「どうもありがとうございました。本当に助かりました。感謝します。」
「どう致しまして。お元気で。」



弁護士。
人を助けるのが仕事。
ただし、かっこよく言えばの話。
困ってる人からお金をたかって生きている、そう言われてることもある。
いつも依頼人が笑顔で帰るとも限らない。
僕を恨む人だって大勢いる。

「お役に立てず申し訳ありませんでした。」
頭を下げる僕をあからさまに非難する人は少ないけれど、それでも無言の怒りと虚ろな瞳は僕を責め立てる。

「助けてください。」
「大丈夫です。やれる限りの事はやらせて頂きます。」
自分を精一杯、知的に見せてそう言い放つ。

だけど……
本当に助けて欲しいのは僕の方だ。

なのに……
「たすけて」
その4文字が僕には言えない。












裁判所から戻ってきた吾郎の表情はさえなかった。

「どうした?勝ったんだろ?」
「当たり前でしょ。」

デスクに座ると肘をつき、顎に手を当て一点を見つめている。
少しムッとしたその表情は勝訴した弁護士の顔には見えない。

「あ、そうだ。吾郎。中居から電話あった。」
暫く様子を伺っていたものの、埒が明きそうにも無く、木村は話題を変えた。
「中居君?……あぁ、僕、約束すっぽかしたかも。でも、忙しかったんだし、しょうがないよね。」
自分の世界から出てきた吾郎は、それを聞いても悪びれる様子も無かった。


















「これは何ですか?」
「それは猫です。」
「これは何ですか?」
「それはパソコンです。」
「これは何ですか?」
「それはにんじんです。」
「これは何ですか?」
「それは……それは何ですか?」
「これは薔薇です。」
「そうですか。」
「疲れましたか?」
「いえ、大丈夫です。」
「では続けます。」



新しく清潔で真っ白な部屋の中で向かい合う医者と患者。
カーテンから自然光が降り注ぐ、その場所で、医者は手近なものを指したり、本の中の絵を指差す。
患者はただひたすらその名前を答える。



「これは何ですか?」
「それはひまわりです。」
「これは何ですか?」
「それはもみの木です。」
「これは何ですか?」
「それはガーベラです。」
「これは何ですか?」
「それは朝顔です。」
「これは何ですか?」
「それは……それは何ですか?」
「これは薔薇です。」
「そうですか。」
「体の調子はどうですか?」
「特に問題ないです。」
「頭が痛むとか。」
「ありません。」
「そうですか。検査の結果も特に問題ないようですし、じゃ、これで、今日の診察は終わります。」
「ありがとうございました。」
「これ、プレゼントです。」

医者が患者に一輪の花を渡す。

「これは何ですか?」
患者が訝しむ。
「これは薔薇です。」

白い壁、白いカーテン、医者の着る白衣。
ジャケットを脱いだ患者の白いシャツ。
そこに映える真っ赤な薔薇。

渡された紅い薔薇を、荒れることの無い白い手が持ち、白い扉から出て行った。

「じゃ、また。」
「はい」

少し間延びした返事とともに、掌をひらひらと動かしながら。


















「もしもし?」
「もしもし、じゃないだろ!」
「普通、電話を始める時はもしもしでしょ?」

受話器を通して怒気が伝わってきた。

「俺に何か言う事あるんじゃないのか?」
「電話をしてきたのは君でしょ?僕はそれにかけ直しただけ。」

更に怒りが増した。アニメならば今頃、赤い炎に包まれている事だろう。

「今日だったよね?約束。」

叩き切られる寸前に声を発する。

「でも忙しかったんだよ。法廷に出向いたりしてて。」
「こっちも忙しいんだけど。忙しい所をお前の為に空けてたんだけど。」
「そう。」
「そう、じゃないっつーの。」
「分かったってば。ご・め・ん。でも、もう疲れちゃったから今日は行けない。」
「来週、今日と同じ時間。」
「うん、行けたらね。」
「おい!」
「嘘だって。分かった。来週ね!」


話している間は表情を浮かべていたその顔も、受話器を置くと、また表情を失った。
唇がわずかにかみ締められている。

電話が終わるのを見計らい、木村は吾郎のデスクに寄りかかり、見返りながら話す。
「でもさぁ、あの人、なんかすっきりした顔してたじゃん。」
何が気に入らないのか探りつつ、言葉をかける。
「人間、大きな決断を下すと、不安になるかすっきりするかのどっちかなんじゃない?」
「そのどっちかのうち、俺らのクライアントが『すっきり』の方なら、悪くないんじゃないの?」
「まぁね。」
そう言いながらも、視線を合わせようとはしなかった。
「浮かない表情だな。なんかあったのか?」
「別に。向こうの弁護士がやけに情に訴えてくるのが気に入らなかっただけ。司法に情なんて必要ないんだよ。」
「……。」















魔法使いは一人ずつ生まれたばかりのお姫様に贈り物をしました。
すると、宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった十三人目の魔法使いが現れ、十一人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は錘が刺さって死ぬ”という呪いをかけたのです。
まだ魔法をかけていなかった十二人目の魔法使いは、慌ててその魔法を修正し「王女は錘が刺さっても百年の間眠るだけ」という呪いに変えました。










「ありがとう」
そう言った人は、華やかさを増していた。
「自由を取り戻してくれて有難う。」
差し出された薔薇の花束さえも、彼女を飾る装飾品に成り下がっているかのように見えた。

100本の薔薇。
彼女が夫から貰う筈だった100本の薔薇。
けれど、誰か他の人から貰いたかった100本の薔薇。

「私が貰うより先に、先生にあげるわ。あなた、似合いそうだから。」
「ありがとうございます。」

そう言って受け取ろうとしたそのとき、突然ノックの音と同時に人が入ってきた。

「あ・・・!」

手渡される筈だった花束は相手に届かぬまま、床に落ちた。
100本の薔薇が散らばり、床を紅く染める。


舞い散る薔薇の花。
その紅い色。
一面に広がる紅。
それはまるで血の色
そして、どこかで見た光景。


「たすけ・・・」
「おねえ・・・」











王女を心配した王は、国中の紡ぎ車を燃やしてしまいました。
王女は美しく賢く育っていきますが、15歳の時に城の塔の一番上で老婆が紡いでいた錘で手を刺し、眠りに落ちてしまいました。
呪いは城中にひろがり、そのうちに茨が生い茂り誰も入れなくなってしまいました。









「これは何ですか?」
「それはクマです。」
「これは何ですか?」
「それはケーキです。」
「これは何ですか?」
「それはかすみ草です。」
「これは何ですか?」
「それは……それは何ですか?」
「これは薔薇です。」
「そうですか。」




新しく清潔で真っ白な部屋。
いつものように向かい合う医者と患者。
カーテンから自然光が降り注ぐ、その場所で、医者は手近なものを指したり、本の中の絵を指差す。
患者はただひたすらその名前を答える。
ただ、ひたすら。
その事に今日の患者は苛立っていた。
医者はそれに気付いて気付かない振りをする。



「疲れましたか?」
「疲れてはないですけど。」
「けど?」
静かに見つめてくる茶色い瞳。
吸いこまれそうな大きな瞳は穏やかで、それでいて有無を言わせない。
思わず視線を外すとそれを確認して医者は言葉を続けた。
「では続けます。」
患者は小さく息を吐いた。唇が少し噛みしめられる。


「では続けます。これは何ですか?」
「それはカップです。」
「これは何ですか?」
「それはピアノです。」
「これは何ですか?」
「それはすずらんです。」
「これは何ですか?」
「それは……それは何ですか?」
「これは薔薇です。」
「そうですか。」
「体の調子はどうですか?」
「特に問題ないです。」
「頭が痛むとか。」
「ありません。」
「嫌な情景が…頭に思い浮かんだとか。」
医者がいつもは言わない言葉を付け足した。
決まりきった問答だと、視線を外していた患者が一瞬医者の顔を見上げた。
気取られないように、すぐに平然を装ったが揺れた瞳とわずかにしかめた顔、そして漣が立ったその気配を医者が見落とす筈もなかった。
「ありません。」
「そうですか。」
わざとらしくそう言い、医者は患者を見据えた。
「じゃ、これで、今日の診察は終わります。」
「ありがとうございました。」


少し悔しげな顔をしたまま礼を言うと、患者は立ち上がり、コートを手に取る。
そしておもむろに口を開く。
親しげな口調で。


「ねぇ、中居君。」
「ん?」
「このカウンセリングに意味はあるの?」

吾郎の表情に嘘はなかった。
ただ疑問に思っただけなんだと、中居は気付かれないように息をついた。

「聞かれた物の名前を答えるだけでしょ。毎回MRIとかを撮るわけでもないし、何か知能テストをするわけでもない。中居君を疑うわけじゃないけどさ、これで何がわかるの?」
「まぁ、定期検診って所かな。」
「ふぅん。まるで回復してないかどうか確認されてるみたいだね。」

中居に背を向けコートを羽織る吾郎。吾郎が外を見やるその窓の中に自分が映ってる事を中居は知らない。

「とにかく、僕は、失ったらしい記憶は無くしたままみたいだけど、それ以外は至って健康だから。」
「うん。」
振り向いた吾郎にどんな顔をしてみせようか迷って、結局中居はただ穏やかな顔をして立っていた。

「はい」
「ん?」
「くれるんでしょう?それ。」
指差す先には真紅の薔薇。
「これを貰えるのだけがここに来る楽しみだよ。」
それに対するリアクションがない事を不満と受け取ったのか、
「あ、もちろん中居君に会えるのも楽しみだけどね。」
そう付け加えた。

「また今度、ご飯行こうね。じゃあ、木村君がうるさいから帰るよ。」
「木村が?」
「そう。どうだったか凄い聞きたがるの。」
「へぇ、木村が。」
「うん。じゃあね。」
「なぁ、吾郎。」
「ん?」
「それ、何?」
「これ?」
手に持つ薔薇を見やると、吾郎はわざとらしく不機嫌そうに顔をしかめた。
「名前なんてどうでもいいじゃない。中居君も無粋な男だねぇ。こんなに美しく咲き誇り、芳しい香りまで味わえる。それだけで十分だよ。名前でその花の事を知ろうなんて、ナンセンスだよ。」
そう言いきると、吾郎は階段を下りて行った。

ひらひらて手をふりながら去っていく背中。
中居はそれをずっと見ていた。
ずっと…窓の下を歩く姿をもずっと…。
光を浴びて美しく浮かび上がる中居の横顔。
長い睫毛が頬に濃い影を落としていた。






2009.1.29 UP