Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


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 [28]   ジキルとハイド ブタペスト公演
2007年7月12日 ソワレ
マルギット島野外劇場(ブダペスト)
Jekyll and Hyde : Molnar Laszlo
Lucy : Molnar Szilvi
Emma : Tunyogi Bernadet
Utterson : Makrai Pal
 
ブダペストは、ドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区に分かれています。その川にマルギット島という小さな島があり市民の憩いの場となっています。今回ハンガリーに行くにあたり、そこの野外劇場で’ジキルとハイド’が2回だけあるらしく、しかも滞在期間にあたっているではありませんか。とても好きなミュージカルで、ハンガリーバージョンのCDも持っており、これはラッキーとよく考えもせず予約したのでした。
 
ホテルのお兄さんに聞いたら、トラムを降りて歩いて5分くらいというので、涼し目の夕方、野外劇場を目指して川沿いの森を散歩がてら歩きます。公園あり、お花畑あり、恋人たちがデートをしており、素敵な風景が延々続きます。いったい劇場はどこ?1時間近くも歩いたところ、やっと劇場らしきものが。何だか涼しいです。一応、薄手のマフラーと長袖のジャケット、使い捨てカイロは持ってきていますが、不安です。人々が300フォリントはらって座布団を借りていますので、我々も真似します。20:30はじまりのはずですが、まだまだ明るいです。そのせいか、時間がすぎても一向に始まる気配もありません。寒さが増してきます。やっと21:00くらいに始まりました。
 
う〜ん、ジョンアタソン、老けています。右側に並ぶお父さんと変わりないくらいです。背も低くてずんぐりむっくり。後ろにヘンリーも登場します。インターネットのサイトで、ちょっとヘンリーも老けていたなと思っていたら、結んだ髪のてっぺんはもうはげてきそうです。会場で配られてチラシをみたら、エマもルーシーもおばさん顔です。これは、平均年齢高そうなジキル&ハイドです。あとで、わかったことに、このヘンリー&エマ、アタソンはCDの方々だったようです。
 
 
CDで聞いていましたが、ちょっと韓国版に通じる甘い切なさのある’Lost in the darkness'です。よいでうね〜、ヘンリーがはげていても許せそうです。
 
次は、’Facade'。ハンガリーの人々、結構踊ります。ここは、ブロードウエイ版では、出演者が次々に現れ町の人々とすれ違うシーンですが、ハンガリーも踏襲しています。この辺から、寒さがびゅんびゅん増してきます。ルーシーたち、娼婦のうすい衣装は大丈夫なのかしらと心配なくらい寒いです。ルーシーとエマがすれ違いざまにぶつかり、ルーシーが悪態をつくポーズをとりました。これは、ハンガリー版ならではではないかと思います。
 
次は、人体実験の承認がほしい委員会の場面です。サイモンストライドが髭付きのおかっぱ頭でした。なんか、これは、西側とは違う趣。ここもブロードウエイ版と同じく、熱く語るヘンリーの提案は権力をもった人々に冷たく却下されます。ここで、ひとつ、わたしマジャル語(ハンガリー語)の歌を覚えました。人々が反対する場面’Nem, Nem, Nem, Nem'(反対、反対、反対)です。
 
そして、さらに寒さが身にしみてくる頃、エマとヘンリーの婚約パーティ。エマもヘンリーも初々しいカップルには見えません。中年の再婚式のようです。が、’Take me as I am'聞かせてくれます。そうです。この歌、どんなにヘンリーがエマを心のよりどころとしているかを知る重要な場面です。ここのデュエットの盛り上がりがあってこそ、後の悲劇が彩られるのです。もうヘンリーがはげていようとも、エマがおばさんであろうとも、来てよかったよハンガリー。早くもハンガリーミュージカルのレベルの高さを見せつけられました。
 
ジョンに連れられてヘンリーはお友達と娼婦の館を訪れます。通常ブロードウエイ版では、スパイダーという男の人が目立っていますが、ハンガリー版は、おかみさんみたいな人が目立っています。おかみさんといえども、この人だけは若いです。どの順番だったか忘れちゃいましたが、このおかみさん、ルーシー、娼婦たちが歌う場面があります。これは、たぶんハンガリーのオリジナルでしょう。これがまた、なんだかしみじみしていて、言葉の意味は全然わからないのに心にジーンとします。娼婦の物悲しい人生を歌っているのでしょうか。これもこのレベルの歌唱力がればこそではないでしょうか。
 
ルーシーのところから、家に帰ったヘンリーが何で自分の体で実験をすることを思いついたのかはわかりませんでした。これは、ハンガリー語がわからないことと、寒さと眠気で集中力が落ちていたせいでもあります。それでも、’This is the moment'
とか’Transformation'と続き、ヘンリーがハイドにかわっていきます。ハンガリー版も薬は、注射でした。わたしは、日本の飲み薬より注射のほうが好きです。一人で注射するシーンは、ヘンリーの孤独な決意を象徴するようで好きなのです。
 
人体実験を始めたヘンリーにだんだん会えなくなったエマがお父さんやジョンとともに登場します。ここは、眠くてもしゃきっとする場面です。なんといっても、一幕のハイライト聞かせどころの’Your work, and nothing more'です。ん〜、ハンガリーのこのレベルですから、聞かせてくれます。ブロードウエイ版も韓国版もその実力をみせつけてくれた場面でした。ハンガリー版エマは、あ〜と歌うだけでなくなんかセリフみたいな歌詞を挟んで歌います。ハンガリー版エマは、自分の考えを主張する女性のようです。
 
寒さに震えながらも、ちょっと感動のうずにつつまれた後は、ルーシーがたずねてくる場面です。ここは、ブロードウエイ版と結構違っています。ブロードウエイ版では、ルーシーを傷つけたことを知ったヘンリーがルーシーにあやまるように優しくすることで、ルーシーはさらにヘンリーにぐっときちゃうのですけど、ハンガリー版は、ルーシーに謝っている風はありません。ヘンリーがやさしくしていることにかわりはないのですけど、2人がキスをしたあと、ヘンリーが笑いながら、おいしかったな〜みたいな態度なのです。これは、どういう解釈なのか謎でした。
 
次は、司教と若い娼婦がなごりおしそうに別れる場面です。いやがる少女の娼婦が司教にキスされた後、舞台袖でゲーという声が聞こえてきて、司教の堕落した姿を象徴するようで印象的でした。で、一幕最後、ハイドが司教を殺して火をつける場面、日本ではそんなにびっくりもしなかったのですけど、今回は舞台がよく見える席だったせいか、本当に舞台の上に倒れた人に火をつけたみたいであらためてびっくりしました。そろそろ闇が深くなったせいか、野外ならではの臨場感があったからでしょうか。
 
幕間は、身体を温めなくちゃ、後半をのりきれません。カプチーノをオーダーしたら、わたしの前でお湯切れになり時間がかかりました。通常なら、はじまりに間に合うかしらとか心配になるのですけど、さきほどのマジャル時間で学びましたので、それほど気になりません。それに野外劇場は、飲み物食べ物持ち込み可なのです。
 
二幕は、カプチーノのおかげで元気がでました。殺人を繰り返すハイドの制御がきかなくなったヘンリーの苦悩が深まります。エマがやってきて実験室にはいります。この場面は、ブロードウエイ版や韓国版はヘンリーがエマに精神的にすごくすがっているようにみえましたが、ハンガリー版、けっこうさらっとしています。見た目と同様、大人のヘンリー&エマでした。
 
苦悩を深めるヘンリーを挟んでエマとルーシーが夜空を見上げて歌うシーン。ん〜、ここも聞かせてくれます。エマもルーシーも歌える人の場合、ここは迫力の場面です。切ない女の情念のようなものがぶつかって、とけあって、この苦悩する一人の男をうけとめようとするかのような強さがあります。韓国版の若く甘い切なさはないけれど、大人の女性の成熟した愛を感じた場面でした。
 
次の見所は、なんといっても’Dangerous game'です。これもハンガリー版ならではのオリジナル解釈です。ブロードウエイ版は、ハイドが最初は無理矢理ルーシーをいたぶって、それでもだんだんにルーシーがその危険さにひかれて溺れていくような感じだったと思います。ハンガリー版は、ハイドは訪ねてくるものの、冷たくてつれなくて、ルーシーが最初から終始ハイドを求めてすがっています。ハイドはルーシーを乱暴に扱いながら、かなりきわどい性描写を思わせるふりで歌います。このへんも大人のジキルとハイド。はっきりいって18禁かも。見た目もインパクト、耳にもインパクト、大迫力の’Dangerous game'でした。
 
親友のジョンにヘンリーがハイドであることがばれて、ジョンがルーシーの元を訪ねる場面。ルーシーが新しい人生を夢みて歌う場面は今までで一番ぐっときました。その直後、ハイドが訪ねてきてるルーシーの夢を壊します。ここもまた、18禁。後ろから何度も冒した末に、最後はナイフで切り殺します。いろいろみましたけど、これほどまでに慈悲のないハイドははじめてです。ブロードウエイ版で、死体を蹴り落としたとき以上でした。
 
最後のハイライト、ジキルとハイドの’Confrontation'。ここまでの実績がありますので、もう期待どおり。実力にみあった迫力でした。ただ、このハンガリー版は、他に比べジキルとハイドの声お違いが少ないように思います。他の版のように際立って違いをみせつけるのでなく、一人の人間の中での2面性ということを考えるとこのくらいでもよいかもと思いました。これも、役者さんの力量ならではのおさえ加減のうまさだと思います。
 
で、あとは結婚式で終わりよね〜と思っていたら、ここがさらっと終わるわけじゃないのですね〜。通常、ハイドが出てきて、親友のジョンが泣く泣く手を下してヘンリーの苦悩をとめ、エマがその死をみとる場面です。ハンガリー版、さすが主張するエマです。ヘンリーの命のピリオドをうつのは、エマなのです。エマは、自らピストルをとり、ヘンリーを撃ちます。それは、愛ゆえにヘンリーの苦悩をとめたいというより、愛する男を奪ったハイドへの憎しみゆえにみえました。ほお〜、ハンガリー版、大胆な解釈だね〜。最後の最後まで驚かしてくれました。
 
幕が降りる頃、夜はどっぷりくれて、劇場の一角だけが光を放ち、野外ならではの雰囲気をかもしだしていました。いきなり初日にこんなレベルの高いジキル&ハイドがみられて大感動です。終演は12時近くでした。この感動の夜はすぐには終われません。我々には、来た道を引き返すという難行がまちかまえていたのです。街灯もない森の川沿いの道をひたすらマルギット橋をめざして、ホテルまで歩いたのでした。何で、ブタペストでこんな夜中に暗い道を歩いているんだという思いと、先ほどの感動がぐるぐるうずまきながら歩いたことは、一生忘れられそうもありません。
 
update:
2007/07/19



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