Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


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 [124]   エリザベート ウイーン公演(1)
2004年12月25日 ソワレ
Theater and der Wein(ウイーン)
エリザベート : Maya Hakvoort  トート : Mate Kamaras ルドルフ:Fritz Schmid
ルケーニ:Serkan Kaya フランツヨーゼフ:Andre Bauer
ゾフィー :Lenneke Williemsen   幼年ルドルフ:Johann Ebert
 
帝劇で観て、ウイーンオリジナル版のCDを買ったときから、ウイーン版を観たいなと思っていた。今年は、この前にヨーロッパに2回も行くチャンスがあったのに、夏場は公演がないそうで、なんだかあきらめきれなくて、とうとう来てしまいました。
アンデアウイーン劇場は、思ったよりもこじんまり。アーチ状っていうんでしょうか?舞台に向かってぐるーんとコベントガーデンのロイヤルオペラハウスを縮小して庶民的にしたみたい。初日は、到着日なのでフライトで疲れていて集中できなくてももったいないしと、一番安いけど、舞台にとっても近い10ユーロのボックス席を買ってみた。スナックの椅子みたいな高椅子がごろんごろんとおいてあり、すわりにくいけど、ボックス満席じゃないので、楽にしてみました。が、ここは、さすが10ユーロ。見事に見切れました。舞台にはとっても近いので、俳優さんたちの顔はくっきりなんだけど、右半分を後ろでやられるとさっぱりみせません。これも、経験。ボックス席だしね。
 
さて、ウイーン本家というからには、オペラやオペレッタを生んだ土地柄、きっと芸術の香り高々な歴史大河に違いないと思っておりました。が、何よりも第一印象、おもしろい!エンターテイメントなのだ。ウイーンオリジナルCDを聞いたとき、トートがロックっぽい???と思っていたのはまちがいじゃなかった。日本のエリザベートは、これに比べるとおとなしくて、落ち着きすぎ。と、いうかはっきりって、年寄りくさいくらいだ。お上品な部分だけを持ってきてしまったみたい。日本も再演するなら、少し考え直してほしいな。エリザベートは、もっと面白くできるのだ。
 
ドイツ語はさっぱりなわたしですが、CDで聞きなれた’あばばぐんだ、ルケ〜ニ’の声とともに、巨大なヤスリにつるされた首吊りルケーニ人形と、本物ルケーニ登場。Kayaさんという人、何人?外見は、典型的なイタリアン。イタリアンの香りぷんぷん。いいです、いやあ、いいですこのルケーニ。高嶋兄のルケーニって、とってつけたみたいな仕草が鼻について、好きじゃなかったのよね。ルケーニなんて出てこなきゃいいのにと思うことも多かったです。が、Kayaさんのルケーニをみていると、本来はこのような役どころなのね。エリザベートの殺人者であり、この物語の語り手。Kayaさんのルケーニ、歌といい、せりふまわしといい、嫌味なく嫌な奴です。皇室や上流階級の人々を笑い、やじり、庶民をあおり、時代の中のアウトローがハプスブルクを語る様を見事に演じておりました。
 
シシイことエリザベートを演じるのは、初代ピアさんを今やしのぐ勢いのMayaさん。背の高い方です。近くでみると、結構年齢はいってそうだけど、少女時代から難なくこなしております。歌はもう、迫力です。エリザベートは、こんなにも自己主張の人だったのかしら?と思うくらい、意志を通しまくります。歌に力があって、大きい人なので、ソロの場面は圧巻です。特に最初の’わたしだけに’は、舞台がV字にせりあがって、その上に仁王立ちで歌うのです。まあ、ドイツ語はわかりませんが、日本語の歌から考えても’私の人生は、私だけのものよ。誰にもじゃまさせないわ’という、とっても16歳の少女とは思えない迫力。(歌ってるMayaさんも、この幼さのことは忘れてるんじゃないかしら?)
 
そして、トート。Mateだあ!噂には聞いていたが、これがあのMateね〜。解説によると、トートは美しい青年のような’死’という設定らしい。そこから想像するに、金髪、ブルーの瞳のゲルマン系の青年、日本のトートもどっちかというとビジュアルには力をいれていたしね。と、観てない人や知らない人は思うに違いない。たしかに、Mateは、金髪です。前のほうは、編みこみにしてあって、後ろは普通にちょっと長くおろしており、おとなしくしていればまあ、その系統でもいけたかも。が、Mateは、そんなおとなしい男じゃないのだ。歯をむきだして、エリザベートに負けないくらい自己主張しまくりの熱い’死’なのだ。最初に昔のアイドル歌手みたいな白いひもがしゃらん、しゃらんついた衣装で登場して歌うともう、ちんぴらの兄ちゃんだ。優雅さや気品のかけらもなく、俺は俺だぜ〜、お前を愛する気持ちは誰にも負けないぜいぃ〜というタイプ。と書くと悪い印象に思えますが、なぜか憎めない、いやいや、くせになりそうな男。ある意味、ちょっと母性本能をくすぐるタイプ。これはきっと、あの声のせい。とても細かい粒子のパウダーって、さらさなのに湿り気があるみたいに、身体にまとわりつきつつ、さらさらって落ちていくような、ねばりけのないしつこさ。そんな声なのです。CDで聞くと、舞台での大暴れが欠けていて、ちょっと寂しいですが、このくせになる声は健在です。大暴れは、言葉のあやじゃありません。本当に、この人、大暴れなのだ。こちらの衣装は、日本みたいに、ちゃらちゃらいろいろ工夫してないせいか、よく動く、動く。ヤスリの上を駆け上がるし、馬車のセットは後ろ向きにおりながら歌うし、走るし、山口祐一郎にはできないだろうなと思うのでした。
 
この自己主張の塊同士がぶつかりあうのが、’私が踊る時’です。意外にも、わたしは、このシーンが一番好きだ。’最後のダンス’でもなく、’闇が広がる’でもなくです。Maya&Mateの迫力で、どっちも負けやしないで、自己主張しまくって、お互いににじりよりながら歌うのだ。力技という言葉がふさわしい。
 
いろんなことがおしよせてきた初日ですので、あとのことは簡単に。ゾフィーの人がすごい若くて、鳳蘭みたいだった。初風淳さんのおばあさん皇太后とちがって美しかったです。フランツヨーゼフは、この若くて迫力のお母さんのもとでは、小者にみえました。子供ルドルフが、めちゃくちゃかわいくて、かわいくて、どうして、こんなにかわいいんだろうと天使みたいでした。歌は、そんなでもないんだけど、もうこのかわいさだけで、すべてを許すという感じ。ゲルマン系の子は、小さい頃、こんなかわいんだわと初日だけでなく、全夜とも皆かわいい子でした。
 
そして、日本ではわたしの中のNo.1,'闇が広がる’、ルドルフ皇太子。今回は、アンダーのフリッツだ。残念ながら、ずーと3日ともフリッツだった。フリッツって、金髪のくるっくるっだ。ウイーン版は、ルドルフの政治活動のシーンがないので、どうして、ルドルフがこんなに苦悩しているのか唐突で、?という感じ。すごーい悩んでるんですね、フリッツ。これは、浦井君が泣きそうな感じとも違うんです。で、’闇が広がる’ときたら、Mateにふりまわされっぱなし。がくんがくんなんです。Mateは、Mateで、ルドルフを死の世界にひきづりこもうと、たくみに近づいてはふりまわし、ルドルフは翻弄されっぱなし。日本では、浦井君の切なさが’闇が広がる’のメロディーとともに胸に響いて、おおとツボにはまるシーンです。が、ウイーン版、がくん、がくん、がんばれ、ルドルフです。感動もなにもあったもんじゃありません。他のルドルフだとどうなんだろう?フリッツが悪いのか、Mateが悪いのか。いやいや、本来がそうのか。これが日本とウイーンの文化の違いなのか。いづれにしても、ねらうところが違うようです。
 
そんなこんなで、初日の幕は降りたのです。いろんなことがおしよせてきて、書ききれないことがいっぱりあり、翌日へと続くのでした。。。。。
 
 
 
update:
2005/01/04



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