2008年2月8日 ソワレ
青山劇場(東京)
ファントム:大沢たかお クリスティーン:徳永えり
フィリップ:ルカスペルマン カルロッタ:大西ユカリ
キャリエール:伊藤ヨタロウ ファントムの母親の声:姿月あさと
これ、最初日本のオリジナルミュージカルだと思ってみていたのですが、翻訳物だそうです。原作は、かの有名なガストンルルーの’オペラ座の怪人’です。と、いうことは、わたしは、ケンヒル版、アンドリューロイドウエーバー版、そしてこのモーリーイエストン版in Japanese versionと3パターンをみたことになります。こうしてみると、やっぱアンドリューロイドウエーバーは別格だなと思います。まあ、ウエストエンドと、日本のしろうとという違いがあることも否めませんが。
本日は、なじみの青山劇場ですが、VISAのよこした席は、’危険な関係’の時、見切れるからと売り控えていたのを買ったときの数倍みにくい、S席というのに見事に見切れる端っこの席でした。青山劇場にもこんなところがあったのかとマイナス面での発見でした。本日は、オーケストラピットを使わないでバンドは背後という最近のパターンで、そのスペースはすべて客席にしており、ここまで人を詰め込むかという感じでした。大沢たかのの組織票、侮れません。
この舞台は、好きな人は好き、冷静な気持ちでみる人はがっくりのどちらかに別れると思われます。今回は、通常ミュージカル会場で感じる雰囲気とは違っていました。前に’ジキルとハイド’の韓国来日公演をみた時のような客席の雰囲気。普段はミュージカルみない韓流ファンがいっぱいのあの感じ。でも、あれは、舞台のできとしては、わたしが見た中でもかなりグレードの高いものでしたので、観たあとはそんなことどうでもよくなりましたが。忘れてましたよ。大沢たかおって、結構メジャーなスターなのね。わたしも嫌いじゃないというか、どっちかというと好きかもというくらいだったんですけど。大沢たかおのファンの人々は大喜びでした。後ろのお姉さんたち、カーテンコールの時、’かっこいいね〜、かっこいいね〜’と、繰り返してました。スタンディングオベーションでしたしね。つまりは、大沢たかおのファンの人々にとっては、リピートしたくなる舞台で、そうでない人は、ん〜と頭かかえたくなるようなミュージカルでした。
先にも書きましたとおり、これ日本のオリジナルかと思っていたのですよ。なんだか、海外のミュージカルつぎはぎしたような演出が多かったので、なんちゃってミュージカルだわとか。アンサンブルの不自然さは、なんちゃってだからじゃなく、翻訳物のせいだったのですね。あと、歌詞も妙にメロディーにのってないなと思うところも多かったし。ミュージカルって、たいてい1曲や2曲は、心に迫る歌があるものなのですけど、今回はそれもなかったし。これは、作品のせいなのか、役者のせいなのか微妙ではあるのですが。セットもものすごく陳腐で、およそパリのオペラ座の豪華さや、ファントムの住む地下の暗さなどが全然感じられませんでした。作品として、ものすごく駄作かというと、そうともいえません。話の筋はよかったと思うのです。音楽のない部分では、結構、感情移入できるところもありました。練り直せば、どうにかなりそうな台本だけに、今回の役者の力量と演出のまずさは惜しまれます。
なんといっても、役者に説得力が欠けていました。クリスティーン、ウエストエンドの女優さんだって、たしかに美人ばかりじゃありませんけど。徳永えりさんという人は、スケートの伊藤みどりさんに似ているのですよ。伊藤みどりさんがそうというわけではないのですけど、ファントムが恋する歌姫というより、田舎娘にみえました。歌もね〜。本当に日本の若手にうまい子はいないですね。せめて、歌がうまければ伊藤みどりクリスティーンでも許せるけど。どうして、この人が、ファントムにもフィリップにも愛されるんだか、全然理解できませんでした。劇中では、田舎娘風に歌っているか、叫んでいるかどっちかのどっちかでした。
今回、わたしを不機嫌にさせた理由のひとつは、ルカス君の無駄遣い。なんで、ルカス君、こんな仕事のために日本にいるの?ちゃんと内容理解しないで契約しちゃったんじゃないだろうか。何も日本語はなすルカス君なんてみる必要ないわ。歌も少ないし、時々、何いっているのかわからないし。それに、このフィリップ伯爵って、全然素敵な役じゃないのです。ファントムが嫉妬をする対極にいる人として、わざと描かなかったのか、弱すぎたのか。出番少ないし。ルカス君目当てにきた人は、怒りすら覚えるかも。わたしでさえ、ちょっとと思いましたもの。まあ、唯一の慰めは、クリスティーンの初舞台の日の、黒い燕尾服姿かな。こういうのは、外人にはかないません。こんなことしてないで、本国に帰るなり、ウエストエンドに行くなりして、アンドリューロイドウエーバー版のラウルやってください。
脇役の人々も、まあまあ。キャリエールがましってぐらい?あとは、セカンドだな〜、アンダーだな〜というレベル。アンサンブルもいまいちだった。あ、阿部よしつぐ君が久しぶりにみれて、この子はよかったです。最近のアンサンブルはおデブの人が増えましたが、今回、ものすごくおデブの人がいて、オペラ座の客だの、パリの庶民だの、警察だのといろいろやるんだけど、そのたびにそのおデブ加減で、めだっちゃって、アンサンブルらしからぬ人でした。こういう人をアンサンブルにするのはどうかと。。。
そして、大沢たかお。ん〜。なんで、大沢たかおなんだろう。歌いますよ、大沢たかお。聞いたことないでしょう。それも、ファントムだよ。モーリーイエストン、こんなん許していいのか。大沢たかお好きだったのに。この気持ち、エリザベートで内野さんのトートを観たときと同じかも。もうだめです、わたし。大沢たかおを優しいまなざしではみられません。何が許せないって、この半端な役作りよ。これは、大沢たかおのファンのつどい?と思っちゃいました。この人、たしかにスタイルすごくいいのです。背が高くて、ブーツにマント姿は、ルカス君と並んでも遜色ないくらい。だけどね〜、ファントムよ。クリスティーンがひいちゃうくらい、自分の一生を台無しにするくらい醜いファントムの役なのよ。ファントム姿の半端なメークと、ラストシーンで仮面とったときにファントムメークなしの大沢たかおの顔になっていたのは、どうもな〜。あくまでも、かっこいい大沢たかおを残しているのです。これで、歌がうまけりゃ許せるけど、しょせんTV俳優の歌。この作品をミュージカルとしてぶちこわしにした要因は大沢たかおであることはまちがいないです。すごい下手というのではないけれど、考えてみてください。ケンヒル版、アンドリューロイドウエーバー版、ファントムだけは、めちゃめちゃ歌のうまい人が演じていたでしょう。せめてもの救いは、演技だけはよかったということかな。ミュージカルじゃなくて、ストレートプレーで舞台デビューすればよかったのに。
役者さんたちのことは、この辺にして。上記に述べたとおり、話の筋はよくて、歌のないところは、じ〜んとしたところもあります。これは、アーサーコピットの元の脚本がよいのでしょう。他のバージョンは、ファントムの人生に救いがないのですけど、このバージョンにはあるのです。この部分って、ちょっと涙ほろっときてしまったほど。ファントムのセリフに’生まれてきてよかったこともあるな。音楽に出会えたし、クリスティーンの歌もきけた’というところと、ファントムの母親は、醜いわが子の姿をみても、少しも醜いと思わず、ひざまずいて何度もその子をさずかった幸福を神に感謝していたというところ。彼の存在を肯定するものが根底に流れているのです。キャリエールがファントムに仮面を与え、地下室にかくまってきたことを自分は卑怯者で現実から逃げてきたと懺悔したときも、ファントムはそうすることで自分は守られてきたとキャリエールを許す場面もぐっときました。クリスティーンの感情の部分の描き方は、弱いなと思いましたが、ファントムとキャリエールの部分は、一番きちんと描かれており、このバージョンの特長ではないかと思います。ブロードウエイでちゃんとした人々でみてみたいものだと思いました。
この作品は、役者の無駄遣い、元の脚本の無駄遣いと、プロデューサーと演出家の腕を疑いたくなる舞台でした。
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