2004年12月26日 ソワレ
Theater and der Wein(ウイーン)
エリザベート : Maya Hakvoort トート : Mate Kamaras
ルドルフ:Fritz Schmid ルケーニ:Serkan Kaya
フランツヨーゼフ:Robert D. Marx ゾフィー :Lenneke Williemsen
幼年ルドルフ:Florian Koller
この日は、前から2列目のセンターブロック端っこ、なかなかよいお席です。が、ふとみるとこの列、日本人ばっかり。インターネットでとったのに、まるでどっかのツアーの団体さんみたいじゃない。ま、いいや、気をとりなおして。今日は、正面からMateを満喫するぞお、、、あ、早くもMateモードのわたし。
今回は、正面でばっちりみえましたから、ウイーン版の演出について語りたいと思います。ウイーン版、舞台があがったりさがったり割れたり、もりあがったり、激しく変化します。こんな舞台は初めてです。
そして、俳優さんたち、踊ります。トートダンサーズだけでなく、(ウイーンでは、トートダンサーズとはいわないみたいですが)、普通の俳優さんが踊ります。最初に、墓場からよみがえるところから、もう踊ってます。が、日本みたいに棺おけから出てくるのでなくて、一斉に床のしたからもりあがってきます。
やがて、やすりの上から、トートが白いしゃらんしゃらんのひもがついた衣装をつけて登場。ここでは、おとなしめのMate。この人、体型いまいちなんだよね。背が低くて、ちょっと太ももやおなかのあたりがむっちり。このむっちり加減がまた、憎らしいのです。ルケーニの衣装は、日本とほぼ同じ。黒いスーツに黒い帽子。このシーンの最後は、’エリィ〜ザべ〜’とルケーニとトートがはりあって歌い終わります。
16歳のシシイ(エリザベートの呼び名)登場。ここの背景は、エリザベートの形にくりぬいてあり、そこからパパを追ってシシイが出てきます。シシイの衣装は、水色の短いスカート。この時代、少女は短いスカートはいてたんですね。パパは、日本みたいに浮気はしていません。かばんを持って外国へ旅立ちます。
次は湖畔で、お母さんが親戚にお姉さんのヘレネがお見合いに行くことを告げるシーン。ここでも、俳優さんたち踊ってます。シシイが湖のところに立つ高い塔にのぼりはじめます。上にあがるところまでは、本当の人間で、したに落下するところはお人形でした。死の世界へ足を踏み入れたシシイを抱いて、’死’トートが現れます。トートって、ドイツ語で’死’という意味なのです。トートの衣装は、たくさんありません。貴重な2着目、こっちが彼の仕事着なんですが、黒い上下に青いふちどりのついた、どっちかというとバックダンサーみたいな衣装。日本のちゃらちゃら、ロングコートや十字架、チェーンじゃらじゃらの派手さはさっぱりありません。お人形のたくさんついたベッドにシシイをおろし、人間界へもどしてやります。ウイーンでは、’愛と死のロンド’はないんですね。残念ですね。Mateが歌うとどうなるんだかもっとも想像しがたい曲なので、是非聞いてみたいものです。この歌で、’おまえの命奪うかわりに、生きたおまえに愛されたいんだ’という歌詞があるので、トートがシシイをかえしてやった理由がわかるんですが、ドイツ語はどうやってそれをわからせているんだろう?せりふがわかんないので、この辺不明です。
ウイーンでは、若き皇帝フランツヨーゼフが母ゾフィーと側近たちと共に働いています。ここでも、俳優さんたち、踊ります。フランツヨーゼフの机のまわりを踊りながら、自分の番がきたら、用件を伝えます。本日のフランツは、昨日と違う人だ。この方のフランツは、昨日の方より、熱い感じ。日本でいうと、昨日が鈴木そうまさんで、今日が石川禅さんという感じ。
場面は、バートイシュへ。ヘレネとフランツのお見合い場面。日本では、ここで、シシイが結構自由奔放にケーキ食べたり、お茶のんだり、やんちゃな感じでめだっていますが、こちらのシシイはお姉さんの様子を興味深くみているだけ。なのに、フランツはヘレネでなく、シシイを選びます。そこから、フランツとシシイの二人の世界。赤いゴンドラに二人が乗り込むとゆっくりと上へあがっていきます。よーくみると、後ろに同じような赤いワゴンが動いており、これは観覧車のセットなのねと気づく。二人は、すっかり盛り上がり、思えばこのときが一番幸せな恋人時代でした。
ふたりがゴンドラからおりて、床に寝転がると白く長い布切れがおりてきて、結婚式の場面へ。シシイもフランツも上から、白いガウンをはおるだけ。結婚式の衣装は着ないんですね。おさえるところは、とことこん経費おさせえているところが、なんかゲルマン系らしい。’すべて汝の意志であることにまちがいないな’(と、いっていると思う)’やあ(=YES)’という声が響くと、トートの笑い声が。
次は、結婚はまちがいだあのパパとゾフィーの場面です。鏡のついたてがしてあって、後ろで踊る人々が見えます。ちょっと、びっくりしたのは、ルドルフがいたんです。浦井君だって、ルドルフになる前に、ハンガリー国民とか、ミルクミルクの民衆になってたけど、こんなにあからさまにわかるようには出てこなかったよね。フリッツときたら、髭はつけてるけど、あいかわらずフリッツ。ルドルフがこんなとき、でてきちゃだめでしょ。
そして、いよいよ最後のダンスだあ。この日は、外は冷たい雨がしとしと、風邪がピープー吹いていて、冷え冷え寒い日でした。が、観客は熱かったよ。だって、Mateワールド全開だもの。やすりの上をおりたり、のぼったり、走ったり、叫んだり、誰もこの男をとめられやしないわ状態。きのうの脇からみたのとは大違いの迫力。観客もヒューヒュー、ブラボー状態。この歌は、多くのトートが歌ってきたであろうが、Mateより似合った男がいただろうか。
観客を大嵐にまきこんだMateワールドが去ると舞台は、妙にデフォルメされた野次馬の視線を書いたバックの絵。エリザベートたちを興味本位でみている人たちの象徴か。早くふたりになりたいわというまだ、少し初初しいシシイ。
翌朝。ゾフィーお姑さんの逆襲、いやいや教育が始まります。えー、そんなこと聞いてないよ、とフランツに迫りますが、そういえばフランツ、いってたよね。’皇帝に自由などないのだ、皇后も等しく義務を負う’。息のつまりそうな生活が始まる予感。シシイ、切れます。
そして、始まる’私だけに’。背景は、全体的にブルーな谷の絵に。舞台がV字上にせりあがってきます。深い谷の中で歌っているように見えます。V字の上に、はいつくばって落ち込んでみたりするけど、最後は仁王立ちになって、歌い上げます。シシイ、激しい自己主張の始まりです。それにしても、のって歌う本人はこわいと思うよ。すべりどめついているだろうか。
宮殿での窮屈な暮らしのはじまり。背景は、雪の宮殿で、矢印が背景に書いてあってそこで、この物語は展開していますという意味?その背景をくりぬいては、シシイのくやしい日常が映し出されます。ルケーニは、その背景に映写機をあてて、フランツの忙しさを説明しています。
まったく、自分の思い通りにならない生活。生んだ子供は、つぎつぎとゾフィーにとりあげられ、自分で育てることもままならない。そんなとき、最初の子供が病気で死んでしまう。トートの仕業だ。ここで、最初の’闇が広がる’。これが、なんかツボでした。ルドルフとのデュエットより、ゆっくりテンポで、まとわりつくような曲調。個人的には、こっちをCDにいれてほしかったくらい。ちなみに、最終日のサードキャストのトートもこのシーンよかったです。
その頃、ウイーンのカフェでは、、のシーン。ここは、遊園地のゴーカートか、コーヒーカップのアトラクションみたいな乗り物にのって、新聞を読みながら噂話をしています。ウイーン版では、革命運動をしているエルマーの登場はなし。よって、革命家たちをあおるトートもなし。カフェにつどう人々がゴーカートぶつけながら噂話に興じているようです。
どうやら、皇室では男の子が生まれて、エリザベートにはまた育てさせてもらえてない様子。ゾフィーと、教育係の男女につきそわれたちびっこルドルフ登場。軍服が、赤、青、緑と用意してあって、赤い軍服を着せられる。’ママに会わせて’といっているように聞こえるは、気のせい?’だめだめ’’Bitte!'ナイン’。このくらいは、わかりました。
もう我慢しきれない、堪忍袋の緒がきれそうだ、エリザベート。部屋にとじこもって、フランツに顔もみせてくれません。最後の手紙をつきつけるエリザベート。激務に疲れたフランツの’エリ〜ザベー’の呼びかけの歌が悲しいです。
市場にはミルクが足りません。民衆の不満は高まります。ここは、アンサンブルの皆様、すべてグレーの衣装に身をまとい、ミルクの缶をしゃんしゃんいわせながら、踊ります。歌います。外人がせまってきて、怒りながら歌うとこわいです。そんな民衆をルケーニがあおります。なんで、ミルクが足りないか、ミルク風呂にはいっている奴がいるからだよ〜ん。
そして、ミルク風呂でみがきをかけるエリザベート。女官たちがエリザベートの美しさにみがきをかけるべく、動きまわっています。そこへ、かわいそうなフランツ登場。エリザベートの言うことをすべて受け入れるからと、エリザベートに会いたいがために何もかもを許してしまいます。さあ、自分の言い分がとおった、エリザベート登場だあ。
鏡の中から、かの有名なダイヤモンドの髪飾りをきらきらつけたエリザベートの肖像画さながらに登場です。ここでの、エリザベートの’私だけに’は、もう、あんなに力んでいません。自信に満ち溢れ、勝ち誇った者の余裕、それをくやしがるトート、悲しく受け入れるフランツ。三者三様の思いと共に一幕が閉じます。
なんと、先ほど、2幕の終わりまで書き上げて、最後の感想に向かおうとしたら、
プログラムがフリーズして、消えてしまった。修復できないかとあれこれやったけど、あきらめました。また、書きなおします。
2幕は、おなじみキッチュから始まります。ルケーニは、ハンガリーが独立したものの、ハプスブルクの2重支配で、偽善だ、シシイはエゴイストだとやじります。(と、思うのだけど、ドイツ語わからないので不明)。その時、ハンガリーでは、フランツとエリザベートの戴冠式が行われています。’イェーヤン、イェーヤン、エジージャベェ〜イ’とハンガリー語は聞こえます。
ブタペストの地で、自分の思いがかなったことを確認し、勝利宣言するエリザベート。わたしがもっとも好きな’私が踊る時’のシーンです。’勝ったのよ、わたしの勝利だわ’と力強く主張するエリザベート。馬車のセットから後ろ向きにおりながら、’本当かな?’といわんばかりに歯をむきだしてせまりくるトート。自己主張の塊の二人がお互い相手ににじりより、力まかせに歌いあげます。本当は、なんていっているんだろう?ドイツ語がわかりたいと切実に思った瞬間でした。
自分の意志を通す生活を手にいれたエリザベートですが、子供の世話はしません。あんなに自分の手元で育てたいといっておきながら、ちびっ子ルドルフはいつもひとりぼっち。壁からベッドのようなものがおりてきて、ちびっ子ルドルフは暗闇に問いかけます。ママ、どこにいるの?こたえてくれたのは、ママでなく、あやしいお兄さん。トートです。こんな怪しい人についていっちゃだめでしょ。でも、ルドはそれほどさみしかったんですね。
子供の世話もせず、精神病院を慰問するエリザベート。左右に男女の患者が分かれており、思い思いの服装で、好き勝手をっています。その中で、わたしこそエリザベートと名乗る、気のふれた、しかし気品のある女の患者。拘束服をきせられながら、毅然としています。日本でみた、ほんとに気がふれて大騒ぎの患者さんでなく、とても美しく気品にみちた方でした。エリザベートは、その毅然とした態度をみて、なんだか自分の人生むなしくなって、やけっぱちな気分になります。
宮殿では、エリザベートに権力を奪われてくやしがるゾフィーと側近たち。ここは、みなさん、チェスの馬を下半身につけ、チェス盤の上で馬のステップをふみながら、悪い相談をします。フランツがエリザベートの美しさに負けたなら、もっと別の女をあてがえばいいというようなことを相談し、躊躇する司教様にも、馬のステップでゾフィーが迫って承知させます。なんで、チェスなのかわかりませんが、これはこれでおもしろい演出でした。
マダムボルフの館は、左にスロットマシーン、右にまわる娼婦のショーウインドー。ウイーンの娼婦の方々アクティブです。鉄棒する人、ボクシングのグローブつけた人、みんな体力ありそうです。ルケーニもついふらふらという感じ。
エリザベートが体操室で倒れています。この体操室って、実際あったんです。昼間、宮殿見学したときありました、この吊り輪。ほんとに吊り輪でエクササイズしてたんですね、エリザベート。お医者さんに扮したトートがやってきて、フランツの裏切りにより病気に感染したことを告げます。これで、自分の元にやってくるだろうと思っていたトートですが、エリザベートときたら、これでもっと自由になってやるわとフランツからもらった愛の証のネックレスをトートになげつけて立ち去ります。トート、とってもくやしそうだけど、きちんとそのネックレス、キャッチしてました。このへんのコンビネーションのよさ、気持ちいいです。
エリザベートが旅立って残されたフランツは、年老いた母にやつあたりします。ゾフィーは、ただ帝国のため、りっぱな皇帝であってほしいと願ったたけだのに、と死の手前の瞬間悲しく歌います。そうだよね、お母さんのせいじゃありません。フランツ、君がもっと強ければ。
エリザベートの旅は続きます。女官の方々、ついていくのに精一杯。ここでも、女優さんたち、かさもって、かばんもって踊りながら歩きます。エリザベートは、遅いわね、ほらほらといわんばかりに、あごをくっと上に向け指図します。実際、エリザベートはあちこち放浪したらしく、最後のほうは専用列車もあったそうで、オリジナルがどこかの博物館にあるんですって。わたしは、シシイ博物館でレプリカを見ました。なかなか心地よさそうで、彼女のたびに対する執着というか、つくづく宮殿でないところに何かを求めていたのね、と感慨深いものがありました。
その頃、成長したルドルフは、悩んでいます。また、あの壁から倒してきたベッドの上。トートがでてきて、ルドルフを翻弄します。ルドルフ、トートにふりまわされて、キスされそうになるのからのがれて、もうがっくんがっくん状態。しっかりしなくちゃ、ルドルフ。日本では、浦井君の澄んだ切ない高音とともに、胸にせまりくる’闇が広がる’ですが、こちらフリッツ&Mateの、乱暴な仕草に歌の内容忘れそうです。いったい、何がねらいなんだこの’闇が広がる’は。
舞台上に大きな王冠が現れ、フランツヨーゼフが中にいます。父と息子は政治上の意見が対立している模様。街では、ドイツ主義?ユダヤ人の排斥運動がひろまっています。金髪の髪に、高い鼻をつけて同じ顔をした人々が、ナチスのカギ十字をパロディにしたような腕章をつけて行進しています。暗い20世紀の予感たちこめ、ルドルフの苦悩は深まります。
ギリシャのコルフ島に滞在するエリザベート。お父さんの霊と語らう不協和音のデュエット。あんなに自分の道をおしとおそうとしたのに、何ひとつ自分のほしい安らぎはえられなかったと嘆くエリザベート。
苦悩を深めるルドルフは、母のもどった居室を訪ねます。日本では、蟄居させられたルドルフをエリザベートが訪ねてくれるはずなんだけど、ウイーンは訪ねてきてもくれないねですね。それどころか、手をとってママ、僕を助けてとさえできないんです。エリザベート、鏡の向こうで髪をとかしているから。
絶望したルドルフは、妙なドレスをきたトートたちにみちびかれるまま、あっちへこっちへ。マイヤリングのワルツです。あれほど、さけていた死のくちづけだったが、やっと安らぎを得られるのはそこしかないと、トートたちがもてあそぶピストルを手にいれようとする。そして、やっとピストルを手にしたとき、トートのくちびるがルドルフに覆いかぶさる。実は、Mateがどんなしつこいキスをするのかしらと思っていたら、意外とさらっとあっという間でした。このシーンは、日本のほうが濃いかな。
またまた、舞台がせりあがり、3分割され、ルドルフのお葬式シーンです。エリザベート、ぼろぼろです。そんなに悲しむなら、生きているときに愛情みせてやればよかったのに。何もかもいやになって、もうトートの胸にとびこもうかしらと思ったけど、そんな女はいやだとトートにそっぽをむかれてしまいます。
再び旅に出たエリザベート。彼女をおってコートダジュールにたどりつくフランツ。フランツは、まだ二人の愛を信じてるみたい。でも、もうエリザベートはフランツに対する思いはありません。ふたりがたっている海岸も一筋じゃない。お互いにあゆみよっても、まじわることのない二つの岸辺です。ゆらゆらゆれながら、なんてむなしい、美しい、’夜のボート’が響きます。
ここまで、エリザベートに見限られたフランツ。悪夢をみます。このシーンすごいです。床がせりあがる、V字にわれる。エリザベートをとりまいてきた時代の人々の不幸が凝縮して、その床の上にもだえんばかりにはいつくばっています。これ、本当のこと。舞台が平坦じゃないので、役者さんたち、必死に舞台にしがみついています。ここまでするか、ウイーン版。あの衣装をきて、急な床につかまてって歌うなんて、体力テストも必要だよね、オーディションでは。エリザベートのいないことを嘆くフランツ、まだエリザベートを愛しているんですね。そこへトートが出てきて、おまえのものじゃないみたいなことをいい、したでスタンバイするルケーニにヤスリを投げてよこします。ここも気持ちよいコンビネーション。いよいよ、エリザベートがトートにさしだされる日が近づきます。
船に乗ろうとするエリザベートを一人のアナーキスト(ルケーニ)が、刺して立ち去ろうとします。その場に崩れるエリザベート。命はてる瞬間、黒いドレスをぬぎすて、自由にむかって歩き始めます。その先には、待ち続けていたトート。二人は、長いキスをかわします。やっと自分から胸にとびこんできたエリザベートを抱きしめようとするMateの手はふるえてたよ。それまで自信満々だったのに、かわいいじゃん。ちなみに、翌日サードのスティーブンは堂々と抱きしめてました。で、その抱き合う二人の背景では、監獄で首をつるルケーニ、エリザベートの幕が閉じます。
せっかく、ここまで日本とバージョン違うなら、書き留めておこうとお宿でノートとっておいたのでした。とにかく、おもしろかった。エリザベートのあそこまですごい自己主張の強さと、優雅さのかえらもないトートは、日本にはない解釈じゃないでしょうか。エリザベートは夢物語のラブストーリーじゃないんですね。魅力的な死の誘惑にも屈せず、自らの意志で強く歩んだ一人の女性の人生。沈みゆくハプスブルクの影と、強すぎるほどの美しさの輝きをエリザベートウイーン版は見せてくれました。
さあ、明日は、最終日です。
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