2005年8月21日 マチネ
四季劇場 秋(浜松町)
李香蘭:野村玲子 川島芳子:濱田めぐみ 李愛蓮:五東由衣
杉本:芝 清道 王玉林:芹沢秀明
今月は、意図したわけではありませんが、日本のオリジナルミュージカル、しかも戦争物と続いています。今年は、戦後60年のせいか、TVでも原爆やアウシュビッツなど特集番組が多く、わたしも早くも大イベントのヨーロッパ旅行を終えて心騒がせるものがないせいか、じっくりとこれらの番組をみました。その上、ヨーロッパから帰ってすぐにみた、’ひめゆり’のショックもあり、子供の頃から、まじめに考えていたつもりの戦争というものについて、いかに表面的にしか、いや表面的にさえとらえられていなかったのだと気づかされていたところでした。
上記のように、今月はいろいろと戦争物にふれたり読んだりしたせいか、このミュージカルは、あの時代の日中関係のダイジェスト版みたいな作品でした。この作品は、李香蘭の人間としての物語なんて、全然描かれているわけではないのです。李香蘭は、ある意味あの中国大陸にいた日本人の象徴として、この時代を描くための狂言まわし的な存在に思えました。外見的には、この役目は川島芳子がになっているようにみえますが、彼女はナレーターのようなものでした。
李香蘭は、本当は日本人の夫婦の間に生まれた日本人です。中国と友好関係を持つ父が親友の中国人との友情のしるしに、養子縁組し彼女に李香蘭という名をもらうのです。その頃、日本では、アジアの繁栄の名のもと、中国への軍事的干渉を始めています。李香蘭は、美しく、歌が上手で、中国語が上手でラジオ局の目にとまります。そして、いよいよ大陸支配を視野にいれ、満州国建設に乗り出した関東軍は、彼女を国策映画のヒロインとして利用することに決めます。李香蘭は、中国人として満州映画の星となり、日本でも中国でも大人気、昭和17年の2月には東京でコンサートをするまでになります。その一方、日本軍の中国での暴挙は拡大し、反日運動は高まり、李香蘭の義理の姉の愛蓮もいいなづけの玉林とともに反日運動に加わっています。李香蘭が兄とも恋人ともしたう杉本は、満州国の中国人に寛大であったため軍部の反感を買い南方戦線に送られることになります。しだいに敗戦の色は、濃くなり、愛蓮から日本へ逃げるようにといわれる李香蘭ですが、状況が全然わかっていません。やがて、敗戦をむかえ、上海の法廷で、国の裏切り者として中国人民たちに裁かれることになるのです。
このミュージカルをみるかぎりでは、李香蘭はあまりに無邪気というか、無知で、ここまで状況を把握してなかっただろうとは信じがたいものがあり、多少これは美化されているのではと思われます。が、彼女には、中国人をだまそうという意志や、軍部の国策にのせられているという意識はなかったのでしょう。きっと、彼女のまわりの中国人は親切で、物質的にもめぐまれていて、素直に二つの祖国といえるほど、素朴に両国を愛していたのでしょう。そして、きっとほんの身近で大人たち、関東軍がどんな蛮行をおかしていたかをみたり、聞いたりするような感性がにぶっていたのかもしれません。義理の姉が反日運動で、同志をうしなっているのを知らないでいるんですもんね。
彼女が兄として恋人として慕う杉本もまた、現実がみえていない一人でした。彼は、貧しい中国の大地を日本人の経験と知恵で潤そうと満州国の繁栄を願う一人です。しかし、それは中国人にとっては、ありがためいわくなことでした。貧しくとも平和に暮らしている自分たちをそっとしてほしいと、愛蓮のいいなづけの玉林はいいますが理解をしません。
溥儀と川島芳子は、いとこ同士です。二人は、中国清朝をおわれ、復活を願って日本を利用しようとし、逆に利用されて運命を狂わせられます。
中国での行き過ぎを国際連合は見逃さず、制裁としてすべての撤退を命令しますが、日本は脱退してその命令を無視します。その行き過ぎを国内でおさえようとしていた衆議院議員斉藤は罷免され、軍部の行き過ぎをおさえようとした高橋是清は暗殺されます。石油の禁輸のため、いよいよ日本はアメリカとたたかわざるえなくなり、敗戦をむかえます。
こうしてたどると、ひとつひとつは、それぞれの考えのもと、なんだかどれも正しくて、どこかおかしいことばかり。これが、日常、現実なのだと思います。このような状況において、本当に人として、何をすべきかをみつけだせる正しい目をもって状況をみつめないと歯車は悲劇の方向へ向かっていくのです。この作品は、強いインパクトはありません。どちらかというと、淡々とその時代におきた事件を並べており、その中で翻弄された人々と、一人の女性にスポットをあてているのみです。これは、きっかけのための作品なのでしょう。ここに耳にするいろいろな事件や事変は、たしかに歴史でならったけれど自分の中ではあいまいなことばかり。事実は知っているけど、どうしてそんなことがおきたのか、どういう意味があったかを考えないままでいたことばかりでした。中国で今年、異常に高まる反日運動の原因や靖国神社への参拝に反対するアジア諸国の態度の理由がいつまでも理解できないでいることは、たどればここにいきつくのかもしれません。もっというと、あの戦争はいったい何だったのかを真剣に考えたり教えられたことはなかったように思います。
うらみを徳をもって報いようと、上海法廷は李香蘭を無罪放免します。そのあと、うらみを徳をもって報いようと歌は繰り返されます。まるで、反日を抱く中国の人に、そうしてほしいと呼びかけているようでした。これは、都合のよい理想論に思えました。李香蘭に寛容の心をもって許した中国人は寛大だったと思います。あの時代、どんな人でも石をぶつけられて殺されてもしかたがないくらい日本人は大陸でうらまれていたであろうから。確かに、恨みの仕返しはまた恨みをうみ、その連鎖はとまりませんから、報復は何の力にもなりません。だけど、きちんと向き合う前に徳をみせてといっているような希望の歌はどうかなと思えてしまったのでした。
と、ちょこちょこ考えさせられる作品でした。魅力的な俳優さんがいるわけでもなく、強く心に響く歌があるわけでもなく、たんたんと悲惨でなく、悲劇でなく、事実として考えるきっかけを与えてくれた作品だと思います。
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