Review
レビューというよりも、観劇ノートのように感じたままをそのまま綴っています。


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 [84]   Les Liaisons Dangereuses
2005年7月28日,29日,30日,31日 ソワレ
Sadllers Wells (ロンドン)
ヴァルモン:アダムクーパー  トゥーヴェル夫人:サラ ウィルドー
メルトイユ夫人:サラバロン(28日31日)ヨーランダ ヨークエドジェル(29日、30日)
ロズモンド夫人:マリリン カッツ
ヴィオランジュ夫人:ウエンディ ウッドブリッジ(28日、29日、30日)
ヨランダ ヨークエドジェル(31日)
セシル:ヘレンディクソン ダンスニー:デーミアン ジャクソン
ジェルクール伯爵:リシャール クルト(28日、31日)
バーネビ イングラム(29日、30日)
プレヴァン:バーネビ イングラム(28日、31日)
ミッシェル コピンスキ(29日、30日)
 
わたしは、たくさんアダムの作品を観ているわけではないけれど、この作品は’Swan Lake'の次に好きな作品だ。日本で初演を見れた幸運 に酔いしれたままむかえた千秋楽、次の公演が待ちきれないでいた。ロンドン公演が決まるとすぐに公演チケットをおさえて、ハイシーズ ンの高いエアチケット代をやりくりして、ホテルを予約し、まだコートを着る季節からこの日を待っていた。ロンドンで最初に大きなテロ があったときも気持ちは揺るがなかった。2度目のテロの日は、大事なロンドン初演の日だと思うと心からくやしさがこみあげてきて、怖さ よりも怒りの方が強かった。ホテルのまわりの地下鉄は閉鎖。劇場へ続く通いなれたルートは使えない。お天気も乱れがちで、7月だという のに冷たい雨が降るらしい。まさに、今回は、雨にも負けず、テロにも負けず、そして夢のような日々を再び手にすることができた。
 
最初の夜は、トークショーの日にあたったので、会場は始まる前から人々であふれており、たぶん満席じゃなかったのかと思う。年齢層は 、さまざまだけど、前回の’雨に唄えば’のときのように子供連れのファミリーは見受けられない。女性の方が多いといえば多いけれど、 かなりりっぱな男性客もいるし、老人もいるし、ロンドンの人々は日常的にこういうものを見る機会があるのだと思うととてもうらやまし く思う。アダムクーパーのオリジナル作品ということで、同じアーチストも興味があるのか、わたしが滞在した4日間の公演中、マシューボ ーンをはじめ、エタマーフィット、ユアンワードロップ、アランヴィンセント、ヴィシニョーワ、ナタリアマカロヴァなどが訪れていた。
 
日本公演では、軽い白いカーテンが印象的で、始まりまでにダンサーがろうそくをもって立ち位置に移動するのをながめていたが、ロンド ンでは重いセーフティーカーテンがおりており、その後ろに白いカーテンがあり、幕があいたときにはダンサーはその位置に移動済みであ った。なつかしいギロチンの音、ささやくフランス語。見慣れた黒い装束のダンサーが並んでいる。
 
今回の全体的な印象は、表現と人物の特徴がより明確になっており、複雑な原作の人間関係を観客にわかりやすくみせようとしているので はないかと思えた。黒い装束で仮面をつけて踊る場面でメルトゥイユ夫人とジョリクールの関係も、日本で初演の日にみた時は、みのがし そうになっていたメルトゥイユ夫人の屈辱が、ジョリクールとのからみがより大胆になっていたので二人の関係が一瞬のうちにクリアに浮 かび上がっていたと思う。
 
メルトゥイユ夫人とヴォランジュ夫人のカードの場面からダンスニー登場までは、あまり日本公演と変化はなかった。ヘレンディクソンの セシルはすっかり定着して、まだ何も知らぬ無邪気な少女が、見知らぬ金持ちの中年に無理やり引き合わせられるいらだちをみせている。 メルトゥイユ夫人は、この少女がすっかり気にいって、自分の復讐にぴったりだと確信し、ヴァルモンが登場する。真ん中の扉を左右に大 きくあけて登場するヴァルモンは自信に満ち溢れて、メルトゥイユと共にこの社交界を我が物にしている様子がありありとしている。この 女性を次々翻弄していたであろうヴァルモンは、世間がアダムのもっとも得意としている部分と見ているところで、本人も十分自覚の上の 堂々とした様であった。
 
ダンスニーがヴァルモンにつれられてやってくる。今回、わたしとしては、ダンスニーの役がもっとも日本公演と変わったところではない かと思えた。ダンスニーのベストに刺繍が付け加えられていた。かなり太い感じで左右にあり、そのせいかパンツの部分は少し細めになっ ており、ダンスニーを演じるデーミアンも少し細身になっている。日本公演のときは、映画は前もってみていたが原作は未読であったので 、ダンスニーは純朴で気弱な青年の印象であった。しかしながら、原作を読むと、わりとしたたかで、メルトゥイユ夫人が誘惑をして翻弄 されたというよりも、セシルとメルトゥイユ夫人の間でうまく立ち回っているし、最後のヴァルモンとの決闘の後始末の部分などを読むと ヴァルモンとは違った計算高さのようなものを感じていた。アダムのヴァージョンは、ダンスニーとセシルは、ヴァルモンとメルトゥイユ の対照として、イノセントな部分を成すよう構成されており、演出のみではダンスニーのしたたかさはあえて強調されていない。日本公演 では、模様のない折り目のしっかりしたベージュのジャケットが、ダンスニーの誠実さをきわだたせ、あらゆる出来事の犠牲者にすらみえ た。今回、この太い刺繍がつけくわわったことで、ダンスニーがなぜか洗練されてない男性にみえて、ぎこちなく立ち回る姿はただの純粋 さゆえという印象をうすくしている。最後の方の場面で、メルトゥイユ夫人と関係をもったことを表すシーンは、日本では、最初から上半 身裸でいたが、今回は、黒いシャツを着ており、途中でメルトゥイユ夫人が脱がせるようかわっている。それがかえって、このときはじめ て誘惑されたのでなく、何度と関係を重ねていることをうかがわせる。デーミアンの演技やダンスそのものは、日本のときと基本的に変わ らず安定しており、すっかりこの役は彼のイメージで定着するのではないかと思われる。日本でみせた純粋な青年像に加え、ダンスニーの したたかさ、純粋さの中の一点の邪悪さが見え隠れするようになっており、ダンスニーという役に奥行きがでてきたと思う。ミッシェルコ ピンスキのダンスニーを一度くらいはみてみたかったが、基本的に今回はずっとデーミアンが演じるらしい。
 
 
ダンスニーとセシルが出会って、ピアノのまわりで踊るシーンは、日本にいたときから好きなシーンだった。このときの二人は、まだ本当 にイノセントで、ふたりともヴァルモンやメルトゥイユ夫人に毒されていない。このとき、ヴァルモンがヴォランジュ夫人に少し誘惑しか けるところは、日本でもあったが、こちらロンドンヴァージョンはもっとエスカレートしている。ダンスニーとセシルが盛り上がっている とき、ヴァルモンはヴォランジュ夫人の耳元に何度となくささやきかけては軽く首筋にキスするのだ。ヴォランジュ夫人は、日本ヴァージ ョンより、もっとくらくらしたりして、それが後にヴァルモンへの不信となり、トゥーベル夫人への警告となるというのがわかりやすくな っている。ジョリクールとの結婚をすすめるヴォランジュに、ダンスニーへの恋心を密告するメルトゥイユは、母と娘のいさかいを誘導し 、困難ゆえ燃え上がる恋に身をこがす娘の情熱を利用してセシルにしたたかさをうえつける。音楽のスピードがましていき、いっきに物語 は展開していく。
 
場面は、ヴァルモンのおばロズモンド夫人の田舎の別荘だ。トゥーベルを演じるサラが相変わらず美しい。匂いたつような美しさというの だろうか。サラが演じるトゥーベルは、今回一貫して、強い存在感をみせている。メルトゥイユのような灰汁の強いキャラクターでないに もかかわらず、わたしは、ここにいるのよと、叫んでいるようにすらみえた。これは、アダムの解釈なのか、サラの解釈なのか、実にこの アダムヴァージョンの危険な関係のトゥーベルは、決して人の影にうもれて、ひそかにそこで息づいているような弱弱しさはみせない。今 回、ロンドンヴァージョンの表現が全体的にパワーアップしていることは書いたとおりだが、トゥーベルに関しても同様で、わたしとして は、ここは後で考えると、今ひとつ絶賛できない部分であった。トゥーベルは、物語の中で、一番、感情が変化する役どころだ。戸惑い、 目覚め、高まり、そして破滅していく。それも能動的にでなく、ヴァルモンの存在によって、変化させられていく受動的でありながら、物 語を語る存在だ。日本でみた時は、トゥーベルが翻弄された後、自分を解放していく時の高まりにつれて展開する愛のPDDに何度となく涙し た。それは、この女性の抑えた日常生活、夫への忠誠心、道徳心に生きて、多くの中でうもれるような控えめさの影におしこめられていた 情熱であった。が、今回ロンドンヴァージョンは、わりと最初から、濃いので、このおさえこんだ情熱というのがうすいのだ。もともと、 この女性は、何かのきっかけがあれば、花開いたのではないかと予感させるような強さを感じた。だから、2幕に愛を知って、絶望し、自殺 へと続く強さの変化が劇的でない。たぶん、日本公演のあとに、いろいろとやり残したことや、解釈の深まりによる演出の変化もあり、い ろいろと盛り込みたい気分になって、ある程度こったものになってしまったのはしかたがないが、ヴァルモンとトゥーヴェルに関しては、 日本なみの抑えたヴァージョンの方がより深い高まりを感じされるのではないかと思う。特に、このロズモンド夫人の別荘のトゥーヴェル は日本ヴァージョンにもどってほしいものだ。
 
母やジョリクールと共に田舎にやってきたセシルは、ヴァルモンとメルトィユのはからいで、ダンスニーと密会できることになる。ここも 大好きなシーンのひとつだ。これは、多分、アダムもお気に入りなのではないかと思う。変更は一切なし。金色に揺れる光の中で、大切な ものを壊さないように壊さないように、お互いにそっとふれあいながら踊る姿は、日本でもロンドンでも、思わず涙じわっときそうになる 。これが、最後の二人のイノセントでいられるシーンなのだ。ヴァルモンとメルトィユは本当は、二人がここで身体の関係をもつことを望 んでいるが、二人はちっともそこまですすまない。この後、セシルはヴァルモンに、ダンスニーはメルトィユに誘惑されおとしめられてい くことになるのだか、その直前の無垢な姿を象徴し後の悲劇を際立たせるシーンだ。ヘレンとデーミアンの穢れなき確立された一場面とな ったと思う。
 
ロズモンド夫人の館の居間で一同集まって、牧師とトゥーベルが話している。ヴァルモンはトゥーベルにモーションをかけつつ、ダンスニ ーとセシルの恋をもてあそび、メルトィユ夫人にはセシルを誘惑するようけしかけられている。ヴァルモンは、黒い革のジャケットにロン グブーツ、ダンスニーの手紙をもって大胆に居間を踊りながらかけまわる。この辺は、いうまでもなく、我々が待ち望んだアダムヴァルモ ンの魅力全開の場面だ。迷うことないヴァルモンの男性としての自信が、彼を囲む人すべてをくらっとさせるように、観客も思わず息をの んでいるシーンであった。
 
そして、一幕最後のクライマックス。着飾ったヴァルモンが、虚構の姿をぬぎすて野獣にかわるシーンだ。ここは、なんと日本の大阪公演 千秋楽よりもさらにパワーアップ。このパワーアップはよかった。力にまかせて、セシルをおさえこみつつ、薄笑いをうかべる余裕。日曜 日にみた時、鍵をあやまって落としてしまったらしいが、すかさずそれを蹴って、いっそう鍵をわたさない残忍さにかえていた。容赦なく セシルをおいつめながら、途中セシル自身も目覚めさせられそうに少し解放されてのびやかになるシーンもある。が、まもなく、また力ま かせの時がやってきて、おさえこまれてセシルは征服されてしまう。その激しさをあざ笑うかのように、メルトィユ夫人におじぎをして微 笑むヴァルモン。このシーンは、日本と同じく、窒息しないで生きてかえれるのか怖い場面であった。
 
2幕開幕。ここは、登場人物の衣装が新たになっている。トゥーベル夫人は、同じ黒いドレスだが、胸元がレースに変更され、結い上げてい た髪のひと束だけをおろして、なまめかしく、揺れる心を象徴しているのだろうか。セシルは、一幕の少女のような黄色い衣装から、グレ ーの衣装にかわっている。このグレーの衣装は、ジョリクールの修道院出のお嬢さん好みのためなのか、それでいて、もはや穢れなき少女 ではないことの象徴なのか、セシルの複雑な立場をあらわしている。椅子を片付けて、一同のダンスが始まる。少し官能的なそのダンスは 、この館に来る前と来た後でかわってしまった心をそれぞれが胸の内にひめて、燃え上がる前の炎がちらちら動くようなダンスだ。
 
ここではじめて、プレヴァンが登場する。このロンドン公演は、ほとんど日本でいうところのファーストキャストにしぼられ、アダムのこ の公演にかける意気込みのなみなみならぬものを感じたが、このプレヴァンだけは、どうにも納得できない部分であった。今にして思えば 、いろいろ好きかってをいったが、サイモンのプレヴァンはセクシーであったと思う。好みの問題はあるが、とにかくアダムのお兄ちゃん らしく、線がきれいでダンスにきれがあり、メルトィユ夫人のお遊びの相手にぴったりであった。今回のイングラムさん、うーん、ジョリ クールは大変よいのだ。クルトさんに負けず劣らず、いやみなお金持ち貴族の中年をユーモラスに演じており、彼の役作りは好ましく思っ た。が、プレヴァンは、そういう役ではない。原作では、とってもハンサムで、ヴァルモンは大嫌いという、お遊びの相手でないとだめな のだ。今回、ダンスニーのカバーのミッシェルも演じていたけど、子供すぎてだめだった。この子は、つるんとした顔をしており、きっと ダンスニー系の役なら、そのかわいさがだせたかもしれないが、メルトィユ夫人の遊び相手になる大人にはとってもみえない。ダンスニー と鉢合わせになるシーンは、メルトィユ夫人が年下好みで若いつばめたちをはべらせているようにみえて、メルトィユ夫人の気高いプライ ドにあってなくて悲しい感じがした。よって、メルトィユ夫人の残酷なゲームがうすまってしまい、この作品のめりはりを少しなくしてし まったように思えた。
 
ロズモンド夫人の居間でのダンスが終わり、ヴァルモンとトゥーベルが二人きりになるシーン。ここも、実はわたしとしては、日本ヴァー ジョンにもどしてほしい部分だ。何がどうかわったというような変化はない。基本的なダンスや演出は同じだ。が、二人の演技が大きくて 濃いのだ。ヴァルモンとトゥーベルに関しては、もう日本で十分確立されていたので、これ以上いじる必要なはかったのではないだろうか 。ここは、トゥーベル夫人がやっと、ぎりぎり自分を抑えて去るシーンだ。そして、ヴァルモンがゲームの相手とみていた夫人への愛に始 めてはっとするシーンだ。最初から、濃いので、この変化の微妙さを舞台からすべて与えてしまっているように思えるのだ。日本版のとき は、もっと観客は場面場面から、いろいろなことを自分で読み取らねばならず、それゆえに登場人物とともに見ている自分の中で感情が変 化していったように思う。このシーンに限らず、今回のロンドンバージョンは、舞台からすべてを与えられすぎているような感じがした。
 
ヴァルモンの変化を敏感に察知したメルトィユの怒りのシーン。今回、ヨーランダさんは、とてもとてもよくなっていた。グレンクローズ を思わせる貴族のご婦人そのものの容姿に、メルトィユの気迫がくわわり、日本での上品でふっきれなかったものがここではふっきれてい るようにみえた。が、やっぱりつばを吐くシーンは嫌いなようで、とんでなかった。サラバロンさんは、勢いよく2回もはきかけるので、ア ダムヴァルモンは、バロンさんのときは、そこを手でぬぐう演技がはいっており、ヨーランダさんのときはなかった。メルトィユ夫人に関 しては、たしかにサラバロンさんの迫力とキャラはファーストならではだが、ヨーランダさんの上品でいながら、したたかという大人の女 性としてのメルトィユもすてがたい。今回、一番の成長をみせてくれたのは、ヨーランダさんだった。サラバロンバージョンとヨーランダ バージョンとふたつのヴァージョンができたようで収穫だと思う。
 
メルトィユ夫人の残酷なゲームに続き、トゥーベル夫人の苦悩の場面へとかわる。ここからトゥーベルの死へと向かう場面もあまり日本と は変化はないと思う。ふりきってきたものの、どうしようもないヴァルモンへの恋心に身悶えるトゥーベルの姿は、やはり胸に迫る。そこ へゲームではなく、本当の愛を告げにやってくるヴァルモンに抗しきれず、身をまかせ愛のよろこびに目覚め、解放されていくPDDは、かわ らず美しい。この二人のシーンをみると、ヴァルモンもトゥーベルも他のダンサーではみたくないと思えるような完成されたものを感じる 。ここは、とても好きで美しいのだけれど、この高まりを絶頂にもっていくためにも、この前のトゥーベルとヴァルモンは、もう少し抑え てほしかった。舞台と観客が一体となるには、あたえすぎるのはよくないと思う。
 
トゥーヴェルとの愛に身をまかせた後の悪夢のあと、ヴァルモンはトゥーベルを突然拒みはじめる。もう後戻りができないトゥーヴェルの 自殺のシーンは、圧巻だった。ここは、日本で最初に観たとき、もっとも印象的でアダムヴァージョンの中で好きな解釈のところであった 。それまで抑えに抑えていた一人の女性が、ただ弱いだけでない、トゥーヴェルの女としての強さを初めてみせつける感じがなんとも好き だった。が、何度もいうように、今回のトゥーベルは最初から静かな自己主張の人なので、ここが日本で感じたほどには強くないのだ。た しかに迫力もあり、サラの演技は鬼気迫るものがあったけれど、全体をもう少し考え直してバランス調整すればより際立つのにと思えた。 トゥーヴェルが倒れるところは、ロンドンはヴァルモンが抱きかかえるように崩れるが、個人的には日本公演の雨にうたれて一人トゥーベ ルは倒れ、呆然とみつめるヴァルモンの方が好きだった。
 
次のメルトィユとダンスニー、セシルとヴァルモンの情事のシーンは、今回最も大幅に変更がくわえられたところだった。まず、椅子をも って、メルトィユとセシルが左右に現れる。二人は、同じダンスを左右で同時に行う。それは、セシルがもはや、純粋無垢な少女の時代を 終えて、メルトィユのような大人の世界に足を踏み入れたことの表現なのだろうか。たしか、日本では、まだヴァルモンを訪れるセシルは 、ヴァルモンに目隠しをしたりして、一瞬の無邪気さをみせた後、傷ついたヴァルモンを慰めるかのように身体を開いていく姿が印象的だ った。今回のセシルは、もう最初から大人の顔だ。ヴァルモンは、激しくセシルを痛めつけるかのように抱いたり、ナイフで脅すけれど、 セシルはもう何も怖れていない。その横では、メルトィユと情事をかわすダンスニーは、メルトィユに圧倒されっぱなしだ。官能の世界に 身をこがしつつ、どこかでいつも怖れている表情が消えない。ここは、もっとダンスニーのしたたかさをあらわしてもよいような気がする が、デーミアンのダンスニーはあくまでも、いつもおびえる青年だった。物事が同時進行する直前、メルトィユ&ダンスニー、ヴァルモン &セシルのシーンをスポットライトを交互にあててみせる演出は大変よかった。何しろ、ここは、右も左も見たいシーンなので、交互にみ せてくれて嬉しかった。
 
ヴァルモンとセシルの関係に気づかされ、ダンスニーがヴァルモンに挑んでいくシーン。ここも日本公演から大きくかわって、乱闘系のシ ーンが多くなっており、迫力満点だった。かなり、あぶない振りも多く、相手との信頼関係が必要なので、ダンスニーがダブルでなく一人 にしぼりたいのもわかるような気がした。日本であったダンスニーがヴァルモンに椅子をぶつけるシーンは、カットされており、常時、ダ ンスニーは劣勢にみえた。この劣勢をかえたのが、後ろのガラスに映るトゥーヴェル夫人の幻影だ。日本のようにただ姿をみせるだけでな く、自らを刺して力つきるシーンを何度もみせられる。ヴァルモンがこの悪夢に苦しんでいる様子を象徴するかのようで、最後にダンスニ ーの剣を自らに刺す姿はそれと重なって効果的であった。
 
本当に愛していた者を失う悲しみと苦悩にもだえるメルトィユのシーンは、バロンヴァージョンの半身もぎとられる強い痛みの慟哭と、ヨ ーランダヴァージョンの愛を失った女性の潤いにみちた慟哭とどちらも心に響くものがあった。
 
今回、こうしてロンドン公演を振り返ってみると、いつものようにアダムのはっとするようなセクシーなダンスに酔いしれていた今までと は違って、より作品として観劇できたことに気づいた。この作品は、初演から、ダンサーたちが成長していくように、観客であるわたし自 身も回を重ねるごとに発見があり、思いいれがあり、もはやアダムクーパーというダンサーだけをみつめていた日々を超えてしまったのだ と思う。もちろん、上演中は、ヴァルモンの毒に毒されたように、アダムのダンスには腰砕けにされてしまったけれど、全体を眺めてみる と、それだけでなく、いやそれよりも、からみあう人間関係と、それぞれの心の変化の面白さに魅了されていたように思う。原作の面白さ は、手紙で語られる複雑な人間関係だ。これをよく、言葉もないダンスだけでまとめあげたものだとあらためて思う。最初にみた人からは 、人間関係が複雑だとよく耳にする。たしかにそのハードルを越えるには、ある程度はっきりした表現を舞台から提供しなければいけない のかもしれない。きっと、一公演おわるごとに、ああしよう、こうしようと考えるところも多いことと思う。この限られた人数の中での、 複雑な心のからみあいは、いくらもパターンが考えられるだろう。だからか、今回のロンドンバージョンのように、おのおの性格を強くし て、明確な表現を提供しつづけたのもうなずける。アダムにたずねてみた。日本と比べて、表現のしかたや人物の解釈がより明確になって いるように思えるけれど、それは観客の違いでかえたのか、それとも解釈の深まりによるものなのか、それとも別に意図があるのかと。そ れは、解釈の深まりによるものだそうだ。常に、それを心がけ、変化しているのだと。そうか、これはまだ発展途上にあるのだ。今、わた しは、ロンドンヴァージョンは濃すぎると思う。いろいろなことをつめこんだり、試みたい時期なのだと思う。だから、もう少し待とう。 きっと、ロンドン公演がおわった次に、もう一度、ある程度抑えた表現に戻るとき、この作品はいっそうの深みを増すと思う。今のキャス トがすっかり自分のキャラクターを確立し、さらにふりかえって見つめなおしたときが楽しみだ。
 
今年、この作品はロンドン公演が最後だそうだ。このあとの予定は、具体的な地名はいろいろ耳にしたが、まだまだ正式発表までは至って ない様子であった。是非、再演のチャンスをつかんでほしい。本当は、この作品は、もう少し小さな劇場を考えていたそうだが、日本のプ ロデューサーの意向で大きな劇場用となり、セットもそのようになったらしい。たしかに、もう少し小さな、雰囲気のある劇場でたくさん 上演できるといいのに。多くの人に見てほしい。観れば、この作品のおもしろさは確かに感じるはずだ。ただ、あのポスターはあまりアピ ールしないのではないだろうか。日本公演は、いろいろなセットや衣装ができてなかったのでしかたがないが、今回ロンドン公演は、たく さん劇場での写真もあったはずなのに、あえて日本と同じ構図のポスターなのだ。人々を劇場に導くには、ビジュアルは大事だと思う。テ ロのあった場所の近くで、ウエストエンドからも離れているという立地的にも厳しいものがあり、ロンドンでの勝負は決して楽な状況とは いえない。作品そのものだけでなく、プロモーションも興行の成功にはかかせないものだと感じられた。
update:
2005/08/03



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