目を覚ました黒鳥は自分の失態に気付き、慌てて飛び起きようとした。
が、戒められた手がそれを邪魔し、黒鳥をいらだたせた。
そして、右手に残されたZの刻印と、数枚の紙に気付く。
忌々しく思いながらもそれを広げると、わずかな紙幣と手紙が一枚。
「足りなかったら取りに来い。」
そう書かれた紙に、
「嘘だろ?こんな額で足りるわけないじゃん。」
そう返しつつも、黒鳥に取りに行く気はない。
こんな簡単な挑発に乗るようでは『黒鳥』の名は物にできない。
「損した。」
そんなことを呟きながら、あっさりと部屋を後にする。





気持ちを切り替えられないのは毒牙にやられた男の方だった。
勝利したつもりで部屋を出たが、頭から黒鳥のことが離れない。
さっさと帰ってきたことさえ悔やまれる。
額の少なさも手伝って、きっと自分の元にやってくるだろうと思いもするが、
どこか自信がなく、何度も通りに目をやる。
が、その日、黒鳥は現れなかった。

次の日も。その次の日も。









男が一人耐えていた頃、黒鳥は男を思い出すこともなく、毎夜煌びやかに羽を広げていた。
黒鳥にとっては客のうちの一人以上の存在ではなかったのだ。
そのことを証拠付けるように、次に男と出会った時、黒鳥は誰だか分からない。
そんな顔を一瞬見せた。
商売柄、さっと仮面をつけたものの、じっと見ていた男はその一瞬を見逃さなかった。

失態を取り繕うように、あの日見せた計算づくの完璧な微笑を男に向ける。
男は顎であの日の部屋を指す。
黒鳥はすぐには交渉成立の笑みを見せなかった。

「あんな安い額であおうなんて無理だよ。」
「倍。」
「3倍。」
「嘘だろ。」
「払えないなら又にしな。」
「じゃ、じゃあ、この間見てた地球儀つける!」
必死の様子の男に、黒鳥は呆れた、と鼻で笑った。
「しょうがない。」
交渉成立だ。



「厄介なやつに捕まった。」
移動しながら黒鳥は顔をしかめるが、男の足取りは軽かった。



「先に渡して。」
部屋に着くなり黒鳥が口を開く。
不思議そうな顔をする男に説明を加えた。
「またあんな額掴まされたらたまらない。」
「分かった。」

正々堂々としているところは好感が持てる。
が、黒鳥は金を出す男の財布から、一枚多く抜き出すまで笑みを見せなかった。










そして、数時間後。黒鳥の名に恥じない技に魅せられ、幸せそうに眠る男を見やる。
同じミスは繰り返さない、と慎重にベッドを抜け出す。
約束の地球儀に目線を向けるが、手に取ることなく外へと出て行った。

まだ明けない夜の街で常とは違う色気を振りまく黒鳥に声がかかる。
値踏みしつつも、もう今日は仕事納めと手を振りあしらう。
「そこを何とか。」
しつこく言ってきた客の顔に黒鳥の様子が変わる。
肩を抱かれ大人しく部屋の中へと消えていった。







目を覚ました男は、隣の冷えた感触に舌打ちする。
しかし、そこでただ悔しがるだけの男ではなかった。
挑むような視線は健在だ。
身支度を整えると、颯爽と街へと繰り出していく。
黒鳥が受けたことのない、昼の住人の賞賛を受けながら。





望まない相手に抱かれたまま朝を迎えた黒鳥の元には荒々しい足音が向かっていた。
部屋に入ってきた二人組は、黒い制服に身を包み、黒鳥とは正反対の空気を身に纏っていた。
相容れないが顔馴染みの二人に悪態をつく。

「まだ寝てる時間なんだよね。」
「最近面白い男と付き合ってるそうじゃないか。」
「さあ?客なら大勢いても付き合ってる相手なんていないけど。」
「じゃあ、言い方を変えるよ。よそ者を客にとってないか?」
「客の情報は売らない。」

つれない黒鳥の態度に二人は苦笑いする。
しかし、彼らにも強みがある。
「この商売続けていけなくなると困るんじゃない?」
「サツに売ったなんて知れたら、それこそやっていけないよ。そう言う商売なんだ。帰って。」
「仲間が生活できなくなってもいいのか?今晩、取り締まらせてもらうよ。」
「……。」
「所詮、余所者だろ?街の人間売るわけじゃない。」
「汚いのな。」
小さくため息をつくと、条件を飲むことを伝える。
「でも何も知らないよ。名前も年もどっから来たのかも。」
「一番いい事知ってるじゃないか。」
からかうような二人の視線に黒鳥は目だけで先を促す。
「またお前のところに来るって事。」
「そんなの知らないよ。」
頑なな態度に二人は薄ら笑いを浮かべた。
「お前の手にかかって、一度や二度で満足する客なんていないだろ?え?」
「……。」
「きっと又来るさ。そしたらこっそり教えてよ。」
「どうやって。旗揚げろって?それとも花火か?」
黒鳥は一向に取り合わない。
「いつも同じ部屋でやってくれよ。そしたら、そこに張り込むから。」
「気が向いたらね。」
部屋から追い出しにかかりつつ答える。
「頼んだよ。君と仲間の生活がかかってんだからね。」




二人組みの言うとおり、男は三日も持たずに黒鳥の元へとやってきた。


「朝までいてくれないなんて、冷たいじゃん。」
「あの金じゃ、あれくらいだよ。朝までいて欲しかったら倍は必要。」
「お前どれだけぼったくってんの?」
「みんな喜んで出すさ。」
「とりあえず部屋行こうぜ。」
反論の余地がなく話題を変える。
「あそこがいい。」
そう言って黒鳥が指した先は二人組の待つ一室。
「何?何かいい事あんの?」
目をキラキラ輝かせる男にも、黒鳥はそっけない。
「別に。」
そういった目には何も浮かんでいなかった。
良心の呵責も、これから起こる事への期待も、不安も。
綺麗なパーツに何も伴わずに足を進める。
途中、二人組と目が合っても、その表情が変わることはなかった。
何かを諦めた顔、何にも満足し切れていない顔。
美しい顔にそれが重なって、完璧な人形のようだった。




「今日も先払う?」
部屋に着いた男はそう言ってベッドに腰掛けた。
「当たり前。」
「なあ、こないだ、何で地球儀もって行かなかったの?」
「別に。あってもしょうがない。」
関心がないのは男になのか、地球儀になのか黒鳥は目を合わせようともしない。
「なんで?こんな国も行ってみたいなとか考えるの楽しくない?」
「楽しくない。」
まるで可愛げのない黒鳥が手元で弄んでいるのは、男の鞄の中身。
表情を出さずに取り出していく。
望遠鏡、虫眼鏡、ライター。
しかし、
「興味ある?」
男が一声かけると、
「ない。」
と言って、全てをしまいだした。
その様子に、男はお手上げと、見てない黒鳥相手に表情を作ると、それでも話しかけることをやめない。
「ねえ、前から思ってたんだけどさ。」
「なんだよ。」
近寄ってくる男に眉間の皺を寄せる。
「お前さ、無愛想すぎない?」
「・・・・・・。」
「俺さ、一応客なわけじゃん?なんでそんな無愛想なの?いつもそんな?
 お前の客って、冷たくされると燃えるようなやつばっかなの?」
「な?やるの?やらないの?」
形勢が不利になり、無愛想なまま問いかける。
実際、黒鳥も戸惑っていた。
確かに、媚びない態度が魅力ではあっても、客に失礼な態度を取ったりはしなかった。
それが男の前に立つと、うまく行かない。
ゾロのようにそれを面白がってくれる相手でなければ、仕事人として失格だ。
けれど、その態度を変えることができなかった。
それでも、焦ることなく、自分への執着を確信して、そのままに接しているのが黒鳥らしかったが、
言い当てられた事は不本意だった。

鋭い視線でじっと見つめる黒鳥と臆することなく見つめ返す男。
二人の間で空気が凍てついた時、荒々しい足音が聞こえた。

入ってきた二人組みに男が慌てる。
が、狭い部屋で逃げ切る事は不可能だった。
脇を固められ、連れて行かれる。
「はめたのか?」
首を捻り問う男に、黒鳥はバイバイと手を振りながら一言だけ答えた。
「別に。」


まだ何か言いたそうな、しかし、無理やりに連れて行かれそれが適わない男。
興味がなさそうに部屋の隅を見ていた黒鳥は
「オディール!」
という男の叫びにも、感情を持たないその目を少し動かしただけだった。







2004.3.31 UP
やっとUPしました。「オディール U」です。
聖奈はつくづく感情のない美しい人が好きです。
無い、と言うよりは失ってしまったか
押し殺しているのだろうと思います。
その切なさが好きです。
何故失ったのか、その切なさがたまりません。
黒鳥さんには何があったのでしょう?