2005年11月10日 ソワレ
東京文化会館(東京)
オネーギン:マニュエルルグリ タチヤーナ :マリアアイシュヴァルト
レンスキー:ミハイル カニスキン オリガ:エレーナテンチコワ
グレーミン公爵 : イヴァンジルオルテガ
今回のレビューは、いつも以上にバレエのレビューなんてものでなく、本当にわたしの勝手な思いいれとなっていますが、ご了承ください。
この作品は、去年、’兵士の物語’でロンドンに行ったとき、ロイヤルでやっており、’マイヤリング’をとるか’オネーギン’をとるかで、わたしは’マイヤリング’を選びました。どっちも、まだアダムがクラッシックバレエを踊っていた時代に主役をつとめた作品です。だからずっと観たかった作品だけど、平日だし、どうしよう、どうしようと10月末まで悩んだ末、やっぱり行ってしまいました。なんたって、シュトゥトゥガルトは、本家本元ですし、オネーギン役はパリオペのルグリですもんね〜。今回は、ちょっと出世して4階からの観劇です。
確かに、’マイヤリング’を観たときも、どんなにあのルドルフ役をアダムで観たいと思ったことか。でも、観始めると物語にすんなりはいってアダムの影を感じることはありませんでした。が、この’オネーギン’は、最初から最後までアダムの影をず〜とひきづりながら、アダムを思ってしまったのです。それは、ルグリがいけないとか、物語がつまんないからとか、そういう理由では全然ありません。それどころか、ルグリはすばらしかったし、物語もとてもおもしろいものでした。オネーギン役って、あまりにアダムにぴったりしているのですよ。もし、わたしは、Swan Lakeでアダムを観てなかったとしても、オネーギンを演じるアダムを観ていたら、絶対に今のようにアダムを愛してしまったであろうことを確信するほどなのです。
物語は、ロシアの田舎の娘たち、タチヤナとオリガのお家から始まります。タチヤナは、はしゃぐお友達にまじることもなく、ずっと本を読んでいる夢見がちな少女です。オリガは、妹でレンスキーという恋人もいます。ある日、レンスキーが都会からきたお友達、オネーギンをつれてやってきます。オネーギンは、田舎の若者たちと違って洗練されていて、タチヤナはすっかり彼を好きになってしまいます。そして、夜、その恋心を手紙にしたため夢をみます。鏡の中から、オネーギンが現れ、タチヤナと踊ります。ここは、かっこいいです。前半の見せ場ですね〜。夢からさめたタチヤナは乳母にオネーギンへの手紙を託します。タチヤナのお祝いの日の舞踏会に招かれたオネーギンは田舎貴族の雰囲気に退屈そう。タチヤナの子供っぽい手紙にもいらだっています。そして、人々がいないところで、タチヤナにつきあえないからねといって、手紙を破り捨てます。なんて、奴でしょうね。そういう奴なんです、オネーギンって。それどころか、退屈しのぎに親友のレンスキーの恋人オリガにちょっかいだします。タチヤナは傷つくし、レンスキーは怒るし、人間関係悪くする一方です。そんなタチヤナをずいぶん大人のグレミン公爵が見初めます。オネーギンに怒り心頭のレンスキーは決闘を申し込みます。タチヤナやオリガがとめるのも聞かず、二人は決闘の場にのぞみ、レンスキーはオネーギンに殺されてしまいます。数年後、勢いのあったオネーギンも少し大人になって、人生につかれている様子。グレミン公爵の舞踏会に訪れてみると、その奥方の美しさに目をみはります。その女性こそ、自分があんなにひどく捨てたタチヤナではありませんか。タチヤナは、グレミン公爵に愛され、これでもかというくらい幸せをみせつけます。オネーギンのタチヤナに対する心は燃え上がります。ある夜、タチヤナはオネーギンの訪ねてくる予感に夫に一人にしないでとせがみますが、グレミン公爵はでかけてしまい、案の定オネーギンがやってきます。今度は、オネーギンがタチヤナにすがって深く激しく求愛する番です。それでもタチヤナの心はゆるがず、最後にオネーギンの手紙を目の前でやぶりすててしまうのでした。
ルグリを見るのは2度目です。ずいぶん前にさだかではないのですが、たぶん、ルグリだったと思われる’牧神の午後’をみたのです。その時は、パトリックデュポンがみたかったけど、ルグリも以外によかったという印象でした。彼は、オネーギンの役にとても思いいれがあり、今の今まで踊らなかった役だそうです。3幕のオネーギンの憂愁を演じるのに経験が必要だったようです。たしかに、すばらしかったです。オネーギンの振り付けは、大胆にみえて、細かく狭いところで区切られているので、勢いに任せて大きく踊るようなものとは違います。一つ一つに気をぬけない動きながら、それでいてダンスだけでなく、演じることもしなければいけないという演じる側には結構ハードなものに思えました。ルグリの動きは、正確でしなやかで、少しの乱れもなくさすがでした。ただ、彼って、なんだか誠実にみえてしまうのです。3幕の憂うオネーギンは大変よかったです。しかしながら、前半の横柄な悪い奴の時は、いまひとつ毒を感じさせないなと思ってしまったのです。これは、ルグリのせいなのか、わたしがもっと悪くて魅力的な男に毒されてしまっているからなのかはわかりませんが。
タチヤナおよびオリガは、4階からでは、遠すぎて顔が全然わかりませんでした。レンスキー役のミハイル君も4階からだとあんまり印象ないのですが、終わってデマチでみたら、けっこうキュートな子でした。そして、忘れてはならないグレミン公爵役のイヴァンジルオルテガ君。かっこよかったです。1幕でお祝いにきたグレミン公爵をみたとき、’あれ?グレミン公爵って、けっこう年上のおじさんじゃなかったっけ?’と思いつつ、どっちかというと軍服きたかっこいい人にみえるのです。そして3幕の白髪のおじさんになって、タチヤナと幸せみせつけて踊る場面。ここも、白髪なのにかっこいい。これなら、オネーギン忘れて暮らせそうとか思ってしまいます。あとで、よくよく聞くと、この人、地元ではオネーギン役やっている人だそうで、パンフレットにのっていた素敵なほうのオネーギンの写真はこの人だったのです。イヴァンのオネーギンみてみたいわと思ってしまいました。そうだ、もう一人のわたしの浮気相手のイヴァンカバレッリもシュトゥトゥガルト時代、オネーギンを演じているのです。きっと素敵だったと思います。今回、プログラムに教師として名前だけありました。
このように、主要人物がけっこうはっきり魅力的に描かれているのもよいのですが、個人的には群舞も好きでした。1幕の田舎の若者と娘からはじまって、舞踏会まで常に男女ペアになった群舞なのです。みんな一斉に同じ振りとかでなく、各ペアごとに微妙にアレンジされており、列がよく舞台の袖から袖に流れる動きがあり、スピード感もあり、背景にめりはりをつけていました。
クランコの作品は、多分はじめて見たとおもいますが、随所に今わたしが楽しむマシューボーンやアダムのダンスに影響をあたえているなと思うところが見受けられました。マシューに関しては、上記群舞のところ。アダムに関しては、3幕のオネーギンがタチヤナにすがりながら求愛する場面。ちょっと、危険な関係を思い出すようなところがありました。
やっぱり行ってよかったです。いや、行っちゃったばっかりに切ないです。この役は、アダムにぴったりすぎる。横柄で悪い奴の時のオネーギン、タチヤナにすがりながら傷つく憂いのオネーギン。想像しても、胸がうずきます。もう一度、ちゃんとクラシックのレッスンして、この役演じてくれないかしら。すみません。ルグリはすばらしかったけど、最初から最後まで、アダムを思ってしまっていたのでした。
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