2005年2月2日 ソワレ
ゆうぽうと(東京)
ヴァルモン:アダムクーパー トゥーヴェル夫人:サラ ウィルドー
メルトイユ夫人:サラバロン ロズモンド夫人:マリリン カッツ
ヴィオランジュ夫人:ヨランダ ヨーク エドジェル
セシル:ヘレンディクソン ダンスニー:デーミアン ジャクソン
ジェルクール伯爵:リシャール クルト プレヴァン:サイモンクーパー
昨日、関西は雪だった。今日の名古屋は、大雪だった。そんな日に出張に出かけて、ものすごく寒い思いをして、新幹線にのったら、そうだ、こんな日は、アダムを観ようと思い立った。出張先から、会社によって不在中の机の上の書類整理と旅費精算を済ませると、当日券を求めてさっさと会社をあとにした。こういうことは、神様の幸せの一滴の日だと思うんだけど、なんと最前列のセンターブロックが偶然にもとれた。
今日は、場所もよかったけど、作品としての仕上がりがとてもよかったと思う。世界のアダムクーパーにおこがましいんですが、今日のアダムは調子いいって感じ。もちろん、今までの3回だって、いつもいつもダンスは安定しているし、舞台に花があるというか、あのオーラーは健在だった。そうはいえども、これまでのアダムは、今回の舞台で背負っている重圧なのか、何だろう、緊張感という言葉とも違うけど、そのようなぴんと張り詰めた何かがあったように思う。OYTのときやSwanのときの余裕は感じられなかった。だけど、今日の舞台は、全体的に安定してきたせいか、アダム自身のパフォーマンスにいい意味で肩の力がぬけて、アダム本来ののびやかさがヴァルモンに加わったような気がした。
最前列のセンターブロックっていうのは、表情もよく見える。サラが演じる、トゥーヴェル夫人の戸惑い、恥じらい、情熱、喜び、絶望の表情がとても美しかった。サラのトゥヴェル夫人は、ただのかよわい貞淑な女性ではない。ヴァルモンが拒絶した時、映画のように泣き崩れて弱っていくのではなく、その愛でみつけた情熱を貫く姿を見せ付けるように愛する男の前で自ら命を絶つのだ。この解釈は好きだ。映画のトゥヴェル夫人は、ヴァルモンのゲームの相手であり、最終的に真実の愛に目覚める相手であった。つまり、いつでも、ヴァルモン中心でトゥヴェル夫人の人格とか存在が副次的なのだ。それに対し、今回の自殺というのは、トゥヴェル夫人の自己の存在を最後に強く輝かせるものとなったと思う。
今までは、一番好きなのは一幕最後のセシルの寝室での例の激しいシーンだったのだが、今日は、トゥヴェル夫人を落とそうとして途中で自分が本当は彼女を愛していることに気づくシーンのほうが印象的だった。これも、最前列の特権、表情がみえるということに関係あるかもしれない。最初は、強引にトゥヴェル夫人の心をかき乱すような誘い方をしているのに、トゥヴェル夫人の心が揺れて、もうヴァルモンに傾いてもどれそうになくなったとき、ヴァルモン自身も同じ気持ちを持ってしまっていることに気づくところの表情は、今までは、見えないでいた。これは、結構大事。やっぱり、いい席でみなくちゃだめだね。
ダンスニー&セシルは、セシルがよくなったと思う。慣れてきたのかも。一幕最後のレイプシーンがいやらしくなく見えるのは、アダムの振り付けやダンスもあるけど、それに対応するセシルの動きもしっかりしているからだと思う。幼くみえすぎというところはかわりないけど、だんだんかわいくて好きになってきた。ダンスニーは、前回のセカンドに比べると安定感は圧倒的。だけど、繰り返しすみませんが、もうひとつ魅力に欠けるのだ。わたしとしては、もうちょっと力いれてキャスティングしてもらいたい部分だ。プレヴァン役のお兄ちゃんは久しぶりにみたせいか、やっぱりうまかった。
次こそ、週末。もう週半ばに突然行ったりしません。(行きたいけど、財政的に無理)
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