Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


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 [137]   On Your Toes 東京公演(6)まとめ
2004年4月28日、30日、5月5日、8日、14日、16日、18日
ゆうぽうと
 
Junior : Adam Cooper, Vera : Sarah Wildor
Konstantin : Ivan Cavallari, Frankie : Anna-Jane Casey
Sideny : Matthew Hart, Peggy: Gillian Bevan,
Sergei:Russel Dixon
 
去年の夏、ただ、ただアダムに会いたくてロンドンまで追いかけてみたOYT. ロンドン公演最後の日に聞いた ’必ずかえってくるよ!’の言葉どおり、アダムは新しい素敵な仲間とOYTをもって日本に帰ってきてくれた。
 
ロンドン公演は、アダムが歌うこと、話すことが新鮮で、タップや10番街の殺人のダンスがあまりに素敵で、とにかくアダムを観ることだけに集中していた。海外遠征で体力的にもきつかったし、集中して限られた回数しかみれなかったし、英語の細かいニュアンスもわからないところが多かった。OYTのアダムは素敵だったけど、作品としては平凡だなというのが正直な感想だった。だから、日本公演もアダムを観れればいい、そうね、4回くらいかしらと週1回観劇のペースでのチケットしか購入しなかった。ところが、どうだろう。半ばにさしかかりはじめて、作品全体が楽しめるようになってくると、観れない日が苦しくて、結局合計7回劇場に足を運ぶこととなった。これを書いている今は、名古屋公演、大阪公演を残しており、本当は何もかもなげうって飛んでいきたい気分なのだ。個人的な好みの問題かもしれないが、わたしはロンドン公演よりも日本公演のほうが数倍好きだ。
 
第一幕。オープニングは、ベラのレッスン風景から始まる。ここは、ロンドンも同じ。ベラ役のサラは少し太ったみたい。でもロイヤル仕込みの動きの美しさは衰えていない。そして、恋人コンスタンティンモロシン役イヴァンカバレッリ登場。この役は、ロンドンではイレクムハメドフがやっていた。本来、この役は若くてハンサムなダンサーという設定だと思うので、ビジュアル的にはイヴァンのほうが役に近いのではと配役が発表になったときの写真をみて思っていた。実際、舞台に登場してみると、イレクよりも若くて背が高い。初日はかなり遠くの席からみたせいで、彼のバランスのよい体型がより印象に残った。そういうわけで、わたしの中では、よき印象のフィルターを通して、これから彼をみることになってしまうのであった。
 
物語は15年前のヴォードビルにさかのぼる。ドーランファミリーのタップショーだ。ドーランパパとドーランママは、ロンドンメンバーだ。この人たちのタップは安定している。少年ジュニアは、今回初のおめみえウエッブ君、19歳。ロンドンのときの子よりも、より少年ぽい。彼が、こんどマシューの白鳥で幼年王子をやってたりしてという話もでるくらい、まだまだ少年だった。2流アクロバットの女性とつきあっていることや舞台での下品な振る舞いから、親たちはジュニアを学校へ送ることに決める。父親は、学校なんかにいったら、きっとつまらない音楽教師とかになるんだろうなという。
 
15年後、父親のことばのとおり、ジュニアは音楽教師になっていた。ここで、アダム登場。彼の最初のせりふの単語は、’Today,'だった。相変わらず、ファッションモデルなみにかっこいい。初日は、彼もかなりナーバスになっていたのだと思う。明るいこの場面で、アダムの緊張感がつたわってきて、ちょっとはらはらして、身内の舞台をみているような気分にさせられた。ただ、そんな瞬間は、初日だけで、あとの公演はスムーズだったと思う。アダムと生徒の歌が始まる。なんだか、日本公演はオーケストラと歌の音声の大きさのバランスが悪い。初日のせいかと思ったけど、これは一貫してずっと悪かった。歌声が小さいのだ。せっかくのアダムの澄んでよくのびる歌声がオーケストラに消されそうで気になることが多かった。ロンドン公演では、意味もなく3Bの垂れ幕がおりてきたりしたけど、今回はカット。ここは改善だと思う。
 
生徒が帰った後、こっそりタップシューズをはいて、タップを踊りはじめるジュニア。ここ、こそが、ああアダムが帰ってきたと心から気持ちが高ぶりはじめる瞬間だ。気弱な音楽教師が突然、スターダンサーに変身する。そして、いつもいつも、ここはとっても短い。絶対に短い。フランキーがはいってこないでほしいと思うくらいだ。フランキーはロンドンと同じ。彼女のようなベテランが引き続き参加していることで、作品全体がとってもしまるような気がする。ここで、はじめてお互いの気持ちを確かめ合う二人。フランキーのへんてこな歌がはじまる。歌の部分は、ロンドンではほとんど意味がわからなかったので、今回字幕があるのはありがたい。本当にへんてこな歌詞だ。ジュニアのせりふに’it's catching melody, but derivative.'と彼女の歌を批評するところがあるけど、かなり独創的だと思えるけど。この不思議な歌がもりあがってくると生徒たちも登場し、アンサンブルのダンスが始まる。今回、日本から参加のマシューハートがよい。やっぱり彼もロイヤル仕込みだ。今回、バレエやソロのダンスを踊る場面が少ないのは残念だ。無邪気なシドニー青年をとってもナチュラルに演じていた。ここでのアンサンブルは、アダムのつま先だちのあの有名なポーズが一瞬はいる。ここも、はっと毎回息をのむ瞬間だ。何度みても、彼が長い腕をふりあげて、つま先だちする姿は、テクニックとか才能を超えた何か神様からのギフトを感じる。アダムクーパーの華やかさを一瞬のうちにみせるファンにとっては至福のときだ。わたしは、アンサンブルといっしょに踊るアダムも好きだ。同じ動きをしているのに、なぜ、なぜあんなにこの人だけ違うのと思った白鳥のときと同じ、やっぱり彼だけ特別輝いみえるのだ。
 
舞台装置は、ベラの部屋へと展開する。ここは、日本公演では、大幅に改善されている。ロンドンのときに、舞台装置が陳腐にみえた靴箱のセットがない。ベッドの位置も右よりになっている?ベラ役のサラは、ロンドン公演に続いて、お客にもっとも受け入れられた一人ではないだろうか。わがままで、無邪気なプリマドンナを可憐な面影が残る美しいサラが演じると、わがままゆえの嫌味はすかっり消えて、ベラの騒々しさがほほえましく思えてくる。気のせいかもしれないけど、今回はせりふの間が少なすぎるようだ。文化の違いによるものか、ベラが笑わせるせりふが、日本の観客に伝わらないで、どんどんすすんでいくので、もっと笑いの多い場面なのに少し寂しい感じがした。今回日本公演から参加のペギー役のギリアンさんは、ロンドンのキャサリンさんに比べて、せりふの言い回しがさらっとしている。キャサリンさんは、わりともったいぶった意味深な言い方をして笑いをとっていた。モロシン役イヴァン登場。やっぱり、この人、背が高くて顔ちっちゃい。バレエリュスのスターダンサーでプレーボーイというイメージぴったりだわ。髭そってくれたほうがもっとハンサムかも。と、イヴァンにはかなり好意的な視線をむけている自分。せりふの言い方が、切れ目なくだらだらしゃべっているのは、演技だろうか?このしゃべり方は、ハンサムだけどお馬鹿な浮気者という感じがする。(素のイヴァンのしゃべり方は、普通だったので、演技だと思う)アダムとイヴァンが舞台上で並ぶと、いい光景だ。お皿にごちそうが2種類のっているみたい。
 
シドニーの曲を紹介するために、ジュニアがベラと二人きりになるシーン。ここは、ロンドンとほぼ同じ。ベラをリストしながら踊る場面は、毎回迫力の度合いによって、めがねが落ちたり、ずれたりと細かくちがっていて面白かった。めがねが落ちてもそのままにすればいいのにと思ったけど、最後にベラめがけてダイブするシーンでめがねを投げ捨てるシーンがあるので、かけなおさなくちゃいけないのだろう。
 
ベラと関係をもったことで、ロシアバレエへの出演がきまり夢中になり、フランキーとぎくしゃくし始めるジュニア。この後、二人の愛を確かめるsmall Hotelのシーンが始まる。これは、ロンドンも日本もどっちもいまいちのシーンだ。日本公演では、台車がなくなって、旅行の雰囲気がわかりにくいかもと思った。台車はわざとらしかったので、なくなったのはいいけど、ポーターたちの踊りがなんだか陳腐だ。もしかして、アンサンブルいなくてもいいんじゃないかと思うくらい。アダムとフランキーが踊るシーンだけで十分と思ってしまった。
 
そしてプリンセスゼノビアの初日がやってくる。アダムのタキシード姿が嬉しい。本当なら翌週の公演から出演するはずが、急遽オープニングの日から出演するはめになる。ジュニアに流れの展開を説明するデミトリー役は、今回から参加のアイザックマリン君。新聞用の写真でポーズをつけるポーズが、毎回違っていておもしろかった。彼のバレエ、きれいだ。後に10番街の殺人でみせるおかまの演技はコミカルで、硬軟両方できる期待の若手だ。不安なままゼノビアの幕があがる。
 
ロンドン公演では、ここはわたしにとって中だるみのひとつだった。ジュニアが登場するまで、ゼノビアのお姫様と物乞いの青年の愛がめばえるシーンがえんえん続くように思われた。サラとイレクのダンスは見事だったけど、あの頃のわたしは、アダムしか目にはいらなかったので、そのすばらしさが理解できなかったのかもしれない。が、今回は、10番街の殺人と共にもっとも待ち遠しく大好きなシーンとなった。イヴァンのちゃんとした踊りが一瞬みれるシーンなのだ。公演の最後に行くにしたがって、サラとのどつきあいバレエの面白さがエスカレートして、そこばかりが話題になったのは残念だ。わたしは、バレエのことはよくわからない。イヴァンはテクニックのあるダンサーではないそうだ。でも、わたしは、彼がおふざけでなく、物乞いの青年の踊りをする場面が一番好きだ。彼のきちんとしたダンスをもっと長く見てみたいと思う。彼のシュトゥトゥガルトバレエの現役時代に出会わなかったことが悔やまれる。この役は、マカロワが80年代ベラを演じたアメリカ版では、あの映画’ニジンスキー’に主演したジョルジュデラペーニャが演じたそうだ。ジョルジュの物乞いの青年みたかった。ソロでジャンプするところは、きっとあのニジンスキーのときのようだったのではないかと想像する。もし、ロンドン公演でもっと余裕があったら、イレクのダンスにも魅了されただろうか。ゼノビアは、お笑いじゃとしてでなく、ちゃんと楽しめるバレエでもあると思うのだ。
サラとのどつきあいバレエも二人がきちんとしたバレエを踊れる人だから実現するおふざけであったと思う。個人的には、中盤5日や8日くらいの、エスカレートする前のゼノビアが好きだった。ジュニアが舞台をめちゃくちゃにし始めるのはロンドンとおなじだ。だけど、日本公演のほうが、まわりの反応が面白い。出演者が横から、方向指示したり、けりをいれたり、びっくりしてジュニアをみてしまうベラをこんとたたいて、ちゃんとした方向をむかせるモロシンとか。アダムのお尻ばかりが話題となったが、見所満載のプリンセスゼノビアであった。
 
2幕。シドニーの曲を聴くためにセルゲイ、ペギー、モロシン、ベラが集まっている。ここは、ロンドンと同じ。ベラとモロシンが口げんかをしながら、モロシンが椅子にすわりそこなって転ぶバージョンは、毎回違っていた。椅子を前になげだしたり、横におしたり、こういうところは、演じる側が自由にできるのだろうか?
 
騒がしい人々がさってジュニアとペギーの語りあう場面。ギリアンのペギーは、ここでもやっぱりさらっとしている。キャサリンは、アドバイスしながら、意味深な微笑みを浮かべて、ロンドンではかなり受けていたけど。アダムは、このかなり年上のご婦人とのダンスもかっこいい。ロンドンでは、女王とストレンジャーのダンスみたいと思ったけれど、日本ではそれは感じなかった。自分がおちついたせいだろうか?
 
やがて、ランチの約束をしていたフランキーが登場。ジュニアはダブルブッキングだ。ベラと鉢合わせて、窮地に追い込まれるジュニア。おろおろしてロシアバレエと去っていくジュニアを見送ったあとのフランキーの歌が切ない。ロンドンでは、結構かったるいかなと思っていたけど、アナジェーンの歌声は聞き重ねるにつれてしみじみしてきた。最初から一貫して安定していたので、多分これも自分の受け取る側の変化のよるものだと思う。
 
後日、セルゲイはロシアバレエのメンバーと共にジュニアのクラスを訪ねる。そこで、シドニーの歌う’Quiet night'を聞いて、その歌に感動し、あんなに反対だった’10番街の殺人’を次の演目にすることを決定する。これは、わりとロンドンでは納得のいかなかったところだ。’Quiet night'と’10番街の殺人’じゃあ、曲調が全然違うじゃない。なんか短絡的よねと思っていた。今回、よいように解釈すれば、たしかに’Quiet night'は、ジーンとする歌だから、そこで情に動かされたということか。でも、セルゲイのモデルはあのディアギレフ。彼は、敏腕の今でいうプロデューサーだったわけで、情で動かされるような人じゃないはず。それよりも、’10番街の殺人’そのもののすばらしさを見抜くほうが自然なような気がする。場面展開は、いろいろ思うところがあるけど、マシューハートの歌が意外にもなかなかよいのだ。彼は元バレエダンサーだから、歌はプロではないはずなんだけど、あのひょうひょうとした表情で、やさしいラブソングをきれいに歌い上げていた。シドニー役は、ロンドンキャストより、やっぱりマシューでよかったと思う。
 
いよいよ’10番街の殺人’のリハーサルが始まる。ここは、ちょっとしたシーンだけど、2幕の中ではもっとも好きなシーンだ。セルゲイに砂袋でなぐられて気絶したコンスタンティンの横で踊るジュニアが絶品だ。ちょっとだけ、ごまかしで警官に踊ってみせるという設定なのに、ああ、アダム、アダム!と、絶賛したくなるダンスなのだ。終わったら、拍手していいところなのかどうかわからないけど、必ずここでは、自然と拍手してしまう。ジュニアでなく、あきらかにアダムとしてみてしまう瞬間だ。
 
そしてオープニングの日。ジュニアの殺害をたくらむモロシンがギャングたちと会いながら、ベラともいちゃつく場面。ここも日本公演では好きな場面のひとつ。これは、めちゃくちゃ個人的な感想かもしれないけど、モロシンのタキシード姿、かっこいい。ベラの’Oh,darling, how handsome you look!'は、わたしの心を代弁している。思えば、初日この姿で、すべてイヴァンを許せてしまったのかもしれない。
 
いよいよ’10番街の殺人’の幕が開く。最初の1週間は、アダムが登場する時の煙草シーンがなかった。ええ、がっくりと思っていたら5月5日に観たときから復活していた。アダムのダンスは、ロンドンと変わらず、このミュージカル全体でも一番の見せ場にふさわしい。きっと、最初に日本公演で遭遇した人は、やっぱりきてよかった、アダムクーパーはこうでなくちゃと再確認しているんだろうなと思う。サラのダンスはイヴァンとでもアダムとでも一貫して安定している。彼女のダンスはわたしが観た日では、一度も乱れたことがなかった。もちろん、アダムもイヴァンも乱れたりはしなかったけれど、安定という面では彼女が一番だった。ロンドンでは、とにかくそのアダムとサラに釘付けだったけど、余裕の日本公演では、まわりの人々のダンスもやっとみることができるようになった。ここでも、マシューハートのダンスさえていた。彼は、表情も豊かだ。ロンドンでは、その動きのわりにおもしろみのなかった警官のダンスがマシューによって息をふきこまれた感じ。あと、巷でも評判のアイザックマリンズがよかった。彼は、ロシアバレエの団員役として、バレエのパートを踊ることが多く、その中でもかなりうまいほうだった。’10番街の殺人’ではその彼が女装のオカマ役を演じている。ただ、ジュニアに殺害のメモをわたしに来るだけの役のはずなのに、いろいろアレンジをつけて、踊る真似をしてみたり、この役もアイザックにって生き生きしたものとなっていた。
 
本当のクライマックス、ジュニアが一人で踊りを繰り返す場面。モロシンが客席からねらっている。ここは、ロンドンでは、どこにモロシンがいるのかわからなかったが、日本ではいろんな情報からモロシンのすわる場所がわかったので、観劇中1回はモロシンのすぐ斜め後ろにすわることができた。モロシンは、’10番街の殺人’が始まるとすぐその席について、ずーとジュニアのダンスを見つめている。演技をしているせいか、拍手はしない。7回中、この最後のダンスは、アダムのダンスから目が離せなくて、終わらないでといつも祈るのだけれど、モロシンのすぐ後ろにすわった日だけは、集中できなかった。アダムの視線がわたしに向けられているようで、また、イヴァンの動きも気になって。これも、数を重ねて劇場に足を運んだからこそだと思う。
 
本当にお祭りのような3週間だった。アダムが日本いる幸せにどっぷり浸り、多くの友とわかちあい、大はしゃぎの日々だった。アダムは、約束どおりもどってきてくれた。あの長く振り上げたときにときめきを誘うダンスと素敵な仲間を連れて。彼のダンスに出会うまでのひからびたような日々、彼のダンスの恋焦がれて待ち続けた苦しい日々、アダムを追いかけてきたこの1年。そんなすべてをこめて、今OYTの幕が閉じた。
OYTのメンバーとアダムに拍手と感謝を送りたい。
 
Thank you , Adam! I'm looking forward to seeing your next perfomance. See you soon.
If possible, please come back to Japan with Ivan.
 
P S
細かいことをちょっとだけいうと、字幕がかなり適当だった。
内容とあってない部分や、省略、ニュアンスをつたえきれていない部分が多かった。公演をみないで翻訳しなくてはいけないからだとは思うが、せめてゲネとか、通し稽古のときに手直しはできなかったものだろうか。
update:
2004/09/13



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