは気分がよいものではなかったが
「時間が許す限り皆さんといたいので」
と瞳に愁いを浮かばせる。
気をよくした彼女達から更なるプレゼントを受け取る。

「これを私と思ってね」
「忘れないでね」




乱暴に抱かれ痛む体に目を覚ました黒鳥は、もう日が高い事に気付く。
隣で眠る見慣れた顔に小さく息を吐いた。
その時
「オディール!」
自分を呼ぶ声を聞いた気がした。
弾かれたように跳び起き窓へ駆け寄る。

「オディール!」

再度聞こえる筈のない声が聞こえる。約束の場所はここから遠く離れ、男がこの家を知る筈もない。
しかし、呼ばれている気にじっとしていられなかった。

黒鳥が家を出る音に、ベッドの中の男が目を覚ます。
「どこに行くんだ?」
「ちょっと」

黒鳥は家を飛び出した。








時間に迫られた男は苛立ちを隠そうともしなかった。
もう待てないと名前を叫んだ。

「オディール!」
「ゾロ?」

小さな声が聞こえた気がした。

「オディール!!」
小さな黒い影とそれを追う長身の男が遠くに見えた。
「オディール!」
自分に向けられる好奇の目など気にしてられない。

「オディール!一緒に行こう!」

黒鳥はただ泣きそうな顔をして自分を見上げた。寄って抱きしめたかったが、黒鳥の意思を確かめたかった。

「一緒に行こう。」
黒鳥は後ろから迫る気配を感じつつ、ただ男を見つめる。
何か言いたそうに口が 動くが言葉が出てこない。




「おい!どこへ行くつもりだ!私から離れられて生きていけると思っているのか !」
「オディール」
「おい。今まで誰に育てて貰ったと思っているんだ!」

静かな声と怒鳴り声。自分に向けられた二つの声。

「罰を与えてやるからな!」

怒鳴り声が近付く。

「幸せにする。」
「そんな事をして許されると思っているのか!分かっているだろうな!」

その声はもう、すぐ後ろから聞こえていた。時計の針も待ってはくれず11時が近付く。

「おい、待て!」
「オディール。もう時間がない。来てくれないならこれでお別れだ」

男は馬に足をかけた。
黒鳥は目の淵まで涙をため、青ざめた顔で唇を震わせる。しかし体は動かなかった。

「こっちに来るんだ!何をしているんだ!」
「オディール!側にいてくれ!」



太く長い手が黒鳥の肩に伸びる。


あと一歩。


あと1センチ。


あと1ミリ。



「おい!」
「オディール!」
「おい、何やってるんだ!」
「オディール!愛してる!」






「…いって。……。…連れていって!一緒に連れていって!!」

爪の先で腕を交わし、それを逃れる。

「来ないで!」

渾身の力で突き飛ばす。
黒鳥のせき止められていた想いが溢れ出した。言葉と想いが関を切って流れ出す 。



「ゾロ!」
「オディール!」



自分を育てた街を、人を、振り切って男に駆け寄る。

「ゾロ!一緒に行く」
男は軽々と黒鳥を馬上に抱き上げると直ぐさま馬の腹を蹴った。
いななきととも に馬が走り出す。

「ありがとう。また会おう。お元気で」

御婦人への挨拶は忘れずに怒鳴り、走り寄る影を突き放し、一気に街を走り抜ける 。

「バイバイ」





住み慣れた街に、大嫌いだと気付きもしない程、自分の全てだったこの街。
そして、そこに住む人。
その全てに別れを告げた時、黒鳥の目から涙が一筋零れ落ちた。


力が入らない体を男に預け、馬に揺られる。
男ももう何も話さなかった。




「ほら、見えるか、オディール。船だ。さぁ、どこに行きたい?どこにでも連れていくよ」

真っ青な空と海が新しい一歩を踏み出す二人を出迎えていた。









「オディール」
「何?ゾロ」
「絶対幸せにするから」

「うん」










2006.8.18UP
HAPPY BIRTHDAY DEAR MASAHIRO
2年前の木村さんのお誕生日に始まった「オディール」
これで完結となります。
今までに書いた作品の中で一番支持していただいた「オディール」
聖奈としても感慨深いものがあります。
オディールの堅く閉ざされた心をついに開いたゾロ。
喧嘩することも多そうな二人ですが、末永くお幸せに。