ブバリアが部屋を出ると、その中の空気が微かに変化した。
心持目を伏せるコリウスの瞳をシクランが覗き込む。

「何が見えたの?」
「言わなくなってわかるんだろ。」

「星読み」の家系に生まれたシクランは生まれながらに―見る―力を持っている。
王子が持つには不吉なその力も、星読みにとっては有能な印とされ、また、コリウスと違いシクランはその力を自在に使いこなしていた。

「失礼だな。僕だってむやみやたら―見る―わけじゃないよ。力があるからこそ、そういう所には気を使わなきゃ。勝手になんか見ないよ。」
「じゃあ。言いたくない。」
「そう?そう言う君から無理やり見るような無粋な真似はしないけど、何かあったら言ってよね。」
「ああ。」

シクランは―見える―話を普通に出来るコリウスにとっての唯一の存在だ。
安定した一定の力を思うように操るシクランと、強力だが不安定で力を自分で制御できないコリウス。
自分の持つ力を把握し折り合いをつけているシクランと自分の持つ力に翻弄されがちなコリウス。
心配そうに自分を見つめるシクランに、しかし甘えてばかりいられないと王者の血が気を引き締めさせる。

「あ、そうだ。それとは関係なく、もうすぐ傷ついた者が大勢来る。どこかで争いがあったのかもしれない。その者達、受け入れた方がよさそうだ。そう言っといてくれ。お前の意見として。」

慎重に最後の言葉を付け加えるとコリウスはじっとシクランの瞳を見つめた。
禍々しい者とされたコリウスは軍法会議にも出ることが出来ない。

「うん。分かった。」
コリウスの思いに答えるようにしっかりと答えると、シクランは表情を変えた。
「君のその力、僕は絶対にこの国に必要だと思うんだけどなぁ。」

1つ年下なだけのシクランは時に酷く幼く見える。
コリウスはその様子に苦笑しつつ軽く返す。
「否定したの誰だよ。」
二人だからこそ言い合える冗談だ。

シクランの祖母は現在の筆頭「星読み」に当たる。
コリウスを廃嫡の瀬戸際まで押しやったその人本人だ。

「……。僕だって驚いたよ。有能な後継者である僕の力をいつも喜んでいたのにさ。なんか自分まで否定された気になっちゃった。おばあちゃん、早く筆頭「星読み」の座を僕に譲ってくれないかな?」

細い体はマントを羽織っているのではなく、それに包まれているようにも見える。夜空を表す深い紺地に星を表す銀糸が縫いこまれたその「星読み」としての衣は彼に似合ってはいるものの、その華奢な背中はまだまだ国を背負えるようには見えなかった。

「自分で有能な、とか言うなよ。」
「だって、事実だもん。」
「はいはい。分かったからさっさと行けよ。そろそろ時間じゃないのか。さっきのこと伝えるの忘れるなよ。」
「はいはい。分かりました。王子様。それでは、失礼致します。」

気取って一礼するとシクランは部屋を出て行こうとしてドアを一歩出たところで立ち止まった。
「コリウス。僕が一族の長になったら、必ず」
「さっさと行けってば」

コリウスは最後まで言わせずにドアを閉めた。
また、部屋には静寂が訪れた。

















日がさんさんと降り注ぐ夏。
外に出れば汗が噴出す陽気でも、石造りの城内はひんやりとしていた。
しかし、開放感の少ないその造りは豪華ではあっても、どこがよそよそしさを感じなくもなかった。
そして、コリウスが―見える―ようになってから、その空気は一層、増しているようだった。

その中で、城内に日光に負けない明るさをもたらしているのが弟コキアだった。

兄が大好きなコキアは暇と理由を見つけてはコリウスの元にやってくる。

「ねぇ、兄者。シクランの所に新しいお弟子さんが来たんだよ。セルリアって言ってね。シクランみたいに―見える―事はないんだって。
 でもね、立派な「星読み」になりたいから、見えない分頑張るんだって。すっごく勉強してるんだよ。偉いよね。」

まだ高めの声で一生懸命兄に喋る。
幼いコキアは自分が成人した時に、正式にコリウスの身の置き所が、最悪の場合、生死までが決定されることにはまだ気づいていない。

「だからね、僕も一生懸命頑張るよ。」
「ああ。」
「ねぇ、僕、セルリアと友達になっていいよね?兄者とシクランが仲いいんだから、いいんだよね。」
「ああ、いいんじゃないか。」

コキアにとってコリウスはかっこいい兄であっても、コリウスにとってのコキアは可愛い弟というだけでは済まされなかった。
素直で溌剌としているコキア。自分を慕い、尊敬してくれるその弟は勿論可愛くもあったが、同時に羨ましく、時に妬ましい存在でさえあった。
しかし、キラキラと輝くコキアの瞳の前で、コリウスはその負の気持ちを強い精神力で押さえ込んだ。
兄の浮かない表情に顔を曇らせるコキアに笑顔を向ける。

「仲良くなれるといいな。」
「うん!」
「剣術も出来るようになったのか?」
「うーん。」

途端に大きな瞳を伏せる様子に口元が綻ぶ。

「だって、兄者に教えてもらえないんだもん。」
「じゃ、ブバリアに頼んどいてやるよ。」
「本当?でも、僕、兄者がいい。」

星読みによって、その存在を決定されて以来、コリウスは身を鍛えることさえ許されずにいた。
知識を得ることも出来ず、ただ生きることだけを許された生活。
その辛さに気づきもせず、弟は兄に駄々をこねた。
それが胸を痛める一方で、いつまでにも弟にはこのままでいて欲しいと、彼に癒されもするコリウスだった。

「ね?今度、セルリアと一緒に来てもいい?」
「ああ。いいけど、セルリアは勉強で忙しいんだろ?」
「じゃ、シクランがいいって言ったらいいでしょ?」
「ああ、そうだな。でも、コキアも遊んでばかりいられないだろ。」
「うーん。」
「ほら、そろそろ先生がいらっしゃる時間だろ。」
「あ、本当だ。じゃ、行くね、兄者。あ!そうだ!!」
「ん?」

騒がしい弟に、静かに返す。
小さい頃から帝王学を学んできたコリウスとは違い、多少甘やかされて育ったコキア。
しかし、彼の身辺も、コリウス同様、急変していた。

「父様が・・・」
「ん?」
「兄者のようになりなさいって。」
「え?」
「僕も、頑張って兄者のようになりなさいって。兄者のように、父様が自慢できる息子になりなさいって。」
「・・・・・・。」
「じゃあね。行ってきます!」

大きく手を振りかけていくコキアをコリウスは潤んだ瞳で見送った。


会うことも叶わない父が、自分のせいで表情を暗くすることの多い父が、尊敬してやまない父が、
城という名の牢獄で暮らしている自分を誇りに思ってくれていることが、嬉しかった。











数週間後、城内は近隣国で起きた戦乱から逃れてきた民の対応に追われていた。
コリウスが―見た―傷ついたものたちだ。

「コリウスのお蔭でうまいこと行ったらしいよ。」
「よかった。これで、またシクランのお株が上がったんじゃないのか?」

コリウスの皮肉にシクランが口を尖らせる。

「なんか、意地悪だね。僕だって、本当だったら、」
「ああ、分かってるって。冗談だよ、冗談。」
「もう!」

そう話している間も、城内にはあわただしく走り回る靴音が響いていた。

「可愛い子がいたんだ。」
「あ゛ぁ?」
「逃れてきて人たちの中にさ、」
「お前、それ見に行ったのか?それとも―見た―のか?」
「うん?や・・・。」

コリウスの厳しい表情にシクランは本気ではないと分かっていても視線を泳がせる。

「暇なことしてんじゃねぇよ。」
「でさ、その中にストレリチアに行った事がある人がいたんだよ。」
「ふ〜ん。それも可愛い女の子?」

話を逸らせようとするシクランをコリウスがつかまえる。

「もう!今日は機嫌悪いね。たまたま城内歩いてたら見かけたんだって。で、ちょっと話してたら、」
「見かけただけで話までしちゃうんだ、シクランは。」

コリウスの視線がシクランを逃さない。

「もう!コリウス。何?何がそんなに気に入らないの?そりゃ・・・自由に城内歩いて悪いとは思うけど。」

次第に小さくなっていく声に、態度を和らげる。

「冗談だって。嘘だよ。で?」
「え?」

少し泣きそうになってシクランが問い返す。

「ストレリチアに行った事がある人がいたんだろ?」
「うん。」
「で?」
「あぁ、それ、ブバリアに言ってあげた方がいいのかな、って。彼、ストレリチアに行くって言ってたから。」
「あぁ。」

「ブバリア」「ストレリチア」という言葉を聞いて、コリウスがキュッと目を閉じる。



見えてくるのは、今とそう変わらないブバリアの姿。
ただ、その後ろに見える景色は見たことがないものだった。
映像がどんどん移り変わっていく。
そこにいるのは、ブバリア。
一人でいるもの。周りに人がいるもの。笑っている顔。真面目な顔。
知らない景色、知らない人。
そして、成長していくブバリアが、この、今住む国カルセオラリアに戻ってくることはないと、その映像はコリウスに伝えていた。




「コリウス?大丈夫?」
「うん。なぁ、」
「ん?」
「その、ストレリチアに行った事があるって人、」
「うん。」
「背が高くて、目が大きくて、スタイル良くて、よく焼けてる人?」
「うーん。うん。そんな感じ。」

細い指を気取ってこめかみに当てながら、シクランはさっき会ってきた人を思い出していた。

「俺らと大して年違わないような?」
「そうそう!僕と同い年。お父さんと一緒に行ったんだって。」
「・・・・・・。」
「コリウス?」


ストレリチアにいるらしいブバリアの横にいるのは、きっと今、自国にいるというその人だろう。
今、その人とブバリアを引き合わせたら、二人は確実に遠い異国へと旅立つだろう。
そして、きっと二度と戻ってこない。
力が―見せた―ブバリアの姿。ストレリチアに行った彼が幸せであることは簡単に読み取れた。
しかし、今、その二人を会わせる事はコリウスには出来なかった。

「その話、ちょっとだけ待ってくれないか。」

辛そうなコリウスに、シクランはただ黙って真っ直ぐな視線を注いでいた。





2006.10.18UP