その時、薔薇が舞い散った。
それは、深い真紅の薔薇。
僕が好きな白薔薇は、今、目の前で色を変えた。
視界に広がる薔薇の花。
その花びらは紅かった。









「あれは血だったのかな?」
「ふぇ?!」

突然の呟きに昼食をかき込んでいた木村は声を裏返した。

「なに?!その声。しかも、かっこいい顔が台無し。もうちょっと締まりのある顔してた方がいいと思うよ。」

ツボにはまったらしい吾郎は、ひとしきり笑い転げた後、見下した顔でそういった。

「うるせー。」
「だって、酷い顔してたもん。ああ、おかしい。」
「で、何?」
「何が?」

自分から話し出したくせに「Today’s Lunch」に夢中になって目も合わせないその様子に、仏頂面になる。

「だからぁ、」
「あ、血の話?」

(わかってんじゃん)
そう思っても口には出さない。早く話の続きを聞きだすにはそうした方が賢明だと、長い付き合いから学んでいる。

「さっき相談に来た女性の鼻の淵がね、ちょっと赤かったんだよね。あれ、血かな?」
「だったら!」

その女性は夫からの暴力に悩んでいた。

「そう。本当にそうなら、それで、もしそれが夫からの暴力によるものなら、」
「勝つのは簡単じゃん。」

木村が言葉を引き継ぐ。

「でもさ、あんなに綺麗に着飾った女性が、鼻に血を付けたままで来るかな?それに、やっぱり僕、夫婦間の問題は夫婦で解決すべきだと思うんだよね。」

軽く首をかしげ木村を見つめると、吾郎は再び食事に集中し始めた。

「ここのパスタ美味しいよね。アサリの風味が活きてる。」
「だから、費用を水増しして伝えたのか。」

問いただす木村の声は少し低い。

「やめてよ。まるで僕が詐称行為をしたみたいじゃない。ちゃんと、『最高でこのくらいの値段になります。』って言ったよ。」

「最高」を強調して、少し不満げな顔をしてみせる。

「とにかく、『考えます』って言ってたんだから、一度落ち着いて考えるといいよ。ね?」
「…俺さ…お前と一緒に事務所持ったの間違いだったかもしれない。」
「そう?僕は木村君と一緒に事務所持ってよかったって思ってるけど。」

明るい日差しが差し込むレストランで、スーツ姿の2人はかみ合わない話をしながらも、親密そうな空気を漂わせ食事を続けた。










『かきのき法律事務所』

ダークブラウンでまとめられたオフィス。
シルバーを中心にまとめたい、吾郎のその意見は木村によって却下された。

「シンプルでいいじゃない。」
「ダメだって!冷たい感じがするだろ。人はうちらを頼ってここにくるんだから、暖かみを感じる部屋にしないと。」
「暖かみねぇ……。」

思わせぶりに言った吾郎はそれでもそれ以上反論することもなく
「ま、木村君に任せるよ」
とだけ言うと、打ち合わせを切り上げた。


始めは納得の行かなかったその「暖かみのある」空間も、今では、重厚な感じが気に入っていなくも無い。
冷たい感じはしなくても、その高級感が、結局、人を遠ざけているようにも思えるが、結果的にそれはいい客を呼んだ。
つまり、お金に余裕のある人が集まる場所へとなって行ったのだ。

そして、今日も身なりのいい人がその扉を開く。

「こんにちは。ご相談ですか?」










「やっぱりお願いすることにしたわ。」
そう言って入ってきたのは、昨日一度は帰った女性客。

「ご主人と話し合いはされたんですか?」
「そんなことしたら、何されるか分からないでしょ?」
「では、ご主人、つまり、中村正哉さんを相手に訴訟を起すということでよろしいですね。」
「ええ、お願いします。このままでは、自分の身が危険ですから。」
「わかりました。この場合、まずは調停で話し合われることをお勧めします。しかし、そこで決着に至らない場合は裁判となります。その際、有効だと思われる資料、つまり、何か証拠はありますか?」
「あるわ。」

そう言って、女性が取り出したのは怪我をした箇所、壊された物の写真そして診断書。
随分準備がいい、と相対していた吾郎は顔をしかめたが、離れて様子を見ていた木村には気持ちに迷いがない証のように思えた。

「これだけあれば十分よね?」
女性の口ぶりには不安のかけらもなく、勝利を前に笑顔を抑えきれない、そんな印象さえもてた。
「…そうですね。」
引き受けたものの、なかなか乗り気になれなかった吾郎も、伏せていた目を上げると、
「十分です。」
と、強く言い切った。自分の意に沿わなかったとしても、勝てる戦いに負けるわけには行かない。
「では、こちらから、中村正哉さんあてに訴状を送りますので、ご了承ください。」

必要事項を伝えると、彼女は頷き、了承し、そして、綺麗に微笑んだ。
それはまるで、店内で新作カタログの説明を受けているかのような顔だった。

「円満に解決されることを願っています。」
「ありがとう。」

「私ね、薔薇が好きなの。」
立ち上がり帰るかと思った女性は突然話題を変えた。

「バラ……ですか。」
「そう。うちの主人ね、記念日には決まって薔薇の花束をくれた。いつも一緒で能がないってなじったこともあるけど、私知ってたの。」
「何を……ですか?」

薔薇のように真っ赤に塗られた唇を見つめつつ問う。

「薔薇の花が1本ずつ増えていくこと。」
視線を下に落とした彼女は、
「どうしても100本の薔薇の花束を貰いたかったのよ。」
と言葉を続けると、過去の自分を笑った。

「だから、今まで我慢してたんですか?」
「そう。」
「そして、貰ったんですね。100本の薔薇の花束。」
「ううん。違う。99本。」
「ん?」

吾郎の首が左側に傾ぐ。

「100本目はもっといい人から貰いたいの。」
磨きあげられた床を見つめ、彼女は低く、強く、そう言った。
「我慢の限界なのよ。自分の人生、取り返したいの。」

「お手伝いします。」
最後まで言わせずに、彼女は顔を上げ、あでやかな笑みを浮かべて視線を合わせた。

「稲垣さん。あなたは何が好き?」
「花ですか?僕もバラが好きですよ。女性に99本送ったことも100本送る予定もありませんが。」

その返答に満足したのかクライアントは軽やかな笑い声を残して去って行った。
「また、くるわ」
綺麗に巻かれた茶色い髪が彼女の背中で揺れていた。

吾郎はそれから暫く彼女が消えて行ったドアの向こうを見つめていた。
人指し指をこめかみに当てながら。

「バラ・・・ね・・・。」





むかしむかし、ある王国に子どもを欲しがっている国王夫妻がいました。
何度も何度もお祈りして、ようやく女の子を授かったとき、王様と女王様は大変喜び、大きな舞踏会を開きました。
そこには十二人の魔法使いも呼ばれました。
でも、たった一人の魔法使いだけ呼ばれなかったのです。





「すみません、稲垣先生。そろそろ現実に戻って仕事してくれませんか?」
「ん?あ、そうだね。」
「そうだねって……。」

呆れ顔の木村を尻目に吾郎は少しぼんやりとしたまま、机に向かい、しかしそのまま仕事に没頭していった。












2008.2.2UP
「薔薇のない花屋」というタイトルを聞いた時から
「何か書きたい!」と騒いでいた聖奈ですが、やっと形になりました。
まだ未定ですが、とりあえずもうしばらく続きます。
が・・・聖奈は弁護士ではありません!!!
そこらへんは、お手柔らかにお願いします。

ちなみに、【かきのき法律事務所】
漢字で書くと【垣ノ木法律事務所】となります(^^)

タイトルが決まらず、悩むこと丸2日。
手元に残っているものだけでも、36個のタイトルを考えた中、
漸く『偽りの薔薇』となりました。

ファイル名として残した『Rose Sealing』というのが実は一番しっくり来ていたのですが
最近、英語のタイトルが続いていたので、どうしても邦題(?)にしたくて・・・。

ということで、ほぼ2ヶ月遅れですが、これをまだ書いていなかった
殿下の34回目のお誕生日記念作と替えさせていただきます。
いつまでも薔薇の似合うgentlemanでいてください。