「ストレリチアに行こうと思うんだ」
イリスは皆を見回してそう言った。

話の流れからして、その名前が出ることは当然だった。
例え―見え―ていなくても、わかることであった。

国を終われてカルセオラリアへやってきた民たちがそこを出て行ける場所といえば他にないだろう。
それでも、コリウスは血の気が引くのを感じた。

黙りこくったコリウスを見てシクランが口を開く。

「そうだね、あそこなら、自由都市だし。暮らしやすそうだよね。イリスは行った事もあるんだし、安心だね。」
「うん。」

顔を引きつらせたコリウスに、イリスが視線を注ぐ。

「コリウス?」

見つめられ何か言おうとするが、なかなか言葉が出ない。
思いは様々に皆がコリウスを見つめる。

「幸せになれるといいな。また、いつでも遊びに来てくれ。」
「ありがとう。コリウス。」

イリスは視線をブバリアに移した。
目が合ったブバリアは彼らしくもなく視線をそらした。
一緒に行く、という筈だった。
けれど、コリウスの気持ちに気づいてしまった今、そうは言い出せなかった。

「ブバリア」
イリスが声をかける。
下を向き、目を合わせないブバリア。

「俺、」
何か言い出そうとしたブバリアよりも先に言葉を紡いだのはコリウスだった。

「イリス。足手まといかもしれないけど、こいつも連れて行ってくれないか?」

大きな瞳は澄んでいた。きめ細かな肌は紅潮もせず、青ざめてもいなかった。
動揺を押し隠し、ひたとイリスと、そしてブバリアを見つめる。

「コリウス!」
「行って来い」
「勝手に決めるなよ。」
「行くと、言っていたじゃないか。」
「でも」
「やっぱりやめるなんて、お前らしくも無い。」

落ち着き払ったコリウスを前にブバリアも思わず口をつぐんだ。

「人生にチャンスなんてそうないんだ。それを活かさなくてどうする」
「でも、俺は……俺は、」
「今を逃したら行くチャンスなんてない。行け。」
「……」
「行って来い、ブバルディア。」

そこにあったのは王者が持つ威厳だった。
細く小さい体の少年とは思えない風格がそこにあった。
単なる命令ではない、想いのこもったその言葉にブバリアは顔を歪ませた。
何か言おうとして、ふさわしい言葉を見つけられず首を横に振る。

「行けよ!」
「……」
「行けよ!!」

何度目かの同じ言葉に遂にコリウスの目が潤んだ。

本心と引き換えに繰り返し何度も口にした。
ブバリアが自分から笑顔で切り出してくれれば、夢と希望にあふれた顔で手を振って出発してくれればどんなに楽だったか。
そのために、ひた隠したはずの寂しさを、結局知られてしまった事を虚しく思い知る。

「ブバリア!」
口を開いたのはシクランだった。
「何度もコリウスに同じ事言わせないで」

一番言いたくない筈の言葉を何度も繰り返すコリウス。
自分で自分を傷つけるようなその行為は、横で見ている方が辛かった。

「コリウス……」
小さく首を縦に振り、思いを言葉に表そうとした時、

「行かないで、ブバリア。」
コキアの声が響いた。
それこそコリウスが言いたかった言葉。
堪え切れずに嗚咽が漏れた。

「イリスだけじゃなくてブバリアまで行っちゃうの?」

幼い声がコリウスの気持ちを代弁していた。












後悔はしていなかった。
分かっていてイリスを紹介した。
全て見えていてストレリチア行きを勧めた。

迷いはなかった。
分かっていてストレリチア行きを決めた。
気持ちを理解した上で自分で決めた。












反抗しているとはいえ、貴族の子息であり、筆頭貴族の一員である以上、着のみ着のまま旅立つわけにはいかず、
「思い立ったが吉日」と飛び立つわけには行かなかった。

寝る間を惜しんででもコリウスとの時間を作ろうとするブバリアは、自分との会話の最中にもコリウスが何かを―見ている―事に気づいていた。
そして、それを自分に言いたがらないことにも。



「なぁ、お前何か聞いてないの?」
「何を?」
「コリウスが何を見ているか。」
「聞いてないよ。」

石造りの城内は無駄に声が響く。
ブバリアはシクランを外へ連れ出した。
日に当たりたがらないシクランは木陰から動こうとせず、根負けしたブバリアが側に佇んでいる。

「でも―見える―んだろ?」
「人が言いたがらないことは無理に聞かないのがマナーだよ、ブバリア」

人差し指を動かして窘めるかのように言うシクランにブバリアが眉をしかめる。
それでも、会話を終わらせるわけには行かない。

「お前は?何か―見えーないの?」
「何かって?」
「……。コリウス見てると不安なんだよ。俺、本当にストレリチアに行っても大丈夫なのかな?」
「だって、コリウスが勧めたんじゃない。もし、君が死ぬとでも―見てる―んだったら、必死に止めるでしょ?」
「そうだけどさ。」
「ふーん。」
「なんだよ」

からかう様な色を目に浮かべたシクランにブバリアが突っかかる。

「なんでもないよ。ただ、」
「ただ?」
「ブバリアでも未来とか気になるんだ、と思って。」
「……。」
「自分の人生は自分で切り開くんじゃなかったの?ブバルディア。」

わざとらしく、名前を呼ぶ。





昔、まだほんの小さな子供だった頃、それを理由に喧嘩をしたことがあった。
力も強く勇気もあるブバリアはなんでも真っ先に挑戦し、そして器用にこなし、いつもシクランより一歩先を歩いていた。
けれど、どう頑張っても―見る―事だけはできず、自分より年下のシクランだけが力を操れるのをブバリアが羨んだ事が発端の小さな喧嘩だったが、
自分と自分の一族を否定されたように感じたシクランは長いことブバリアと口を利こうとしなった。
その時、ブバリアが言ったのがこの言葉だった。

「未来なんか見えなくていい!俺は星とかそんな力になんか頼らない!自分の人生は自分で切り開くんだ!」


「お前、まだ根に持ってたの?」
「まさか。今、ふと思い出しただけだよ。」

シクランの言葉が途切れると、ブバリアは表情を暗くした。

「俺がさ、」
「うん」
「ストレリチアに行ったら、」
「うん」
「コリウスのこと、頼むな。あいつ、一人になっちゃうから」
「わかってるよ」

ブバリアの言葉をシクランは軽く笑い飛ばした。

「そろそろ、コリウスのところ、行けば?もう、残りわずかなんだから」

うなずき、じゃあと手をあげ背を向ける友の姿をシクランの黒目がちな瞳が見つめていた。






コリウスが、何かを、それも酷く重要なことを―見て―いることには気づいていた。
ブバリアにも言ったように、人が―見て―いるものを盗み見するのは、力を持つものとしてやってはいけないことのはずだった。
が、力を制御しているシクランにとって、未来は―見る―ものであって、―見える―ものではない。
つまり、見ようとしない限り、コリウスのように突然頭にビジョンが飛び込んでくることはなかった。

自分が意図して、見ようとしない限り、コリウスが見ているものも、自分たちの未来も見えては来ない。
しかし、請われた時に、必要な時に―見る―ことを生業としている星読み一族のシクランにとって、自分の意思にのみ沿って―見る―ことは、盗み見に当たるような気がしてならなかった。



「何を見ているの?」
苦しそうなシクランの言葉が風に乗って舞った。



















2007.6.20