Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


| Back | Index | Next |

 [105]   危険な関係 (11)
2月26日 ソワレ&2月27日 マチネ
大阪フェスティバルホール
ヴァルモン:アダムクーパー  トゥーヴェル夫人:サラ ウィルドー
メルトイユ夫人:サラバロン 
ヴォランジュ夫人:ウェンディウッドブリッジ(26日)
           ヨーランダヨークエドジェル(27日)
セシル:ヘレンディクソン ダンスニー:デーミアン ジャクソン
プレヴァン:サイモンクーパー
 
26日ソワレ、大楽の27日マチネは、ファーストキャストです。もう終わってしまうことの悲しさよりも、大阪まで来ている興奮と10日ぶりの熱狂が勝って感傷にひたるまもなく駆け抜けていったような気がします。
 
26日ソワレは、とにかく大迫力。これは、東京公演にはなかったほどの気迫でした。それと関係あるんだか、キャストが時々声を出すのです。基本的にこの作品は、ダンスなのでしゃべりませんし、ロズモンド夫人以外は歌いません。ですから、ほんの少しの一言くらいのせりふをのぞいては、ふともれてしまったような驚きの声だったり、気合の声だったり。ダンスだけでも十分ですが、この声によってもっとその場面の気持ちの高まりを感じることができました。
 
10日ぶりのサラバロンさん、さすがです。世界は自分が支配していて、何もかも余裕よという強い強いメルトイユ夫人の迫力、エネルギーがみなぎっています。この方が隠しているのは、ヴァルモンへの恋心だけです。だから、ヴァルモンがトゥヴェル夫人に心引かれていく様に激怒するところや、プレヴァンをおとしいれようと誘惑するところ、ダンスニーとセシルをひきあわせた張本人でありながら、ダンスニーに手を出すところも、躊躇することなく、思い切りはまっています。Swan Lakeのハンガリーのお姫様がそのまま大人になったみたいでしたね。そして、これらは、ヨーランダさんがもっとも苦手としているところでした。サラバロンさんのメルトイユ夫人の魅力は、その強さだけでなく、最後の慟哭にこめられたヴァルモンへの思いの深さです。ずうとヴァルモンを愛していて、手を伸ばせば届きそうなところにいつもいたのに、ゲームでなく本当の恋人として寄り添えることなく、ヴァルモンは命尽きてしまいます。悔やんでも悔やみきれないくやしさ、あまりに大きな喪失、それらは、何よりも愛する人が目の前で命尽きているその現実がつきつけているのです。昨日も書いたように、半身をもぎとられるかのような痛みと苦悩にみちた叫びです。わたしは、この叫びを聞くと涙がじわっとあふれます。こんなに好きだったのにと、やっぱりサラバロンさんのメルトイユ夫人が愛おしくなってしまうのです。
 
しばらくレビューに登場しませんでしたが、例の一幕最後の見せ場、レイプシーン。26日ソワレのアダムは、怖かったです。うす笑いをうかべつつ、端々には本当に乱暴な野獣の表情がみえるのです。セシルになりたいとはいつも思っていましたが、アダムが怖いと思ったのは初めてでした。容赦ないその表情は、本当にあの場にいたら逃れられないんだわという感じ。逃れたいと思うかな、いや思わないだろうなといつもは思っていましたが、あんなふうに怖かったらちょっと逃げ出したくなるかも。いやいや、その前に腰砕けになってしまうか。。。そういう個人の仮定の問題じゃありませんね。いづれにしても、パワーアップしたレイプシーンでした。
 
この公演の、特筆すべきことのひとつに、サラウイルドーのトウヴェル夫人の美しさと情感があります。もともと、外見的にもこの役ははまり役だろうなという予感はありました。だけど、夫婦で恋の駆け引きっていうのも興ざめよねと内心は、嫉妬なんだかやっかみなんだかもあったことは確か。だけど、幕があがってみるとあまりにイメージにぴったりな上、日々深まる情感にサラバロン同様、動かしがたい存在感がありました。病気でお休みした後は、ますますその憂いの表情から、愛に目覚めて情熱に走る女として花開いて喜びの表情にかわる姿が輝いており、後半になればなるほど、愛のPDDの美しさに磨きがかかっていました。大阪公演、3公演ともにトゥヴェル夫人の切なさと嬉しさと最後の悲劇とに胸がきゅんさせられました。サラウイルドーがこんなにも女優な人だとは思ってもいませんでした。他の作品でもみてみたい人です。
 
27日マチネ、大楽の公演は、今回で一番舞台からとおい、2階最前列です。いい席が1階でとれなかったことも理由ですが、、遮蔽物なしに舞台全体を観てみたかったのです。ほお、レズさんの舞台装置、こんなに奥行きのあるお部屋に見せていたんですね。貴族のお屋敷の広さをものすごく感じます。鏡張りのお部屋を照らす照明のもたらす雰囲気が、場面場面で色をかえ登場人物の一部に反射して、こんなだったんだと今更気づきました。
 
セシルとダンスニーの出会いの場面。上からみると、金色のあわい光につつまれて、若いふたりがおそるおそる手探りで近づいていくダンスがあ〜ん、こんなにも美しかったんだとこれまた、今更ながら実感。デーミアン君、最初のころいろいろいってごめんね。彼は、最初から安定して、いつもひかえめな青年、恋にめざめた初々しい青年の心をダンスにこめていたのにね。あまりに最初からおちついていたので、面白みのない子だわと冷たい視線を送ってしまっていました。が、回を重ねるごとに、ダンスニー&セシルの場面は好きになり、ロズモンド夫人のところでの逢引の場面は、大楽の日はちょっと涙がにじんでしまいました。うすぐらいお部屋にゆれる金色の光。下着姿のセシルに自分のジャケットを着せて大事に大事に出会いの時間をいとおしむ若いふたり。メルトイユ夫人とヴァルモンは、ここで二人が身体の関係になるのを望んでいたのに、いっこうにそういう気配もなく、ただ、ただ、お互いを大切にしたい気持ちいっぱいのPDD。もう、セシルもダンスニーもかいわいすぎ。かわいくて、かわいくて、この後待ってる悲劇を思うと泣けてきたのです。ヘレンのセシルは、本当によくなりました。最初は子供みたいな子だとおもったけど、少女が通過せねばならない大人への階段にさしかかった戸惑いの時期を駆け抜ける様を見事に演じきりました。演技的にもダンス的にも、ナターシャとおなじくらい日々の成長がみてとれるダンサーでした。
 
とはいえ、2階席というのは実際遠いのです。何かと迫力には欠けます。が、ダンスニー&セシルの場面の美しさの発見より何より、ああ2階でみてよかっと思えたシーンがありました。ヴァルモンがダンスニーの手紙をあずかるところ。ロズモンド夫人の家にあつまった人々の間をぬって一人で踊るところです。黒いジャケットに紺のおりぼん、黒いブーツ。今回、アダムのダンスが少ないとか、はっとするダンスがないといわれましたが、こここそ、ああ、アダム!とストレンジャーを最初にみたときみたいにときめいてしまいました。彼のダンスって、こういう大きくて広さを感じる舞台で実に映えるのです。これって、ビジュアル的に計算されていたのでしょうか?舞台の近くでみたときも、このシーンはすごいかっこいいと思っていましたが、この2階席で感じたような心からため息つきそうなときめきをもって見つめたことはなかったと思います。このときめきを見過ごさないで最後をむかえられことをつくづく嬉しく思います。
 
1月22日のワールドプレミアの日から、この日本公演最後の最後まで、こうしてたくさんの舞台を観れたことを幸福に感じます。アダムがずっとやりたかったことが、美術も音楽も出演者も申し分なくそろえられて、形になり、こうして世界のどこよりも先にみれたことは、いろんな人に感謝したい気分です。ひとつ、ひとつの舞台のたびごとに舞台がどんどん進化する様子を感じ、自分自身の中でも作品に対する見方がかわっていき、まさに危険な関係とともにあゆんだ1ヶ月半でした。人生の豊かさという言葉を耳にします。世の中には、物質的も環境的もいろんな人生があって、その幸せの形はさまざまです。不幸の形もさまざまです。そんな中、こうして心からすばらしいと思うものに出会えていることは、人生の豊かさではないかと思います。
 
Thank you, Adam! I am really honored to have World Premire of this production in Japan. See you in London! I am looking forward to seeing this production and your company again.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
update:
2005/03/06



| Pour passer le tempsホーム | 観劇記録 | Review | これからの予定 | What? | リンク集 |


メールはこちらまで。