2005年1月22日 マチネ
ゆうぽうと(東京)
ヴァルモン:アダムクーパー トゥーヴェル夫人:サラ ウィルドー
メルトイユ夫人:サラバロン ロズモンド夫人:マリリン カッツ
ヴィオランジュ夫人:ヨランダ ヨーク エドジェル
セシル:ヘレンディクソン ダンスニー:デーミアン ジャクソン
ジェルクール伯爵:リシャール クルト プレヴァン:サイモンクーパー
今日は、この作品の世界初演の日です。アダムが自ら手がけたこの作品の誕生の瞬間にたちあえた幸運に感謝します。
アダムのダンスだけのパフォーマンスを生でみるのは、思えばSwan Lake以来だ。DVDでみたマルコビッチの危険な関係は、面白かったし、ろうそくに照らされるアダムのCMはとても妖しく美しかったし、何よりアダムが長年あたためてきたプロジェクトだから、自分の中でこんなに楽しみにしていた作品もなかったように思う。(Swan Lakeの時は、全く事前の知識がなかったので)
今、一夜を終えて残ったこと。やっぱりわたしは、こうして踊るアダムが好きだ。毒をふくんだ、荒々しい男性の本能をただよわせるダンスを踊るアダム。なんと似つかわしかったことか。Swanのあとにアダムが演じた男性は、明るくて、健康的に優しく、誠実なキャラクターばかりだった。それは、それで、彼が本来もつ陽の部分と重なって、いつでもときめいてはいた。だけど、ときめきつつも、わたしをあの日こわした何かがかけていて、いつでも次のアダムを求めていたように思う。今日は、彼のダンスをみながら、初めてなのに、どこか感覚的になつかしく、あの欠落感をうめるのは、彼がこの2年間封印していた悪魔の部分だったのだと実感した。
彼の演じるヴァルモンは、マルコビッチやペヨンンジョンよりも直情的で、わりと自分の感情を抑えてない感じがした。映画のヴァルモンは、もっと狡猾に女性たちをゲームとして落としていくことに燃えていたけど、アダムのヴァルモンは、ゲームというより思いのまま女性たちと関わっているように思えた。言葉がない分、ダンスのひとつひとつが象徴的なせいだろうか。これから、どんな風にこのヴァルモンが深まっていくか楽しみだ。
サラの演じるトゥーヴェル夫人は期待通りのできであった。貞淑でかよわげな美しい人妻というイメージはもともとぴったりだ。トゥーベルは、貞淑をこわされ、情熱のまま身をまかせた後に捨てられる。映画では、そのショックでからだが弱ってしんでいくが、このバージョンは、雨の中で、自ら命をたつことを選ぶ。儚げでありながら、目覚めた愛に執着する女性の芯の強さがやはりサラとも重なって、美しく演じられていた。
メルトイユ夫人は、本日をみるかぎり、思っていたものとは違っていた。わたしの中では、もっと誇り高く、気品ただよう狡猾な女性なので、性的な部分はただよわせつつ表には出さない人というイメージだった。が、このサランバロンのメルトイユはわりと前面にこの部分をだしており、貴族のご婦人にはちょっとみえなかった。ヴァルモンがひかれるほど知的にもみえないし。こういうキャラクターは言葉ないとその裏表が表現しにくいということなのだろうか。
ダンスニーを演じるダンサーがもう少し、踊れて、かわいい子ならわたし的にはツボだったと思うけど、ダンスニーのキャラ同様、一言でいうと未熟。まだ、初日なので、後半に期待しよう。
サイモンクーパーは、演じる役の個性がうすいので、ちょっと損な役回りかも。ダンスをアダムと比べながらみると、なんとなく似ているようにも思える。が、首から肩、背中、腕へ続く線がアダムのほうが形としてきれいなせいか、アダムの踊りのほうが好きだ。サイモンのヴァルモンはあまり興味がないが、もっと彼らしいキャラクターでみてみたい気もする。
今回、特筆すべきは、レズブラザーストーンの美術だ。この作品は、アダムの振り付け、パフォーマンスもさることながら、レズのデザインの力が大きいことは否めない。鏡になっている壁と天井、ゆれるろうそく、外に降る雨がシンプルなのに、その場に流れる物語を象徴しており、そこでのダンスの印象を強める。ゆうぽうとで、このような垢抜けたセットがみれるとは。
まだ、まだ見落としていることが多いと思うし、演じる側も回を重ねることで変わっていく部分が出てくると思う。この1ヶ月半は、、千秋楽まで、じっくりとこの作品が成熟していくのをみつめていけるのだ。なんて幸せなんだろう。Thank you, Adam!
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