Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


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 [4]   マノン ウィーン国立歌劇場バレエ(ウィーン公演)
2008年1月24日 27日 ソワレ
ウィーン国立歌劇場(ウィーン)
Manon : Maria Yakovleva Des Grieux : Robert Tewsley
Lescaut : Kirill Kourlaev Monsieur G. M : Wolfgang Grascher
Lescauts Geliebte : Nina Polakova
 
海外へ観劇に出かけることは、初めてではないし、ウィーンもブダペストも初めての街ではない。なのに、今回は、とても怖くて胸が締め 付けられそうな不安に何度も襲われた。お休みも予算も手配もいつも以上に大変で、やめてしまえば、どんなに楽になるのにと思ったこと だろう。まるで、神様に何かを試されているのではないかと思えるほどだった。今、こうして日本にもどってきて、神様が課した試練への 覚悟はこういうことだったのかと実感している。
 
ウィーン国立歌劇場は、パリやミラノとならぶ世界3大オペラ劇場の一つだそうだ。テューズリーの’マノン’が観れると思うと、数々のウ ィーンの宮殿も美術館も色あせて、現地についてもただその時間がひたすらに待ち遠しかった。まるまる一日時間があるというのに、何を したい気分にもなれなくて、劇場のバックステージツアーに参加した。もしかしたら、リハーサルの切れ端でもみれるかもと期待して。残 念ながら、18時半開演だというのに16時頃はまだ大道具をセッティング中だった。冒頭のパリの街並みや、マノンとデグリューの愛の巣、 寝室のパドドゥのベッド、ムッシュGMの馬車、看守の部屋の窓などがみえて、もうすぐなんだとツアー客の中で一人わたしがわくわくして いるような気がした。今回は、平土間というのだろうか、オーケストラピットのすぐ後ろのエリアの席を買ったので、ツアーに参加しなけ れば、上の階のロビー等をみることはなかったので参加してよかったと思った。
 
ロンドンのオペラハウスでバレエを観たときもそうだったが、観客の年齢層は高い。中には観光客らしき若い人もいるけれど、多くは50代 以上のきちんとした服装をした夫婦らしき人が多い。中には、杖をついた80代くらいではないかと思われる老人もいる。こんな年齢にな って、’マノン’を観れるなんて幸せな人々だと思う。両日とも、センターの5列と2列を買った。オーケストラピットはさすがにオペラ の劇場だけあってかなりの広さがあり、舞台が近いといえども、日本の劇場より遠いなと思う。この劇場は平土間には段差がなく、前に背 の高い外人にこられたら悲劇だ。わたしも初日は、わたしより絶対に15cmは背の高い女性にあたり、後ろの人には悪いけど、左右に首 を動かしながら、舞台を追った。最後の日は、幸運にも年配の女性で良好な視界で舞台を楽しめた。今回のお席は、わたしのシアターライ フ史上、ユーロのレートの関係もあり一番お高いものだった。
 
幕があくと、レスコーがうずくまっている。街が動きだす。こんなに観たい観たいと思いいれのある作品なのに、よく考えると全幕をみる のは2回目だ。たくさん忘れていたことや、新しく見えてくるものがある。街の中は、街の人々や、貧しいものごいたち、娼婦達、貴族、 時に島流しにされる女性の馬車も通りすぎる。前回英国ロイヤルのマノンを観たときは、レスコーはスペイン人のダンサーだった。バレエ のうまさは印象に残ったけど、レスコーの人物像としてはそれほどに印象は深くない。アダムがロイヤルにいたときに踊った役だと聞いて いたけど、なんだかそのスペイン人のダンサーとは結びつかなかった。今回、2度目、3度目だったせいか、レスコーが人としてもっとは いりこんできて、実に魅力的な役どころであったのだと気づいた。今回のダンサーは、名前からすると東欧系のようだが、背がとても高く て、外見はオーストリア人とかドイツ人みたいな人だった。その背の高さを思いっきりつかって、レスコーの野心とか粗野な振る舞いがよ く表現されていた。まだマノンやデグリューが登場する前の最初のソロをみると、アダムで観たかったなと最終日はちょっと冷静にみれた りもした。
 
この雑踏の中にデグリューが登場する。グレーの長いジャケットにグレーのタイツ。本をかかえて、娼婦たちに囲まれながら、街並みにと けこんでいく。最初の日も最後の日も、この瞬間が訪れるまでは気が気でなかった。急に他のダンサーにかわっていたらどうしようと、何 度も何度も不安に襲われた。2005年のロイヤルの公演の時は、もっと後ろのポニーテールが短くて金髪に近かったような気がしていたけど 、今回は地毛の明るい茶色で結わえた髪は長めだ。テューズリーって、こういう役柄のたたずまいが本当に似つかわしい。マノンが到着す る。まだ2人はお互いに気づかない。乞食がやってきて、その悪臭の方向に目をやったとき、デグリューがマノンの姿をとらえる。そこか らは、デグリューの視線はマノンに釘付けだ。マノンは、レスコーやムッシュGMにからみながら、デグリューの存在には気づかない。街 の動きがとまり、デグリューがマノンにぶつかり、2人は出会う。ここから、最初のデグリューのソロだ。2005年に何も知らずに初めてみ た時、デグリューのソロが印象に残っていたのはここだったんだと気づく。バレエのことはよくわからないけど、マクミランの振り付けは 容易ではなさそうだ。男性ダンサーには踊り甲斐のありそうな振り付けだ。この先もそうなのだけれど、デグリューの心情を表すところは 、必ずといっていいほどソロがはいるので、ものすごい見ごたえがある。まだ一幕最初なのに、もうこれだけで、何もかもふりきってウィ ーンまできてよかったと思った。テューズリーって、ほんとうにわたしの観たい作品で、観たい役を、観たいように踊ってくれる人なのだ わ。気持ちがもういっきに盛り上がったところで、マノンとのパドドゥ。ここの曲は、沼地と同じだ。曲調は、もっとやさしくおさえてあ るけれど、最後の日にこの場面をみた時は、あの壮絶な運命の終わりとオーバーラップして、何も知らない出会いの無邪気さと希望の先に あるものを思うと涙がにじんできた。ここのパドドゥは、美しくて、新鮮で、希望にあふれていた。デグリューがマノンを見つめる表情が 常にほほえんでいて、この出会いのときめきが、テューズリーを追うわたしの胸の高鳴りと共鳴するようだ。このパドドゥがガラで踊られ ることはないけれど、デグリューのソロもふくめ、ガラに加えてほしい演目だなと思った。2人だけの世界を強調するように回りの景色は とまっていたが、再び街は動きだす。マノンとデグリューは2人だけでその場を去り、レスコーとムッシュも馬車からお金を物乞いたちに 投げ与えその場を去っていく。
 
一幕2場は、あまりに有名な寝室のパドドゥだ。今回マノンを演じた人は、マリアヤコブレワと読むのかな?前にみたロホは、生まれなが らの小悪魔的な娼婦で、意図せずともデグリューの運命を翻弄した女性に見えた。ところが、後に原作を読んだとき、マノンは実はもっと 無邪気で、マノンの運命を狂わせたのはデグリューの方ではないかと思えたものだ。今回のマリアは、原作に近いような気がした。外見は とりたてて、ロホのように力強い瞳をもって男性を魅了するような感じではないが、こじんまりとムッシュGMとかに囲われそうな足の美 しい無邪気な少女の感じはよくでていた。寝室のパドドゥは、2人の幸せの絶頂期の象徴だ。手紙を書くデグリューの背後からマノンがや ってきて、かまって、かまってというようにデグリューにからみつく。その愛らしさに負けて、デグリューもマノンにくちづけする。ロイ ヤルのをみた時は、なんでだか、この幸せの中でデグリューに哀れが漂っていたのを忘れられない。幸せの向こうに不幸がみえるようで、 マノンが悲しい運命をつれてくるような気がしたのだ。今回はそんな先の悲劇は見えなかった。マリアのマノンがあまりに無邪気で、ただ この時をデグリューとともに楽しんでいるだけで、2人の今日も明日も楽しいことばかりといわんばかりのパドドゥだった。手紙を出しに でかけたデグリューを見送った後に、その幸せの余韻を楽しむマノンがベッドにダイブするシーン、マリアは2日ともとっても元気で、客 席から思わず笑いがもれるほどだった。
 
あれほど盛り上がったのに、レスコーとムッシュGMの到来でマノンの心はすっかりデグリューを忘れてしまう。ここは、テューズリーは 出ていないけれど、見ごたえのあるシーンだった。マノンは、兄に悪知恵をところどころにささやかれながら、じらうようにムッシュGM の美しいその足をみせつける。ムッシュGMは足フェチのようだ。最初の娼婦たちの場面でも、娼婦が足を彼にみせつけていた。ムッシュ とレスコーがマノンをもちあげて、足を軸にマノンのからだを回転させる。わたしは、すっかり記憶違いをしていたのか、この場面はロイ ヤルの時は二幕でみたとばっかり思っていたら、一幕だったらしい。ムッシュGMもレスコー同様背の高い人だ。貴族のお金持ちらしい気 品もあるけど、心の底は冷たい足フェチなのよという雰囲気がよくでている。マノンは自分の魅力をみせつけるべく、足をからめ、柔軟に レスコーとムッシュにささえられ、ムッシュにからんでいく。マリアのパフォーマンスは全体としてはそれほどに印象深くはなかったが、 このムッシュに足をみせつける場面はしなやかで、とてもよいと思った。マノンにすっかり魅了されたムッシュはマノンに宝石やドレスを 与え、マノンはそれにすっかり見せられてデグリューの下宿を去っていく。
 
デグリューがもどってみるとマノンの姿はなく、レスコーがムッシュからまきあげたお金を持って待っている。もはや妹は、デグリューの もとになくお金の力で囲われたことを告げる。この兄妹にとって、お金はとっても大事。デグリューはお金より、愛に生きるおぼっちゃん んなので、こんな現実は受け入れられない。レスコーとデグリューの激しい言い合いの場面。ここは、ロイヤルでのことはすっかり記憶か らぬけおちていたけど、見ごたえのある場面だった。レスコーとデグリューの争いが、見事にダンスで表現されていて、背の高いダンサー が激しくからみあい争うダンスは迫力だ。レスコーは、こんなところでも、しっかり踊っていたのだわと、気づかされる。アダムとテュー ズリーだったらと一瞬考えただけで、のけぞりそうになった。迫力の2人の場面で一幕は終わる。
 
二幕は、舞踏会なのだろうか。貴族の青年たちと、娼婦達がサロンでつどっている。娼婦達は、自分をアピールするように青年達にむけて 踊る。娼婦にも種類があるのか、ビスチェと長いスカートだけの下着のような女性達と、ラメっぽい黒いドレスの娼婦たちと別れている。 ロイヤルは、茶を基調にオレンジとかセピアカラーのお洋服だったが、こちらは、マノンもふくめ、レスコーの愛人や娼婦も黒っぽいラメ 系だ。娼婦達の群舞のあと、青年貴族が4人くらいのダンスがはいる。このバレエは、いろんな階級の人々が登場したくさん登場人物がい る。さすが、青年貴族のダンサーたちは、なかなかノーブルでかわいい系。わたしの心がもっと余裕があったなら、この粒よりの青年たち ももっと楽しめたのだけれど。今回は、もうテューズリーのデグリューで心はいっぱいいっぱい。いつの日か、ウィーン国立歌劇場バレエ の皆さんも来日してもらいたいものだ。そういえば、シムキン息子もこのバレエ団のはずだけど、今回は出演してないようだ。まだ子供だ からかな?
 
酔っ払ったレスコーがデグリューを伴ってこの舞踏会にやってくる。デグリューはたちまち娼婦達に囲まれるが、気持ちはそぞろだ。千鳥 足のレスコーの振る舞いも気になる。ここも有名なレスコーの酔っ払いダンス。このレスコー役の人は、前にも書いたとおり上背があるの で、酔った動作も大きくて、いかにも酔っ払いらしい。愛人との酔ったパドドゥも酔った仕草ながら、しっかりダンスにはなっていて、ま すますレスコーはやりがいのある役どころだったのだわと、遠めにデグリューを追いつつも実感した。
 
ムッシュGMに伴われて、着飾ったマノンがやってくる。自分の好きな宝石やドレスにつつまれて自信にみちあふれ、その立場や身分など 微塵も気にしない、今の自分に酔いしれて楽しむマノンがそこにいる。デグリューはマノンに近づきたいけど、近づけない。ムッシュのま わりでマノンは、まるでさらしもののように男性たちにかもまれて、抱えられている。気が気でないデグリューに冷たい視線をむけて、マ ノンは毅然としている。マノンが動くたび、デグリューはマノンを追って、部屋の隅へ、真ん中へ、向こうの端へと移動する。その表情が 暗くて、とまどって、いらだって、ひたすら歩く。二幕は、なんだ、デグリュー踊らないのかしらと、まあ登場しているんだからよしとし ようとマノンがデグリューを追うようにわたしもひたすらテューズリの動きを追う。
 
やっとマノンと接触できたのに、あっちで待っててとマノンにいわれ、デグリューは部屋の外で落ち込んで待っている。二幕は踊らないの ね〜と思っていたら、大丈夫。ここから、デグリューの嘆きのソロ。やりきれなさいっぱいで、切なくて、テューズリーを思うわたしの心 と呼応するかのようだ。やがてマノンがやってきて、その思いをぶつけるパドドゥ。最初、冷たいマノンも、デグリューのまっすぐで真摯 な心に、やっぱりこの人のこと愛してるかもと気づかされ、彼の元に帰ってもいいかなと思い始めたようだ。ここも記憶にあやまりがなけ れば、沼地と同じ曲のはず。デグリューの心が激しく動くときは、この曲が使われるようだ。
 
デグリューと帰るために、マノンはデグリューにカードを渡す。デグリューは、上着のポケットにいかさまカードをしのばせ、ムッシュに 勝ち続ける。この場面は、ロイヤルの時、見切れて見えなかった場面なので、今回しっかりとみえて嬉しかった。いかさまのカードをあつ かうデグリューの微妙な表情と、ゲームにかって歓喜する表情と。いかさまに気づいたのか、負け続けることに怒りをおぼえたのかムッシ ュがきれる。その場は混乱し、乱闘状態になる。デグリューもムッシュもレスコーも剣を使って闘いはじめる。ここも好きな場面だった。 フェンシングの姿がノーブルで美しい。外国のバレエ学校では、授業でフェンシングがあると読んだことがあるけれど、こういう場面でそ の効果が発揮されるのだなと思った。一朝一夕にとってつけたものでない文化の深さをみたような気がした。ムッシュGMは腕を切られデ グリューとマノンは下宿に逃げ帰る。
 
下宿に帰ったデグリューのソロと、それに続く愛を確かめあうマノンとのパドドゥ。いろいろあったけれど、やっぱり愛し合っているだね と恐れを知らぬ二人の無邪気さが、幸せの場面なのに哀れを感じる。やっと2人になれたのに、腕をつったムッシュが痛めつけられたレス コーと警官とともにやってくる。ムッシュの怒りは自分より身分の低い若者の愛など許さない。自分をふみつけにした女を逮捕させ、その 混乱の中、レスコーは警官に撃たれて息たえてしまう。
 
3幕の舞台はアメリカだ。新しい大陸では、ヨーロッパからやってきた兵士たちや娼婦、現地の貧しい人々がひしめきあっている。そこへ ヨーロッパから囚人の女性達を乗せた船が到着する。女性たちは、髪を短く散切りになれ、長い船旅のうちにぼろぼろになった衣服を身に まとい身体も弱っている。人々は、その姿をながめ、手をさしのべようともするが、女たちは次々に倒れたり、嘆いたり。少し遅れて、デ グリューに手をひかれ、髪を散切りにされ弱ったマノンも到着する。デグリューの姿も薄汚れ、顔にはうっすらと無精ひげがみえる。看守 がマノンに目をつける。その職権を利用するかのようにマノンにからむ看守をデグリューは振り切ろうとするがかなわない。このかなわな さもデグリューは踊りで表現する。どこまでもみせてくれるなマクミランと、つくづくこの作品のデグリューの踊る場面の多さにマクミラ ンに感謝する。マノンは、看守につれられて、デグリューは走ってその後を追う。
 
看守の部屋。暗いかべに高い窓。かすかに差し込む光。男2人にひきずられたマノンが看守の部屋へつれられてくる。看守は、宝石をみせ つけながらマノンを犯していく。容赦ない男の力に抵抗する力も残っていないマノンとの場面は圧巻だ。ここまで男の暴力をみせつけれる かというような精神的にも見た目にも残忍な場面だ。マノンを追ってやっとデグリューがやってくる。デグリューはナイフをとり看守を殺 してしまう。その事実をたしかめるようにデグリューの捨てたナイフをとるマノン。追い詰められ、二人はその場を逃げさる。
 
2人は疲れきって倒れている。逃亡の旅で沼地が続く。倒れた背後には、過去に過ぎ去った人々が行きかう姿がみえる。娼婦達、ムッシュ 、酔っ払ったレスコーと愛人。デグリューがマノンを抱き起こす。マノンはもう弱りきって、歩くこともままならない。沼地のパドドゥだ 。もう振り返ることも引き返すこともできない、追い詰められた2人の瞬間。マノンの意識は朦朧として、デグリューの差し出す腕だけし かみえない。この旅の先に何があるのか次の瞬間に何が待っているかなど考えることすらできない。ただ、そこにデグリューがいて、デグ リューにはマノンがいて、支えるだけ。その音楽のたかまりと、マノンの最後の生の光と、わたしの胸の中のかたまりと、泣くことすらで きないような圧迫感。うす暗い沼地の中で、マノンの命がつきたことを知る声なきデグリューの叫びで、心が壊れた。
 
いくら筆を尽くしても、あの瞬間を閉じ込めておくことができないのがくやしい。感性の深いところに稲妻をおとされて、それでも壊れな いように自分を支えていなければいけなくて、苦しくて切なくて、泣きたくても泣けなかった。うんと泣ければ楽になれるかもしれないの に、身体の機能も壊れてしまったように何かがとまったままになったいた。最後の夜は、嵐のようだった。小雨まじりの激しい風がウィー ンの街に吹き荒れていた。翌朝、まだ暗い中、西駅のバスに乗ったとき、泣けてきた。前夜の興奮で、神経があまりに敏感になっていて、 ゆっくり眠ることもできなかった。いつ心の糸が切れてもおかしくないほどに張り詰めて、苦しくて、胸が痛かった。これは、幸せなのだ ろうか?感動して苦しい思いをしたのは2度目だ。あの感覚を思い出した。記憶を凍りつかせて生きていくよりも死んでしまったほうが楽 かもしれないと思ったことを思い出した。神様が試したのは、この覚悟だったのだ。わたしが踏み入れようとした領域は、こういうことだ ったのだ。この苦しみに耐える覚悟が本当にあるのか何度も困難を与えて問われていたのだろう。マクミランの作品としてのすばらしさと 、テューズリーのパフォーマンスの完璧さと、知ってしまった今、苦しい。この先、どうしたいのかわからない。今は、思い出しては泣き 、切なくなっては胸が苦しい。記憶を風化させたくはないから、痛みが去っていくのも怖い。今のわたしには、何も答えを出すことはでき ない。もっと、テューズリーのことも書いておきたいのに、書けない自分が悔しい。レビューを書いても救われない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
update:
2008/01/29



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