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当日の取り組み表。 |
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牛がトラックに乗せられて来ました。 |
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突き合う牛。 |
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倒されると負けになると知っているのか、片方も踏ん張ります。 |
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勝った牛にまたがろうとする人たち。 |
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壇行神社の水くみ場。 無人ですけど、水を汲んだらお金を置いていきましょう。 |
「牛突き」とは、牛同士を戦わせる、いわゆる「闘牛」です。
隠岐では700年以上の歴史がある伝統行事で、観光の目玉ともなっています。
今は島後にある、隠岐国分寺の外れに牛突き用の専用ドームが出来ていて、夏の観光シーズンには毎日、ここで牛突きをやっているそうです。
ドームなので雨が降っても大丈夫だそうで。
かっての「牛突き」は毎日やるものではなく、特別な日に催される行事でした。そしてそれは現在でも、隠岐の島、特に島後の何個所かで開催されています。
その中でも、最も歴史が古く、今でも続く有名な牛突きが「八朔(はっさく)牛突大会」です。
この大会は隠岐の牛突きの歴史の中では最も古く、毎年9月1日に開催されます。
隠岐の観光ガイドの牛突きの写真や、絵ハガキに出てくる写真などは、ほとんどこの「八朔牛突大会」で撮られた写真が使われています。
この牛突きは、島後の中心部の、山の中に作られた「佐山闘牛場」で開催されます。
昔はこの闘牛場に来るには一晩かけて歩かなければならなかったそうですが、今は自動車で行けます。
現に、荷台に牛を乗せて運んでる自動車をよく見かけました。
この闘牛場から数キロ離れた山の中に「壇鏡(だんぎょう)神社」という神社があります。
日本の名水100選に選ばれた「壇鏡の滝」のある神社なのですが、もともと「八朔の牛突き」はこの神社の神事として行われたものだそうです。
なのでこの牛突きの参加者は、まずは壇行神社にお参りをしてから闘牛場に来ます。
ちなみに、この壇鏡神社の境内には、滝からの水を取れるようにしている場所があり、そこにはペットボトルがいっぱい下げてあって、料金箱の中に200円を入れ、そのペットボトルに水を入れて持ち帰ることができます。
ここで開催される、牛突きの試合そのものは10試合ほどあり、うち始めの方の5試合ほどは3才くらいの比較的若い牛同士が戦います。これらの試合は勝負を付けることはせず、必ず引き分けにします。これは、牛を戦いに慣れさせるためです。
この後に行われる残りの試合には4、5才くらいの牛が出場します。そしてその前とは違い、これらの試合は勝ち負けを付けた勝負をさせます。
判定は相手の牛を倒すか、相手が逃げたら「勝ち」になります。牛が倒されそうになる時は観客も体を乗り出し、大変盛り上がります。
今回は、緒戦で片方の牛が、闘牛場に入ったと同時にいきなり相手の牛に向かっていくという、たいへん好戦的な牛だったため、大いに白熱した試合になりました。
この試合では、20分くらいお互いふんばった後、ついに仕掛けられた相手の牛が逃げ出し、勝負が決まりました。
勝った牛には必ず、牛の持ち主ら関係者達が次々と馬乗りの形で牛に乗ろうとしますが、牛に簡単に降り落とされます。これが観客に結構受けていました。
この牛突き、何十年か昔は、全部で40試合くらいあったそうで、一晩かけて全部の試合をやったらしいです。このころは自動車も無く、歩いてこの山の中の牛突き場まで行ったそうです。
また昔は、負けた牛は殺して食肉にしてしまったそうですが、今は闘牛の頭数が少なくなったせいか、負けても殺すことはせず、宇和島など、他の地域の闘牛に売る例が多いそうです。
隠岐の闘牛の平均年齢は3、4才ですが、宇和島は8才くらいで、需要がつりあうそうで、現に宇和島の場合、その闘牛のほとんどが隠岐の出身だそうです。
牛突き行事そのものが行われるのはほとんど島後に集中しているのですが、その牛の生産地というか、出身地は西ノ島が多いです。
実際、西ノ島に行くと、牛の放牧がよく見られ、車道をゆうゆうと歩く牛もいます。
普通の食肉用の牛と、闘牛用の牛の違いは、タマがあるか無いかです。
闘牛用の牛はタマを抜かないでそのままにして、普通の食肉用の牛はタマを抜いてしまいます。
タマを付けたままの牛は、闘争本能からけんかをしてしまうらしいのですが、タマを抜いてしまうとそれが無くなり、おとなしくなるそうです。