Sep 1, soiree, Sep 2, soiree, Sep 3 matinee&Soiree Sep 4 matinee & soiree, 2004
Sadler's Wells Theater(ロンドン)
Don : Adam Cooper, Kathy Josefina Gabrielle
Lina: Ronni Ancona, Cosmo; Simom Coulthard
Errol : Dougal Irvine
去年、バックステージツアーに来た時には、来年はここでアダムのSWANを観るんだわと疑いもなく信じていた。実際、この時期に開催されるはずだったSwan Lakeの最前列のチケットが今も手元に残っている。
と、少し切ない気持ちを残しつつもやっぱりアダムに会えるのは嬉しい。白鳥のあと、この1年で、OYTロンドン公演、OYT日本公演、兵士の物語とお休みとお財布の許す限りアダムの舞台を追いかけてきた。白鳥の奇跡の瞬間はどんなに求めてももうもどってくることはなく、自分の記憶にしかとどめておけないと知ってから、彼のひとつひとつをいつもみつめていたかったから。
白鳥以前のアダムは知らない。OYTロンドン公演を追いかけたときは、とにかくアダムに会いたくて、会いたくて、アダムなら何でもいいと思うくらい彼に会いたかった。日本公演のときは、アダムが日本にまた来てくれたことが嬉しかった。 そんな頃に比べると今回の自分は、とても冷静になっていると思う。実際、Singin'in the rainを観る前に、ウエストエンドでレミゼラブルを観る余裕があったくらいだ。そのことが、今回の印象に大きく影響していることは否めない。
舞台の幕に白黒映画のタイトルが映し出される。今日は、’Royal Ruscal'のプレミア上映の日だ。プレスがつめかける中、映画スターや監督、プロデユーサーたちが続々とやってくる。最後に白いカシミヤのコートに白い帽子、黒いタキシードのDon Lockfordが女優のLinaとやってくる。想像つくとは思いますが、かっこいいです、アダム。美しいという言葉のほうがふさわしいかもしれない。褐色の金髪がきらきら光っていて、いつものオーラがそのままハリウッドのスター俳優の雰囲気をかもしだしている。Donのスピーチが始まり、過去の回想シーンにはいる。Donと親友で今は映画の音楽を担当しているCosmoは、売れる前は地方でタップのショーに出ていた。このときの衣装は、黄色いチェックのスーツにおそろいの帽子。バイオリンを弾きながら、タップが始まる。これは、とてもコミカルな動きで、OYTのJrがこっそり10番街の殺人で踊ったようなため息もののタップではない。これ、現地の子供には受けていました。Singin'in the Rainは、意外と子供率も高いのだ。最終日にわたしの隣にいた9歳くらいの女の子は、きちんとプログラムで曲目チェックしながらみていた。こんな小さなときからアダムを観にこれるとは、なんてうらやましい環境なんだと思ってみていたら、終わったあとは、Singin'in in the Rainを歌いながら帰っていく姿はますますうらやましかった。
プレミアム上映が終わり、Donはパーティ会場まで一人でお散歩しながら行きたいと思うが、あっという間にファンに囲まれてしまう。そこで、ファンの群れから逃げるために一人の女性にGFのふりをしてくれと頼む。これが、Kathyだ。黒いおかっぱの髪にベージュのコートにベージュの帽子。このミュージカルの服装はあんまり素敵なお洋服がなかったけど、このコートは好きだった。Kathyは、最初Donが有名な映画スターだと気づかないが、Donだと気づいても他のファンのように彼にちやほやしない。それどころか、映画は芸術じゃない、せりふのない芝居なんて感動はどこにもないと批判的だ。そして、自分は舞台女優だという。そんなこともあってか、DonはKathyを振り向かせたいと彼女にせまるようなしぐさを始める。You Stepped Out of Dreamの始まりだ。ここは、タキシード姿のアダムがアンサンブルの人々と同じ振りでKathyを見つめながら歌い、踊るところだ。ここは、最初に息を呑む場面だ。タキシード姿でじーとみつめながら踊るアダムは本当に美しい。そう、わたしはこのためにロンドンにきたんだと再認識する瞬間だ。が、この夢ごこちのまま、終わらせてはくれない。アダムは歌うのだ。ここは、Kathyを振り向かせようとスターの彼が思い切りきどってバラードを歌い上げて終わるのだ。うーん、アダム、、、、ここまで、アダムクーパーの一流のダンスをみせつけてため息つかせてきたのに、突然舞台のレベルがその辺の東京の劇場にもどされた気分。決して下手ではないし、澄んだあの歌声は健在なんだけど、ダンスと歌のレベルの差が激しすぎるのだ。今回この作品が、いやアダムクーパーがミュージカルではまだウエストエンドにたてない現実を見せ付けられたような気がした。
ファンにまたもみくちゃにされてタキシードの腕がやぶけたままDonは、パーティ会場に到着する。そこで、モーメンタル映画のトップがトーキー映画をはじめて公開し、人々を驚かせる。Royal Rascalは、まだ無声映画だった。パーティーがもりあがり、Royal Rascalの完成のお祝いにトップがサプライズのプレゼントを用意すると、ケーキの中からミニスカートのKathyが登場し、他の女の子たちと歌い踊りはじめる。舞台女優といっても実際はこのような仕事をしていたことを知る。Donは、自分の仕事をけなされていたこともあり、Kathyをからかったため、Kathyが怒ってケーキをDonにぶつけようとしてLinaにぶつかってしまう。Linaは、Donが自分のことを好きだと思っているし、Kathyのことを怒って彼女を仕事から解雇してしまう。Linaは、絵に描いたようなおばかな女優だ。無声映画に救われて、その悪声とみっともないしゃべりがかくされているので、スクリーンの彼女は美しい。でも素顔はわがままで、思いこみが激しくて、無邪気すぎるほど自分勝手だ。これは、アメリカのコメディ映画のお約束のキャラクターなんだと思うけど、どうもこのキャラクターは好きじゃなかった。しゃべり方がだらしないせいか、英語がとても聞き取りづらくて、笑えないせいもあるのだが、Linaが出てくる場面はしまりがなくてつまんなかった。
次回作、’The Dueling Cavalier'の撮影が始まる。Kathyを解雇したことでDonはLinaに怒っており、LinaはDonが他の女に心を動かされていることをよく思ってなく、ふたりは鮮烈な悪口を言い合いながら撮影するが、表情は完璧に恋人同士だ。無声映画ならではである。この辺のシーンは、アダムもお遊びというかサービスというか、18世紀の貴族姿が似合っているけど面白く、本人もとっても楽しそう。Royal RascalもThe Dueling Cavalierも似たような話で、ひらひらの衣装にかつらで、大げさに決闘や恋愛を演じる。
そんなとき、ライバル会社の映画、初のトーキー’ジャズシンガー’の成功が報じられる。Cosmoは、新しい映画の音楽担当に任命される。Cosmoの’Make 'em Laugh'がはじまる。Cosmoを演じているのは、OYTロンドン公演でシドニーコーンを演じていた俳優さんだ。歌もダンスもきちんとこなして、器用な人だなと思う。が、シドニーで味をしめた我われとしては、マシューハートのCosmoが観てみたいと思う。ここのシーンもそうだし、そのあとのアダムとのタップや2幕のショーの場面やOYTよりもダンス場面が多い。マシューの芸達者なダンスで観てみたい。
モーメンタル映画も’The Dueling Cavalier'を初のトーキーにきりかえることに決定した。撮影所は整えられ、別のミュージカル映画の撮影も始まる。ここが、眠気を誘う’Beautiful Girl'の始まりだ。Kathyがこれで認められるシーンで、Beautiful Girlを歌うDougal Irvineは、なかなかハンサムだし歌もうまい。だけど、毎回ここは眠くなる。ちなみに、Dougalさん、注意しているとたくさんたくさん役を演じています。最初が、カメラマン、次がファン、パーティ会場では関係者、撮影現場ではメークさんと、音声さん、Cosmoの歌うシーンではアフリカの兵士、2幕ではKathyの手を引く一般人、最後はアダムたち4組のペアの一人として踊ります。ハンサムだけど、印象うすいんでしょうか?日本公演も是非、彼で来てほしい。そして、みんなでDougalをさがせをやりましょう。
そんなこといっている間に、Kathyは、そのミュージカルで上の人にも気に入られたらしい。Donは、そのことを知り、Kathyをデートに誘い、撮影所でのデートのシーンが始まる。ここでも、アダムが歌う。だけど、こっちはそれほど気にならない。何より、最後にはしごの上で、Kathyの手に頬寄せるシーンが美しくて好きだった。唇にキスするよりも、あふれでる思いを感じた。
トーキーの到来にあわせて、ハリウッド俳優たちのヴォイストレーニングが始まり、LinaとDonもレッスンに通い始める。Linaの発音や悪声はコーチも頭を抱えるほどだ。Donは、のみこみが早く巻き舌が足りないと注意されるもののすぐにマスターして、早口ことばとタップのショーが始まる。ここも好きなシーンだ。タップでは、一番見せ場のある場面ではないだろうか。CosmoとDon、そしてボイストレーナーは、OYTのドーランパパだ。OYTの最初のタップショーをちょっと思い出させるシーンだった。
The Duelling Cavalierの撮影は、音声を拾うのに苦労しながらも完成をむかえ、プレビューの日がやってくる。 Linaの悪声があらわになったばかりか、音声が突然ずれはじめて、物語は一転して喜劇になってしまう。観客は、口々に映画を軽蔑しながら去っていく。
その頃には、もう恋人同士のいい関係になっていたDonとKathy、そして親友のCosmoは部屋で映画の失敗を嘆きながらも、その失敗を大笑いしながら再現をする。その時、音声がずれたことからCosmoが思いついて、Kathyの声をLinaの声として吹きかえることを思いつく。すっかり幸せな気分になった3人の
’Good Morning’が始まる。ここのダンスも好きだ。3人で歌い、タップをし、踊り、1幕最後の盛り上がりのひとつだ。Kathy役の人は、バレエをやっていた人らしいが、踊りがきれいだし、歌も悪くない。
’Good Morning'が終わると、舞台はなんだか夜もふけて、雲行きも怪しくなる。雷が遠くで聞こえはじめて、雨がふりそうな予感だ。気をきかせて一人でCosmoが去ると、DonがKathyを送っていこうと上着をきてかさをさす。Kathyを送り届けるといよいよお待ちかね、舞台は雨が降り始める。そして、あの聞きなれたメロディー。アダムが長い腕を大きく振り上げて、かさを振り回しながら、舞台いっぱいに雨と戯れる。ここのシーンのアダムの歌は好きだ。彼の歌声や歌い方は、こんなふうに楽しくてしかたないときに自然とくちづさんでしまうようなときが似つかわしい。のびのびして、子供が水遊びをするように、水溜りをびちゃびちゃ歩いてみたり、かさを飛び越えてみたり、水浸しの道路を背中からすべってみたり、ジーンケリーよりも若くて、無邪気で、アダムはこのシーンのためにこのミュージカルをやりたかったのねとちょっとほほえましくなったりする。ただ、みているこちらは、このシーンはまだ、一番素敵なシーンではなかったけれど。願わくば、ブルゾンでなく、トレンチコートだともっとかっこよかったかなと思ったりして。
さて、ここで一幕終了です。あの水はどうするんだろう?舞台は水浸しです。ある日、ステージドアの側の出口から排水状況を目撃。細かいところは、みえませんが、道路へ流していました。触った方によると冷たかったそうです。
2幕のはじまり。Kathyが場面にあわせて、Linaのところに声をかぶせている。監督も音声さんも大満足。撮影を見学しているDonも幸せいっぱいだ。映画の中で歌う愛の歌をそのままDonがKathyにささやく。そこへLinaがお友達の女優につれられてやってくる。このお友達の女優は、OYTのアヌーシュカです。本当のお友達だからね、といいつつ、単にDonとLinaがもめるのをおもしろがっているようにもみえる。Linaは、どうして自分がこんな目にあうのかわかならない、独り言をいうような歌が始まる。Linaの悪声をたもちつつも、迫力の歌声。喜劇女優さんというのは、普通の女優さんより奥が深いんだなと実感。だけど、Linaのシーンは好きじゃないので、ここはなくてもいいです。
さて、この辺の展開がいまいちはっきりしないのだが、’The Dueling Cavalier'をミュージカル映画’Dancing Cavalier'に変更することに決定し、なぜか18世紀のフランスが20世紀最初のニューヨークへでどうかとCosmoが提案する。そして、そこからBroadway Melodyのショーの始まり。
ここからが、一番このミュージカルの中で好きなシーンだ。丸いめがねに帽子、チェックのスーツを着たアダムが群舞に混じって登場する。最初は、町の雑踏の中で出会う人にからみながら展開し、途中で尼さんが僧衣をぬぐとダンサーになっているところから場面展開がかわる。10番街の殺人の酒場のシーンのようだ。退廃的で、やくざっぽい男や不良の水平たち、数々の踊り子たち、あやしい年配の女性。アダムは、踊り子のひとりひとりを相手に踊り始める。何度かみていて、なんでこのシーンがこんなに好きなんだろうと思ったら、この衣装と表情がなければ、まるでストレンジャーなのだ。あの背中にまわしたリフト、つぎつぎに踊り子をかえて踊るダンス。タップもなし。もし、これが黒い衣装で、アダムがあんなコミカルな表情をしなかったら、また、ため息ついてたところだった。でも、頭で理解する前に、目が彼のダンスにひかれて、コミカルな表情や衣装を超えて彼のダンスを追い始めている。
そして、舞台装置が左右に片付けられて、バックが夕焼けだけになるとひとりの女性ダンサーがバレエの振りで登場する。アダムは、もう丸いめがねもかけていない。二人のバレエのようなダンスが始まる。わたしは、アダムが舞台の上で、こんなふうにバレエを踊るところをみたことはない。バレエのことはよくわかならいけれど、アダムがクラシックを踊っていたころは、こんなだったのかなと思う。タップでのはじけるような動きでなく、彼の長い腕と足と神様が与えてくださった恵みすべてがここにあるのがみえるような気がした。わたしが今彼にみたいのは、こういうことなんだ、彼が決してわたしをがっかりさせて帰すことをしないのは、これなんだと思う。アダムなら、なんでもいいからというのではない、アダムだから、だから、アダムなのよ、この時のためにわたしはいるんだと思うダンスの瞬間だった。
と、しばし夢の時によっていると、舞台は現実にもどり、ミュージカル版’The Dancing Cavalier'のプレミアの日がやってくる。Linaはうまく契約を操作して、Kathyを5年間自分の吹き替えをして使うようにしくんで、すべて自分が前面に出ようと画策する。そして、人々の前でスピーチをはじめるが、観客たちはLinaに歌うことを求める。Donたちは、Kathyに吹き返るよう説得し、Kathyは自分がふみにじられたと感じ傷心のまま歌い始める。
最初はうまくいくかにみえたが、それはDonたちの作戦で、歌の途中で幕をあけて、Kathyがふきかえていることが観客にわかってしまう。そして、逃げるKathyを観客に紹介しながら、Donは再びKathyに愛を告白する歌を歌う。’Lucky Star’だ。これは、Kathyがオーディションで歌ったうたと同じだ。タキシード姿のアダムが美しい。が、最後がこの歌をアダムが歌いあげて幕が閉じる。うーん、最後に歌ってほしくなかったよ、アダム。せっかくのBroadway melodyのあのパーフェクトモーメントに水をさしてしまったわ。うーん、いやだ。
と、思っていると、出演者がつぎつぎお辞儀をして、最後にアダムが登場すると、また’Singin'in the Rain'が始まります。出演者たちが、長靴にトレンチコートで舞台には雨。後ろから投げられたかさを受け取るアダム、かっこいい。フィナーレに似つかわしい。そして、最後は4人組で腕を組んでスキップしながら舞台の奥へと消えて、雨が降る中、幕は閉じます。
そうか、アダムはこういうことがやりたかったんだねと思うような舞台だった。タップを思いっきり踊って、歌って、楽しくて、エンターテイメント。バレエダンサーのときに、彼の中で眠らせておいたものを今、羽ばたかせたい気分でいっぱいだったんだろう。OYTは、それでも、まだバレエの要素やダンス中心の作品で、冒険のすべてはなかった。今回のことで、彼は満足してくれだろうか?やりたいことがいっぱいあって、いろんな可能性に挑戦することはわたしたちにも楽しみではあるけれど、そろそろ、わたしも待ちくたびれてしまいそう。もう歌わなくてもいい。レミゼが歌だけであれだの人を感動させたミュージカルなら、アダムはダンスだけで勝負するような作品に取り組めるはずだ。そういう意味では、マシューボーンのSwan Lakeは、まさにそういう作品だった。作品の力と彼の才能とが、ウエストエンドでもブロードウエーでも、何のかざりも贔屓目もなしに人々を衝撃のうずにまきこんだのだから。アダムの作品をこうして頻繁にみれるようになった贅沢ゆえの感想かもしれないけど、そろそろ、作品そのものが力のあるもので彼のパフォーマンスを観たい。アダムだから人が呼べる日本のマーケットのファンでも、いつまでも寛容でいるとは限らない。そういう意味では、次回作、ダンスのみの’危険な関係’は楽しみだ。
最後にもうひとつ告白すると、わたしは、個人的にアメリカのコメディミュージカルって、あんまり好きじゃないのかもしれない。。そんなこんなで、ちょっと辛口なレビューになってしまったかも。
おしまい
用語解説
バックステージツアー:劇場の舞台裏を見学できるツアー。OYTロンドン公演の頃は、2005年8月は、サドラーズウエルズ劇場はマシューボーンのSwan Lakeを上演予定になっており、アダムが出演すると信じてその劇場を見学し、チケットも購入していた。(ちなみに、中止決定後は、払い戻ししてくれました)
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